2022年03月24日
怒りの葡萄(いかりのぶどう) 上・下 スタインベック
怒りの葡萄(いかりのぶどう) 上・下 スタインベック 新潮文庫
ユートピア小説の反対に位置するディストピア小説です。救われません。たぶん。
これから読み始めますが、タイトルにある葡萄(ぶどう)は、オクラホマ州からカリフォルニア州に移動する移民ファミリーのことだろうとして読みました。
先日、同作者の作品「ハツカネズミと人間」を読んだのが、こちらの小説を読むきっかけになりました。
こちらの小説は、1939年初版。昭和14年の作品です。小説の舞台設定は、1930年代末(昭和15年以前)です。
もう古い小説です。小説のモデルとなるような人たちがいたとしても、その人たちはとっくの昔に亡くなっています。書いた人も亡くなっています。(1968年(昭和43年)66歳没)
それでも、本は永遠の命を与えられて、読まれ続けます。
(つづく)
とりあえず123ページまで読みました。
上下巻両方で1000ページぐらいあります。(上巻497ページ 下巻466ページ)
ページ数は多いけれど、文庫の文字は大きくて読みやすいです。
情景描写が細かい。路上で拾われたカメが出てくるのですが、もしかしたら、カメと主人公男性が重ねてあるかもしれません。宗教的な神さまの話も出てきます。女性を抱く話も出てきますが、話の中身は暗い。
農業を営む小作人(こさくにん。土地を借りて収穫を得る。地代を地主に払う義務、税金を国に治める義務あり。ほかに、銀行に借金がある人もいる)
農民と資本家の関係を書いてある小説に思えます。
アメリカ合衆国オクラホマ州です。アメリカ合衆国南部、国のまんなかあたりです。
時期は6月過ぎです。トウモロコシ、ニワトリなどが出てきます。
男たち、女たちが、これからどうするの? わからない、と話をしています。
トム・ジョード 主人公男性 州刑務所にいた。ケンカして刺されて、相手にやりかえして、殺人をおかして、懲役7年のうちの4年で仮釈放された。
刑務所から運搬中のトラックを利用したヒッチハイクで、実家に戻ります。邦画『幸せの黄色いハンカチ』を思い出しました。高倉健さんが網走刑務所を出所したあと、武田鉄矢さんと桃井かおりさんの乗るマツダファミリアで、故郷の炭鉱町夕張(ゆうばり)をめざします。
ジム・ケイシー キリスト教元伝道師 トム・ジョードの故郷にいる。
トム・ジョードは、実家に着きましたが、実家は廃屋になっています。
祖父や、父親、母親、親族の姿はありません。
トラクターという機械化による小作人排除の動きがみられます。
現代でも、事務のコンピューター化は、人員削減を意味します。
土地を転々とする人は貧しい。生活能力、金銭管理能力がないと土地を転々とすることになります。たけのこ生活です。(皮(財産)を向きながら暮らしていく)
ドラマ『北の国から』を観るようでもある文章です。
(つづく)
主人公のトム・ジョードが、自宅で家族と再会します。
ゴーファーヘビ:ヘビの種類
フラッシュ:トム・ジョードの家の飼い犬
これは、ギャングの時代だろうか。
義賊(ぎぞく。金持ちからは犯罪者扱い。盗んだ富を民衆にばらまくことから、大衆には支持される)フロイドという人物の名前が出ます。
中学生・高校生のころに観た洋画『俺たちに明日はない(1930年代。世界大恐慌のころ。ボニーとクライド)』とか『デリンジャー(1930年代に実在したギャングの名前)』を思い出しました。
オクラホマ州にあるサリソーというところから、カリフォルニア州(ロスアンゼルスとかサンフランシスコがある)への親族大移動が始まりそうです。
農業従事者ですから、カリフォルニア州でも農業を営む予定です。今の時代とは違います。
1776年7月4日がアメリカ合衆国の独立宣言の日です。(日本では、1774年に杉田玄白が、解体新書ターヘルアナトミアを記しています)
新天地をめざしての親族移動の内容を読んでいて、石川達三作品『蒼氓(そうぼう。日本からのブラジル移民(農民)のお話。そうぼうの意味は人民)』を思い出しました。1935年芥川賞受賞作です。
