2021年05月17日

自転しながら公転する 山本文緒

自転しながら公転する 山本文緒 新潮社

 58ページあたりを読み終えたところで感想を書き始めてみます。全体で、478ページある作品です。
 男性の自分が読むのには場違いかなと感じながら読んでいます。恋愛小説のようです。
 冒頭は、ベトナムでベトナムの恋人と結婚式を挙げる直前シーンから始まります。その後、過去の出来事にシーンは移ります。世界的に、地球規模で動くから、自分が自転しながら、太陽のまわりを公転するという意味合いのタイトルに思えます。

 主人公は、与野都さん32歳で、茨城県牛久市(うしくし)にあるショッピングモールのアパレルショップ(おしゃれ衣料品店)「トリュフ」で店員をしています。彼女は、同じショッピングモール内にある回転寿司屋で働いている羽島貫一と付き合い始めます。(彼はあとで年齢30歳の年下だと判明します)
 与野都さんは、美人ではない。ファニーフェイスだそうです。(個性的で魅力的な顔立ち)丸顔、離れた目、小さい鼻は上を向いている。そばかすあり。だけど、可愛くないわけではない。前の彼氏はひとまわり年上だった。
 与野都さんの母親は更年期障害で少々うつ気味で体調が悪いという事情をかかえています。更年期障害なのでホルモンの話が出てきます。女性ホルモン、男性ホルモン。
 ベトナムの話はまだ出てきません。

 女子卓球部員だったときの仲間との飲み会があります。恋愛、既婚・未婚、共働き、そんな、女子の世界です。
 小島そよか:一つ年下の小学校から高校まで一緒の幼なじみ。与野都と同じ団地に住んで家族ぐるみの交流があった。(あとでわかりますが、五歳年上のバツイチの男性と付き合っている)文具メーカーの営業職。
 絵里:飲み会の幹事役

 コロニアルスタイルの中庭:植民地様式。建築様式。植民地を管轄する本国の様式の模倣
 ホーチミン:ベトナム戦争時の南ベトナムのサイゴン
 ソイラテ:豆乳を使ったコーヒー飲料
 ギャザー:布のひだ。
 フランネル:柔らかい毛織物
 ツイード:イギリス、スコットランドの毛織物
 ジレ:ベスト、チョッキ
 ニットレギンス:下半身を包むようにはくもの。ニットは編み物。
 ファアアイル模様:古典的な柄。イギリススコットランド発祥。
 レッグウォーマー:ぶ厚い靴下
 アンクルブーツ:足首からくるぶし程度の浅いブーツ
 森ガール:森にいそうな女の子(空想)をイメージしたファッション。ゆるい。ふわっとしている。
 不定愁訴(ふていしゅうそ):原因がわからない体調不良

 ベトナムの暮らしを表す良かった表現の趣旨として、「おしゃれなんかしないで、化粧なんかしないで、こういうところで働いて、こういうものを食べて日々暮らしたい。(日本の)ちょっとでもしくじったら、揚げ足をとってくる。顔だけは笑っている狭量な人々に囲まれて生活する感じ……」

 金色夜叉(こんじきやしゃ):尾崎紅葉の新聞連載小説。1897年(明治30年)-1902年(明治35年)貫一とお宮の恋愛話。

 マーチャンダイザー:商品の合理的な流通管理を担当する職

 ベトナム人筑波大学留学生回転寿し店でアルバイトをしている「ニャンくん」この恋愛物語の鍵を握る人物になりそうです。ニャンくんのお兄さんが近くでベトナム料理店「ホイアンカフェ」を経営しています。ニャンくんの実家はベトナムではお金持ちらしい。

 バインセオ:ベトナム家庭料理。ベトナム風お好み焼き。
 コンサバ服:保守的な服装。お嬢さまスタイル。

 洋服業の内輪の話なので、研修材料のようです。衣類に興味がある人には楽しいお話でしょう。

 尾崎紅葉作品「金色夜叉(こんじきやしゃ)」の登場人物貫一お宮のことがたびたび出てくるので、このお話に関連がもたせてあるかもしれません。恋愛中の裏切りです。

 74ページに羽島貫一の言葉として「そうか、自転しながら公転してるんだな」が出てきます。天の川銀河(あまのがわぎんが)には2千億個もの恒星(自ら光るガス体)があるそうです。びっくりしました。

