2022年02月10日
天才はあきらめた 山里亮太
天才はあきらめた 山里亮太 朝日文庫
山里亮太さんは、自分で自分のことを『天才』だとして、自分はあきらめたという趣旨でこのタイトルを選んだのだろうかと、首を傾けて(かたむけて)、疑問をもちながら本を手に取りました。
自分で自分のことを『天才』だという人は天才ではないと思っています。本当の天才は自分のことを天才とは思っていないでしょう。たぶん。自分が天才であることの自覚がないから天才なのです。(最後の解説では、オードリーの若林正恭さんが、山里亮太さんは天才だと表現されていますが、素直にそう思っているのではなく、裏表があってそう表現しておられます)
一芸(いちげい)に秀でた(ひいでた)人は、また、一芸にしか秀でていないということはあります。一芸以外のことは人並みにできなかったりもします。
自分が思う天才です。ひととおりのことが、100点満点で、90点ぐらいの高いレベルでできる人です。標準的な力の水準が高い人は総合力の面での天才です。
肉体労働ができて、頭脳労働もできる。車の運転から、企画の立案まで自由自在にこなす。健康管理ができて、組織管理ができて、人間関係の管理ができる。だれにでも親切で心も優しい人は、どこにいても、果たす役割は大きい。
第2章が終わる70ページまで読みました。
山里亮太さんの自叙伝です。
2006年に出版した『天才になりたい』を改題して、大幅に加筆・修正してあるそうです。2018年が初版となっています。
文脈の雰囲気は、昔読んだ『東京タワー』リリー・フランキー著に似ています。時代の雰囲気、そして、優しいお母さんの存在があります。
自分は山里亮太さんという人をあまり知らずにこの本を読み続けています。
小さい頃から、お笑い芸人になりたかった。女子にモテたかった。(風貌(ふうぼう)からは、そんなふうには見えません)
『南海キャンディーズ』というお笑いコンビで爆笑をとった。
その後、相方のしずちゃん(山崎静代さん)と不仲になった。(のちに改善されています)
70ページまで読んで、まだ、しずちゃんは出てきていませんが、原因は、山里亮太さんの陰湿な人格にあるのだろうと予想しています。(これもまた、その後、改善されていると思いたい)
山里亮太さんは、最初にコンビを組んだ相方の男性に人生の流れをゆがめるほどの相当ひどい仕打ちをしました。いわゆる虐待とも思われるいじめの加害者が山里亮太さんです。ご自分で深く反省されています。元相方さんには償い(つぐない)が必要です。
自己中心的な考えが強い若い時代です。まわりの人が、自分にとって役立つ道具扱いになっています。
そんな状態が今も続いていたのなら、しずちゃんが、女優さんを山里亮太さんの交際相手に紹介などしなかったでしょう。
山里亮太さんは改心したのです。
きつい体験として、『書いたばかりのサインを「お前は売れない」と目の前で破られた』
2005年のM-1グランプリ決勝で最下位。優勝がブラックマヨネーズ。ほかに笑い飯、麒麟、品川庄司、チュートリアル、千鳥など。
話し言葉優先の日々を送っておられることもあって、文章に勢いがあります。リズミカルです。
難を言えば、文字数が多いわりに内容が濃くはないので、流し読みのペースで読み進めています。
ボケ:観客の笑いを誘うことが役割。わざと間違いの言動をする。冗談を言う。
ツッコミ:ボケの間違いを指摘する。観客に笑いのツボを指摘する。
著者が体験した新人歓迎時の荒っぽい大学寮の様子は想像がつきます。高校生活でも同類のことがありました。先輩後輩の上下関係は厳しい。
思うに、戦後日本の昭和時代における教育のベース(基礎とか下地)は、第二次世界大戦軍国主義時代にあった教育の名残です。
軍隊から帰還した兵隊経験者が教職についた流れがあると思います。半世紀ぐらい前までは、学校における体罰(たいばつ)は当然の罰でした。親も容認していました。今の若年層(じゃくねんそう)だと脱落者だらけになるでしょう。
思うに、戦時中の日本は、全体主義国家だったのです。(個人のことより、国家の利益が優先)
