2022年04月21日

音楽心理学ことはじめ 音楽とこころの科学

音楽心理学ことはじめ 音楽とこころの科学 エリザベス・ヘルムス・マーギュリスト・著 二宮克美・訳 福村出版

 親族に、楽器を扱う仕事をしている人間がいるので、話のネタにするために読んでみることにしました。
 第1章から始まって、第8章まであります。
 目についた項目は、『音楽脳』『音楽と健康』『言語としての音楽』『頭から離れない曲と音楽の記憶』などです。

 平均的なアメリカ人は一日に4時間音楽を聴くそうです。
 そういえば、リタイアした自分たち夫婦もラジオをつけっぱなしにして、日中、結構長い時間、歌曲を聴いています。自分たちが、中学・高校の時代を送ったとき、はやっていた古い歌ばかりが毎日流れています。なんだか、人生を二度体験しているようで不思議です。

 ピタゴラスの時代:古代ギリシャの数学者。紀元前582年-紀元前496年。音階とか音程の比率を発見したそうです。

 なぜ人は音楽がそんなに好きなのでしょうかという提示があります。

 ピタゴラスのいた紀元前の時代からの音楽に関する歴史についての説明が始まりました。

 モーツアルトが出てきます。1756年-1791年 35歳没

 時は現代となり、コンピューターによる感動的なオリジナル音楽の製作にまで至ります。
 ビート(拍。拍手):人間の心理の追跡。
 資料の集成をして、データベースをつくる。(情報を整理整とんした集合体)

 そういえば、こどもは、どうして音楽が好きなのだろう。
 音楽に合わせてダンスめいた踊りも活発にしてみせてくれます。
 思春期の青少年・少女たちも、どうして、ギターやドラムやキーボード、ボーカル(歌唱)に気持ちを打ち込むのだろう。(バンド活動)
 リズム、メロディ、言葉を楽しみ、学び、気持ちを発散させる。
 自分が発したいメッセージを強く伸びのある声や体勢で表現する。

 認知症の高齢者に音楽を聴かせると、心や記憶に改善効果があるそうです。
 以前音楽大学の教室であった一般人向けの聴講で、音楽療法士という方の講義を聴いたことがあります。

 別の音楽療法士の方の集団に対する療法中のようすを見たことがあります。一時間ぐらいは続きました。音楽療法士というのは、かなり体力を要する仕事だと感じた記憶が残っています。

 そうか。フルートは、数万年前の考古学上の記録に出てくるそうです。動物の骨でつくってあるそうな。太古の昔から、人間と音楽は切っても切れない関係だったことがわかります。

 音楽は脳みその神経回路に働きかける。
 脳梁(のうりょう):左右の大脳をつなぐ太い束の部分

 『音楽を聴くことには、多くの場合、努力を要しない。』
 音楽は、直接的な表現で人に働きかけるとあります。

 音楽は健康にいいと判断できる文章内容です。
 パーキンソン病の人が聴くと運動・姿勢・バランスの改善があるそうです。
 
 研究、検証として、ゴリラ、チンパンジー、などの動物、オウム、ハチドリなどの鳥類、カエル、セミ、コオロギまで出てきました。
 交尾が関係することもあるようです。やはり、生き物は、恋をするために、相方を探し求めて、音楽を奏でるのでしょう。
 お魚のコイまで出てきました。
 魚類にも音楽がわかるのか。

 音楽と言語には類似性がある。
 音楽には、文章のように、構造をつくるための規則がある。

 読みながら頭に浮かんだのは、「日本では、メロディも歌詞も出尽くした」
 ある意味、自分たちは、いい時代を過ごしてきたのでしょう。

 レナード・コーエンの『ハレルヤ』:NHKBSの駅ピアノで聞いたことがあります。無職の男性が「ハレルヤ」を弾きます。仕事が見つからないそうです。ピアノが心の支えだそうです。感動しました。オランダだったと思います。たしか、その後、仕事が見つかったというようなテロップ(画面上の文字情報)が流れたと思いますが、記憶は不確かです。

 自動ピアノのための曲があることを初めて知りました。

 たまに、テレビ番組で芸能人の格付けという内容のものを見ます。
 クラシックの演奏当てがあります。ヴァイオリンとか、ビオラとか、チェロとか、コントラバスとかの楽器の価格がすごく高いものと安いものとの比較です。
 とてもむずかしいです。普段から聴きなれていても正解を当てるのは困難そうです。

 拍子とリズムをつかむ。
 小学生のときの卒業文集を思い出しました。
 今こうして、ノートパソコンをタッチタイピングしている左にある本棚に、自分が小学校を卒業した時の文集があります。もう、半世紀以上前のものです。
 15ページに、当時の音楽の先生(女性)が書かれた文章があります。おそらく、ご本人はすでに亡くなっているでしょう。死しても、文章は残ります。
 『リズム』というタイトルです。わたしたちの日常生活のなかには、「リズム」がありますと書いてあります。お台所の「トントントン」、お湯が煮える「グラグラグラ」、煮物は「グツグツグツ」、時計の音が「チッチッチ」、そして、生活のなかにあるリズムは、音楽のリズムとは違って、いろいろな拍子がありますとあります。二拍子、三拍子、ときには、一拍子も五拍子もあります。
 自分のリズムをみつけましょう。
 小学校を卒業する十二歳の児童に向けて『これからの長い人生を、たのしく、ゆかいに、又、強く、正しいリズムにのって、生活をしていってください』というメッセージが残されています。
 【せんせい、ありがとう】

