2021年05月24日

逆ソクラテス 伊坂幸太郎

逆ソクラテス 伊坂幸太郎 集英社

 ソクラテス:アテネ出身の古代ギリシャの哲学者。紀元前469年頃-紀元前399年。71歳。服毒自殺による死刑。名言を多数残しています。「無知の知」「生きるために食べよ。食べるために生きるな」「 本をよく読むことで自分を成長させていきなさい。本は著者がとても苦労して身に付けたことを、たやすく手に入れさせてくれる」「一番大切なことは、単に生きることではなく善く(よく)生きることである」「悪法もまた法なり」
 本人の著書は残っていませんが、弟子のプラトンがソクラテスの言葉を残しています。

 この本では、5本の短編が掲載されています。互いに関連づけてあるのでしょう。前知識はなにもなく読み始めてみます。

「逆ソクラテス」
 この部分を読み終えてみて、心にしみじみと迫ってくるものがありました。いい作品です。今年読んで良かった一本でした。
 中身が一定の水準を超えており、安心して楽しむことができます。
 加賀という男性の人物が小学生時代にあったことを振り返る回想録となっています。主人公は転校が多い転校生で安斎(あんざい)という男子です。安斎の言動に着目する短編です。自分も転校が多かったので、彼と意識が重なる部分がありました。
 プロ野球のテレビ観戦シーンから始まって、プロ野球選手の野球教室でまとめます。
 登場人物たちは小学六年生のこどもたちです。男子が、安斎(あんざい)、加賀(この物語の語り手)、草壁、あこがれのマドンナ的女子が佐久間、ほかに父親が新聞社勤めの土田がいます。
 ターゲットは担任教師の久留米です。教師は神さまでも聖人君子(せいじんくんし。優れた人格の人)でもありません。教師によるえこひいきと差別があります。
 こどもたちが教師をずるがしこく試します。安斎の目的は、こどもをばかにするなというものです。彼は、非力なこどもに圧力をかけてくるおとなに向かっていきます。おとなを信じていません。

 だれかがだれかを見下す社会が学校の中にあります。安斎はそれがいやだと主張します。
 <ピンクは女だ>と言う教師の久留米です。
 安斎の言葉の一部として「自分がどう思うかよりも、みんながどう思うかを気にしちゃう……」そして彼の決めゼリフとして「ぼくはそうは思わない」があります。彼が言う危険な思想が「先入観」です。
 登場人物たちは小学生たちばかりですが、哲学的な(人の生き方を探く考える)内容です。
 
 短編の終わり近くで、結末はどうもっていくのだろうと思いました。一般的な「思い出話」です。だれかが未来で英雄になったとは思えません。
 安斎くんは、人の心を試して、何をしたかったのだろう。
 この短編には書いてありませんが、わたしは安斎くんが、おとなになって、物書きになったと思いたい。
 
「スロウではない」
 前作との関連はなさそうです。共通する体験として「転校」はあります。この本の柱となる素材は「転校」だろうか。
 前作に引き続き小学生時代の思い出話です。おとなになった登場人物が、昔の出来事を思い出しながら、当時の担任教師と語り合います。
 新たな登場人物として、司(つかさ)がいて、彼の友だちの悠太がいます。ふたりで、洋画「ゴッドファーザー」ごっこをします。
 ドン・コルネオーネ:イタリア系マフィア「コルネオーネファミリー」における長。

 小学五年生のこどもたちです。
 リレー競争があります。
 対立やいさかいがあります。

 担任が磯憲(いそけん)、学級委員が近藤修、転入生が高城かれん(たかぎ・かれん)、渋谷亜矢(しぶたに・あや)、村田花(むらた・はな)、ほかに佐藤君と加藤さんが、登場するメンバーです。

 世代の差でわかないのですが、「ドラゴンボールに出てくるピッコロのマント」というのは、「巨人の星に出てくる星飛雄馬(ほしひゅうま)の大リーグボール養成ギプス」のような位置づけのものなのでしょう。

 笑って納得したのは「小学生の時は、スポーツのできる子が人気者で、中学は、面白い子、かっこいい子、高校では、おしゃれな子、大人になったら、お金をもっているやつ」

 社会人になってしまうと、学校でなにがあったかは、なんの参考にもなりません。学校はだれもが強制的に集められた特殊な世界です。
 卒業後に生きる社会では、個人は自分と趣味趣向が共通する集団の中に入っていきます。

 小学校に「いじめ」があります。

 頭脳戦です。上には上がいます。

 群を抜いている発想があります。

 「いじめの加害者が幸せな人生を送るなんて納得できない」という怒りがあります。

 胸にグサっと刺さった言葉として「敵を憎むな」

 「友情」と「愛情」で締めてあります。良かった。今年読んで良かった一冊です。

「非オプティマス」
 オプティマス:ラテン語で「最良」という意味。
 この作品では、洋画がからめてあります。わたしは観たことがない洋画です。サイバトロン星から来た宇宙人の話だそうです。
 司令官オプティマスプライムは、普段はトレーラーの形をしているが、いざというときは変形する。「トランスフォーマー」車が変形してロボットになる。タイトルのオプティマスは映画にもひっかけてあります。

 これまでに「逆ソクラテス」と「スロウではない」を読んできて、「人間って何だろう」とか「幸福って何だろう」という意識が芽生えました。幸福な状態ってどんな状態なのだろう。
 本のタイトルどおり、哲学者の気分になってきました。
 「無知の知」から、愚かであった。あるいは、愚かである。自分が知らないということを自覚できていない。だれが…… 第一話の「逆ソクラテス」の場合は、小学校担任教師の久留米が、第二話の「スロウではない」では、小学生男子だった「司(つかさ)」が。