41ページにドラえもんの話が出てきます。最近ドラえもんのコミックの全巻を読み終えました。やはり、ドラえもんは漫才の台本として、お笑いのネタに使えるのです。
キングコング:梶原雄太。西野亮廣(にしのあきひろ)。1999年結成のお笑いコンビ
爆笑問題:太田光(おおたひかる)。田中裕二。1988年結成のお笑いコンビ
若い頃の山里亮太さんの性格は屈折していますが、耐性はあります。(困難な状況に耐えて、自分のまわりを包む環境の中で存在していく力はある)
コンビ名:『侍パンチ』→『足軽エンペラー』→『南海キャンディーズ』
以前テレビで、相方のしずちゃんが、山里亮太さんのことを人間のクズのように言っていたことを思い出しました。ひどいことを言うのだなあとそのときは思いました。でも、この本を読んだら、そのとおりだと共感しました。
ご自分でも書いておられます。72ページから73ページにかけて『僕は……クズなんです。』さらに、74ページから75ページに『僕は最低の人間だった……。』そのとおりです。
まだ売れる前とか、売れてきた頃の有名人として、『友近』『笑い飯』『千鳥』『フットボールアワー』『ブラックマヨネーズ』『キングコング』
お笑いコンビのあり方について考えさせられます。
台本をつくる人がいて、台本はつくらずに演じるだけの人がいる。
ふつうじゃない言動をする。ふつうじゃない言動を求められる。
『笑う』ことで、見ている人は幸福になる。演じているほうは、生活費を稼ぐために仕事として演じる。
提供した笑いが受けないときは、客のせいにして気持ちの落ち込みをしのぐ。
演じ手側には、悪人がいっぱいいそうな世界に見えます。
オーディションによる選択は、どこまでが真実(まじめな内容であること)なのか。偏見がありそうです。(片寄った考え方、選択手法)
この本は、コンビの片方側だけの語りです。相方の気持ちは書かれていません。
制作側スタッフは、資本家の立場であり、お笑いコンビは『商品』です。
企画者は、商品に価値があるのかないのかを見極めます。
有名税:有名になると苦痛や出費がいる。苦痛を税金にたとえてある。目立つので、注目される。プライバシー(私生活)が乱される。
母親はいつも息子の心身の健康のことだけを考えて祈っていた。
売れるか売れないかは関係なかった。
著者は、文字を書くことが好きな人です。(ネタづくりをしているからもあります)文字を書くという行為が好きな人でもあります。
山里亮太さんは相方に対して、パワハラ上司のような存在でした。
よくいえば一生懸命、悪く言えば、人のせいにするタイプです。
バッファロー吾郎:自分は知らない方です。お笑いコンビ。バッファロー吾郎A 竹若元博
記憶に残った言葉などとして『客席にもうひとりの自分を置く(自分が笑えるものを演じる)』『仕事はほとんどなかった』『路上でネタをやろう』『あいかわらず、テレビも舞台もないままの毎日だった』(売れるという出番の『時』が来るのを待ちながら、修練を積んでいきます。修練:心身を厳しく鍛える(きたえる))『あのせいで駄目(だめ)なんだではなく、あのおかげで得をしたと考える』『失うものなんか何もない』『「鳴らずの携帯」という異名をもった僕の電話』『(2004年M1グランプリで準優勝後、お母さんの言葉として)どうもスターを産んだ母親です』『(山里亮太さんから失礼な要求をされたときに、しずちゃんの言葉として)私、普通の人間なんやけど』『一番大事なものは「自信」』
コンビを解消して、ひとりになって、自分が決めた自分の芸名が『イタリア人』
順風満帆(じゅんぷうまんぱん)とはいかない芸人生活です。されど、芸人を辞めるとはどこにも書いてありません。自分は、芸人しかできないということは、ひしひしと伝わってきます。
山里亮太タイプとして『自分が生み出すよりも誰かに生み出されたものに乗っかる』
ファンともいえる人のサポート(支援)があります。のちに書いてありますが、山里亮太さんは、いい人に巡り合う『運』があります。運命の出会いがけっこうあります。一生続く『人との出会い運』を生まれながらにもっておられます。