 音楽を数値化する。
 世の中にあることは、なんでも数値化できるようです。
 
 絶対音感:音の高さを認識する能力

 あかちゃんは、母親のおなかの中で、母親の心臓の音を聴いている。
 思えば、音に囲まれて生活しているのが日常です。

 本では話が進んでいって、専門的、深い部分になるので、しろうとのわたしには理解がついていけません。
 四歳児、五歳児の話が出ます。

 ①音楽による強力な連想(記憶を呼び戻すスイッチ) ②音楽による情動の増幅(興奮状態をつくる)複数でいるときに相手の表情を見て、気持ちがふくらむメカニズムがある。
 ちょっと、野球の応援を思い出しました。
 多幸感があります。幸せで満足できる気分。
 
 印象的だったフレーズとして『音楽は世界中の儀式や式典で重要な役割を果たしており……』
 音楽で心理操作ができるのです。
 ドラマや映画ではよく使われる手法です。
 音楽に心理をコントロールされるのではなく、音楽をコントロールできるポジションにいたいとは思います。  

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2022年04月20日

もしものとき、身近な人が困らない エンディングノート

暗証番号保護シール付き! もしものとき、身近な人が困らない エンディングノート 監修 曽根惠子 宝島社

 前回エンディングノートを書いたのは、2019年のことでした。
 それから状況がいろいろ変わったので、また書くことにしました。
 書店の棚にたくさんあるなかで、これがいいだろうということで選んだ1冊です。
 ことに、インターネットバンキングとか、SNSのパスワードとか、サブスクリプション(一定期間の利用で料金を支払って更新していく)とか、文書、画像データの保存場所など、インターネットやスマホの世界の記録を残しておかないと子孫に迷惑をかけてしまいます。
 書店で、手に取った時に、それらのことが充実している一冊に見えました。
 
 今回は、鉛筆書きをしてみます。
 清書が必要ならしますが、たぶん、しばらくは大丈夫でしょう。
 ページに書き込みきれないところは、別紙に書いて、のりではりつけておくことにしました。

 前回、エンディングノートをつくったときは、いちおう、自分と親の出生から現在までの戸籍謄本を取り寄せて、使用済みの壁かけカレンダーの白色裏紙を貼り合わせて書きこんで、大きな親族家系図までつくりました。
 叔父叔母とかいとこ、甥姪(おいめい)、きょうだいの孫など、あまり会う機会がなく、最近誕生したちびっこもおり、電話をかけて名前と年齢をたずねたりもして、けっこう時間がかかりましたが、いい交流になりました。
 家系図をつくり終えた時に思ったのは、自分の両親である夫婦ふたりから始まって、こども、孫と、おおぜいの子孫が広がっていることに感動がありました。うちの両親はたいしたものだと、尊敬する気持ちに至りました。

 思うに、エンディングノートというのは、これ一冊を書くだけでは不十分です。
 必要な書類もセットして、資料のかたまりの形で、保管するのがいいのでしょう。

 IT(インターネット・テクノロジー)とかSNS(ソーシャル・ネットワーク・システム)とか、ネット口座とかいったものは、自分の心身が健康で、自己管理できるうちはいいのですが、自分でできなくなりそうだと思ったら、どこかで節目の時期をつくって、最小限のものを残して引き上げる手法をとったほうが、あとに残る身内に迷惑をかけないからいいだろうと判断しました。
 金融関係でも、有価証券や金融商品で投資しているものがあれば引き上げて、できるだけシンプルな形で保管をしておいたほうが、あとあとの負担が小さくなりそうです。
 エンディングノートですから、自分がいなくなったあとのことのお願いです。どうしても、親族に迷惑がかからないようにと考えることが、ノートづくりの重点事項です。

 こちらのノートでは、重要情報を隠すスクラッチシールというのが付いています。人によって、必要になったり、そうでなかったりでしょう。
 
 クレジットカード・電子マネー一覧のページは便利です。
 財産のありかを生きているときに相続人にすべて教える人は少ないような気がしますが、自分は教えておいて、エンディングノートも見せて、よろしくと説明します。もっとも、平均寿命から考えて、男のほうが先に逝くので、妻に頼むことになるのでしょう。

 口座の引き落としのページがあります。便利です。
 けっこういろいろな項目で、毎月口座から引き落としがなされています。
 口座関係のことで、口座の持ち主が亡くなったあと、どういうふうになるのかについては、関心があります。
 とくに、サブスクリプション(一定の期間で使用料を支払う)が自動継続になっていると、やばい気がします。本人は亡くなっているのに、口座が生きているので、料金が落ちていく。トラブルになりそうです。

 紙の通帳がないネット口座の発見遅れも怖い。
 あるいは、半永久的に発見されないということもあるのだろうか。
 そんなことが、50ページあたりに書いてあります。
 デジタル遺産の管理はたいへんです。

 亡くなった人のスマホの契約処理もしなければなりません。

 LINE、Twitter、Facebook、Instagramのアカウント削除について書いてあります。
 自分は、LINEしかやっていません。あとあとのことに配慮して、これ以上、手を広げることは避けたい。
 
 別添で『遺言書』がついています。
 自分はまだ、書く気にはなりませんので、おいおい考えてみます。  

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2022年04月19日

夜が明ける 西加奈子

夜が明ける 西加奈子 新潮社

 久しぶりに西加奈子作品を読みます。
 先日読んだ『ナナメの夕暮れ 若林正恭 文春文庫』で、お笑いコンビオードリーの若林正恭さんは、西加奈子さんと加藤千恵さんとお酒を飲むことがあるそうです。加藤千恵さんの本はこのあいだ1冊読んだので、今度は、西加奈子さんのこの本を読んでみます。

 勢いのある出だしの文章です。久しぶりに西加奈子さんが書いた文章を読みます。
 アキ・マケライネン(フィンランドの俳優。身長194cm。40歳で酔って死去。映画『男たちの朝』に出演)という人物が、唐突に登場します。(とうとつ。だしぬけに。やぶからぼうに)
 さらに、アキ・マケライネンの人物像と重なる高校一年生男子が出てきますが、ふたりには何のつながりもありません。