 中編のショートショート(胸がすくような短いお話)のようでもあります。

 小学五年生の担任の久保先生は、先生になりたてです。すらりとした体格、長い首、そして、うつ病ぽい。
 先生にからんでくるのが、騎士人(ないとという意地悪な男子)、主人公の将太、転校してきた安井福生(やすい・ふくお。安そうな服を毎日着ているから、安い服男とからかわれる。細く小柄な体格。母子家庭)、潤(父子家庭。体が大きくて運動ができる)

 少年たちの言動には、あちこちに飛ぶ空想があっておもしろい。豊かです。外見と中身が異なります。人間が強い。とくに安井福生くんが。
 登場してくる人物の個性が魅力的です。

 胸に響く言葉として「人間が完璧じゃないってことも知ってるだろ……」「政治家が失脚するときは……(スキャンダル(不祥事、不正、情事、恥、不名誉、みっともないこと))相手に勝つために相手の弱みを握る。それがオプティマス(最良の手段)ということ」 「体罰には効果の限界があるという表現、あわせて、暴力の限界」「優しいというより無関心」「厳しいだけでは人は育たないというような趣旨」「死ななくてもいい人が偶然の交通事故で亡くなるという人間の運命めいた暗示」「最愛の人を亡くして、ようやく慣れるということ」「私は別に、牧師じゃないので……」
 情景描写の文章と人物の言動表現の対比がすばらしい。聖書のような神の教えがあります。<答えのはっきりしないことに対する最善の策を考える><人は、ほかの人との関係で生きている>
 「評判(信用とも読み替えてもいいと思いました)」「迷惑をかける人間は仲間からはずされる」「迷惑をかける人間に対しては『可哀想に』と思えばいい(ここが無知の知につながっていくのでしょう。同情されることはけっこうつらい)」

 こじれた国同士の外交交渉を見るようです。

 二話で出てきた「敵を憎むな」という言葉が頭の中で反響します。
 いい話でした。表現力がすごい。

「アンスポーツマンライク」
 否定形のタイトルが続きます。「逆ソクラテス」「スロウではない」「非オプティマス」そして今回が「アンスポーツマンライク」これに続く最後の作品が「逆ワシントン」です。反対側からの視点でものを見て分析して考えるのでしょうか。まだよくわかりません。

 バスケットボールの話です。第二話の小学生ミニバスケットボールで出ていた磯憲先生が月日を経て登場します。そして、さらに月日が流れていきます。時が瞬間時間移動で進みます。この作家さんの特徴です。

 小学6年生のときのメンバーです。
 駿介(しゅんすけ。高校でバスケ部をやめてバスケを素材にしたユーチューバーになる)
 歩(あゆむ。主人公。名前は歩だが、肝心な時に一歩を踏み出せない。公務員になる)
 匠(たくみ。小柄。その後、身長は伸びて、大学は医学部)
 三津桜(みつお。いつもにこにこ丸顔。母が喫茶店を経営している)
 剛央(たけお。小学生の頃は背が高かったがその後伸びず。成長してバスケットを小学生たちに教えている)

 暴言を伴うパワハラ的なスパルタ方式によるバスケットプレイ教育への批判があります。「あ、それ効果ないです」という三津桜(みつお)の母の声です。
 暴言・暴力を振るう指導者は、人がやりたくないポストだからそのポストに就けるということもあります。周囲は冷めた目でその人を見ます。
 名言の提示があります。「バスケットの試合での残り1分は『永遠』ということ」

 「ギャンブルはするな」の解説も光っています。「うまくいけば最高だが、駄目だった時は最悪の展開」とあります。ギャンブルです。「一か八か(いちかばちか)」とあります。
 言葉の特性をとらえてバスケットの指導をします。「派手なプレイよりも、地道な動きを真面目に繰り返すほうがよっぽど強いんだ」とあります。

 弾いた:はじいた。
 ルーズボール:こぼれ球(だま)
 マークマン:特定の相手の攻撃を妨げる役割の担当者(バスケットボール)
 ボールマン:攻撃側のボールを持っている選手
 ダブルチーム:ボールマンを守備側のふたりの選手ではさむ。
 アンスポーツマンライクファウル:重い反則。スポーツマンらしくない不正
 バスカン:バスケットカウント。3ポイントあるいは4ポイントをいっきにとれるチャンスのとき。
 
 鍵を握るらしき言葉として『型に嵌(は)めようとする指導者』
 具体的な理由の提示がなく、恐怖だけを与えられると、与えられたほうは、恐怖を与えた相手の顔色をうかがうようになる。
 記述にも少しありますが、昔は家庭環境の悪い家のこどもが素行(そこう。言動。態度)が悪くなると噂されましたが、最近は、いいところのこどもさんが凶悪事件を起こすようになりました。人間教育はむずかしい。
 第二話で話のあったゴッドファーザーに出てくるコルネオーネ(ギャングのボス)のことが登場しました。
 これから先、この話はどうなるのだろう。どう決着をつけるのだろう。

 哲学的な作品群です。
 ただ、理屈が通じない人間の脳もあります。(読み終えてわかったのですが、人をあくまでも信じて善人としてとらえる作品です。そこがどうかと感じました)

「逆ワシントン」
 つぎたしながら読書メモを書いています。
 いま、この本全体を読み終えたところです。
 失速したような終わり方をしてしまいました。
 この「逆ワシントン」では、前話に登場していた駿介(バスケット部員だった。バスケを素材にしたユーチューバーからバスケットボールプロチームへ入った)ともうひとりが、時間を経過して出てきます。もうひとりがだれなのかがわかりにくいのですが、わたしは、最初、三津桜(みつお。いつもにこにこ丸顔。ふわふわのお菓子みたい。アプリケーションソフトウェア製作会社(ゲーム、表計算、動画など)を友人と立ち上げる)だと思いました。(その後、ネットを見て、三津桜ではないことがわかりました。なるほどと納得しました。ここにはだれとは書きません)