 柏(かしわ):千葉県柏市のこと。
 ガウチョ:南米の民族。ファッションでは、ガウチョパンツ。すその広がったゆったりした短めのパンツ。

 正直言って、読んでいて、与野都の生活はだらしないと感じます。羽島貫一との交際は、なんとかごっこみたいなもので、中身がありません。異性がアクセサリーのような存在です。生活にめりはりがなく流されています。
 与野都は、真剣に働いているとも思えず、仕事ぶりもいまいちな感じがすると読んでいたら、新しい上司の男性東馬(とうま)さんから仕事のことで、厳しい指摘が出ました。当然だと思いました。

 プルオーバー:あたまからかぶる服
 アウトレット店:メーカー品、高級ブランド品を低価格で提供する。
 プロパー店:値引きしない店。
 ロシアンセーブル:ロシアでとれる高級毛皮。動物は「黒テン」
 
 親の介護をこどもに押し付けられてもこどもは困るような気がします。(この件は後半に改善されます)

 秀逸な文章が続きます。要旨として「仕事にも行きたくないし、家にも帰りたくない。新しい恋人は優しくないわけではないが、何も考えていなさそうだ。父親がいうには未来の無い男だ。(その後、恋人の男は職を解雇され、中卒で無職の立場になります。ヤンキー経験者で、年上女性志向の甘えん坊に見えます)」されど「(だれかと)結婚はしたい。そうしないと両親が死んだあと兄弟姉妹のいない自分はひとりで年老いていくことになる」

 職場の上司やバイトの悪口を書く匿名の社員のブログがあります。
 シニカル:相手を馬鹿にした冷笑、皮肉

 プレス:服飾業界の広報・宣伝担当

 与野都さん三十二歳独身(母親がメンタルの病気っぽい、父親が不機嫌。恋人は飾りのようなもの)の一人称ひとり語りで、彼女の心情が読み手の心に迫るように綴られて(つづられて)います。
 読んでいて、なんだかせつなく、わびしくなってくる彼女の暮らしぶりがあります。
 
 シフォン:スポンジケーキ

 こんどは、作家が主人公与野都さんの母親与野桃枝さんにのりうつるようにひとり語りを始めました。与野桃枝さんは、更年期障害でうつ的な気分に苦しんでいます。
 胸にズキンとくるフレーズが続きます。「(結婚前の夫の態度が)どことなく偉そうなのは、自信のなさの裏返し…… 圧迫してくるくせに甘えてくる」「この人ではない人と結婚したかった……」「(小学校のPTAで知り合った樫山時子は)べつに友達じゃない」
 
 ボルテージが上がる:熱気が高まる
 ホットフラッシュ:更年期障害の症状。上半身ののぼせ、ほてり、発汗
 カトラリー:食卓の時のナイフ、フォーク、スプーンなどの一式
 
 与野さんの家の三人家族はお互いにいろいろと隠し事がありそうです。隠し事をするとお互いに苦しくなります。小説になります。

 ふだん表面には見えないけれど、どこの家でもなにかしらうまくいかないことを抱えています。そんなことをあぶりだす小説です。好き嫌いが分かれるかもしれません。

 オーベルジュ:土地の食材を使った料理を提供してくれる宿泊施設
 寛ぐ:くつろぐ

 羽島貫一が震災ボランティアをしていたと自分の人間性の良さを強調するけれど、それは自己申告であり、内容がともなっていたものかどうかの事実はわかりません。
 羽島貫一はなぜよく寝るのだろう。なにか理由があるはずです。病気かもしれません。
 
 ベトナム戦争のことを知らない世代が増えました。1965年(昭和40年)~1975年(昭和50年)
 ベトナム人留学生のニャン君は、なかなかいいことを言います。「経験はお金では買えない……」
 土浦市:茨城県。人口約14万人。湖である霞ヶ浦の西部に位置する。
 
 ローストチキンのパテ:肉を細かく刻んで、ペースト状、ムース状に練り上げたフランス料理

 男から見ると、羽島貫一(三十歳)は、結婚にあせっている年上女性(三十三歳になった)与野都を自分にとって都合のいい女性というような扱いで、もてあそんでいるようにしか見えません。彼には結婚する気持ちはないでしょう。彼は結婚するなら若い女性を選ぶでしょう。
 けっこうきつい面がある小説です。
 無職でお金がないのに、ひと箱460円のたばこを吸う羽島貫一は、優しくておもしろい人かもしれませんが、生活能力が低い男性です。彼と結婚していっしょに暮らすのはしんどい。いっしょになれば苦労を伴います。