次が、アキ・マケライネンに風貌が似ている人物です。
 深沢曉(ふかざわ・あきら。1982年冬の生まれ。高校一年生。身長191cm。老けていて、おどおどしている。でかい。ただし、見た目だけ。目が悪い。吃音(きつおん。どもり)あり。
 家庭に恵まれていない。母親が19歳で産んだこども。父親は人物・所在ともに不明。祖母や母親以外の人間に育てられた。母親は心を病んだ(やんだ)。
 彼は、本書中では『アキ』と記されます。

 主人公(とりあえず25ページまで読みましたが、まだ名前は出てきません。父親が雑誌・書籍デザイナー。趣味人で、家に大量のVHS映画テープあり。なお、主人公は、1998年で、15歳、高校一年生の設定です。高校2年生のときに42歳の父親が交通事故死します。単独事故、されど、自死の判定あり。
 母は高卒後、出版社の事務員。20歳で結婚。22歳で主人公を出産しています。

 文脈からいくと、どうも、アキ・マケライネンは、もう死んでいるようです。そして、主人公は成長して、いまはおとなになっている気配があります。
 アキ・マケライネンは日記を書いていた。その日記を主人公男子が今ももっている。日記はほとんどが、ひらがなで書いてある。

 26ページ。どうもこの物語は、貧しい家に生まれたこどもの話のようです。
 アキには、孤独があります。アキの友だちは『雪』です。
 かなり暗い内容の小説になりそうです。
 
 遠峰(とおみね):ガソリンスタンドでアルバイトをしている女子生徒(主人公が心を寄せている)一重の目がつり上がっている。

 中島弁護士:主人公の亡父の友人。父は多額のカードローンが残っていた。相談にのってもらった。中島氏には離婚歴あり。引きこもりの21歳の息子と同居しているが、同じ家に住んでいるのに、長い間息子と会ったことがない。

 読みながら、半世紀以上昔、自分がこどものころに、債権者が差し押さえのために、近所の家にすごい勢いで乗りこんで行く姿を見たことを思い出しました。
 家財道具に赤い紙をぺたぺた貼っていました。
 差し押さえの風景だったのでしょう。

 59ページまで読んで、アキというのは、主人公にとっての、もうひとりの自分。別人格の自分なのだろうかという思いが生まれました。(実際は違っていましたが、同じだと考えても物語が訴えるメッセージの解釈に間違いはないでしょう)

 親が精神病だったら、こどもは、どうしたらいいのだろう。
 昔は、親父がアル中だという話はよく聞きました。
 親がお酒飲みだと、こどもは苦労します。

 読んでいると、悪い方向へ向かっての一方的な書き方なので、こんなひどいことばかりでもあるまいに、という疑心暗鬼(ぎしんあんき。疑い。不満)が生まれます。極端すぎやしないだろうか。
 読者の脳みそは、作者に、暗いイメージを植え付けられそうです。
 暗示です。読者が作者に暗示をかけられそうです。

 モデルとなる少年なり、母子家庭があるのだろうか。
 奨学金の話が出ます。
 自分も貧乏な母子家庭で育ったので、奨学金をもらいながら学校で学びました。
 借りた奨学金は、結婚した時に残り全額をまとめて返済しました。
 変な話ですが、結婚式のご祝儀の残りと貯金で返済しました。たくさんお祝いをいただいて、お返しもしましたが、それでもあまりました。助かりました。ありがとうございました。
 その後、奨学金を返さない人がいるというニュースを聞いて驚愕しました。(きょうがく。ひどく驚いた)こどものころから、借りたお金は利子を付けてきちんと返済するのだと教育されてきました。返せないお金は最初から借りないと教わりました。恩を仇(あだ)で返すとバチがあたります。(恩人に害を与える)
 次の世代の人たちに貸し付けができるように、返済することが原則だと思うのです。この本では、返せないものは、返さなくていいのではないかという文脈で書いてあるので不可解でした。

 物語は、劇団の話になります。
 先日観た昔の映画『青春の門 自立編』のような展開です。
 映画では、主人公は劇団に入って、北海道巡業に出発するところで終わっています。
 深沢曉とまだ、名前のわからない主人公の関係は、お笑いコンビをつくるふたりのような雰囲気もあります。
 プウラの世田谷:劇団名。劇団員が12名。主宰者が、演出家の東国伸子(ひがしくに・のぶこ)。華奢で背が低い。少女のよう。父は著名なCMディレクター。
 アキ(深沢曉)が入団しました。

 学校では弱い者やついていけない者はいじめられます。
 学校は、人間の標準化が求められる世界です。
 社会に出たほうが、自由です。しばりがなくなります。
 良かったセリフとして『負けちゃダメだ』俺は自分に言い聞かせた『負けちゃダメだ』
 一人称、ひとり語りの記述が続きます。

 こどもの世界からおとなの世界へとお話は進んでいきますが、おおざっぱな進行のようにみえます。

 主人公は、テレビ局の下請けをしているテレビ番組の制作会社に就職しました。6人採用。AD職(アシスタントディレクター。小間使い)
 社長は50代男性。高校卒業後、苦労して、製作会社を立ち上げた。社長によるパワハラあり。
 主人公の教育係が、田沢という女性。短髪。物言いがきつい。『絶対辞めんなよ』

 アキ(深沢曉)は、劇団活動を熱心にやっているけれど、報われて(むくわれて)はいない様子です。
 彼のアルバイトが治験。(新薬の実験台)
 劇団活動をしながらのアキが好きな言葉として『みんな家族なんだから』

 主人公は、25歳からひとり暮らしを始めて、今は、34歳独身になっています。
 テレビ局製作会社のアシスタントディレクターの悲哀に満ちた日常生活が描写されています。
 この小説はどこをめざしているのだろうか。読み手である自分は、現在、全体で407ページあるうちの136ページ付近にいます。人間ドラマや映画の原作本をめざしているのだろうか。