 こちらの逆ワシントンという話で出てくる小学三年生です。
 倫彦(としひこ):野球少年
 謙介(けんすけ):主人公。「僕」で表記される彼が物語を引っぱります。
 京樹(きょうじゅ。謙介が付けたニックネームは教授。クレーンゲームの研究発表をした)
 靖(やすし):母親が離婚して再婚した。母親の連れ子。若い義父に虐待されているかもしれないという疑いあり。

 学校は物語が生まれる宝庫です。
 こどもは親に復讐することがあります。うらみを胸に抱いて仕返しのチャンスがきたら実行されます。

 読んでいて、十年以上前にケーブルテレビの映像で楽しんでいたアメリカ合衆国の「アメリカン・アイドル」という番組を思い出しました。歌手になりたい人のオーディション番組なのですが、たまに、こんな人がこんな美声をもっていたのかと驚かされることがありました。人は見た目では才能はわからないのです。
 この本では、逆転人生を表現しようとしています。
 ただ、一発屋(一時的に活躍)を讃えるのではなく、真面目に哲学をしています。最終的なメッセージとして『真面目で約束を守る人間が勝つ』『地味でいい』『ちゃんと謝る』があります。
 ちゃんと謝るが、アメリカ初代大統領ワシントンの少年期の話につながります。斧の切れ味を試したくなったワシントンが、庭の桜の木を切ってしまったことを父親に話して謝ります。正直は大事というお話です。
 この短編では、「嘘をつくこと」にかかわる考察もあります。
 
 心に響く文節として「人間って、実は(じつは)、誰かが困っているのを見て、楽しいと思っちゃうところがある」

 最近のニュースと重なる部分として、こどものころにいじめられていた人はいじめられていたことを一生忘れない。だから、何年もたってから、有名人になったいじめっこがいたら、仕返しとして、その人の過去を暴露して、世間の評価を下げるという罰を与える。
 人をいじめるときには覚悟がいることをこどもに教えたほうがいい。仕返しされる危険が長く続きます。ただ、いじめる人の性格は生まれもったもので、そのときどきによって強弱はあっても消えることはないような気がします。
 
 あいまいなものに、なんとか決着をつけようとしたのですが、決着がつくわけもなく、本作品が、最終的に失速した原因と感じました。
 チャンスの提供がありますが、この世には、温情が通じない人がいます。

 虐待していると思われる相手に対して、はっきりと、あなたは虐待をしているんじゃないですかと聞けるのは、小学生だからできる特権でしょう。
 おとななら、専用ダイヤルとかで専門機関へ連絡して、だけど、電話をしながら、どこまでしっかりやってもらえるのだろうかと不安はもつのでしょう。
 
 「運動能力」に関する考察もあります。人それぞれできることできないことがあります。運動以外のことも含めて、自分ができることは人もできると思うのは勘違いです。
 
 見た目では、虐待をしていそうな人がしていなくて、虐待をしていなさそうな人がしているということもあります。  

Posted by 熊太郎 at 07:10Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2021年05月22日

ゆりの木荘の子どもたち 富安陽子・作 佐竹美保・絵

ゆりの木荘の子どもたち 富安陽子・作 佐竹美保・絵 講談社

 本の表紙には、女の子が三人、男の子がふたりの絵が描いてあります。五人とも小学生に見えます。
 「ゆりの木荘」というのは、木造二階建てですが、アパートには見えません。洋館です。屋根にはニワトリか鳳凰(ほうおう)の風見鶏のような飾りが立っています。孤児院のような施設だろうか。グリム童話のブレーメンの音楽隊とか、ポケモンのホウオウを思い出しました。
 これから読み始めます。読みながら感想を付け足していきます。
 本をめくるとどういうわけか、おばあさんとおじいさんの背中が横に並んでいます。お顔は見えません。五人のお年寄りの向こうに白い物が見えますが、物ではなく、トンネルの出口のようなものなのでしょう。
 さあ、はじまり、はじまり。
 「ゆりの木荘」は100年以上前に立てられたおしゃれでりっぱな洋館でした。ちょっと不思議なのは、家に魔法がかけられているそうです。魔法? どんな?
 ゆりの木荘には、おばあさんがひとりで住んでいたそうですが、亡くなって、今は大改築工事がされて「有料老人ホーム・ゆりの木荘」になったそうです。

 ゆりの木:落葉高木。チューリップのようなうすい黄緑色の花が咲く。ハスのような花にも見える。5月から6月ごろに花が咲く。

 有料老人ホームには、おおきな振り子時計があるそうです。
 ここでピンときました。
 「時」を変えるのです。過去にさかのぼるとか、未来へいけるのです。アメリカ映画「バックトゥザフューチャー」の世界です。

 本の表紙の絵は、子どもたちなのに、いきなり、有料老人ホーム「ゆりの木荘」で暮らす三人のおばあさんたちが出てきて、しゃべりだしました。いろいろと、わからないことだらけです。

 森野:モリノさん。どっしりと大きいおばあさん。87歳。
 佐倉:サクラさん。ちんまりと小さいおばあさん。87歳。昔、結婚して、夫の転勤でこの近くに引っ越してきた。
 杉田:スギタさん。笑わない人。動かない人。もうじき90歳。無口なおばあさん。
 
 コデマリの花:落葉低木。別名スズカケの花。高さ1.5mぐらい。手鞠(てまり)のような形をした白い花がたくさん咲く。とても美しい。
 手鞠歌(てまりうた)が流れますから、コデマリの花と関連づけてあるようです。
 
