2023年12月05日
てんごくのおとうちゃん 長谷川義史
てんごくのおとうちゃん 長谷川義史(はせがわ・よしふみ) 講談社
母子家庭のお話です。絵本です。
思うに、家族のメンバーがそろって暮らせる期間というのは、家族形態によっても異なるのでしょうが、それほど長期間でないお宅もあります。ご主人が仕事人間で、単身赴任や長期の出張が多いお宅だと、父親がいない時間帯がとても長かったりもします。熊太郎の父親も出稼ぎに出たりしていたので、親子きょうだいがちゃんとそろって暮らした期間は自分の人生の内で5年間ぐらいしかありません。父親は熊太郎が12歳のときに病死してしまいました。
いろんな家族の形があります。
『はいけい てんごくの おとうちゃん、げんきに してますか。』から始まります。
『ぼく』から亡くなったおとうちゃんに対するお手紙形式です。
絵本に描いてあるご家庭には、おとうさんの姿はありませんが、ねこちゃんの姿はあります。
仏壇があって、むかしの箱型テレビがあって、夕食のおなべを囲むお母さんとおねえちゃんがおられます。
亡くなったお父さんとキャッチボールをした思い出が残っています。
むかしは、どこの広場でも野球をする少年たちや父と子の親子がいました。いまどきは見かけません。
自分の体験だと、自分の息子が小さいうちは、受けるボールの力は弱くて、投げる自分のボールの勢いは強いのですが、だんだん息子が成長するにつれて、自分の肩の力は落ちてきて、息子が中学生になるころには、息子が投げてくるボールが強すぎて、グローブの中の手のひらが痛くて、『もっとゆるく投げくれ』と立場が逆転していくのです。
絵本のなかの『ぼく』は、まだ小学三年生で、キャッチボールはまだへたくそです。泣いています。
絵本の中のお父さんは、『ぼく』が強いボールを投げることができる前に亡くなってしまいました。お父さんは、さぞや無念だったことでしょう。
『ぼく』がうれしかったことのもうひとつの思い出が、お父さんに『ウクレレ』を買ってもらったことです。
人生は思い出づくりです。思い出のランドマーク(記憶のめじるし)をつくるためにお金も使います。
『ぼく』は、お父さんに買ってもらったウクレレをうっかり壊してしまって、セメダインでくっつけてごまかそうとするのですが、血のつながった親子の間でウソをついたり、隠し事をしたりすることは、熊太郎は、必要のないことだと思います。こどもは、自分の分身です。親の立場からいうと、ウソはつかなくていいよ、なのです。
『ぼく』は、一度だけお父さんに怒られて、げんこつを一発頭にもらったことがあるそうです。
熊太郎も生きていた父親から一発もらったことがあります。びんたも一発くらったことがあります。熊太郎のほかのきょうだいはそんな体験はありません。よーく考えると、たたかれた体験が、自慢に思えたりもするのです。
ちびっこに物を買ってあげるということは、おとなの大事な行為です。とくに、食べ物を買ってあげることは大事です。『ぼく』とおねえちゃんは、お父さんにホットドックを買ってもらいました。ホットドックを買ってもらった思い出が、お父さんが亡くなったあともこどもたちの記憶に残っています。
お父さんが亡くなった日は雨だったとあります。
熊太郎の父が亡くなった日は雨ではありませんでしたが、火葬場に行ったときは雨でした。
まだ、こどもだったころ、母子家庭の日というのがあって、母子家庭のこどもが招待されて、ステージに並んで、『里の秋』を歌う企画がありました。熊太郎は行きませんでしたが、下のきょうだいが行って里の歌を歌って、何か物をもらったことがありました。熊太郎は、そのことについて、非常に腹がたったことをおぼえています。同情されるのはまっぴらごめんです。『同情するなら金をくれ』とまでは言いませんが、そっとして触れないでおいてほしい。おとなの気持ちとこどもの気持ちは違います。
絵本には、『ぼく』の気持ちが書いてあります。
『ぼくより おとうちゃんが かわいそうなんと ちがうやろかって。』
絵本では、万引き少年になりそうになった『ぼく』は、万引きを思いとどまります。
大昔の話ですが、片親家庭のこどもはワルになると、まことしやかなまちのうわさがありました。ゆえに、そうならないようにがんばったという心意気はあります。
そうか、『ぼく』の気持ちの中では、おとうちゃんは、生きているのか……
『はいけい、てんごくのおとうちゃん、ぼくは もうすぐ よねんせいになります。』(がんばれよ!!)