(つづく)
トラックに一族が乗って、オクラホマ州からカリフォルニア州へ移動します。
読解力不足なので、自信がないのですが、全員で13人と飼い犬2匹の移動に思えます。ジョード家とヘイズレット家です。
主人公のトム・ジョードから見て、じいちゃん、父、母、兄ノア(ちょっと知的障害があるみたいです)、弟アル(女好き。トラックの運転役、運転は主人公兄のトムと交代ばんこ。トラックがトレーラー(客車)をけん引しているイメージです)、ジョンおじさん(父の兄)、コニーとシャロンの薔薇(ばら)と呼ばれているコニーの妻ロザ・シャーン、ルーシー12歳男児、ウィンフィールド10歳男児、ダニー(こども、ちびすけ)、ジム・ケイシー元伝道師です。トム・ジョードは、仮釈放中ですから、ほんとうは、州境を越えてはいけません。ところが、州を越える受刑者がたくさんいてめだたないそうです。
小作人の頭の中にあることです。
お金のこと。酒、女遊び、神さまのこと、家財という財産、食器、トレイラー(運搬車。車に引かれる)、銃のこと、そして、将来への不安があります。
銃社会は、他人を信用できない社会です。
心に響く言葉として、『お母がいった。「トム、カリフォルニアでなにもかもうまくいくといいね」』
おそらく、この小説のモデルになったファミリーがいたことでしょう。
出発前に、家で飼っていたブタをさばいてみんなで食べます。
じいちゃんは、おれは行かないと言い出します。
でも、鎮静剤シロップをこっそり飲まされて、眠ったままトラックに乗せられました。
233ページ、旅立ちの時が来ました。
トラックが出発しました。
国道66号線を走ります。イリノイ州シカゴとカリフォルニア州サンタモニカを結んで(むすんで)いるそうです。
タペット:車のエンジンにある部品。駆動に関する。
ケーシング:機械装置の枠。囲い。
トラックが故障して動けなくなったら大問題です。
トイレや水、ガソリンの給油も必要です。
1ガロン:約3.785リットル
1バレル:約42ガロン。約158.9リットル
飼い犬のうちの1匹が車にひかれて死んでしまいました。
悪いことの予兆(よちょう。きざし)のようです。
(つづく)
フェートン:車種。クラシックカーのスタイルです。
じいちゃん(ウィリアム・ジェイムズ・ジョード)が、脳卒中で亡くなってしまいました。
形式的な葬儀をして、「ハッレル~ヤー」とお祈りをして、土葬しました。(ほんとうは、その場に土葬しては、いけないらしい。法律通りにやれば、役人が引き取りにくるそうです。埋葬には40ドル役人にとられる。お金がないそうです)
うちを出てから3週間もたちました。
10日以内にカリフォルニア州に着く予定でした。
頬髯(ほおひげ):読めませんでした。ほほひげ。
道程の途中で、新しい出会いがあります。
アイヴィー・ウィルソン一家です。妻がセイリー。アイヴィー・ウィルソンのきょうだいとして、ウィルがいます。
おどろくのは、アイヴィー・ウィルソンきょうだいはふたりとも車の免許というものを持っていません。自分で練習して運転するのだそうです。(1930年ころのアメリカ合衆国では、それで通ったのかもしれません)
トム・ジョードたちとアイヴィー・ウィルソンたちは合流して、いっしょにカリフォルニア州を目指すことになりました。
お金がありません。
食事も節約です。
商売をしている道路横にあるお店の店員にもお金がないようです。
店員には、トラック運転手がお金に見えます。
トラックは財産であり、移動のための命綱です。
トラックも含めて、車へのこだわりがあるトム・ジョード兄弟です。
どうしてこんなに国内移動に苦労が伴うのだろうか。脚色(おおげさな)があるのかもしれません。
野宿は法律に触れて(ふれて)、罰金50セントだそうです。
野宿はだめなのか。いまの、車中泊は認められないんだ。
野営地で、20家族、トラック20台が一夜を過ごします。
いろいろなところから人が集まってきます。太川&えびすのバス旅のようでもあります。
彼らがめざすカリフォルニア州は、楽園なのか。そんなことはないはずです。