 ヒイラギ:葉っぱのふちがとんがっている。常緑小高木。高さは4mから8m。
 フジ:つる性落葉木。紫色の花がたくさんたれさがる。
 カズラ:つる植物
 アヤメ:草地に自生。紫色の花。花ショウブに似ている。
 ハコベ:春の七草
 ヤマブキ:落葉低木。黄色の花が咲く。高さは1mから2m。
 
 てまり歌を歌うと、時が昔にさかのぼるのです。
 お庭に風が吹き渡って、お庭は、昔の風景に変化するのです。

 ほらやっぱり「ふたりのおばあさんではなく、ふたりの女の子が、ならんでベンチにすわっていました。」と本に書いてあります。
 87歳だったモリノさんとサクラさんは、10歳の女の子になってしまいました。今だと小学4年生ですな。
 推理小説を読むようです。
 
 ホウセンカ:一年草。紫色や赤色、白色の花。6月から9月に咲く。
 
 90歳だった不機嫌そうなスギタおばあちゃんも長い髪を三つ編みにした少女になって現れました。スギタさんは、これ以降も「テレビがなくなった」と騒ぎ続けます。

 食堂の柱にかけてある一日一枚めくる形式の日めくりカレンダーは「昭和16年8月3日仏滅」となっています。
 「昭和16年」は、太平洋戦争が始まった年で、12月8日に日本の戦闘機がハワイのパールハーバー(真珠湾)を攻撃して、開戦しました。でも、まだ、カレンダーは8月を示しているので、戦争は始まっていません。
 老人ホームに入所しているみなさんは、77年前にタイムトラベル(時間移動)してしまいました。
 ちなみに、日本でテレビの放送が始まったのは、1953年(昭和28年)ですから、昭和16年の日本にはテレビはありませんでした。そして、日本でラジオ放送が始まったのは、1925年(大正14年)ですから、昭和16年の日本には、ラジオがありました。ゆえに、13歳ぐらいに戻ったスギタおばあちゃんが昭和16年の世界でテレビをいくらさがしても、そのころの日本には、テレビはまだ存在していません。
 そして、昭和16年(1941年)のゆりの木荘は老人ホームではありませんから、老人ホームで働くスタッフもいません。老人ホームのスタッフは、まだ、この世に生まれてもいません。
 ついでに、冷蔵庫も電子レンジもエアコンも洗濯機もアイロンもマッサージチェアも、もちろんスマホやテレビゲームもこの時代にはありません。きっと家の中は、静かな夜で、秋になると外では、虫が鳴く音がいっぱい広がっていたことでしょう。

 ふたりの少年が登場してきました。
 川井省一(かわい・しょういち):本当は84歳。いまは7歳。はしっこそうな小さい男の子(はしっこ:すばしっこい)しょうさん。84歳のしょうさんは、おじぞうさんみたい。
 河合大吾(かわい・だいご):本当は84歳。いまは7歳。太った大きな男の子。だいさん。84歳のだいさんは、サンタクロースみたい。
 
 ゼンマイ仕掛けの大きな振り子時計が出てきますが、自分も7歳小学一年生の時に農家である祖父母の屋敷で、振り子時計のゼンマイを巻く作業をしていたことを思い出しました。
 
 さて物語のほうはどんどん進行していきます。
 
 つりしのぶ:植物鑑賞用の入れ物。竹、コケ、シダなどでつくって軒下に吊り下げて楽しむ。

 カヅミちゃん:カズミちゃんのおばあちゃんの家がゆりの木荘。

 小学生だったサクラさんは、毎年夏休みに、お母さんとお母さんのお姉さん(おばさん)の家に一週間ほど泊まりに行っていた。おばさんは、サクラさんを連れて、カズミちゃんのおばあさんの家(ゆりの木荘)に行き、カズミちゃんのおばあさんから生け花を習っていた。
 カズミちゃんは、お花の師匠をしていたおばあさんの孫だった。サクラさんはカズミさんと遊んだ。だけど、サクラさんたちがかくれんぼなんかをして遊んでいたときに、もうひとり小さい子どもがいたそうです。だけど、サクラさんは、それがだれなのかを思い出せません。
 庭にあったゆりの木が切られたことが、なにかからんでいるのかと考えましたが関係はありませんでした。

 読んでいて「座敷童(ざしきわらし)」が出てくるぞーと推理しました。やっぱり出てきました。あたりーです。
 座敷童(ざしきわらし)は家の守り神で大事です。まあ、妖精みたいなものです。妖怪に近いかな。
 でも、わたしは見たことがありません。だけど、いるに違いないと思っています。

 またまた予想です。
 手まり歌を歌うとまたおばあさんに戻るのだろう。

 『約束』があったそうです。
 座敷童が家に閉じ込められているとして、外に逃がしてやりたい。
 サクラさんと座敷童は座敷童をこの家から逃がしてあげると約束をしたそうな。
 これから先のくわしいことをここに書くのは、やめておきます。
 広島という地名も出てきたので、原子爆弾投下の話につながるのかなとも考えました。(でもつながりませんでした)
 
 植物図鑑を読み終えたような気分です。

 モリノおばあさんの良かった言葉として「いくつになっても、年をとっても、人間は前に進まなくちゃいけないのよ……」

 不思議な余韻が残る児童文学作品でした。  

Posted by 熊太郎 at 07:05Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2021年05月21日

出川哲朗の充電バイクの旅 熊本県阿蘇から大分県大分市

出川哲朗の充電バイクの旅 熊本県阿蘇から大分県大分市 テレビ番組

 今年の春、サクラの季節のロケであり、コロナ禍のなか、お疲れさまでした。

 地図でスタート地点の一心行の大桜(いっしんぎょうのおおざくら)を確認しました。桜の木のことは知りませんでしたが、以前、そのそばの道を車で通ったことがあるので、いろいろとなつかしく思い出しました。阿蘇山の火口を観に行ったときに通りました。

