2021年02月27日

コレット 洋画DVD

コレット 米国・英国・ハンガリー製作 2019年日本公開 DVD

 フランスの女性小説家。1873年-1954年。81歳没の伝記映画です。
 小説家の夫の代わりに14歳年下の妻が小説を書きます。いわゆるゴーストライターです。ゴーストライターは売れなければ問題は発生しないのですが、彼女が書いた小説は爆発的にヒットします。当然著作権でもめます。夫はクズ男です。印税で得た収入で女遊びをしたり、ギャンブルをしたり、遊びほうけます。されど夫にとってゴーストライターの妻は金づるです。夫の言うことは嘘ばかりです。
 この映画がもつひとつのメッセージとして、女性が男性から独立する。女性が男性の収入に頼らないで生活していくということがあります。ゆえに男尊女卑の下地がある映画です。
 もうひとつのメッセージは、性差別への闘いです。女性に生まれて来たけれど心は男性という夫人が登場します。コレットと彼女が恋愛関係になります。
 
 映像が絵画のように美しい。蒸気機関車の白い蒸気を見ていると落ち着きます。時代背景が、1890年代の映画です。日本では、明治元年が1868年でした。

 パリのお金持ちの夫人は、田舎から出てきた主人公の女性コレットをばかにします。ひどい言葉をいくらでも投げつけてきます。(都市に住むご婦人は、田舎者より自分のほうが上でいたい)
 生きているカメに電灯で装飾がほどこされています。田舎娘のコレットは、生き物が人間の犠牲になっているとして、電気装飾されたカメに優しい。
 主人公のコレットが住んでいた地方のフランス田園風景の映像が流れますが、建築物が林立している都市よりも自然が豊かなほうが上等だということがお金持ちの夫人にはわかりません。
 パリにあるのは、夜の飲酒と紫色のタバコの煙がこもった暗い室内となにかをばかにするジョークなどです。パリの人間は色と金銭欲にまみれています。おごりたかぶる金持ち社会があります。
 それでも、コレットは目覚めます。音楽や歌を聴いて、演劇を観て、彼女の文才が芽を出します。まだ、テレビがなかった時代ですから、金持ち社会で、実演の歌と踊りと演劇を観ることができたのは彼女にとってのチャンスでした。ですからていねいに考えると、人間関係が広い夫との生活には、もちつもたれつの部分がありました。ただ、夫と妻のバランスの均衡がとれていなかった。
 爆発的に売れた小説作品は、女性の一人称語りですから、中年の男性が書ける内容ではないことは、読者の一部は承知していたのでしょう。ゴーストライターがいるぞと。それでも当時は通用する社会だったのでしょう。

 この映画が目指しているのは娯楽作品ではなく芸術作品であろうと受け止めました。けっこうなんども性描写が出てきます。映像で観ると美しいのですが、実際には体力がいる肉体労働で疲れるだけです。登場人物たちは、心の求めるままに愛の行為を続けるみたいな意思表示をしますが、現実的ではありません。やがて体がもういいわ。やめてくれと言い出すでしょう。

 妻コレットがイカサマ師の夫に最後に言い放った言葉が良かった。「もう修復は不可能よ!」

 ちょっと気になったので調べておきました。
 フランスパリのエッフェル塔:1889年3月15日竣工 先端の高さ324m 1889年は明治22年
 東京タワー:1958年12月23日竣工 高さは333m  

2021年02月26日

ビロードのうさぎ 酒井駒子・絵・抄訳

ビロードのうさぎ マージェリィ・W・ビアンコ原作 酒井駒子・絵・抄訳 ブロンズ新社

(1回目の本読み)
 四歳ぐらいの男の子の絵があります。小ぶりのうさぎのぬいぐるみ人形があります。
 ビロード:織物の生地。ドレスやカーテンに使用される。
 ピンクサテンの耳:織物。光を反射してなめらかで高級感がある。

 うさぎのぬいぐるみは、ほかのおもちゃたちから、おもちゃとしての価値が低い。本物のおもちゃじゃないとばかにされますが、男の子はうさぎのぬいぐるみといっしょにベッドで寝るようになり、うさぎのぬいぐるみと会話をするようになります。
 うさぎは、おもちゃの世界で、肩身の狭い思いをしていましたが、だんだん自分が本物に近づいていく実感が湧いてきてうれしい。