ネゴシックス:ピン芸人(ひとりで活動する)先日観た、島根県を訪問するテレビ番組『旅猿』で、電話で出演されていたのを思い出しました。
読んでいて、人をいじめないほうがいいという気持ちになります。
ここしばらく、各種職業、職種の体験記録の本を何冊か読みました。
たいていの本に共通するのが、上司や顧客、組織や関係者に対する恨みつらみ(うらみつらみ)です。ひどいことをする人がいっぱいいます。いじめられたほうは、いじめたほうを一生うらみ続けます。人をばかにすると仕返しが待ち受けています。いじめたほうは、歳をとってから、怖い目にあうかもしれません。お互いに権利義務関係がなくなって、偶然出会うことがあれば、いじめられたほうは、精神が切れて、いじめたほうに発作的に、どんな状況であろうが、罵声(ばせい)を浴びせるかもしれません。
この世は、うらむ者とうらまれる者とでできている。
うらみをかって(人からひどくうらまれて)、成功者になるってどういうことだろう。成功者になることで、得るものと失うものがありそうです。
片方側からの意見や感想が書いてある本です。
もういっぽうの、人からうらまれるようなことをした人たちの頭の中にあった世界は、どんな世界だったのだろうかと、読み手である自分は思いをはせるのです。(めぐらせる)
出てきた答は、『儲かればいい(もうかればいい)』という言葉だけでした。『育てる』という言葉は出てきませんでした。使う側の人にとっての『消耗品(しょうもうひん)』という言葉は出てきました。使う側の各自の体験(成育歴)からくるものなのでしょう。
コツコツ積み上げる。ノートをとる。メモをする。積み重ねです。
2004年M1グランプリで準優勝になるあたりまでのくだりは涙なくしては読めません。苦労が報われます。(むくわれます)
どちらかといえば、テレビを作っていた人たちと対立する意識をもっていた著者が、テレビを作っている人たちに救われます。
されど、道は険しい(けわしい)。順調に前進とはいきません。
人と話すことが怖くなる。心が壊れていく。
山里亮太さんが壁にぶつかってお笑い芸人を辞めることにしました。204ページ付近です。千鳥の大吾さんと、ネゴシックスと、とろサーモンの久保田さんが山里亮太さんの芸能界引退をストップさせています。
自分が良くない(自分のせい)と思わないのが山里亮太さんの思考形態(パターン)です。うまくいかないのは、コンビの相方(あいかた)が良くないと考えるのです。この場合、しずちゃん(山崎静代さん)が悪いのです。
南海キャンディーズの暗黒期があります。
山里亮太さんは、しずちゃんにずいぶんひどいことをしています。
邦画『フラガール』へのしずちゃんの出演を断るようにマネージャーに告げています。(それでもしずちゃんは、映画に出演されました。自分は、映画は観ました。炭鉱が閉山して、さびれゆく街の産業を復興させるために炭鉱労働者の娘さんたちがフラダンスショーを始めるお話でした。常磐(じょうばん)ハワイアンセンターの存在は、自分は小学生の頃から知っていました)相方(あいかた)の出世を喜ばない山里亮太さんは、自分でも書いておられますが、本当に人間のクズです。
山里亮太さんの手元に『地獄ノート』というものがあります。呪い(のろい)のノートです。邦画『デスノート』を思い出します。他人に対するうらみつらみが延々と、粘着質に書かれています。復讐心を叩きつけるように書いてあります。
その後、いろいろあって、山里亮太さんは改心されています。
人間は、言動のパターンを変更することができる部分もあります。
南海キャンディーズ初単独ライブ『他力本願』というタイトルを見て、先日まで読んでいたコミックドラえもんののび太を思い出しました。のび太こそ、他力本願な男です。(巻末に出てくるお笑いコンビオードリーの若林正恭さんのコメントの中にものび太が出てきます)
本人が書いた部分の全体を読み終えました。
お笑い芸人で直木賞作家又吉直樹作品『火花』を思い出しました。
(解説 若林正恭)
ちゃんと本文を読んで解説を書いてあることがわかります。(そうじゃないと思われるキャッチフレーズ、とくに本の帯の文句、推薦文などがあると自分は思っています。出版社などに書かされている。名前だけ貸している)