逆行して、カリフォルニア州から出てきた人物たちと出会います。
彼が、カリフォルニア州に行ってもいいことはない。やめておけと忠告してくれます。とくにオクラホマ州の人間は『オーキー』と呼ばれて、ひどく差別されるそうです。よそ者に生きる権利はないような話です。
資本主義社会です。ごく少数の金持ちが、労働者を低賃金でこきつかいます。
アーカンソー州:オクラホマ州の東。南部の州。
国境警備隊員がいます。
1エーカー:約4,046㎡
トム・ジョードの兄ノアが、カリフォルニア州行きの集団から抜けました。
川を下って、ひとりで生きていくそうです。
カリフォルニア州での話を聞いて、自分のような能力の低い人間はやっていけないと悟ったというのです。トム・ジョードは止めることができませんでした。
次に、おばあさんが亡くなってしまいました。
老人でしたから、過酷な移動で体調をくずしたのでしょう。
カリフォルニア州に入りました。
みんなの目の前には、豊かな果実が実った広大な農園が広がります。
みんなは目を見張ります。驚きと喜びがあります。
カリフォルニア州は昔、メキシコ人のものだった。(知りませんでした)
土地の取り合いの歴史があります。
なにゆえに銃社会になったのかがわかります。
(上巻終わり)
(下巻始まり)
フーヴァーヴィル:1930年代恐慌時代にホームレスの小屋が並んだスラム街。移動中のトム・ジョードファミリーが立ち寄ります。フーヴァーヴィルには、おまわりへの密告者がいる。
サリナス:カリフォルニア州サリナス市
サンタクララ・バレー:カリフォルニア州の都市
フロイド・ノーズ:トム・ジョードファミリーが、野営地で知り合った男性。
シボレークーペには、農作業仕事の請負師と保安官助手ともうひとりの男性が乗車している。
アカ:社会主義者、共産主義者。共産党をさす隠語(仲間内で意味が通じる言葉)
冤罪をつくる警察組織があります。(えんざい。無実の罪)組織を守るために権力を行使して、無罪の人を、罪をしでかしたから捕まえるという手法も使います。
ひとりふたりとトム・ジョードファミリー移動集団から姿を消していこうとします。(ジム・ケイシー元伝道師、ジョン叔父さん)
トム・ジョードの言葉として『おれたちはずっと打たれどおしだ。』
(つづく)
トム・ジョードは、野営所の清掃の仕事にありつけそうです。
野営所には、5個の衛生団があるそうです。
委員会があって機能している。中央委員会がある。委員長が、エズラ・ヒューストン。
新しい登場人物として、ティモンシー・ウォーレスと彼の息子でウィルキー。
トーマスが農場の雇い主。ここでは、農作業の仕事につけそうです。
リズベス・サンドリー:野営地にいる女性
ローリー:小柄な管理官
(つづく)
ジェロニモ:インディアン部族アパッチ族の酋長(しゅうちょう)
インジャン:インディアン
フィドル:楽器。ヴァイオリン
メアリーズヴィル:オハイオ州中央部にある都市
ハッピー・フーリガン:愉快な悪漢(ゆかいなあっかん)
カリフォルニア州は、自然が美しく、作物の実りがまぶしい。ブドウ、サクランボ、ピーチ(桃)などの農園が続く。子どもも労働者として雇用される。
ケイシ―元伝道師との再会があります。
ジョード一家は、住宅代わりの貨車で暮らします。6両ずつの2列で、1両当たり2家族が住む。
24家族が住めるそうです。窓はないけれど、雨風はしのげます。
賃金の話が続きます。賃金が高くなるというよりも安くなるという話ばかりです。
シャロンの薔薇(ばら)の出産が近づきました。
喜びの誕生のはずが、死産です。
『新聞紙の上に、しなびた小さな青いミイラのようなものが横たわっていた』『息もしなかった』
さらに屋外は、洪水が押し寄せてきています。水害の発生です。1フィート約30センチで、3フィートから4フィート水が上昇してくる。貨車の中にいればだいじょうぶのようです。
この小説は、アン・ハッピイ小説です。不幸があります。
飢え死にしそうな人がいます。
戦争とはまた違う悲惨さがあります。
一族から離れていく人間がいます。
頭がおかしくなっていく人間がいます。