 人間であるお片付け係のナナさんはお手伝いさんです。うさぎのぬいぐるみのことを良くは思っていません。

 読んでいて、ふと、現在、うさぎを飼っている知り合いのことを思い出しました。ぬいぐるみではなく、本物のうさぎです。自分自身も小学生の時にうさぎを二匹飼っていたことがあります。死んでしまいました。かわいそうなことをしたという思い出がよみがえりました。

 この絵本物語は、最後をどう落とすのだろう。
 つまり、オチはどうするのだろう。

 不思議な感覚に陥る(おちいる)結末です。
 結末は違いますが、小学生のころに読んだ少年ニルスと渡り鳥のリーダーアッカさんとの心の交流を描いた「ニルスの不思議な旅」の結末が頭にふと浮かびました。こびとにされたニルスは鳥と会話ができたのに、こびとから少年の姿に戻ったニルスは渡り鳥のアッカさんと会話ができなくなりました。
 
 この絵本では、「物」をどこまで大切にするかという質問の投げかけがあります。以前だったら、もったいない精神で、いつまでも物を大切にしてとっておくとなるのですが、今では考えを切り替える世の中に変化しました。
 物を大事にしすぎると家の中が散らかり放題になってしまうのです。そして、自分にとって大切だと思っている物であっても、人から見れば価値がないものなのです。歳をとってきて、ようやくそういう真実がわかりました。持ち主が死んだあと、残っている人が困るのです。自分が大切な物は、人も大切に思ってくれていると思っていました。誤解でした。

(2回目の本読み)
 絵本の絵に着目してページをめくってみます。
 うさぎの碧色(みどりいろ)の目に魅力があります。ヒスイのような宝石の輝きです。
 うさぎはまるで生きているようです。
 玩具の白馬も生きているようです。絵本の絵というよりも油絵のような絵画です。
 幼児は寝るときにだれかがいっしょに寝てほしいものです。
 親といっしょに寝ない子は、ぬいぐるみといっしょに寝ます。
 ぬいぐるみに気持ちが依存することをなんとかといったような。
 以前書いた感想文を探してみたら出てきました。『2歳から8歳ぐらいに出るという「イマジナリーフレンド」「見えないお友だち」「空想上の友だち」』 成長していつかは別れるともだちです。こどもはいつかひとりだちしなければなりません。

(3回目の本読み)
 油絵というよりもパステル画風でした。
 上品で気持ちが落ち着く作品でした。  

Posted by 熊太郎 at 07:21Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2021年02月25日

ゴジラキング・オブ・モンスターズ アメリカ映画DVD

ゴジラキング・オブ・モンスターズ アメリカ映画DVD 2019年公開

 映画館の大きなスクリーンだと楽しみも倍増するでしょう。
 青白い背景の映像が続きます。ときおり、紅(くれない)の光があたります。そして、オレンジの光線が長く伸びます。
 映像を楽しむ映画ですから筋立ては現実離れしていてもかまいません。サイエンス・フィクションとアクションの映画です。
 半世紀ぐらい前、テレビや映画での怪獣同士着ぐるみ対決の映像を観ていた時を思い出しました。小学生の仲間と映画館の入口にできた行列に並んで入場を待ちました。
 今回観た映画のテーマは「自然環境保護問題の解決」ですが、半世紀ぐらい前も全国各地で公害が起こっていて社会問題になっていました。
 年数はずいぶん経ちましたが話題の素材はそれほど変わっていません。
 お金に目がくらむ人間がいる限り、地球は汚染されていくのです。いまでいうところの新型ウィルスが「怪獣」なのかもしれません。
 映画では夫婦とか親子とかの本質が人情をからめて演技されています。怪獣ものなので、科学的な話になじまぬような感じがしました。
 キングギドラもゴジラも大きくてすごい。三頭あたまのキングギドラは、首が細いので、チョンチョンチョンと首を切っちゃえば、すぐやっつけることができると思いつくのは、やぼなことなのでしょう(わざわざ口にしないほうがいいこと)
 天が割れてモスラが降りてきました。神話です。そして、怪獣たちが神です。
 「古事記」とか「日本書紀」を思い出します。八つの頭をもつヤマタノオロチを退治したのはスサノオノミコトでした。
 セリフのない怪獣同士の戦いは、無声映画のようでいい雰囲気がありました。
 最後のほうで、特攻隊みたいな行動がありますが、結果的に自爆攻撃にならなくて良かった。  