マッチョイムズ:男らしさ、たくましさ。強いものが正義という考え方。
良かった表現として『慕われていないとなると、よほど人望がないのだろう(山里亮太さんのこと)』
どきどきキャンプの佐藤満春(サトミツ):お笑いコンビ。相方の岸学さんという人は以前テレビ番組『旅猿』で見たことがあります。
天才は努力の人です。エジソンの言葉『天才は、1%のひらめきと99%の努力』エジソンは一日中発明のことを考えていたと思います。
日本人の勤労者の中にも、一日中仕事のことを考えている人はたくさんいます。
『山ちゃんは、どれをとっても破格の熱量だった』そうです。
『山ちゃんは、99%の成功があったとしても、1%のミスに注目する』ちょっと度が過ぎています。
なにかにとりつかれている。
脳に異常な発達があるのではないか。ゆえに、天才なのではないかというつながりです。
『傷を隠さない生き様(いきざま)』があるそうです。
しばらくしたら若林正恭さんの『ナナメの夕暮れ』文春文庫を読んでみます。
(『天才はあきらめた』の出版時期)
2018年7月30日
2019年6月5日入籍発表(同月3日入籍)
(その後)
読み終えて、しばらく、いろいろ考えています。
ひとつは、『箱』のこと。
芸能界・テレビ界はひとつの『箱』です。(まあ、すべての業界に共通することです)
芸能人は、箱の中で働きます。
箱の中には、理想と現実があって、矛盾(むじゅん。正しいことが通らない)があります。
『箱』の中でなんとか食べていくことが最優先です。
次に考えることが、ギャラです。
以前、著者とは別のお笑いコンビの人が、月15万円から18万円の手取り収入では、働く気になれないと言ったのを聞いたことがあります。その人の年収は5000万円ぐらいでした。否定も肯定もできません。人それぞれの働き方に対する考えがあります。いずれの働き方にも私生活の過ごし方も含めて、メリットもデメリットもあります。
山里亮太さんは、自分で自分のことを『天才』だとして、自分はあきらめたという趣旨でこのタイトルを選んだのだろうかと、首を傾けて(かたむけて)、疑問をもちながら本を手に取りました。
自分で自分のことを『天才』だという人は天才ではないと思っています。本当の天才は自分のことを天才とは思っていないでしょう。たぶん。自分が天才であることの自覚がないから天才なのです。(最後の解説では、オードリーの若林正恭さんが、山里亮太さんは天才だと表現されていますが、素直にそう思っているのではなく、裏表があってそう表現しておられます)
一芸(いちげい)に秀でた(ひいでた)人は、また、一芸にしか秀でていないということはあります。一芸以外のことは人並みにできなかったりもします。
自分が思う天才です。ひととおりのことが、100点満点で、90点ぐらいの高いレベルでできる人です。標準的な力の水準が高い人は総合力の面での天才です。
肉体労働ができて、頭脳労働もできる。車の運転から、企画の立案まで自由自在にこなす。健康管理ができて、組織管理ができて、人間関係の管理ができる。だれにでも親切で心も優しい人は、どこにいても、果たす役割は大きい。
第2章が終わる70ページまで読みました。
山里亮太さんの自叙伝です。
2006年に出版した『天才になりたい』を改題して、大幅に加筆・修正してあるそうです。2018年が初版となっています。
文脈の雰囲気は、昔読んだ『東京タワー』リリー・フランキー著に似ています。時代の雰囲気、そして、優しいお母さんの存在があります。
自分は山里亮太さんという人をあまり知らずにこの本を読み続けています。
小さい頃から、お笑い芸人になりたかった。女子にモテたかった。(風貌(ふうぼう)からは、そんなふうには見えません)
『南海キャンディーズ』というお笑いコンビで爆笑をとった。
その後、相方のしずちゃん(山崎静代さん)と不仲になった。(のちに改善されています)
70ページまで読んで、まだ、しずちゃんは出てきていませんが、原因は、山里亮太さんの陰湿な人格にあるのだろうと予想しています。(これもまた、その後、改善されていると思いたい)
