2021年01月22日

きりぎりす 太宰治

きりぎりす 太宰治 新潮文庫

 14本の短編がおさめられていますが、タイトルの「きりぎりす」に惹かれたので、きりぎりすだけを読んで感想を書きます。1942年(昭和17年)6月の作品です。
 イソップ寓話(ぐうわ。擬人化された話)の「アリとキリギリス」が思い浮かんだのです。

 人間には二面性があって、表の顔と裏の顔がある。仕事の場などでは、人はたいてい表の顔だけを見せ合って、社会生活を送っている。
 太宰治作品は、人間の裏の顔を描き出して、人間とは何かを導きだそうとしている。

 19才で売れない画家志望の男と見合い結婚をして、現在24才になった女性が、夫に別れを告げる内容の手紙のような形式で文章が始まりました。結婚生活5年目で秋風が吹いています。
 彼女は夫を、無口か、人が言ったことを真似するだけの人と分析しています。
 
 女ことばの手紙、あるいは、語りで、太宰治氏が女性にのりうつっている方式の文章です。「おわかれ致します」から始まります。自分の意思で男性を選んで、両親が望まない結婚をした女性が、5年後、夫に別れを告げるような状況設定です。
 読んでいると、自分はあなたの妻というよりも、ひとりの男の身の回りその他のお世話人という位置づけですという主張があります。(この主張は作品ができてから何十年もたった今でも通用することです。男は妻を自分の身のまわりの世話をしてくれる母と勘違いすることがあります。当然もめます)
 ほかにもっといい見合い話があったけれど、ほかの男性を断って、わざわざあなたを選んだともあります。ただどうも、別れたい理由は金銭的な理由ではありません。
 画家志望だったご主人は、結婚した当時は、画家としては売れていなかったけれど、結婚して5年が経過して、彼はなかなかの有名人の画家にまで出世して、人からは「先生」と呼ばれるまでになっています。だけど、奥さんはそんなご主人が嫌になったのです。今の生活は、お金があってなんでも買えるけれど、心の中は「虚無」だそうです。
 
 美術売買の世界は作品の質というよりも、関係者の人間関係でお金が動く社会と受け取れる雰囲気の記述内容があります。
 年賀状を300枚も刷らされたと奥さんは愚痴をこぼしています。いつの間にこんなに知り合いが増えたのか。有名芸能人の奥さんのような感じもします。慶長儀礼の物の量が一般的な量ではなく、大量で奥さんにとっては負担です。
 
 夫が、妻の財布の中身を妻の了解もなく調べます。

 夫婦には会話がなかった。お互いに裏の顔を見せて話し合うことがなかった。妻に言い分がありますが、夫にもあるだろうと思います。
 
 妻は夫を「わがままな楽天家」と批評します。夫は成功者になったけれど、人間として見損なったそうです。

 士族、平民、華族という単語も出てきます。夫は、妻が平民出身なのに士族の出身と人にうそをつきます。夫に身分差別意識があります。

 夫はお金に魂を奪われたようです。
 妻は夫を気違いと言います。

 読後の感想です。
 妻は、気持ちのうえでは夫と別れるけれど、夫に扶養されて生活していかなければならないので、表向きは夫婦の形でいると決めているのだろうと考えました。だからだれにも送らない手紙という形で文章を書いて、夫に関するストレスを解消しているのです。
  
 調べた言葉などとして、
 鹿爪らしく(しかつめらしく):まじめくさっていて、堅苦しい。
 モオパスサン:フランスの作家。1850年-1893年 42歳没  

Posted by 熊太郎 at 06:51Comments(0)TrackBack(0)読書感想文