 刹那的(せつなてき):あと先のことを考えない。今、この瞬間が良ければそれでいい。
 葛根湯(かっこんとう):漢方薬。くずの根などが入っている。
 忌憚のない(きたんのない)意見:相手を怒らせてしまう失礼に当たるかもしれないが、(いいものをつくるために)遠慮のない意見
 料簡(りょうけん)が狭い:考え。思慮。
 下種:げす。心の根っこが卑しい(いやしい。下品。劣る(おとる))
 
 戸籍をいっしょにしない結婚とか、こどもをつくらない結婚の話がでます。いっときはいいと思いますが、人間はだんだん老いてきます。状況が変化してきます。いつまでも若いままではいられません。それでもいいのならとめませんが、やはり、法令に守られて暮らしていかないと幸せを身近に感じられなくなりそうです。

 与野都さんの友人女性のすごい発言が飛び出しました。「相手を取り替えるべきだと私も思います」

 なかなかいい文節が続きます。「公園はなんかー、意識高い系のママばっかで、うるせーんですね」「下にいて、上の人にあれこれ文句を言うのは得意でも、(自分が上の立場になるとボロボロになるというくだり)」「お洒落(おしゃれ)な人は狭量(きょうりょう。人を受け入れる心が狭い。同様に、グルメの人も狭量)」「他人の気持ちがわからない人なのに、外見だけは優れている」「蘊蓄(うんちく)うざい」どれもこれも素敵です。

 小説の舞台に出てくる静岡県の熱海には長い人生の間で年齢を変えながら何度か訪れたことがあるのでなつかしい。

 契約社員:期間限定の非正規雇用
 ナチュラル系の服:柔らかく、優しく、ふんわり、女性らしい、自然にとけこむような。
 問い質される:といただされる。疑問・不審なことを納得するまで質問される。真実を言わせるために厳しく追及する。
 拘る:こだわる。
 おためごかし:人のためにするようにみせかけて、実は自分の利益のためにすること。偽りの親切。
 拝金主義:はいきんしゅぎ。お金がこの世で最高のものとして崇拝すること。
 怯んだ:ひるんだ。
 原理主義:基本的な原理・原則を守ろうと努力する考え方・姿勢・態度
 獰猛:どうもう。
 
 最近は、セクハラに厳しい世の中になってよかった。昔はひどかった。
 
 やっぱりなあという気分になった312ページ付近です。あたりまえのことをあたりまえにやらないと組織は崩壊します。

 セクハラをする人は、生まれながらに脳にそういうことをしたいという性的な性質をもっていて治らないからセクハラ行為を繰り返す。やっかいなのは、成績優秀で権力を握っている人にもそういう人がいて、その人に人事権のようなものを握られている人間は逆らいにくい(さからいにくい)。逆手(さかて)をとって、その人を嵌める(はめる。計略にかける)という行為で、自分が利益を得るために相手を脅迫することができてしまうということもある。そんなこんなを小説やドラマの素材にすることができます。

 一般的に、長い人生を送ってきて、人が人生を振り返って思うことがあります。人生において、いらなかったかなあと思うものです。「生命保険の保険料」「アルコールとニコチン」そして「学歴」です。この小説では、「学歴」にこだわりがあります。昔の人は中卒の人が多かった。地方出身者は、中学を出て都会に来て、住み込みで働いて、就労先で疑似家族のようにして技術を身につける修行をしました。学歴はなくても何十年と同じ仕事をして、働き続けて財産をつくりました。
 なぜ中卒の羽島貫一がこの本のタイトル「自転しながら公転する」のうんちくをしゃべることができるのか疑問でしたが、後半でその理由が判明します。

 女性が職場で生き抜くための勇気を湧き出す小説です。本音で生々しい真剣な激論が続くことが、この小説の特徴です。

 羽島貫一は、優柔不断で、自分で決心して意思表示をしようとしない男です。相手に物事の結論を出してもらうように誘導して、自分の責任を回避しようとする手段をとる男です。

 なんだか離婚を決断したときのような女性の言葉が出ます。「この人がいなくなっても生きていける!」
 天啓(てんけい):天の導き、神の教え。
 連帯:共通目標を互いに認識して、つながって目標達成のために行動していく。
 諍い:いさかい。
 憐れまれる:あわれまれる。かわいそうにと思われる。
 