山里亮太さんは、最初にコンビを組んだ相方の男性に人生の流れをゆがめるほどの相当ひどい仕打ちをしました。いわゆる虐待とも思われるいじめの加害者が山里亮太さんです。ご自分で深く反省されています。元相方さんには償い(つぐない)が必要です。
自己中心的な考えが強い若い時代です。まわりの人が、自分にとって役立つ道具扱いになっています。
そんな状態が今も続いていたのなら、しずちゃんが、女優さんを山里亮太さんの交際相手に紹介などしなかったでしょう。
山里亮太さんは改心したのです。
きつい体験として、『書いたばかりのサインを「お前は売れない」と目の前で破られた』
2005年のM-1グランプリ決勝で最下位。優勝がブラックマヨネーズ。ほかに笑い飯、麒麟、品川庄司、チュートリアル、千鳥など。
話し言葉優先の日々を送っておられることもあって、文章に勢いがあります。リズミカルです。
難を言えば、文字数が多いわりに内容が濃くはないので、流し読みのペースで読み進めています。
ボケ:観客の笑いを誘うことが役割。わざと間違いの言動をする。冗談を言う。
ツッコミ:ボケの間違いを指摘する。観客に笑いのツボを指摘する。
著者が体験した新人歓迎時の荒っぽい大学寮の様子は想像がつきます。高校生活でも同類のことがありました。先輩後輩の上下関係は厳しい。
思うに、戦後日本の昭和時代における教育のベース(基礎とか下地)は、第二次世界大戦軍国主義時代にあった教育の名残です。
軍隊から帰還した兵隊経験者が教職についた流れがあると思います。半世紀ぐらい前までは、学校における体罰(たいばつ)は当然の罰でした。親も容認していました。今の若年層(じゃくねんそう)だと脱落者だらけになるでしょう。
思うに、戦時中の日本は、全体主義国家だったのです。(個人のことより、国家の利益が優先)
41ページにドラえもんの話が出てきます。最近ドラえもんのコミックの全巻を読み終えました。やはり、ドラえもんは漫才の台本として、お笑いのネタに使えるのです。
キングコング:梶原雄太。西野亮廣(にしのあきひろ)。1999年結成のお笑いコンビ
爆笑問題:太田光(おおたひかる)。田中裕二。1988年結成のお笑いコンビ
若い頃の山里亮太さんの性格は屈折していますが、耐性はあります。(困難な状況に耐えて、自分のまわりを包む環境の中で存在していく力はある)
コンビ名:『侍パンチ』→『足軽エンペラー』→『南海キャンディーズ』
以前テレビで、相方のしずちゃんが、山里亮太さんのことを人間のクズのように言っていたことを思い出しました。ひどいことを言うのだなあとそのときは思いました。でも、この本を読んだら、そのとおりだと共感しました。
ご自分でも書いておられます。72ページから73ページにかけて『僕は……クズなんです。』さらに、74ページから75ページに『僕は最低の人間だった……。』そのとおりです。
まだ売れる前とか、売れてきた頃の有名人として、『友近』『笑い飯』『千鳥』『フットボールアワー』『ブラックマヨネーズ』『キングコング』
お笑いコンビのあり方について考えさせられます。
台本をつくる人がいて、台本はつくらずに演じるだけの人がいる。
ふつうじゃない言動をする。ふつうじゃない言動を求められる。
『笑う』ことで、見ている人は幸福になる。演じているほうは、生活費を稼ぐために仕事として演じる。
提供した笑いが受けないときは、客のせいにして気持ちの落ち込みをしのぐ。
演じ手側には、悪人がいっぱいいそうな世界に見えます。
オーディションによる選択は、どこまでが真実(まじめな内容であること)なのか。偏見がありそうです。(片寄った考え方、選択手法)
この本は、コンビの片方側だけの語りです。相方の気持ちは書かれていません。
制作側スタッフは、資本家の立場であり、お笑いコンビは『商品』です。
企画者は、商品に価値があるのかないのかを見極めます。
有名税:有名になると苦痛や出費がいる。苦痛を税金にたとえてある。目立つので、注目される。プライバシー(私生活)が乱される。