ユートピア小説の反対に位置するディストピア小説です。救われません。たぶん。
これから読み始めますが、タイトルにある葡萄(ぶどう)は、オクラホマ州からカリフォルニア州に移動する移民ファミリーのことだろうとして読みました。
先日、同作者の作品「ハツカネズミと人間」を読んだのが、こちらの小説を読むきっかけになりました。
こちらの小説は、1939年初版。昭和14年の作品です。小説の舞台設定は、1930年代末(昭和15年以前)です。
もう古い小説です。小説のモデルとなるような人たちがいたとしても、その人たちはとっくの昔に亡くなっています。書いた人も亡くなっています。(1968年(昭和43年)66歳没)
それでも、本は永遠の命を与えられて、読まれ続けます。
(つづく)
とりあえず123ページまで読みました。
上下巻両方で1000ページぐらいあります。(上巻497ページ 下巻466ページ)
ページ数は多いけれど、文庫の文字は大きくて読みやすいです。
情景描写が細かい。路上で拾われたカメが出てくるのですが、もしかしたら、カメと主人公男性が重ねてあるかもしれません。宗教的な神さまの話も出てきます。女性を抱く話も出てきますが、話の中身は暗い。
農業を営む小作人(こさくにん。土地を借りて収穫を得る。地代を地主に払う義務、税金を国に治める義務あり。ほかに、銀行に借金がある人もいる)
農民と資本家の関係を書いてある小説に思えます。
アメリカ合衆国オクラホマ州です。アメリカ合衆国南部、国のまんなかあたりです。
時期は6月過ぎです。トウモロコシ、ニワトリなどが出てきます。
男たち、女たちが、これからどうするの? わからない、と話をしています。
トム・ジョード 主人公男性 州刑務所にいた。ケンカして刺されて、相手にやりかえして、殺人をおかして、懲役7年のうちの4年で仮釈放された。
刑務所から運搬中のトラックを利用したヒッチハイクで、実家に戻ります。邦画『幸せの黄色いハンカチ』を思い出しました。高倉健さんが網走刑務所を出所したあと、武田鉄矢さんと桃井かおりさんの乗るマツダファミリアで、故郷の炭鉱町夕張(ゆうばり)をめざします。
ジム・ケイシー キリスト教元伝道師 トム・ジョードの故郷にいる。
トム・ジョードは、実家に着きましたが、実家は廃屋になっています。
祖父や、父親、母親、親族の姿はありません。
トラクターという機械化による小作人排除の動きがみられます。
現代でも、事務のコンピューター化は、人員削減を意味します。
土地を転々とする人は貧しい。生活能力、金銭管理能力がないと土地を転々とすることになります。たけのこ生活です。(皮(財産)を向きながら暮らしていく)
ドラマ『北の国から』を観るようでもある文章です。
(つづく)
主人公のトム・ジョードが、自宅で家族と再会します。
ゴーファーヘビ:ヘビの種類
フラッシュ:トム・ジョードの家の飼い犬
これは、ギャングの時代だろうか。
義賊(ぎぞく。金持ちからは犯罪者扱い。盗んだ富を民衆にばらまくことから、大衆には支持される)フロイドという人物の名前が出ます。
中学生・高校生のころに観た洋画『俺たちに明日はない(1930年代。世界大恐慌のころ。ボニーとクライド)』とか『デリンジャー(1930年代に実在したギャングの名前)』を思い出しました。
オクラホマ州にあるサリソーというところから、カリフォルニア州(ロスアンゼルスとかサンフランシスコがある)への親族大移動が始まりそうです。
農業従事者ですから、カリフォルニア州でも農業を営む予定です。今の時代とは違います。
1776年7月4日がアメリカ合衆国の独立宣言の日です。(日本では、1774年に杉田玄白が、解体新書ターヘルアナトミアを記しています)
新天地をめざしての親族移動の内容を読んでいて、石川達三作品『蒼氓(そうぼう。日本からのブラジル移民(農民)のお話。そうぼうの意味は人民)』を思い出しました。1935年芥川賞受賞作です。
(つづく)
トラックに一族が乗って、オクラホマ州からカリフォルニア州へ移動します。