 ベトナム人ニャン君とのことは、なにか夢のようなお話です。
 お金の力、外国人に負けている日本人の今の財力、物語全体が「貫一・お宮」のお金がらみの話だったのか。(お宮は、婚約者である貫一を捨てて富豪に嫁ぐ)
 与野都さんは、また、ニャン君にいいように利用されているように見えます。彼は与野都さんの可愛らしい外見と大きな胸が好きなだけです。日本人と結婚して、日本人とのパイプをつくって、自分の仕事に生かしたいだけです。
 日本人は年齢よりも外見が若く見えます。世の中は誤解ばかりで、誤解で成立していることもあります。
 三十代なかば独身女性のみじめさが表面に出てしまいました。
 「恋愛しないと時間ってあるね」いい文節です。
 
 ペペロンチーノ:イタリア料理。パスタ。

 なんだか方向が違うほうにいっているような気がして読んでいましたが、いや、最初からの計画通りの展開だとわかりました。
 読みながらぼんやり考えたことです。『(勉強とかスポーツとか技術とか)できる人はできない人の気持ちがわからない。自分ができることは人もできるはずだと勘違いしてしまう』
 与野都さんの素直な気持ちとして「自分には人の痛みに寄り添う気持ちが欠けているのかもしれない」
 
 舞台として出てくる広島には何度か行ったことがあるので、読みながら風景が目に浮かびます。
 災害ボランティアという言葉は、昔は聞いたことがありませんでした。1995年の阪神淡路大震災からのような気がします。
 読んでいて、先日観た日本映画『浅田家』で、津波で被災された方たちが残されたアルバム写真を洗うシーンを思い出します。
 ハウスマヌカン:商品を着て店頭に立つ販売員
 ふつう、保険証は持ち歩くものだと思います。

 山葵:わさび

 エピローグの最初はわかりにくかった。
 小説は、不思議な終わりかたをしました。
 「今どきの子はお試し期間を設けて急には結婚しないものなんじゃないの?」(そうなのか)
 煌びやか:きらびやか。

 ツッコミどころは多いのですが、なかなか読みごたえのあるいい小説でした。今年読んで良かった一冊です。

(その後)
 たまたまこの本とは関連がないものを探していたら、偶然、貫一お宮の像と松の木の写真が出てきました。もうこの写真があることも忘れていました。撮影したのは30年ぐらい前です。


  

Posted by 熊太郎 at 07:12Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2021年05月15日

みずをくむプリンセス

みずをくむプリンセス スーザン・ヴァーデ・文 ピーター・H・レイノルズ・絵 さくまゆみこ・訳 さ・え・ら書房

 アフリカで水道設備がないので、水がある場所まで水をくみにいく不便さを教えてくれる絵本です。
 ジョージ・バディエルさんという女性の体験がもとになってできたお話だそうです。
 ジョージ・バディエルさんは、現在は世界で活躍するファッションモデルですが、こどものころは、西アフリカのブルキナファソという国で、水くみの体験をしたことがあるそうです。
 ジョージ・バディエルさんは、水くみの作業がたいへんだったので、いまは、「井戸」をつくる運動をしているそうです。
 この絵本では、主人公がプリンセス・ジージーという女の子です。主人公のもとになっているのがジョージ・バディエルさんなのでしょう。
 
 この絵本を読んだ日本のこどもたちは、遠いアフリカにある国は水道がない不便なところだと思うでしょう。しかし、六十年ぐらい前の日本の地方でも水道設備がなかったところはたくさんありました。
 日本は、急速に都市化が発展したので、あとから生まれた世代はそのことに気づけません。1960年代後半でも水道設備が完ぺきに施されていたという記憶がありません。
 自分がこどものころには、この絵本と同じく、山へ湧き水をくみに行って、自宅のコンクリートのかめにためていた体験があります。また、井戸もありました。農家の庭には大きくて深い井戸がありました。また、集落では、手押し式のポンプで水をくみ上げる井戸がありました。水道ができても集落に1本で屋外にあり、住民みんなで使用していました。だから、水道の蛇口がある近くには人が集まりました。今となっては、忘れかけている昔の日本がありました。

 この物語では、主人公のことを「プリンセス」と書いてあるので、王女さまだと思っていましたが、読んでみると、王国の王女さまのことではありませんでした。主人公の女の子のお名前は「ジージー」です。なんとなく日本語だとおじさんを思い浮かべてしまいます。
 「プリンセス」というのは、ジージーの優しいママがジージーを呼ぶときにつけるニックネームのようなものです。「プリンセス・ジージー、おきる じかんよ。みずを くみに いきましょう」と朝になるとママがジージーに声をかけてくれます。
 アフリカの女性だから、ヘアスタイルが独特です。髪の毛がぐるぐる巻きで、頭皮が見えている部分もあります。お国柄です。国が違えばファッションも異なります。
 風景はなにもない砂漠のようなところに見えますが、砂漠のような砂地ではなく、アスファルトやコンクリートほそうされていない土がむきだしのところなのでしょう。高い建物がないし、夜のネオンサインもないので、夜空を見上げれば満点の星が広がっています。不便だからといって、悪い事ばかりではありません。日本の都会の繁華街では見ることができない夜空です。