 どんな仕事にも苦労はあります。
 お金のために働きます。
 物語の内容は、社会派の記述です。(現代社会の問題点を鋭く突く)
 この本では、書き手として、取材したこと、資料集めをしたことが、一覧のように列挙されていきます。

 ダンさん:お酒依存の生活保護受給中の高齢者男性。
 生活保護制度のシステムに対する疑問点の提示が試みられていますが、思うに、高齢者、障害者、ひとり親家庭、傷病者の人たちなどが生活保護を受けるわけですが、ボーダーライン上にいる人が微妙な立場になります。
 人は、働かなくてお金がもらえるようになると、働かなくなります。どうやって、働かなくてもお金がもらえる環境を維持していこうかと考えるようになります。

 テレビ局の番組は、つくり物の世界です。
 意図があって、形式があって、完成がある。
 冷めた目で見れば、お金で動いている。
 箱の中の世界です。広がりが限られています。

 2歳児の虐待の話になります。
 大麻所持でタレントが逮捕されます。
 高齢者のようすが書かれています。
 話題が多方面で広がりすぎています。
 タレントの高齢化の話が出ます。
 外国人労働者(タクシー運転手)の話も出ます。
 読みながら思うのは、今自分が読みたい物語ではないということ。

 文章に勢いはあります。
 テレビ番組制作会社でアシスタントディレクターとして働く主人公は、働きすぎて顔に表情がない人間になっていきます。
 本の中を旅するように文章を読みます。今、186ページ付近にいます。

 自殺企図(きと。くわだてる)。
 すさんだ生活。
 仕事だけの人生。人生とは、仕事をして、お金を稼ぐだけなのか。
 盗作騒ぎがあります。
 底なしの貧乏暮らしだったこども時代があります。

 遠峯(主人公の高校の同級生で、貧困暮らしゆえに、学生時代にガソリンスタンでバイトをしていた女性)の名言として『私は笑うようになった』『絶対に恨まない(うらまない)って決めた』『これが私の戦い方なんだよ』
 
 生き方として『アキは、「無害」でいることを選んだ』

 田沢(女性):テレビ番組の編集者。男尊女卑の扱いをされることに対して、強い対抗心をもっている。

 救いようがない状況が続きます。
 うーむ。
 これでいいのだろうか。
 誇張がありすぎるような。
 人間はここまで悪いものではないと思いたい。

 印象に残った言葉として『逃げなさい』『おかあさんは、かみさまはいるといっていた。』『勝ち負けが全てでした。負けたら死ぬ、くらいの感じだった。』人に助けを求めることは「負け」という定義が提示されます。

 フィンランドの「夜が明ける」とは、どういう状態だろうか。
 白夜を思い浮かべてしまいます。
 それでも日の出はあるに違いない。

 主人公がこれまで働いてきて、稼いだお金はどこに消えたのだろう。

 うーむ。解決には至っていないような終わり方です。
 消化不良でした。
 自分の読み落としかもしれませんが、最後まで、主人公の名前は出てこなかった記憶です。
 どうなのか。主人公の氏名は出した方がいいし、そのほかの登場人物については、氏(名字みようじ)だけで、下の名前がなかったりして、読みながら、人物を身近に感じられませんでした。

 自分でがんばらなきゃ、だれも助けてくれないのが、人間界の基本です。
 努力しているから、助けてやろうという人が現れるのです。
 
 規定の『枠(わく)』の中にいないと人生が不幸になるという書き方がしてあります。そうだろうか。
 自分は老齢者なので、若い人たちとは考えが異なります。経験で物事を考える年齢です。
 同じ事象でも、受け止め方で、悲劇にも喜劇にもなります。気持ちの持ち方次第です。
 自分がこどもだったころの祖父母や両親の生き方が思い出されます。戦争体験者です。貧困体験者でもあります。たくましかった。畑を耕して、自給自足をするように衣食住の生活を送っていました。トラブルやハプニングが起こっても、くそくらえ!というガッツでのりきっていました。困難を困難と思わない人たちでした。
 貧乏とか貧困であることは、全面的に『不幸なこと』ではありません。
 『自分が自由に使える時間が少ないこと』が不幸です。

(その後)
 今、2022年4月27日水曜日なんですが、今、読んでいるのが、『バカのすすめ 林家木久扇(はやしや・きくおう) ダイヤモンド社』で、その本の感想文をつくりつつ、感想文の一部をここに転記しておくことにしました。
 戦争体験者の心のもちようです。

 (「バカのすすめ」の)36ページに、第二次世界大戦のとき、(林家木久扇(はやしや・きくおう)さんが)小学校一年生の時の東京大空襲体験が書いてあります。
 一晩で10万人の人たちが空襲で亡くなったそうです。悲惨です。
 夜空にはアメリカの爆撃機、空襲警報が鳴って、大火災が発生して、夜なのに空が明るい。
 自分も若い頃に、空襲体験者の話を聞いたことがあります。爆弾が落ちてくる中をぴょんぴょん飛び跳ねながら逃げたということでした。驚いたのは、空襲が終わったあと、落ちていた爆弾を拾った。今、庭にその爆弾があるよということを聞いて爆弾を見せてもらいました。爆弾の中身はからっぽで空洞でしたが、何本もありました。また、その人だけではなくて、別の複数の人たちの庭にも大小いろいろな形の爆弾が置いてあって、たいそうびっくりしました。みなさん、たくましい。人間はばかになって、開き直れば強い。悲劇が喜劇にすら転換します。大切なことは、生きていることです。
 37ページに『何が起きても、あの空襲のときに比べたら、こんなものは何でもないという思いがあったから、(癌になったとき精神的に)落ち込まずに済んだ』とご本人の言葉があります。  

