2021年04月30日

おぼえていろよおおきな木 佐野洋子

おぼえていろよおおきな木 佐野洋子 講談社

 サクラだろうか、モクレンだろうか。
 おおきな木があって、ちょっといじわるそうなおじさんがいます。
 おじさんは乱暴です。不満があって大樹を足で蹴り(けり)ます。
 自分にとって都合が悪いものは排除する性格のおじさんです。差別があります。
 秋になると大きな赤い実がなる木です。リンゴの木だろうか。
 描いてある絵は、こどもさんから見たら親しみやすい筆致(ひっち。タッチ)です。
 おじさんは、斧(おの)で大樹を切ってしまいました。
 失って気づくものがあります。人を失ったときも同じです。
 最近の孤独をよしとする風潮には疑問をもちます。
 人が生きていくときに必要なものは、水と空気、そしてコミュニケーションです。
 なにかひとつ相手に尊敬できるところがあれば、ほかのいやなことはがまんできるということもあります。
 絵本にリズムがあります。文章に一定の独特なリズムがあります。
 木を失うということは、自分を失うということ。
 切り株から、新芽は出ないのだろうか。
 おじさんにとって、後悔とか謝罪とか。
 そうか。
 よかった。  

Posted by 熊太郎 at 07:24Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2021年04月28日

おれはねこだぜ 佐野洋子

おれはねこだぜ 佐野洋子 講談社

 おとなびたちょっと反抗期であるようなねこの絵です。
 心がひねくれたようなねこの好物は、お魚のさばだそうです。
 ねこのぼうしに何かがぶちあたりました。
 えッ?!
 おもしろい! ネタバレになるので、何が飛んできたのかはここには書きません。
 ページをめくって、ますますおもしろくなりました。こどもさんにうけるでしょう。
 愉快です。
 今年読んで良かった一冊です。
 これからどうなるのだろう。
 うぉー すごい。
 こわい。
 これは、終わりのない物語です。ぐるぐるぐるぐる。
 1993年初版の絵本でした。  

Posted by 熊太郎 at 06:57Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2021年04月27日

まんげつのよるに 木村裕一・作 あべ弘士・絵

まんげつのよるに 木村裕一・作 あべ弘士・絵 講談社

 シリーズ「あらしのよるに」の第7話でこれが最終話です。
 第6話で雪崩に飲み込まれたオオカミのガブはどうなったのか心配です。
 ガブは物語の主人公ですから必ず生きているはずです。
 ほら生きていました。よかった。
 えッ?! なんとそれはヤギのメイの夢でした。

 二匹の思い出の回想が続きます。
 
 「命」について考える物語です。

 そして「満月」へのこだわりがあります。
 そういえば先日読んだ「はてしない物語」」ミヒャエル・エンデ作品でも月にこだわる部分がありました。なぜ、こども文学作品の創作者たちは「月」にこだわるのだろう。月に引き寄せられる魅力があるのでしょう。

 さて、ヤギのメイのともだちの相方であるオオカミのガブはどうなったのか。

 失礼ながら、ページをめくったときに、ブタの絵と見えました。ブタではなく、ヤギのメイでした。よーくみるとやっぱりヤギで、生き生きとした絵でした。衝撃があってなかなかいい絵です。

 生きていなければいけません。死んではだめです。本には「いきて はたさなければ ならない やくそくが あるかのように。」と書いてあります。

 オオカミが出てきたのですがようすが変です。どうしたんだ。現れたオオカミは、ガブではないのか。
 ガブは、雪崩に巻き込まれて頭を打って、これまでの記憶を失ってしまったのですね。
 そうか…… すごい展開になってきました。ガブがメイを食べてしまいそうです。「だまれ、おまえは ただのえさなんだよ。」と書いてあります。ヤギのメイを救わねばなりません。

 なんだか、人間の男と女みたいです。ガブはDV男になってしまったのか。

 メイは、ガブに食べられて、ガブの体の中で存在するという結末なのか。むかしそんなふうな小説を読みました。クローン人間の話で「私の中のあなた」ジョディ・ピコー作、早川書房でした。

 そしてお話は「あらしのよるに」戻ります。物語の最後は最初に戻ることが基本のひとつです。

 あの日あの時あの場所で、あなたという人と出会わなければ、こんな不幸な境遇には、ならずにすんだのにと考えるのか、あるいは、それでもあれはあれで自分にとってはいい思い出なのですとふりかえるのか。
 幸せというものの選択肢が目の前にあります。何が幸せなのかは、自分の気持ちの持ちよう次第という結論に達するのですが、まとめると、人それぞれの感じ方ということで終わります。
 気が合う人というのはなかなか見つからないものです。
 よかった言葉として「ここまで きたら いく ところまで いってみますか。」
 感動的な終わり方でした。一本の映画を観終えたような感覚が心に広がりました。今年読んでよかった一冊でした。  