 『水』は大切です。人間が生きていくために必要なものは、『水』と『空気』と、そして『コミュニケーション(人とのつながり)』です。

 お話を読んでいて、水をくみにいくのはたいへんなので、水を家までひけばいいのにと思ってしまいます。深く考えると、現地の人はこの作業を楽しみにしている部分もあるようにうけとれるのです。みんなとわいわいやれる楽しみみたいなものがあるのではないだろうか。『時間』はあって、もしこの作業がなくなったら、することがなくなって、時間をもてあましてしまうのではないだろうか。
 今年は、俳優の田中邦衛さんが亡くなられましたが、田中邦衛さんが出ていた『北の国から』というドラマでは、お父さんと小学生の兄と妹の三人が、北海道で、水も電気もガスもないところで生活を始めます。しばらくたって、集落のみんなが手伝ってくれて、自宅までといを使って水をひきます。そんなシーンを思い出しました。昔の日本の地方ではそういうことが多かった。今もそうしてつくった自家製の水道を使って暮らしている人はいると思います。

 ティアラ:頭にのせるかんむり。調べてわかりました。ジージーは、かんむりの代わりに水が入ったつぼを自分の頭にのせて運ぶから『プリンセス・ジージー』なのです。

 絵は、暑そうです。アフリカだから熱い国のイメージがあります。
 
 カリテ:絵本にはカリテという大きな樹木が描いてあります。木の上のほうは葉っぱがたくさん茂っています。

 一回水をくみにいって帰ってくるのにどのくらいの時間がかかるのかは書いてありませんが、かなり長い時間がかかりそうです。
 水を頭の上にのせて働いているのは女の人ばかりです。男子はどこに行ったのだろう。狩りだろうか。されど、今の時代に狩りはしないような気がします。農業とか、昔の日本だと、地方から都会への出稼ぎがありました。
 そして、なんとなく男尊女卑の気配があります。

 どろのまじった茶色い川の水は、そのままでは、飲食用にもお洗濯にも使えないと思います。どろをとりのぞくろ過が必要ですし、水の中に微生物のばい菌や虫の卵がいると内臓に悪いので、熱をとおして殺菌しなければなりません。

 やっぱり、おとうさんは、畑から帰ってきました。

 今はコンビニやスーパーでペットボトル入りの水が売られています。
 昔は『水』を買うなんて考えられませんでした。
 アフリカの人から見たら、日本人の暮らしは、この世の天国にいるように見えるのかもしれません。あるいはぜいたくすぎると思うのかもしれません。

 本のあとがきを読みました。
 物語の舞台にあるアフリカの土地では、上下水道設備をつくるのではなく、井戸をつくるという解決策に取り組んでおられます。
 ジョージ・バディエルさんが押している手押しポンプの大きさは、アフリカ製のほうが大きいですけど、昔見た日本の手押しポンプと同じ仕組みに見えます。
 たぶんアフリカだけじゃなくって、世界の各地で、まだ水がきちんと供給されていないところもたくさんあるのでしょう。これから徐々に人々の暮らしが良くなっていくことを願っています。  

Posted by 熊太郎 at 07:22Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2021年05月14日

おともだちと なぞなぞ1・2年生 本間正夫・作 幸地重季・絵

おともだちと なぞなぞ1・2年生 本間正夫・作 幸地重季・絵 高橋書店

 ちびっこたちへプレゼントします。
 リサイクルショップで見つけました。
 二冊あるのですが、どういうわけか、書名も作者も同じです。発行年が違います。2008年と2016年です。全体に目を通したら、2008年がベース(下地、基礎)になっていて、2016年は絵がカラー化してあります。問題は同じものが多い。

「サイコロえあわせ」
 最初はどうやって解けばいいのかわからず、意味もわかりませんでしたが、答を見てわかりました。仲間集めゲームでした。そういうことかと納得しました。

「かおのなかでかくれんぼ」「くっついちゃったぞ」
 なかなかむずかしい。

「まちがいさがし」
 とくにむずかしい。左右の同じような絵を見て、相違点を指摘します。
 まちがいが五か所あるうちのいくつかはわかりますが、五か所全部はピックアップできません。老眼で見えない。とほほ。