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2022年04月18日

太川&えび路線バス旅 三条大橋から出雲大社 動画配信サービス

太川陽介&えびすよしかずのローカル路線バス乗り継ぎ人情旅 第8弾 京都市三条大橋から島根県出雲大社 2011年(平成23年)放送 動画配信サービス

 ロケが、3月1日から4日の3泊4日です。同月11日に、東日本大震災が発災しており、神妙な気持ちで番組を見ました。(素直でおとなしくなるようす)
 早いもので、もう11年が経過しました。同じような場所で、今でもたまに大きな地震があります。
 ヨーロッパでは戦争が起きており、自分たちの世代は、いろんなものを観る世代になりました。

 番組では最初に、京都の映像が映ります。
 40代の頃は、仕事での悩みが多く、神仏にすがるように、京都へしょっちゅう行っていましたが、時は流れて足は京都から遠ざかりました。
 メンバーは、路線バスだけで、京都市内から島根県にある出雲大社(いずもたいしゃ)をめざします。
 途中、経由地として立ち寄った場所は、これまでに何度も見たこの路線バス乗り継ぎ旅の番組や「出川哲朗の充電バイクの旅」に出てきたところです。
 自分にとっては、なじみのある地名になりました。
 兵庫県の「八鹿(ようか)」とか「湯村温泉」とか。

 ゲストは、川上麻衣子さんです。
 スウェーデン生まれの半分外国人みたいな方です。むかし、テレビ番組の『3年B組金八先生』で、ちらりと見たことがあります。
 今回のバス旅では、太川陽介さんとえびすよしかずさんも含めて、3人ともかなり張り切っています。わいわいがやがや、にぎやかな、楽しいバス旅です。
 明るく元気な調子で前進して、チャレンジは、成功しています。

 前回の挑戦はえびすよしかずさんが、旅の途中でパチンコをやったらしく、パチンコでの時間消費が原因で、チャレンジは失敗したそうです。(記録を見ると、ゲストは、中山エミリさんで、青森駅から新潟県の万座シティバスセンターを目指しています。2010年8月のロケでした)
 前回の失敗の話になって、えびすよしかずさんが笑っていると、太川陽介さんが『(原因は)アンタだろ!!』と本気で怒っていました。それでも笑ってごまかすえびすよしかずさんです。

 川上麻衣子さんの紹介がおもしろかった。
 太川陽介さん『マイコに濁点をつけると、マイゴになる(迷子)』
 川上麻衣子さん『(自分は)方向オンチ。地図は読めません』
 太川陽介さん『(どうも川上麻衣子さんは離婚歴があるらしい。これから出雲大社まで行って)再び縁を結ばなきゃ』

 京都市内では、女性のバス運転手さんで、えびすよしかずさんがうれしそうで、かなり明るい。

 えびすさん語録として、
①(自分の職業について)マンガ家っていえるほどマンガを書いていない。何の職業かわからない。
②(故郷の長崎でご自身のマンガの展覧会をやる)太川さんが『入場料が1000円だったらお客さんは入らない』えびすさんが『1000円なんだよ』
③『いきあたりばったりだね(太川さんが綿密なプランを練(ね)っているのに。太川さんにケンカを売っている)』
④(えびすさんの言葉として)『但馬牛(たじまうし)の焼き肉を食べよう。それまでは、あと2日間、まずいものを食おう』

 川上麻衣子さんの意外な発言として、
『パチンコで、開店から閉店までいることがある。時間が過ぎるのを忘れる。1時間過ぎると、時間の感覚がなくなる』えびすさんから『ざわざわしたなかで、ひとりになれるのが安心する』というような同調する発言がありました。

 移動の途中で、川上麻衣子さんが『桂離宮』に立ち寄りたいと言い出します。バスを降りたけれど、事前予約の入場券が必要だったので中には入れませんでした。
 自分も宮内庁のインターネット予約申し込みをして桂離宮見学の抽選に当たったけれど、新型インフルエンザ(2009年ころ)の患者が京都で出て、家族の反対があって、見学を断念したことがあります。
 このあと、太川陽介さんの希望が島根県宍道湖(しんじこ)のシジミが食べたい。えびすよしかずさんが、鳥取砂丘を見たいという希望をかなえています。

 おでん5個400円を3人で分けて食べます。
 芸能人だからなのか、みなさん少食なのね。
 その後、生ものは食べられないというえびすよしかずさんが、ホタルイカを食べておいしいと言っていたのが意外でした。そうとうおいしかったのでしょう。

 途中で全国をヒッチハイクしている青年に出会いました。
 これまでに車70台に乗せてもらった。沖縄まで行き、今は本土に戻ってきて、北を目指しているそうです。
 彼の話です。コインラインドリーで寝た。目がさめて起きたら、そばに、手紙と500円玉が1枚置いてあった。手紙には、『がんばれ!』と書いてあって嬉しかったそうです。
 太川陽介さんも『若い時しかできないから、がんばって!』と励ましました。
 
 雪景色がすごい。3月のロケとはいえ、山陰地方は雪がたくさんふります。
 
 番組では、3泊4日の長い旅路を1時間半程度に、コンパクトに上手にまとめてあります。

 鳥取県で『赤碕(あかさき)』という地名が出ました。
 高校生だった時に、赤碕の海岸そば、堤防の手前にあった小さな平らな土地に、テントを張って一夜を過ごしたことがあります。もう半世紀近く前のことです。なつかしい。
 映像を観ていると、<ああ、旅に出たいなあ>という気持ちになります。コロナ禍の影響で、もう長いこと、がまんが続いています。ほかのかたたちも同様でしょう。
 先月は、3回目のコロナワクチンを打ちました。1回目、2回目同様に副反応が出てちょっとつらかった。4回目もあるんだろうなあ。しかたがありません。