母子家庭のお話です。絵本です。
思うに、家族のメンバーがそろって暮らせる期間というのは、家族形態によっても異なるのでしょうが、それほど長期間でないお宅もあります。ご主人が仕事人間で、単身赴任や長期の出張が多いお宅だと、父親がいない時間帯がとても長かったりもします。熊太郎の父親も出稼ぎに出たりしていたので、親子きょうだいがちゃんとそろって暮らした期間は自分の人生の内で5年間ぐらいしかありません。父親は熊太郎が12歳のときに病死してしまいました。
いろんな家族の形があります。
『はいけい てんごくの おとうちゃん、げんきに してますか。』から始まります。
『ぼく』から亡くなったおとうちゃんに対するお手紙形式です。
絵本に描いてあるご家庭には、おとうさんの姿はありませんが、ねこちゃんの姿はあります。
仏壇があって、むかしの箱型テレビがあって、夕食のおなべを囲むお母さんとおねえちゃんがおられます。
亡くなったお父さんとキャッチボールをした思い出が残っています。
むかしは、どこの広場でも野球をする少年たちや父と子の親子がいました。いまどきは見かけません。
自分の体験だと、自分の息子が小さいうちは、受けるボールの力は弱くて、投げる自分のボールの勢いは強いのですが、だんだん息子が成長するにつれて、自分の肩の力は落ちてきて、息子が中学生になるころには、息子が投げてくるボールが強すぎて、グローブの中の手のひらが痛くて、『もっとゆるく投げくれ』と立場が逆転していくのです。
絵本のなかの『ぼく』は、まだ小学三年生で、キャッチボールはまだへたくそです。泣いています。
絵本の中のお父さんは、『ぼく』が強いボールを投げることができる前に亡くなってしまいました。お父さんは、さぞや無念だったことでしょう。
『ぼく』がうれしかったことのもうひとつの思い出が、お父さんに『ウクレレ』を買ってもらったことです。
人生は思い出づくりです。思い出のランドマーク(記憶のめじるし)をつくるためにお金も使います。
『ぼく』は、お父さんに買ってもらったウクレレをうっかり壊してしまって、セメダインでくっつけてごまかそうとするのですが、血のつながった親子の間でウソをついたり、隠し事をしたりすることは、熊太郎は、必要のないことだと思います。こどもは、自分の分身です。親の立場からいうと、ウソはつかなくていいよ、なのです。
『ぼく』は、一度だけお父さんに怒られて、げんこつを一発頭にもらったことがあるそうです。
熊太郎も生きていた父親から一発もらったことがあります。びんたも一発くらったことがあります。熊太郎のほかのきょうだいはそんな体験はありません。よーく考えると、たたかれた体験が、自慢に思えたりもするのです。
ちびっこに物を買ってあげるということは、おとなの大事な行為です。とくに、食べ物を買ってあげることは大事です。『ぼく』とおねえちゃんは、お父さんにホットドックを買ってもらいました。ホットドックを買ってもらった思い出が、お父さんが亡くなったあともこどもたちの記憶に残っています。
お父さんが亡くなった日は雨だったとあります。
熊太郎の父が亡くなった日は雨ではありませんでしたが、火葬場に行ったときは雨でした。
まだ、こどもだったころ、母子家庭の日というのがあって、母子家庭のこどもが招待されて、ステージに並んで、『里の秋』を歌う企画がありました。熊太郎は行きませんでしたが、下のきょうだいが行って里の歌を歌って、何か物をもらったことがありました。熊太郎は、そのことについて、非常に腹がたったことをおぼえています。同情されるのはまっぴらごめんです。『同情するなら金をくれ』とまでは言いませんが、そっとして触れないでおいてほしい。おとなの気持ちとこどもの気持ちは違います。
絵本には、『ぼく』の気持ちが書いてあります。
『ぼくより おとうちゃんが かわいそうなんと ちがうやろかって。』
絵本では、万引き少年になりそうになった『ぼく』は、万引きを思いとどまります。
大昔の話ですが、片親家庭のこどもはワルになると、まことしやかなまちのうわさがありました。ゆえに、そうならないようにがんばったという心意気はあります。
そうか、『ぼく』の気持ちの中では、おとうちゃんは、生きているのか……
『はいけい、てんごくのおとうちゃん、ぼくは もうすぐ よねんせいになります。』(がんばれよ!!)
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