「からだのふしぎ」「くっつかないと」
 とんちクイズで一休さん(いっきゅうさん)みたいです。
 おもしろい。

「サーカスは大さわぎ!」
 上手につくってある言葉遊びです。  

Posted by 熊太郎 at 07:07Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2021年05月13日

そのときがくるくる 作・すずきみえ 絵・くすはら順子

そのときがくるくる 作・すずきみえ 絵・くすはら順子 文研出版

 「そのとき」とは、どんなときなのでしょう。そんな疑問をもちながら読み始めます。
 最初のページに、野菜のおなすの絵が描いてあります。
 出だしがおもしろい。『けさは、ぐじゅぐじゅしたやつに おいかけられて、のみこまれちゃうゆめで、目が さめた』おばけのお話でしょうか。
 主人公は、たくま。小学一年生で、もうすぐ夏休みが始まるそうです。
 たくま:食べ物で、なすがにがてです。学校は大好きです。
 まい:クラスメート。なすが食べられないたくまを心配してくれます。にがてなものは、かぼちゃです。
 さき:クラスメート。さきも、なすがきらいです。
 けんご:クラスメート。なすは好きです。
 りょう:クラスメート。体も声も大きいらんぼうもの。ちょっとこわい。だけど、りょうも、なすがにがてです。
 たくまは、なすが、にがいといいます。にがいかなあ。
 たくまとりょうは、給食に出たなすを食べることができなくて、いつまでたっても食事が終わりません。
 そこの部分を読みながら自分が小学二年生ぐらいだったころを思い出しました。おみそ汁の中に入っているワカメがにがてでした。
 給食時間中に食べることができなくて、給食時間のあとも、もうひとりのワカメがにがてな男の子と黒板の前で正座をさせられて、涙をにじませながらワカメを食べようとしていました。
 ワカメのぬるぬるした感触が嫌でした。食べ物を残すと、もったいないとしかられる時代でした。でもやっぱりふたりとも、ワカメをのみこむことができませんでした。体罰には、はんたいです。できないことはできないのです。
 そのときは、ワカメを食べることがにがてでしたが、今はにがてではありません。いつから、にがてじゃなくなったのかは覚えていません。
 それから、給食に出る「チーズ」もにがてでした。せっけんを食べているような味がしていやでした。それでも体が成長するにつれて、チーズも、にがてではなくなりました。チーズケーキも食べることができます。チーズをおいしいと感じることができるようになりました。
 この本のタイトル「そのとき」というのは、そういうときのことをいいます。いまは、できなくてもだいじょうぶなのです。しぜんに、できるようになるときがきます。

 たくまくんのおじいちゃんとおばあちゃんが、たくまくんに、「そのとき」がくることを教えてくれます。
 『いまはきらいでも、おいしく思えるときがくる』
 たくまくんは、おじいちゃんたちといっしょに野菜をつくる世話をします。なすやきゅうりを収穫します。
 年配の人たちは、こどものころに農作業の体験をしたことがある人が多い。日本人の大半は、昔は農家をしていました。祖先をさかのぼれば、農業の家系につながる人が多い。
 39ページにある野菜の絵がきれいです。なす、プチトマト、とうもろこし、きゅうり、左下の絵がなにかわかりにくいのですが、ピーマンのような気がします。どれもおいしそうです。とくに、とうもろこしがおいしそうです。
 夏休みなので、おじいちゃんとおばあちゃんの家に遊びに行ったたくまくんです。よるごはんのときに、れんこんも出ました。てんぷら、サラダ、いためもの。新鮮野菜のごちそうです。
 おばあちゃんは子どものころ、おさしみがにがてだったそうです。いとこのみっちゃんがおいしそうに食べるのを見て、自分も食べられるようになったそうです。
 おじいちゃんも昔は、なすがきらいだったそうです。もしかしたら、たくまが、なすがきらいなのはおじいちゃんからの遺伝かもしれません。
 おじいちゃんは、おばあちゃんと結婚して、おばあちゃんがはりきって、なす料理をつくってくれたので、いつのまにか、なすがおいしいと思えるようになったそうです。
 たくまのまわりにいる人たちが、やさしくたくまを見守ってくれています。まわりにいる人たちは、たくまにとっての財産です。

 パパやママはあまり出てこない物語でした。むかしむかしで始まる物語もそうです。パパやママは仕事で忙しいので、じじやばばが孫の子守りをしていました。
 こどもさんのすこやかな成長を願う、心優しい物語でした。  