 映像では、3人の横を、1両だけの電車が何度か走っていきました。
 電車があるということは、路線バスはないか、あっても本数が少ないということです。需要がないのですから仕方がありません。バスで空気だけ運んでいたら大赤字です。
 出雲大社まであと、たった40kmなのに、路線がありません。
 (乗用車なら1時間ぐらいで行けます)
 3人は歩き疲れます。
 えびすさん『休んだほうがいいかも。病気になりそうだもの』
 
 ようやく到着できた出雲大社は、いいお天気でした。
 川上麻衣子さん『まだ、おまえは甘いと言われたような気分がした』
 3人とも『達成感があるから、(路線バス旅の挑戦は)やめられない』  

2022年04月16日

半島の先っぽへ昼ごはんを食べに行く。

半島の先っぽへ昼ごはんを食べに行く。

 10年ぐらい前にちょくちょく行っていた愛知県知多半島のフェリー乗り場そばにあったお店を久しぶりに訪ねることにしました。
 イカ焼きとか、海鮮ラーメン、大あさり焼きなどがおいしかった。
 されど、ずいぶん前のことでもあり、コロナ禍もあったし、スルメイカの不漁も聞きます。もしかしたら、お店は営業していないかもしれないと思いながら行きました。
 やはり、お店は閉店状態でした。平日に訪れましたが、土日に開けているというようすもみられませんでした。残念。
 やむなく、そこから車を運転して5分程度のところにある料理旅館で昼食をとりました。
 エビフライがおいしかったです。





 ブルー一面の風景が心地よい。
 さわやかな春風が吹いています。
 少し立ち位置を変えて、同じような写真が続きます。

















 平日ですが、料理旅館はとてもはやっていて、女性のグループを中心に、高齢者のグループが海の幸と海の風景とおしゃべりを楽しんでおられました。
 お金も時間もある高齢者のみなさんでしょう。3人程度のグループで来て、そのうちの誰かが自家用車を運転して、メンバーの送迎をされておられるようすです。
 心身ともに健全な自立したお年寄りたちです。
 おそらく現役のときは、仕事に追われていたことでしょう。
 忍耐が報われた(むくわれた。ごほうび)老後だと考えます。

 次は、料理旅館の二階の和室(テーブル式)からながめた伊勢湾です。
 平安時代とか鎌倉時代は海上交通が発達していて、伊勢半島から知多半島のあいだでは、たくさんの船が行き来していたと思います。たぶん武士たちが乗っていたことでしょう。



  

Posted by 熊太郎 at 07:44Comments(0)TrackBack(0)愛知県

2022年04月15日

青春の門 邦画

青春の門 邦画 動画配信サービス 原作 五木寛之

 高校生のころに原作のシリーズ本を読みました。
 映画は、昭和50年代に映画館で観た記憶があります。
 今回、動画配信サービスの案内を観ていて、半世紀ぐらい前に観たことのあるこれらの映画を手軽に観ることができることがわかって観てみました。
 同じ原作で、映画は何本かあります。自分が映画館で観た時には、吉永小百合さんとか、田中健さんとか、大竹しのぶさんが出ていました。
 とくに、芸能界の世界に姿を現したばかりぐらいの大竹しのぶさんの鮮烈な清らかさが今も記憶に鮮やかに(あざやかに)残っています。それほどの大きなショックがありました。
 大竹しのぶさんは、まだ、デビューしたばかりのころだったと思います。その後の同名映画作品では、杉田かおるさんが出ておられました。
 まさか、その後、杉田かおるさんがバラエティ番組で『魔王』と呼ばれるようになるとは予想もしませんでした。
 4本観て思ったのは、コンビとしては、佐藤浩市さんと杉田かおるさんが自分にとっては良かった。母親役は、吉永小百合さんが良かったというものでした。あと、桃井かおりさんの娼婦が良かった。

1975年作品(昭和50年) 青春の門「筑豊編(ちくほうへん)」
 田中健、大竹しのぶ、吉永小百合、仲代達也、小林旭、関根恵子
 ドキュメンタリー風で始まります。お話の案内人が、小沢昭一さんです。お若い。2012年に83歳でご逝去されています。
 始まりの出演者紹介の背景絵は、山本作兵衛さんによるものです。たまたまですが、今この原稿を打っているノートパソコンの左横にある本箱に山本作兵衛さんの本があります。『画文集 炭鉱に生きる(ヤマに生きる) 血の底の人生記録 山本作兵衛 講談社 1967年第一刷発行 2011年第三刷発行』です。1984年(昭和59年)に92歳で亡くなっておられます。

 コメディ物語みたいな雰囲気もあります。
 軍隊VS炭鉱夫です。
 韓国人を対象とした人種差別の描写があります。
 男尊女卑でもあります。
 資本家VS労働者の構図もあります。
 母と子の母子家庭の話でもあります。
 遠賀川(おんががわ)、川筋気質(遠賀川沿いの炭鉱労働者の荒い気質。かわすじ気質)時代は、大正7年夏から始まります。1918年です。
 以降、不思議なのですが、炭鉱を中心においた庶民の生活史、歴史風土記録映画のような流れになっています。まだ、テレビはない時代です。ラジオはありました。(ラジオ放送の開始が大正14年、1925年です)。大正12年9月1日(1923年)が関東大震災です。昭和3年が満州事変(1928年)。昭和11年(1936年)に主人公の伊吹信介が生まれています。昭和16年12月8日ハワイ真珠湾奇襲攻撃(1941年)。昭和20年終戦(1945年)。
 原作を読んだ時には、そのような趣旨ではなかったような気がします。青春時代の悩みとか、これからの伸びのある成長とかが描かれていた記憶です。人の生き方として、めげずに生き抜く。