読解力不足なので、自信がないのですが、全員で13人と飼い犬2匹の移動に思えます。ジョード家とヘイズレット家です。
主人公のトム・ジョードから見て、じいちゃん、父、母、兄ノア(ちょっと知的障害があるみたいです)、弟アル(女好き。トラックの運転役、運転は主人公兄のトムと交代ばんこ。トラックがトレーラー(客車)をけん引しているイメージです)、ジョンおじさん(父の兄)、コニーとシャロンの薔薇(ばら)と呼ばれているコニーの妻ロザ・シャーン、ルーシー12歳男児、ウィンフィールド10歳男児、ダニー(こども、ちびすけ)、ジム・ケイシー元伝道師です。トム・ジョードは、仮釈放中ですから、ほんとうは、州境を越えてはいけません。ところが、州を越える受刑者がたくさんいてめだたないそうです。
小作人の頭の中にあることです。
お金のこと。酒、女遊び、神さまのこと、家財という財産、食器、トレイラー(運搬車。車に引かれる)、銃のこと、そして、将来への不安があります。
銃社会は、他人を信用できない社会です。
心に響く言葉として、『お母がいった。「トム、カリフォルニアでなにもかもうまくいくといいね」』
おそらく、この小説のモデルになったファミリーがいたことでしょう。
出発前に、家で飼っていたブタをさばいてみんなで食べます。
じいちゃんは、おれは行かないと言い出します。
でも、鎮静剤シロップをこっそり飲まされて、眠ったままトラックに乗せられました。
233ページ、旅立ちの時が来ました。
トラックが出発しました。
国道66号線を走ります。イリノイ州シカゴとカリフォルニア州サンタモニカを結んで(むすんで)いるそうです。
タペット:車のエンジンにある部品。駆動に関する。
ケーシング:機械装置の枠。囲い。
トラックが故障して動けなくなったら大問題です。
トイレや水、ガソリンの給油も必要です。
1ガロン:約3.785リットル
1バレル:約42ガロン。約158.9リットル
飼い犬のうちの1匹が車にひかれて死んでしまいました。
悪いことの予兆(よちょう。きざし)のようです。
(つづく)
フェートン:車種。クラシックカーのスタイルです。
じいちゃん(ウィリアム・ジェイムズ・ジョード)が、脳卒中で亡くなってしまいました。
形式的な葬儀をして、「ハッレル~ヤー」とお祈りをして、土葬しました。(ほんとうは、その場に土葬しては、いけないらしい。法律通りにやれば、役人が引き取りにくるそうです。埋葬には40ドル役人にとられる。お金がないそうです)
うちを出てから3週間もたちました。
10日以内にカリフォルニア州に着く予定でした。
頬髯(ほおひげ):読めませんでした。ほほひげ。
道程の途中で、新しい出会いがあります。
アイヴィー・ウィルソン一家です。妻がセイリー。アイヴィー・ウィルソンのきょうだいとして、ウィルがいます。
おどろくのは、アイヴィー・ウィルソンきょうだいはふたりとも車の免許というものを持っていません。自分で練習して運転するのだそうです。(1930年ころのアメリカ合衆国では、それで通ったのかもしれません)
トム・ジョードたちとアイヴィー・ウィルソンたちは合流して、いっしょにカリフォルニア州を目指すことになりました。
お金がありません。
食事も節約です。
商売をしている道路横にあるお店の店員にもお金がないようです。
店員には、トラック運転手がお金に見えます。
トラックは財産であり、移動のための命綱です。
トラックも含めて、車へのこだわりがあるトム・ジョード兄弟です。
どうしてこんなに国内移動に苦労が伴うのだろうか。脚色(おおげさな)があるのかもしれません。
野宿は法律に触れて(ふれて)、罰金50セントだそうです。
野宿はだめなのか。いまの、車中泊は認められないんだ。
野営地で、20家族、トラック20台が一夜を過ごします。
いろいろなところから人が集まってきます。太川&えびすのバス旅のようでもあります。
彼らがめざすカリフォルニア州は、楽園なのか。そんなことはないはずです。
逆行して、カリフォルニア州から出てきた人物たちと出会います。