Posted by 熊太郎 at 07:29Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2021年05月12日

太川・村井のバスVS鉄道対決の旅 熊本城から長崎県平戸城

太川陽介・村井美樹の路線バス対鉄道乗り継ぎ対決の旅 熊本城から長崎県平戸城(ひらどじょう) テレビ番組

太川陽介鉄道チーム:高山一実(たかやま・かずみ 乃木坂46) とにかく明るい安村
村井美樹路線バスチーム:中井りか(NGT48) 岩橋良昌(プラスマイナス)

 いつもと違う雰囲気で進行しました。指摘があったようで、太川陽介さんも村井美樹さんも態度が柔らかい。
 最終的にはバラエティであり、楽しくやりましょうですから、心身を追い込んでケガをしたり、病気になりそうなほど、きつい仕事をされなくてもいいと思います。厳しさとは優しさです。ときにあきらめて一歩下がることも身を守るためには大事です。元気回復できたらまた攻めればいい。
 今回も十分楽しめました。太川陽介さんチームが勝って、五分五分の勝敗になりました。
 この番組は、健全なところが気に入っています。

 長崎の西海橋東口だったと思いますが、バス停で、おそらく六十代である同年輩の太川陽介さんと女性の方がLuilui(ルイルイ)と手を振ったシーンが良かった。リアルタイムで太川陽介さんの若い時を見ていた人にとっては心が温まりました。きっと、この仕事はやりがいがあると太川陽介さん自身も再認識されたと思います。六十代の人たちのこれまで歩んだ人生が伝わってきます。

 太川陽介さんは相変わらず強運をもっています。奇跡っぽい路線バスの乗り換えつながりがありました。1日に1本しかない路線バスにバス停に到着して、4分後に乗れたりもしました。太川陽介さん以外の人がリーダーだったら、村井美樹さんの圧勝だったでしょう。
 太川チーム岩橋良昌さんのバス停発見の気づきがすばらしかった。ヒットです。
 答えのない問題を解くような苦悩がありますが、太川陽介さんは、苦難を乗り越えていきます。

 村井美樹さんチームは、ちゃんとご飯を三食食べてくださいな。おなかがすいていたら頭は働かないし、体も元気よく動きませんよ。
 とはいえ、時間に追われるきつい空間のなかを移動するメンバーたちです。仕方がない面もあります。
 
 太っている人には不利な歩き旅です。ちゃんと両チームに、太っている安村さんと岩橋良昌さんをそろえてあります。それがいいのか、体格が細い人にすべきなのかは、微妙なところです。
 カヌー対決で、中井りかさんが太っている岩橋良昌さんに「あんなやつに負けたくない」と言ったところがおもしろかった。つくったキャラクターなのでしょうが、なんだか、がらが悪い若い女性でした。
 高山一実さんは、将来、貴金属である金(きん)の投資をやりたい夢があると話されていました。やはり人は外見と中身は違います。あと、彼女は、フェリーで船酔いが怖いそうで、わたしも、小学1年生のころに同じく有明海を渡る船に乗ってひどい船酔いをしたことがあるのを思い出しました。そのころの船が車も乗れるフェリーだったのかどうかは思い出せません。もう半世紀ぐらい前のことです。
 海がとても美しい。こどものころの思い出の中にある海の風景と今の海の風景に変わりはありません。美しくて豊かな自然を維持していきましょう。
 
 熊本のグリーンランドのシーンも楽しかった。恐怖系の乗り物によく挑戦されました。以前充電バイクの旅でも出川哲朗さんがここを訪れていました。

 途中の鉄道駅の風景で、ホームとホームをつなぐ人が歩くための古い橋(跨線橋こせんきょう)がありました。中学生のころに九州を鉄道で移動していた頃を思い出してなつかしかった。あのころはまだ蒸気機関車が走っていました。

 明るい安村さんが、だご汁を食べたいとしきりに訴えていました。自分はこどものころによく食べたので不思議でした。そこまでして食べたいものかと。すいとんのようなもので、親からは戦時中に食べ物がないときに食べたと教わりました。

 両チームの抜きつ抜かれつの展開にわくわくしました。途中でばったり両チームが出会うのもスリルがありました。風のように動く集団です。

 やはり、勝つためには「運」がいります。
 村井美樹さんは、天国から地獄に転落したような気分を味わいました。くやしいでしょう。毎回感動を与えてもらってありがとうございます。体に気をつけて仕事と子育てに励んでくださいな。  