 三時間ぐらいの長い映画です。途中で一度休憩をとる時間帯があります。
 自分は、上映されたときに、リアルタイムで、映画館で観ました。今、思い出しても、そんなに長い時間観ていたという覚えがありません。
 
 吉永小百合さんがきれいです。ため息が出るほどの美しさです。
 吉永小百合さんの良かったセリフとして『よかです。うちゃ(わたしは)こん人が(この人が)好きです』

 映像を楽しみます。どちらかといえば、背景の福岡県内の風景を楽しみます。英彦山(ひこさん)が見えます。カラス峠、犬鳴峠というのもあった。飯塚(いいづか)のボタ山、蒸気機関車が走っています。あの当時、実際にリアルタイムで蒸気機関車が走っていました。
 オート三輪、あったなあ。

 吉永小百合さんが天草(あまくさ)の子守唄を歌います。(熊本県の天草上島・下島(あまくさかみしま・しもじま。昔は天草五橋という橋もありませんでした。昭和41年開通。天草にも何度か行きました。なつかしい)
 吉永小百合さんの方言セリフとして『おらぶばい!(叫ぶわよ)』
 繰り返されるセリフが『ばかも、りこうも命はひとつばい』だから、男も女もたくましく生きる。

 昭和天皇の力というものが強大なものであったことが映像から伝わってきます。
 昭和29年当時の昭和天皇ご夫婦の白黒映像を久しぶりに見ました。

 まあ、性描写が多い映画です。映画を観に来てもらうための客引手法なのでしょう。

 お座敷小唄を歌っている女性が、歌が相当うまい。

 大竹しのぶさんの演技は、若い時から体当たりの全力投球です。
 大竹しのぶさんが亡くなった母親を偲ぶ(しのぶ)セリフとして『(自分のお母さん自身が言っていたこととして、自分は(お母さんは))顔も頭も悪かったが、体は丈夫だったから、一生懸命働いた』

 お金がない悲しみ、苦しみがあります。
 
 ラストシーンを観ながらの疑問として、伊吹信介は、ハーレーダビッドソン(バイク)で、福岡県から東京まで行ったのだろうか。行けないことはないけれど、昭和29年ごろのことだから、まだ高速道路も整備されていませんでした。


1977年作品(昭和52年) 青春の門「自立編」
 田中健、大竹しのぶ、いしだあゆみ、高橋悦史、高瀬春奈、梅宮辰夫
 4本観たなかでは、この映画が、一番表現力が弱かった印象が残りました。
 田中健さんと大竹しのぶさんの演技において、バランスがうまくつり合いがとれていませんでした。田中健さんが演じる伊吹信介が、頼りない男性像の設定であることもあって、大竹しのぶさんの演技が強すぎるというアンバランスさを感じました。田中健さんがこどもで、大竹しのぶさんがおとなです。この時代から大竹しのぶさんはがんばっていました。すごいなあ。
 学生役の人が、実年齢が高いようで、学生に見えない。あとは、前作の福岡県筑豊地域での(ちくほうちいきでの)回想中心のシーンが多い。加えて、前作同様、歴史記録映画的な表現でした。クラッシク音楽が緊張した雰囲気をつくりだして暗い内容の映画でした。
 原作の趣旨は、若いということは未熟ではあるけれど、成長が望めるということだったと思うのです。映画のメッセージは別物になっているような感じがしました。
 
 主役の伊吹信介(田中健)さんが、いつも学生服を着ていることが不思議でした。
 お金がなくて、着る物がないとはいえ、私服で行くであろうというところへも(飲食店のある繁華街、性風俗街)早稲田大学の学生であることを強調したいという製作者側の意図があって、主役には、つめえりで、真っ黒に金ボタンの学生服を着せたかったのでしょう。
 
 昔の風景があります。
 まんなかが板張りの廊下で、左右に4畳半か6畳程度の部屋が並んだアパートです。共同トイレ、共同台所もあるのでしょう。昔の人たちは、不便な環境でも、これはそういうものだと思い込んで生活していました。

 劇団の活動をして社会になにかをアピールする。
 そういう時代がありました。

 新宿二丁目も昭和29年の時代背景ですからまだ田舎っぽい。
 テレビ放送の開始が、1953年2月1日です。(昭和28年)
 酔っ払いのお酒飲みばかりです。
 なんだか、だらしないことがいいこととして表現してあります。
 「飲む・打つ・買う(飲酒・ギャンブル・売春)」がいいことだという男の考えは錯覚でした。
 以前、若い人と話をしたときに、「打つ」は、覚せい剤を打つことだと思っていたと言ったので笑ったことがあります。
 
 気に入ったセリフです。
 『学生はまわりくどいからキレエだよ(嫌いだよ)』


1981年作品(昭和56年) 青春の門「筑豊編」が下地
 佐藤浩市、松坂慶子、杉田かおる、若山富三郎、菅原文太、渡瀬恒彦、緒形拳、小林稔侍、鶴田浩二
 観始めてしばらくして考えたことです。演者のみなさんは、何を考えながらそれぞれの役を演じていたのだろう。
 おそらく、炭鉱地区暮らしをされたことがない人たちです。想像しながらの演技なのでしょう。(自分には数年間ですが体験があります)出だしの雰囲気として、リリー・フランキーさんの文学作品『東京タワー』に似ています。同じく福岡県内の炭鉱地区から始まっていたという記憶があります。炭鉱地区は、文学とか音楽とか、芸能文化の人材の宝庫でもありました。

 演者のみなさんがたは、とにかく、お若い。なかには、すでに他界された方もおられます。
 映像に出てくる香春岳(かわらだけ)というのは、たしか、セメントの原料になる石灰を採取する山で、映像では猛々しい容貌を示していますが、現在は、山は削られて、映像のときのような迫力はなくなっているのでしょう。山の変化とともに、人々が過ごす時代も変化しました。ボタ山を知る人も少なくなりました。
 主人公の伊吹信介が今生きていたら何歳だろうかと計算してみました。87歳でした。
 