母親はいつも息子の心身の健康のことだけを考えて祈っていた。
売れるか売れないかは関係なかった。
著者は、文字を書くことが好きな人です。(ネタづくりをしているからもあります)文字を書くという行為が好きな人でもあります。
山里亮太さんは相方に対して、パワハラ上司のような存在でした。
よくいえば一生懸命、悪く言えば、人のせいにするタイプです。
バッファロー吾郎:自分は知らない方です。お笑いコンビ。バッファロー吾郎A 竹若元博
記憶に残った言葉などとして『客席にもうひとりの自分を置く(自分が笑えるものを演じる)』『仕事はほとんどなかった』『路上でネタをやろう』『あいかわらず、テレビも舞台もないままの毎日だった』(売れるという出番の『時』が来るのを待ちながら、修練を積んでいきます。修練:心身を厳しく鍛える(きたえる))『あのせいで駄目(だめ)なんだではなく、あのおかげで得をしたと考える』『失うものなんか何もない』『「鳴らずの携帯」という異名をもった僕の電話』『(2004年M1グランプリで準優勝後、お母さんの言葉として)どうもスターを産んだ母親です』『(山里亮太さんから失礼な要求をされたときに、しずちゃんの言葉として)私、普通の人間なんやけど』『一番大事なものは「自信」』
コンビを解消して、ひとりになって、自分が決めた自分の芸名が『イタリア人』
順風満帆(じゅんぷうまんぱん)とはいかない芸人生活です。されど、芸人を辞めるとはどこにも書いてありません。自分は、芸人しかできないということは、ひしひしと伝わってきます。
山里亮太タイプとして『自分が生み出すよりも誰かに生み出されたものに乗っかる』
ファンともいえる人のサポート(支援)があります。のちに書いてありますが、山里亮太さんは、いい人に巡り合う『運』があります。運命の出会いがけっこうあります。一生続く『人との出会い運』を生まれながらにもっておられます。
ネゴシックス:ピン芸人(ひとりで活動する)先日観た、島根県を訪問するテレビ番組『旅猿』で、電話で出演されていたのを思い出しました。
読んでいて、人をいじめないほうがいいという気持ちになります。
ここしばらく、各種職業、職種の体験記録の本を何冊か読みました。
たいていの本に共通するのが、上司や顧客、組織や関係者に対する恨みつらみ(うらみつらみ)です。ひどいことをする人がいっぱいいます。いじめられたほうは、いじめたほうを一生うらみ続けます。人をばかにすると仕返しが待ち受けています。いじめたほうは、歳をとってから、怖い目にあうかもしれません。お互いに権利義務関係がなくなって、偶然出会うことがあれば、いじめられたほうは、精神が切れて、いじめたほうに発作的に、どんな状況であろうが、罵声(ばせい)を浴びせるかもしれません。
この世は、うらむ者とうらまれる者とでできている。
うらみをかって(人からひどくうらまれて)、成功者になるってどういうことだろう。成功者になることで、得るものと失うものがありそうです。
片方側からの意見や感想が書いてある本です。
もういっぽうの、人からうらまれるようなことをした人たちの頭の中にあった世界は、どんな世界だったのだろうかと、読み手である自分は思いをはせるのです。(めぐらせる)
出てきた答は、『儲かればいい(もうかればいい)』という言葉だけでした。『育てる』という言葉は出てきませんでした。使う側の人にとっての『消耗品(しょうもうひん)』という言葉は出てきました。使う側の各自の体験(成育歴)からくるものなのでしょう。
コツコツ積み上げる。ノートをとる。メモをする。積み重ねです。
2004年M1グランプリで準優勝になるあたりまでのくだりは涙なくしては読めません。苦労が報われます。(むくわれます)
どちらかといえば、テレビを作っていた人たちと対立する意識をもっていた著者が、テレビを作っている人たちに救われます。
されど、道は険しい(けわしい)。順調に前進とはいきません。
人と話すことが怖くなる。心が壊れていく。
山里亮太さんが壁にぶつかってお笑い芸人を辞めることにしました。204ページ付近です。千鳥の大吾さんと、ネゴシックスと、とろサーモンの久保田さんが山里亮太さんの芸能界引退をストップさせています。