 穿戸岩(うげといわ)というところでは、前回の番組で観た沖縄の「斎場御嶽せーふぁーうたき(琉球神道の儀式を行う場所)」に似ていると思い出しました。
 古来より日本人は、自然界のなかに神の存在を信じて、自然を敬って(うやまって。尊く思う(とうとくおもう))生活してきたことがわかります。
 阿蘇は、自然が豊かないいところです。ときおりの映像が、ポツンと一軒家のようでもありました。
 土地の人の会話に出ていた「根子岳(ねこだけ)」には、高校生のときに登ろうと思ったことがあって、だけど登りには行きませんでしたが、尾根がギザギザの独特の形状をしたなかなかかっこいい山岳だった覚えがあります。

 グランド・ゴルフだと思いますが、プレイしている人たちが九州の方言(ほうげん。なまり)で「かたって」と話していたことが、こどものころに熊本県と福岡県に住んでいたことがあって、自分も使っていた方言言葉なので、なつかしかった。「かたって」は「仲間に入って」とか「加わって」という意味です。

 前半のゲストは、DJKOOさんは、スタッフ関係者へのサービスのつもりだと思いますが、番組づくりのための企画っぽい言動は、やらせにつながるので(観ている人をだます嘘の表現)になるので、自然にやっていただけるほうがいいと感じました。

 築140年の古民家の再利用してあるシーンを観て、家もリフォームすると長持ちすることがわかりました。建売住宅の寿命は25年ぐらいと聞いたことがありますが、そんなに短くて建て替えていたらお金がいくらあっても足りません。なんとか70年間ぐらいはもたせて、孫の代(だい)ぐらいに建て替えるなり、リフォームなりをして長持ちさせるようにしたい。
 古民家の再利用は全国的な流行り(はやり)のようです。
 
 大分県竹田市の「岡城址(おかじょうし)」の映像では、昨年の今ごろ読んだ本「廉太郎ノオト」谷津矢車・作(やづ・やぐるま作)中央公論新社を思い出しました。作曲家の滝廉太郎さんの伝記でした。滝廉太郎さん(たき・れんたろうさん)はここでこども時代を送られています。名曲「荒城の月」のモデルが「岡城址」とされています。自分もたぶん高校生のときにまだ国鉄だった豊後竹田駅あたりに行ったときに見学したことがあると思うのですが、もう遠い記憶でかすんでしまっています。

 ケツカッチン:ゲストのDJKOOさんが使っていました。拘束時間における終わりの時刻。タレントさんに関する業界用語。

 もうひとりのゲスト岡田結実(おかだ・ゆい)さんは、二十歳になったアピールされていて、そんなに若いのかと驚きました。もっと年が上の人だと思っていました。

 ディレクターの熊谷さんは、バッテリーがセットされていない電動バイクにまたがってバイクが動かないと慌てていました。この番組のディレクターさんたちは、けっこうチョンボが多くてほっとします。あれでいいなら自分もやれる。(働ける)という自信が湧いてきて励まされます。

 いのしし村の女性が、明るくて楽しかった。
 「だご汁」は、先日観た太川陽介さんと村井美樹さんの路線バスと鉄道の対決でも話題に出ていました。おなかがふくれるおいしいお汁です。

 観ていて、メンバーは、一瞬の訪問で、くっきりと足跡(あしあと)をその場に残していきます。少しワンパターン化してきている面もありますが、まわりの地元の人たちの個性が内容を豊かにしてくれます。

 ラストは見事な桜の映像でした。すごい。河岸に桜が満開です。ソメイヨシノが400本植えられているそうです。岡田結実さんが言っていたスイカヘルメットとサクラの花が同時になった映像がステキです。この時期は日本中が桜でいっぱいです。桜を植樹してくださった先人に感謝です。  

2021年05月20日

わたしたちのカメムシずかん やっかいものが宝ものになった話

わたしたちのカメムシずかん やっかいものが宝ものになった話 鈴木海花(すずき・かいか)・文 はた こうしろう・絵 福音館

 読み終えてみると本のタイトルの意味がわかります。
 自分たちでつくるカメムシの図鑑なのです。

 本の表紙には、可愛らしい男の子の絵が描いてあります。
 自分にもあった小学二年生ぐらいのころの虫が大好きだった時代が脳裏によみがえりました。バッタとか、カマキリとか、アリジゴクを捕まえてきて、紙製のお菓子箱の中とか、自宅の庭で飼っていたこともありました。
 思い出すに、自分の本格的な読書は、虫の「図鑑」から始まりました。小学二年生の時に、クラスにあった学級文庫から借りていました。

 カメムシは最近あまり身近で見かけることがなくなりました。都市化された地域で暮らしているからでしょう。(これを書いた数日後に家のベランダで見つけました。大きめの立派なカメムシでした)

 本の舞台は岩手県にある葛巻(くずまき)という町です。人口は7000人ぐらいです。本の中の絵を見ると、里山や畑の緑が多いいなかの町です。何もないといえば何もないように見えます。娯楽施設とか観光の場所、飲食店などのお店が見当たりません。
 最近のテレビでよく見る田舎の風景を散策、探検する番組に出てくるようなところです。
 地図で調べたら、昔、東北旅行へ行ったときに、レンタカーで高速道路を走ったのですが、葛巻町のそばを通っていたことがわかりました。親近感が湧きます。葛巻町は、盛岡市の近くで、西南に岩手山があります。

 カメムシが集団化しているそうです。カメムシは、11月ごろに寒い冬を避けるために家の中に入ってくるそうです。
 校長先生を描いた絵が、最初は、男性なのか、女性なのか区別がつきませんでした。最後まで読んで、女性だと判断しました。最近の男女平等を強調するご時世で、中性的に描いてあるのかなと考えました。昔の絵本だと、朝礼台の上で、太ってメガネをかけたおじさん校長先生が、ふんぞりかえっている絵が思い浮かびます。