 ポルノっぽいシーンもあります。反社会勢力(やくざ、暴力団)、人種差別(韓国人差別)、風俗、今思えば、規制がゆるい時代でもありました。こういった映像を、お金を払って、おおぜいで同時に館内で観ていました。

 映画の内容は暗いです。
 原野のような広っぱでのドタバタシーンが多い。
 仮面ライダーとショッカーの対決のようなシーンです。
 暴力があります。
 昔は、親分が『ついてこい』というば、子分たちがみんなついていきました。
 今は、ボスは、『ついてこい』とも言わないし、言っても、全部が全部はついてこなくなりました。
 昔も今も、やっぱり最後は、血縁、地縁なのかと再確認できました。

 まあ、つくりものの内容です。
 娯楽作品です。
 男も女もとんがっています。
 炭坑とはいえ、なんであんなに労働者の顔が真っ黒すぎるのだろうか。
 もう炭鉱という産業自体がなくなってしまいました。
 半世紀を経て、今度は、ガソリンスタンドがなくなりそうです。
 
 心に残った杉田かおるさんが演じる織江さんのセリフです。
 『人の命なんて、あってないようなものよ』

 主人公の個性は、情けない男というしかありません。意志が弱い。自分で決められないことが多い男です。

 後半部は、セリフがかみあっていなかった。
 お世話になった人には、ちゃんとあいさつをして、家を出てほしかった。

 自分はまだこどもでしたが、昭和30年代から40年代のあの当時、九州の地で暮らす人にとって、東京とか、大阪が、日本のどのあたりにあるのかよくわからなかったようすでした。
 まあ、どこにあろうが気にすることでもなかったともいえます。とにかく、働いて、収入を得て、生活していければよかった。
 これは、おそらく、世界でも同じで、日本という国が世界地図の、あるいは、地球儀の、どこにあるのかわからない外国の人って、けっこう多いような気がします。


1982年(昭和57年) 青春の門「自立編」
 佐藤浩市、杉田かおる、桃井かおり、風間杜夫、平田満、渡瀬恒夫、木戸真亜子、萬屋錦之助、火野正平、西川峰子、加賀まりこ
 早稲田大学(大隈重信公設立)に入学した主人公の伊吹信介です。
 砂川闘争というのが、映画の最初と最後に出てきます。1955年(昭和30年)-1960年(昭和35年)東京にある在日米軍立川飛行場の拡張反対住民運動です。農民と警官隊の衝突で流血事件が起きています。計画は中止されています。

 献血ではなく、売血(ばいけつ。献血をしてお金をもらう)

 新宿二丁目に娼婦のカオル(桃井かおり)さんはいる。
 この映画では、桃井かおりさんの魅力が満載です。
 観ていて、桃井かおりさんの演技には、心が落ち着きます。
 映画だなぁという気分にひたれます。桃井かおりさんの映画です。
 『人間はだれでも灰色の魂をもっている』
 ゴーリキーのどん底にあるセリフが出てきます。

 差別用語は、ポロポロ出てきます。

 主人公の伊吹信介は、頼りない男です。
 観ていて、同じ男として、情けなくなります。
 どうしてこんな弱々しい男が主役の個性なのだろうか。
 優柔不断で、判断力はなく、女性に甘えて、実行力もあるようでありません。
 ドラえもんの、のび太みたいです。
 牧織江役の杉田かおるさんが、ドラえもんでのしずかちゃんのポジションです。
 杉田かおるさんの良かったセリフとして『結婚して、こどもを産んで育てて、人間ってそんなもんとちがうやろか』
 伊吹信介は、だれかのヒモ状態です。
 
 話の展開は、マンガのようでもあります。
 時代背景のせいでしょうが、物事を『勘(かん。第六感)』で決めるとか、根性・根性の『精神論』です。科学的、数値的な考察はみられません。
 義理人情、血縁、地縁で話が決まる世界です。

 男尊女卑の映画でもありますが、映像を観ているとそうでもないのです。
 娼館(しょうかん。売春店)で働く火野正平さんが、杉田かおるさんをいじめるのですが、杉田かおるさんのほうが、体格がいいので、杉田かおるさんが負けるようには見えないのです。がんばれ織江ちゃん! 本気で取っ組み合いをすれば、きみのほうが勝てる!と応援したくなるのです。やせっぽちの火野正平さんのほうがやっつけられそうです。

 ダイヤル式の黒電話を久しぶりに見ました。なつかしい。
 
 ロシア民謡『ともしび』の合唱が流れます。
 ロシアがウクライナに軍事侵攻をした今聴くと、複雑な気持ちになります。胸が痛みます。

 飲み屋で、杉田かおるさんが春歌(しゅんか。性風俗の歌)を歌います。物悲しい。
 そのシーンを観ながら、テレビドラマ『池中玄太80キロ』で杉田かおるさんが歌った『鳥の詩(とりのうた)』を思い出しました。

 映像は、劇団の人たちによる演劇を観ているようです。
 男と女の悲哀があります。

 ボクサーのくせに酒やたばこをやります。
 ほんとうのボクサーは、酒もたばこもやりません。

 心中(しんじゅう。男女の同時自殺)は、太宰治のようです。

 九州の方言を知らない人には、登場人物たちの方言はどう聞こえるのだろう。
 そんなことを考えながら映像を観ています。

 てづくり感が満載の映画です。
 まあ、めちゃくちゃな感じもあります。
 元気いっぱいです。
 
 青函連絡船の映像が出てきました。青森駅-函館駅
 トンネルが開通して、今はもう廃止されました。(1908年(明治41年)-1988年(昭和63年))
 別会社のフェリーは残っているようです。

 もう遠い思い出のなかの映画になってしまいました。