自分が良くない(自分のせい)と思わないのが山里亮太さんの思考形態(パターン)です。うまくいかないのは、コンビの相方(あいかた)が良くないと考えるのです。この場合、しずちゃん(山崎静代さん)が悪いのです。
南海キャンディーズの暗黒期があります。
山里亮太さんは、しずちゃんにずいぶんひどいことをしています。
邦画『フラガール』へのしずちゃんの出演を断るようにマネージャーに告げています。(それでもしずちゃんは、映画に出演されました。自分は、映画は観ました。炭鉱が閉山して、さびれゆく街の産業を復興させるために炭鉱労働者の娘さんたちがフラダンスショーを始めるお話でした。常磐(じょうばん)ハワイアンセンターの存在は、自分は小学生の頃から知っていました)相方(あいかた)の出世を喜ばない山里亮太さんは、自分でも書いておられますが、本当に人間のクズです。
山里亮太さんの手元に『地獄ノート』というものがあります。呪い(のろい)のノートです。邦画『デスノート』を思い出します。他人に対するうらみつらみが延々と、粘着質に書かれています。復讐心を叩きつけるように書いてあります。
その後、いろいろあって、山里亮太さんは改心されています。
人間は、言動のパターンを変更することができる部分もあります。
南海キャンディーズ初単独ライブ『他力本願』というタイトルを見て、先日まで読んでいたコミックドラえもんののび太を思い出しました。のび太こそ、他力本願な男です。(巻末に出てくるお笑いコンビオードリーの若林正恭さんのコメントの中にものび太が出てきます)
本人が書いた部分の全体を読み終えました。
お笑い芸人で直木賞作家又吉直樹作品『火花』を思い出しました。
(解説 若林正恭)
ちゃんと本文を読んで解説を書いてあることがわかります。(そうじゃないと思われるキャッチフレーズ、とくに本の帯の文句、推薦文などがあると自分は思っています。出版社などに書かされている。名前だけ貸している)
マッチョイムズ:男らしさ、たくましさ。強いものが正義という考え方。
良かった表現として『慕われていないとなると、よほど人望がないのだろう(山里亮太さんのこと)』
どきどきキャンプの佐藤満春(サトミツ):お笑いコンビ。相方の岸学さんという人は以前テレビ番組『旅猿』で見たことがあります。
天才は努力の人です。エジソンの言葉『天才は、1%のひらめきと99%の努力』エジソンは一日中発明のことを考えていたと思います。
日本人の勤労者の中にも、一日中仕事のことを考えている人はたくさんいます。
『山ちゃんは、どれをとっても破格の熱量だった』そうです。
『山ちゃんは、99%の成功があったとしても、1%のミスに注目する』ちょっと度が過ぎています。
なにかにとりつかれている。
脳に異常な発達があるのではないか。ゆえに、天才なのではないかというつながりです。
『傷を隠さない生き様(いきざま)』があるそうです。
しばらくしたら若林正恭さんの『ナナメの夕暮れ』文春文庫を読んでみます。
(『天才はあきらめた』の出版時期)
2018年7月30日
2019年6月5日入籍発表(同月3日入籍)
(その後)
読み終えて、しばらく、いろいろ考えています。
ひとつは、『箱』のこと。
芸能界・テレビ界はひとつの『箱』です。(まあ、すべての業界に共通することです)
芸能人は、箱の中で働きます。
箱の中には、理想と現実があって、矛盾(むじゅん。正しいことが通らない)があります。
『箱』の中でなんとか食べていくことが最優先です。
次に考えることが、ギャラです。
以前、著者とは別のお笑いコンビの人が、月15万円から18万円の手取り収入では、働く気になれないと言ったのを聞いたことがあります。その人の年収は5000万円ぐらいでした。否定も肯定もできません。人それぞれの働き方に対する考えがあります。いずれの働き方にも私生活の過ごし方も含めて、メリットもデメリットもあります。
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