 カメムシは、やっかいものという位置づけでお話が始まります。害虫扱いです。デメリットばかりでメリットがない。(悪いところ。良いところ)
 でも、カメムシのせいにして、宿泊したのに、ホテル代を払わない人はひどい人です。自然を知らない都会人が増えました。このあいだ動物園に行ったら、小学生の女の子が「こんな汚いトイレはいやだ」と母親に向かって怒っていてびっくりしました。池のそばの公衆トイレですが、年配者のわたしからすればきれいなトイレでした。わたしがこどもころは当然水洗トイレではなく、どっぽん便所の汲み取り式が主流でした。水洗トイレを生まれて初めて見たのは、小学二年生のときでした。使い方を教えてもらいました。ひもを引っ張ると上から水が落ちてきて便器を洗い流す方式でした。
 もし自然災害が起こって、便利なものがみんな使えなくなったら、新しい世代の人たちはどうやって生き残っていくのだろうかと心配です。
 
 「ナカグロカスミカメムシ」は小さい。
 校長先生が「カメムシはかせになろう」という提案をされます。
 葛巻町には、カメムシにとって、快適な環境があるのです。
 「クサギカメムシ」の絵が校長室の横にある掲示板にはりだされました。
 知らないことを知る。学習の手法としての「研究」です。カメムシの名前がいろいろあります。だれがどうしてどうやって、この名前を付けたのだろう。興味が湧きます。「スコットカメムシ」「ツマジロカメムシ」どちらのカメムシも紫色だそうです。だんだんカメムシの種類が増えてきました。
 カメムシの種類は人間の種類のようなものです。「人種」とか「民族」みたいです。「オオヘリカメムシ」が出てきました。
 カメムシの成長を「齢(れい)」という文字で表示してあります。人間の年齢とは数え方が違うようです。調べてみました。脱皮するごとに1齢(いちれい)、2齢(にれい)と増加していくそうです。
 絵本の絵では、チャイロカメムシが5齢幼虫(ごれいようちゅう)として描いてあります。
 あわせて、カメムシの口について書いてあります。ストローみたいな形をしています。「口吻(こうふん)」というそうです。
 「エゾアオカメムシ」は、小さなアマガエルのようです。「アオクチブトカメムシ」も緑色をしています。
 
 本の最後のところに「書き方の例」というペーパーが付けてあります。本の16ページに、この書き方の例を使用した観察の絵と文章が展示してあります。数えてみると、カメムシの種類が30ぐらいあることがわかります。それらを見学しているこどもの数が16人です。こどもの数よりカメムシの種類の数のほうが多いのでびっくりしました。次のページをめくると、カメムシは世界に3万8000種類あると書いてあってさらにびっくりしました。さらに、アメンボやミズカマキリもカメムシの仲間だそうです。驚くことばかりです。

 カメムシには草食と肉食があるそうです。草食は、植物の葉やくき、実を食べます。肉食は、昆虫やクモを食べるそうです。

 カメムシは5回も脱皮して、羽根のある成虫になるそうです。
 カメムシの背中の模様は、デザイン作品をつくるときのヒントになりそうです。
 カメムシだって、必要があるからこの世に生きています。
 川の水があって、空から降る雨があって、植物や動物がいて、おいしい空気がある。カメムシにとっては楽園のような葛巻町(くずまきまち)です。自然が豊かです。
 「アカスジキンカメムシ」は宝石のように見える美しい背中をもっているそうです。
 
 カメムシがくさいという話が出ます。
 人間だっておならをします。
 カメムシは自分のくさいにおいで死ぬこともあるそうです。ちょっと信じられないような出来事です。
 コリアンダー:植物。セリ科の一年草。料理に使用する。
 欧米や東南アジアの人たちは、香辛料や香水が好きです。
 カメムシにイヤなにおいを出させないようにするには、「やさしく、そっと」扱うことが大切だそうです。
 カメムシがどうして集団で集まるのか。身を寄せ合って、乾燥を防いで、適度の湿気と温度を保つためだそうです。
 いろいろと人間生活と似ている部分もあります。
 カメムシにも天敵がいるはずだと思って読んでいたら、次のページに野鳥の絵が出てきました。やっぱり鳥に食べられてしまうんだ。
 
 図鑑は、できあがっているものを見るだけではなく、自分でつくってみてもいい。自分でつくる喜びもあります。創意工夫が楽しみです。
 絵本の中では、図鑑を自分でつくるとわからないこと、間違ってしまうことがあるので、専門家にみてもらうことになりました。
 研究するといろんなものが「数値化」されていきます。
 こどもたちがつくった図鑑には、35種類のカメムシが登載されたそうです。36ページと37ページには、たくさんのカメムシの絵があります。子ども向けテレビ番組の戦隊ものに出てくるメンバーとか、ポケモンの種類を思い出します。
 
 カメムシもまた地球にすむ家族なのです。
 マイナーな世界(あまり知られていない世界)に光をあてた科学に関する絵本作品でした。  

Posted by 熊太郎 at 07:13Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2021年05月19日

朝が来る 日本映画DVD

朝が来る 日本映画DVD 2020年公開

 小説は何度か読み返しました。
 感動の名作です。
 テレビドラマを少しだけ観ましたが、小説を読んだほうがよかった。
 今回は映画です。
 養母役を演じられた永作博美さんは好きな女優さんです。

 幼稚園での園児同士のいさかいから始まります。親の責任もからんできます。重苦しい出だしです。(特別養子縁組をした養子の言うことを信じることで、養母の栗原佐都子さんは救われます)