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2021年04月26日

ふぶきのあした 木村裕一・作 あべ弘士・絵

ふぶきのあした 木村裕一・作 あべ弘士・絵 講談社

 「あらしのよるに」シリーズの第6巻です。
 まるで太宰治氏の入水心中事件(じゅすいしんじゅうじけん)のようです。オオカミのガブといっしょに飛び込んだヤギのメイの姿が見つかりません。
 ページをめくって、メイは生きていました。よかった。まずは、生きていることが大事です。
 友情を超えた愛情によるふたりの逃避行です。そういえば昔そういう歌謡曲がはやったことがありました。「逃避行」麻生よう子さんが歌い手だったと思い出します。だんだんくわしく思い出してきて、あの曲は逃避行の相手が来なくて結局ひとりで旅立ったという内容で、この絵本の話とは異なっていることに気がつきました。
 オオカミ軍団に追われているふたりです。みつかりそうになったとき「ここに……かわいい はなが さいているぞ。」の部分で笑いました。野蛮そうで相手を脅かしそうな(おどかしそうな)オオカミもきれいな花は好きです。
 オオカミのガブとヤギのメイは、お互いのために別れるしかないような展開です。
 されど、愉快です。押したり引いたりのかけひきが続きます。男女の仲は不可解、不条理、不合理、それでも成立するのは感情があるからでしょう。
 オオカミのガブは、逃げていて、食べ物がなくて、困り果てました。オオカミのガブは、連れ合いのヤギのメイを食べてしまうのか。ヤギのメイは、自分を食べてあなたは生きてみたいなほろりとくる恋愛劇のようになってきました。ドラマチック(劇的)です。
 ガブは話し相手としてメイがいつまでも自分のそばにいてほしい。
 すごい展開になってきました。オオカミのガブが雪崩(なだれ)に巻き込まれてしまいました。さて、次はどうなる。最終巻です。  

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2021年04月25日

わすれられないおくりもの スーザン・バーレイ

わすれられないおくりもの スーザン・バーレイ 小川仁央(おがわひとみ)・訳 評論社

 1986年初版の絵本です。
 アナグマ:写真で観るとタヌキみたいな顔つきに見えます。タヌキのお顔を伸ばしたみたいな表情です。
 
 お年寄りのアナグマが亡くなるのです。
 寿命がくれば死ぬことがわかっているので、生きているうちから、自分が死んだあとも、自分が生きていた証拠を残しておきたいという希望を、だれしもがもっています。
 モグラがいて、カエルがいます。
 絵本の絵は緻密(ちみつ)です。
 アナグマはアナグマというよりもモグラのようです。
 キツネがいます。
 アナグマはあの世の世界へと旅立っていきました。
 
 みんなの記憶のなかにアナグマのことが残ります。
 ウサギもいます。
 アナグマが遺した技術があります。
 切り紙細工、スケート、ネクタイの結び方、料理、知恵や工夫の伝承があります。あとの世代への知識や技術の継続です。教育でもあります。
 擬人化してありますが、人間の話です。
 大人が読む絵本かも。
 だれかをあの世へ見送ったという読後感があります。  

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2021年04月24日

浅田家 日本映画DVD

浅田家 日本映画DVD 2020年公開

 お父さんが亡くなったシーンから始まり、過去への回想シーンに戻り、最後にお父さんが亡くなったシーンに戻るという過程の中で、浅田家の家族の話が半分、そのあと東日本大震災に見舞われた東北のとある町の話が半分という構成です。

 始まってしばらくはなんだかなあという雰囲気です。
 だらしない二男の生活が起承転結の起の部分です。
 ありがちな家族の風景です。お互いの会話がない部分もあります。意思疎通不足です。
 喫煙シーンは不快です。もういいかげん日本映画は、喫煙シーンで感情表現することを卒業してほしい。日本映画界が、時代の流れから置き去りになった小さな社会のように見えます。

 「浅田家」という家族の看板を掲げて、写真家が「家族」のありかたについてこだわる映画です。

 伏線として、カメにコオロギを与える。それから、腕時計があります。そういえば、わたしも、子どもの頃に病気で死んだオヤジの形見が腕時計でした。家のどこかにあると思いますが、どこにあるのかもうわからなくなったほど歳月が過ぎました。

 二男が撮影した写真の写真集がなかなかうまく書籍化できないのは、固定観念(これはこうだという思い込み)や既成概念(一般的な考え)にとらわれて、出版社の担当者がヒットのチャンスに気づけないのでしょう。また、毎月給料がもらえるサラリーマン生活を送っている担当者の目にはとまらないのでしょう。ヒットする作品探しよりも、自分の給料安定のほうが優先です。異例なことをして、失敗はしたくないのでしょう。

 やはり苦労したあとには、成功があってほしい。
 うれし涙があってほしい。

 七十歳である父親のあいさつが良かった。「今日は息子を自慢したい」「昔も今も私の生きがいは家族であります」

 映画を観ながら『時間』のことを考えました。真実として、『時間』は、自分の命の終りに向けて、刻一刻(こくいっこく。一分一秒たちながら。しだいに)と進んでいます。自分のまわりにいる人たち全員についても同様です。そして、たとえば、二百年後には、いま存在している人たちは全員が地球上からいなくなります。だから生きている『時間』を大切にしたい。

 映像の中で父親役の平田満さんを見ながら、みんなが歳をとったなーと実感が湧きました。平田満さんが出演していた作品『蒲田行進曲』を若い頃に、繁華街にあった映画館で観たことを思い出しました。この映画に出ている母親役の風吹ジュンさんが若かった頃の映画も駅前の映画館で観ました。共演していた松田優作さんは、とうの昔に亡くなりました。街中にあった映画館もたくさん消えていきました。

 中盤は、シーンの積み上げ方がどうかと首をかしげました。観ている観客を泣かそうとする筋立てですが、うまくいっているようには思えませんでした。

 ラストに向けて、海です。
 もしかしたら津波の体験者は、海が怖いかもしれない。

 ラストはおもしろかった。笑いました。