彼が、カリフォルニア州に行ってもいいことはない。やめておけと忠告してくれます。とくにオクラホマ州の人間は『オーキー』と呼ばれて、ひどく差別されるそうです。よそ者に生きる権利はないような話です。
資本主義社会です。ごく少数の金持ちが、労働者を低賃金でこきつかいます。
アーカンソー州:オクラホマ州の東。南部の州。
国境警備隊員がいます。
1エーカー:約4,046㎡
トム・ジョードの兄ノアが、カリフォルニア州行きの集団から抜けました。
川を下って、ひとりで生きていくそうです。
カリフォルニア州での話を聞いて、自分のような能力の低い人間はやっていけないと悟ったというのです。トム・ジョードは止めることができませんでした。
次に、おばあさんが亡くなってしまいました。
老人でしたから、過酷な移動で体調をくずしたのでしょう。
カリフォルニア州に入りました。
みんなの目の前には、豊かな果実が実った広大な農園が広がります。
みんなは目を見張ります。驚きと喜びがあります。
カリフォルニア州は昔、メキシコ人のものだった。(知りませんでした)
土地の取り合いの歴史があります。
なにゆえに銃社会になったのかがわかります。
(上巻終わり)
(下巻始まり)
フーヴァーヴィル:1930年代恐慌時代にホームレスの小屋が並んだスラム街。移動中のトム・ジョードファミリーが立ち寄ります。フーヴァーヴィルには、おまわりへの密告者がいる。
サリナス:カリフォルニア州サリナス市
サンタクララ・バレー:カリフォルニア州の都市
フロイド・ノーズ:トム・ジョードファミリーが、野営地で知り合った男性。
シボレークーペには、農作業仕事の請負師と保安官助手ともうひとりの男性が乗車している。
アカ:社会主義者、共産主義者。共産党をさす隠語(仲間内で意味が通じる言葉)
冤罪をつくる警察組織があります。(えんざい。無実の罪)組織を守るために権力を行使して、無罪の人を、罪をしでかしたから捕まえるという手法も使います。
ひとりふたりとトム・ジョードファミリー移動集団から姿を消していこうとします。(ジム・ケイシー元伝道師、ジョン叔父さん)
トム・ジョードの言葉として『おれたちはずっと打たれどおしだ。』
(つづく)
トム・ジョードは、野営所の清掃の仕事にありつけそうです。
野営所には、5個の衛生団があるそうです。
委員会があって機能している。中央委員会がある。委員長が、エズラ・ヒューストン。
新しい登場人物として、ティモンシー・ウォーレスと彼の息子でウィルキー。
トーマスが農場の雇い主。ここでは、農作業の仕事につけそうです。
リズベス・サンドリー:野営地にいる女性
ローリー:小柄な管理官
(つづく)
ジェロニモ:インディアン部族アパッチ族の酋長(しゅうちょう)
インジャン:インディアン
フィドル:楽器。ヴァイオリン
メアリーズヴィル:オハイオ州中央部にある都市
ハッピー・フーリガン:愉快な悪漢(ゆかいなあっかん)
カリフォルニア州は、自然が美しく、作物の実りがまぶしい。ブドウ、サクランボ、ピーチ(桃)などの農園が続く。子どもも労働者として雇用される。
ケイシ―元伝道師との再会があります。
ジョード一家は、住宅代わりの貨車で暮らします。6両ずつの2列で、1両当たり2家族が住む。
24家族が住めるそうです。窓はないけれど、雨風はしのげます。
賃金の話が続きます。賃金が高くなるというよりも安くなるという話ばかりです。
シャロンの薔薇(ばら)の出産が近づきました。
喜びの誕生のはずが、死産です。
『新聞紙の上に、しなびた小さな青いミイラのようなものが横たわっていた』『息もしなかった』
さらに屋外は、洪水が押し寄せてきています。水害の発生です。1フィート約30センチで、3フィートから4フィート水が上昇してくる。貨車の中にいればだいじょうぶのようです。
この小説は、アン・ハッピイ小説です。不幸があります。
飢え死にしそうな人がいます。
戦争とはまた違う悲惨さがあります。
一族から離れていく人間がいます。
頭がおかしくなっていく人間がいます。
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