 いらぬことですが、結婚して、こどもをつくれるのなら、こどもはつくったほうがいい。こどもは一族の宝です。
 映像で、『親がこどもを探すのではなく、こどもが親を探すのが、特別養子縁組制度の意義です(目的、価値)』と制度の趣旨が流れます。
 養母の四十代栗原佐都子(さとこ)さんのセリフです。「この家には、親になれる人がちゃんといる。(でも夫が子どもができにくい病気で、こどもがなかなかつくれないわたしたち夫婦です)」
 
 ああ、浅田美代子さんが登場しました。(そういえば浅田さんにもお子さんはいません)
 中学校の修学旅行で、関西のどこかの施設のホールで、浅田美代子さんの「赤い風船」をみんなで合唱したことを思い出しました。あのころ浅田美代子さんも十代でした。なつかしい。映像ではすっかりおばあさんの容貌になられました。お互いに歳を重ねました。
 
 ドキュメンタリー調(記録映像)の映画に仕上げてあります。

 施設に入れられて、中学生でこどもを産んだ実母である片倉ひかりの両親は何をしていたのだろう。(イヤなもの(自分の娘)を家から排除した)
 まだ中学生である実母の片倉ひかりの描き方は、置かれた立場が悲惨であるがゆえにどうにでも書けます。ひかりの心と体はボロボロです。やられ損です。彼女は未来を奪われてしまいました。

 お金のない若い女性トモカという女性が出てくるのですが、お金を何に使ったのだろう。

 死んだらだめです。「命」を考える物語です。

 中学生のときにこどもを産んでしまった実母の片倉ひかりは、自分が犯した(おかした)罪のような重みをかかえて一生を生きていかねばなりません。
 だれかの幸せは、だれかの不幸の上にある。
 だから、養母の栗原佐都子(さとこ)さんは、片倉ひかりさんに何度も謝りました。
 そしてふたりが立っている間(あいだ)に五歳の朝斗くんがいて、実母の片倉ひかりさんを「広島のおかあさん」と認識してくれます。
 「朝斗くん。ありがとう」今年観て良かった映画でした。
 片倉ひかりさんにとっては、長い道のりでした。


(過去の読書メモ記事から)
2016年1月10日記事
朝が来る 辻村深月(つじむら・みずき) 文藝春秋
 「朝が来る」というのは、こどもができない夫婦が、長いトンネルを通過するような体験を経て、最後に、特別養子縁組制度で、あかちゃんを家族に迎えた瞬間を指します。暗いトンネルを抜けて、朝が来たのです。40代栗原佐都子(さとこ)・清和さん夫婦は、養子としたあかちゃんに「朝斗(あさと)」と名付けました

 怖い話です。朝斗くんが幼稚園5歳になって、彼を産んだという女性が、栗原夫婦に迫ってきました。子どもを返してほしい。それがだめなら、お金が欲しい。さらに、読み始めてみると、その女性は、どうも、朝斗くんを産んだ女性ではなさそうなのです。夫婦からみて、「あなたはだれ?!」というスリルがあります。

 第一章、第二章とあって、そこが栗原夫婦の事情でした。今は、第三章を読んでいます。とても長い章で、170ページぐらいあります。第三章は、朝斗くんを産んだ14歳中学二年生片倉ひかりの事情です。

 この作品に限らず、この作者さんの作品を通して、読者に伝えたいメッセージのひとつに、母と娘の対立や葛藤があります。娘は、母親に対して、母親はわたしを理解してくれないと主張します。世間体を優先して娘のことを考えてくれない。
 わたしは主人公と違って、男性であり、成果が見込めるなら、嘘も方便という妥協型のためか、なかなかわからない潔癖な世界です。(作品中では、真面目で潔癖な家と表現されています)ですので、それを横においといて、これまでの感想を並べます。

 いつかは、映像化(ドラマ化、映画化)されるであろう作品です。(でも、読むのが一番いい。)
 メッセージとして、子育てにおいて親は、①筋を曲げない。②話し合う。③強い存在でいること。④性の話をあからさまに話せる親子・きょうだい関係を築く。などがあります。本作品イコール、性教育を無難に乗り越える教科書のようでもあります。

 特別養子縁組制度を巡るトラブルに関しては、法律で根拠があろうことから法律に従う手法で困難を乗り切ることが基本だろうと考えます。(肝心の法律を知りませんけど)
 コーディネーターの浅見さんがときおり登場しますが、まだ、本格的なものではありません。

(つづく)

 冒頭付近は、重苦しくて、読むのがつらかった。他の母親とのこどもをめぐるトラブルは、ちょっとおおげさかと思いました。ただ、ありえないことではありません。現実には、金で決着というよりも、互いに干渉・交流しなくなることが多い。
 展開は劇場的です。ここまで大きな騒ぎになるとは思えない。

 妊娠・出産した女子中学生側の立場をみて、両親がふたりとも教師という設定は、どうなのかな。教育のプロですから、失敗がないとは言い切れませんが、子を預けている親としては不信感や不安を抱くでしょう。
 中学生側の家庭は、被害者なのに、周辺の親族関係も含めて崩壊していきます。
 本来の責任は、避妊せず妊娠させた男性側にあるのに、男性側の一族はのうのうと暮らしています。そこが女子側の弱い立場になるのでしょう。男側に対する復讐があってもいいとさえ思わせてくれます。
 224ページ付近から続いていく実子との別れのシーンは、あまりにも悲しい。妊娠中、中学2年の片倉ひかりが「ちびたん」と名付けて話しかける胎児は親族内でなんとか育てていけないのかと思う。232ページ付近では、子どもって何だろう?!という気持ちにさせられます。泣けます。