2021年05月11日

あなふさぎのジグモンタ

あなふさぎのジグモンタ とみながまい・作 たかおゆうこ・絵 ひさかたチャイルド

 本にかけてある帯に書いてあることを読みました。
 ジグモンタというのは昆虫であるクモの名前だそうです。ジグモという種類です。自分がこどものころに、この虫を見かけたことがあるような記憶が残っています。
 絵本でのジグモの仕事は、洋服にできた虫食い穴をふさぐ作業です。いわゆる「かけつぎ(洋服・和服の修理)」のお話です。
 
 本の表紙の絵を見ました。液体のようなものが入った壺がたくさん棚や床に並べられています。(あとで、液体のようなものは、クモの糸の原料になることがわかりました)
 裏表紙にある絵は、ユーモラスで好みです。ジグモさんがコーヒーを飲みながら休憩しています。

 絵に力が入っています。数ページめくって気がついたのですが、いわゆるコラージュ(貼り絵)です。立体感があります。
 物語のベース(根底)には、いわゆる世襲(せしゅう。親の仕事の後(あと)を継ぐ)があります。ジグモの仕事は代々、洋服にあいた穴をふさぐ仕事をしてきたそうです。
 ジグモ8本の足は『機織機(はたおりき)』です。(昆虫の足の数は6本が多いのでクモの8本は不思議です)
 本では、「たていと」は右足1番と左足4番、「よこいと」は、左足2番と右足3番で処理すると書いてあります。おもしろい発想です。足に番号が付いています。そうやって、ジグモは、洋服にできた穴をふさぐ作業をしているのです。
 洋服を(品物を)大切にして長く着ましょうというメッセージがあります。
 ページの左下で洋服をもちあげているジグモの絵が可愛い。
 ヒキガエルさんができあがったコートをとりに来ました。ヒキガエルさんのお顔は、オオトカゲさんのようにも見えます。
 擬人法を使って、人間社会を表現してあります。
 今度は結婚式のウェディングドレスがらみでハリネズミの6人姉妹がやってきました。ウェディングドレス着用時に頭にかぶるベールをみんなで着まわして、今度は、末っ子の妹が結婚式で着用するそうです。だけど、末っ子はベールが古いからと嫌がっています。
 起承転結の物語づくりの経過の「起」の部分が終わりました。
 
 次は「承(しょう)」の部分です。
 ジグモの気持ちが書いてあります。
 だれかのためになる仕事をして生計を維持していく。
 なのに、結婚式で使うベールを補修しても使ってもらえないみたいだ。
 だったら、この仕事を仕上げる意味がない。代金さえもらえればいいというものではない。自分の気持ちが許さない。ジグモの話ですが、読んでいると、人間は気持ちで生きているというところまで考えが至ります。

 ジグモンタは、うつ病のようになってしまいました。気持ちが沈んでいます。

 「起承転結」の「転」の部分にきました。
 フクロウとそのこどもたちが、ジグモンタを助けてくれます。「フーフー」「クークー」「ロン」という名前のこどもたちです。
 こどもたち三人が使っている毛布に穴があいているのです。寒いからかぜをひきそうです。
 ジグモンタが、がんばって毛布の穴をふさぎます。
 数日後、三羽のこどもたちは巣立っていきました。穴がふさがれた三枚の毛布は、フクロウのママの子育ての思い出になりました。

 補修する楽しみは、破たんした人間関係の修復にも似ています。
 『再生』は、一度失敗した人生のやり直しにも似ています。
 リサイクル、リユースという言葉も思い浮かびました。

 結婚式です。
 ジグモンタは、七人姉妹の末っ子の結婚式で使う素敵なベールを仕上げて、みんなに喜んでもらいました。
 人の役に立つことは、自分の幸せな気持ちにつながります。

 そして、とにかく絵が美しい。絵画集をめくっているようです。お花の色が鮮やかです。
 最終ページから二枚さかのぼった絵からつづく見開きにある絵の色合いが抜群です。落ち着いた安定と地道な幸せが感じられます。
 されど、自分の好みは、気持ちが落ち込んだジグモンタが、森のなかの一本道を歩く姿がある絵です。「暗」があるから「明」が強調されます。
 この世のなにかもかもが二面性をもっています。いいこともあれば、わるいこともあります。そういうものだとわりきって、次はきっといいことがあると思っていれば、命がつながります。  

Posted by 熊太郎 at 07:00Comments(0)TrackBack(0)読書感想文