 結婚したからといって、すべてのカップルに子どもができるわけではないと知ったのは、自分自身が結婚してからです。周囲にいる夫婦をみて、感覚的に、10組に一組は子どもができないような気がします。その人たちの苦しみは大変なものであろうと察します。
 自分自身、子育ては、気が遠くなるほどの忍耐の積み重ねと思いながらやってきました。いいことばかりではありません。子どもができないならできないで、運命として、そういう人生を歩んでゆくものと思ったことがあります。
 次に養子制度についてです。昔から、養子というものはたくさんありました。珍しいものではありません。身近です。
 本作品の中では、養子がこどものときから養子にあなたは養子であると教えておく。養子であっても、実子のように育てているという愛情を注ぐとあります。正解だと思います。隠さない方がいい。血がつながっていても、子どもがこの人は自分の親ではないと思えば親ではないし、血がつながっていなくても、子どもがこの人は自分の親だと思えば親です。

(つづく)

 308ページ付近、ヤクザの登場あたりから、特別養子縁組制度とは関係のない話になっていく。惜しい。予想していた展開とちょっとズレが生じている。もうひとつ、別のパターンがあった。テーマが、女性の一生、女性の生き方にすり替わります。女性を追求する物語に転換してしまいました。(のちに、作者にうまくしてやられる結果になります。)

 もう、残り5ページぐらいです。子を産んでさまよう片倉ひかりは、もう死ぬしかないなあと、読んでいても、行き詰まりです。読者も同感してしまいます。

 読み終えました。
 子どもは、社会全体で育てていく。
 いい作品でした。すばらしい。「朝が来る」のです。朝斗くんが柱になって、みんなを助けてくれました。   

2021年05月18日

どこからきたの? おべんとう 鈴木まもる

どこからきたの? おべんとう 鈴木まもる 金の星社

 きれいな絵です。書かれていることが、生き生きして輝いて見えます。
 表紙をめくると、食材とその運送手段の絵があります。それから昔風のお弁当箱の絵があります。

 小学校低学年のこどもたちが、学校の野外学習で外に出て、みんなでお弁当を開く時間が来たようです。
 昔風の木でつくられた楕円形のお弁当箱の絵があります。こどもたちが「これくらいのおべんとばこに……」という歌を習ったのは、こどもたちが幼稚園時代をおくったころでしょう。そんなことを思いました。自然と頭の中に曲のメロディーが流れ出します。
 おべんとう箱も最近は、化学製品がほとんどです。キャラクターが付いたものも多いです。

 もっと昔のお弁当は、おにぎりとおかずの卵焼きでした。お母さんがその朝に握ってくれたものでした。
 遠足に行くと、お互いのおにぎりを見せ合って、大きいとか小さいとか、おにぎりの形が丸いとか楕円形だとか話しながらいっしょに食べました。
 この絵本のおべんとうは、おにぎり、バナナ、アジフライ、たくあん、ミニトマト、ポテトサラダ、タルタルソース、ブロッコリーとコーンのマヨネーズあえということで豪華です。

 つぎに、各食材の流通経路とお弁当のおかずになるまでの紹介があります。そして、食材ひとつひとつについて同様の考察が続きます。
 かなり細かい説明で、今はもう見かけなくなりましたが、百科事典を読むようです。
 たまごやきのたまごは、めんどりが卵を産むところから始まって、おかあさんがフライパンで料理をしてくれるところまでいきます。流れ図です。

 ポテトサラダのことが描いてあります。さきほどのたまごは「養鶏場(ようけいじょう)」こんどは「ジャガイモ農家」です。以前、北海道に行ったときに広大なジャガイモ畑を見ました。まわりには、道路と畑しかありませんでした。レンタカーを借りて、ひたすらまっすぐな道を延々と走りました。

 おにぎりは「お米」です。「米農家」があります。機械化が進みましたが、昔は、家族総出で田植えや稲刈りをしました。中学一年生のときに稲刈りをしたことがあります。のこぎりの歯のようなトゲトゲが付いたカマを使って、イネの根元を握って切っていく作業でした。腰が痛くなりました。
 絵本ではお米に続いて、おにぎりをつつんでいるノリ養殖業者のことが描いてあります。
 日本各地、いや世界各地も含めて、おべんとうのなかに食材がつまっているのです。
 
 「漁業」があります。いろいろなおさかなの絵が魚の名とともに描いてあります。この絵本はこどもさんにとって楽しいものになるでしょう。新しい知識の提示があります。
 ぜいご:アジの尾に近い側面にあるトゲのようなウロコ
 アジフライを食べている男の子は、おいしそうに食べています。

 ミニトマトは「育てる」種から家族で育てたものです。
 ブロッコリーとコーンと続きます。
 なかなか細かい流れ図の内容です。
 たくあんは、だいこんからおばあちゃんがつくります。
 バナナはフィリピンあたりから大きな輸送船で海をこえて日本に届けられます。
 クモカリドリ:くちばしが長くて少し曲がっている。緑色。小さな鳩ぐらいの大きさか。絵本では、バナナの葉の裏に巣をつくると書いてあります。
 
 おべんとうばこやおべんとうぶくろの材料になっている板や布の説明もあります。
 この絵本では、お弁当箱の材料以外のことについても、昔と現在が、混在したように描いてあります。
 
 りくつっぽい内容ですが、こどもさんは興味をもつでしょう。
 
 絵の中では、お昼ごはんを食べたあと、こどもたちがボール遊びをしています。
 こどもは、勉強やスポーツができるとかできないとかいうことを横に置いといて、とりあえず、元気で生きていてくれればそれでいいと読み手の自分は思うのです。

 最後は親を敬う。(うやまう)親に感謝するのです。(おべんとうをつくってくれたおかあさんにありがという気持ちを伝える)

 この絵本を読んで、だれかがつくってくれたお弁当を食べるだけでなく、自分で自分好みのお弁当をつくって楽しめるようになれるといいですね。  

Posted by 熊太郎 at 07:11Comments(0)TrackBack(0)読書感想文