2021年02月24日

精霊の守り人 上橋菜穂子

精霊の守り人(せいれいのもりびと) 上橋菜穂子(うえはし・なほこ) 新潮文庫

 以前、テレビドラマで女優さんが演じられていたのをちらりと観ましたが、そのときは仕事が多忙で興味も湧きませんでした。今回は、人気作品だということを知って、本を読んでみることにしました。

 44ページまで読んだところで感想を書き始めます。基本的には児童文学で、こどもさんが読者の対象者です。主人公が三十歳の用心棒女性武道家という設定が児童文学では珍しい。
 舞台として、新ヨゴ皇国(たぶん、しんよごおうこくと読むのでしょう)

 登場人物などとして、
 バルサ:短槍(たんそう)のバルサと呼ばれている。お金で用心棒を引き受けて生活している。すりきれた旅衣を着て、袋に入れた短い槍をかついでいる。故郷はカンバル王国。チキという武術を使う。養父がジグロ。テレビドラマでちらりと見た主人公の綾瀬はるかさんを想像しながら読んでみます。文章を読んでいると昔読んだ「村上海賊の娘」に出てくる海賊の娘のイメージです。
 ジグロ:バルサの養父。武術の師匠として鬼のように厳しい。
 チャグム:新ヨゴ皇国の第二夫人の息子。11歳。第二皇子(だいにおうじ)。帝(みかど)には一ノ妃(きさき)、二ノ妃、三ノ妃がいて、こどもは一ノ妃と二ノ妃にそれぞれ男子がいるそうです。三ノ妃には子どもがありません。
 狩人メンバーの四人:モン(リーダー) ジン ゼン ユン
 サグム:第一皇子。14歳
 シュガ:星読博士(ほしよみはかせ)占い師のような者か。男性。二十歳
 トロガイ:呪術師。風のように流れて歩いているのでなかなか会えない。
 ガカイ:シュガの兄弟子。シュガとガガイの関係は悪い。
 聖導師ヒビ・トナン:星読博士の最高位者。がっちりした体格。武者のよう。74歳
 ヤク―:。新ヨゴ皇国にもともといた現地人の人種。大きなアゴ。肌の色が黒い。
 カイナン・ナナイ:250年前の天道(宗教)の神官。天の神がこの世を動かす。聖導師
 ヨゴ・トルガル:250年前の第三皇子
 トーヤ:バルサの協力者である15歳ぐらいの少年。捨て子だったがバルサに助けられた。やせこけていて茶髪をしている。物品の調達係という役割を担当している。
 サヤ:女の子。おそらくトーヤと同じく捨て子で、トーヤといっしょに生活している。
 ノギ屋:弁当屋
 カンバル王国:カンバル王国の住人が、新ヨゴ皇国(おうこく)へ出稼ぎに来ている。
 タンダ:バルサの知り合い。薬草師
 サグ:目に見える世界
 ナユグ:目に見えない世界
 大早魃:だいかんばつ。雨が降らないため水不足で農作物が枯れて死ぬ。日照り。
 ニナ:11歳ぐらいの女の子。ヤク―の血が混じっているヨゴ人
 ユガ:ニナの父親
 ノウヤ:高齢者男性。息子夫婦と孫たちと住んでいる。
 ヨナ・ロ・ガイ<水の民>:水の底に人のような姿が見えるもの。顔は埴輪(はにわ)のよう。
 トロガイ<地上の民>:呪術師のこと。トロガイの師匠がノルガイ
 ニュンガ・ロ・イム<水の守り手>:雲の精霊。精霊の卵を産卵する。
 ニュンガ・ロ・チャガ<精霊の守り人>
 ラルンガ<卵食い>:土の精霊。ニュンガ・ロ・イムが産みつけた精霊の卵を食べる。クモのようなイソギンチャクかヒトデのような形態で多数の爪を武器としてもつ生き物
 ヂュチ・ロ・ガイ<土の民>
 大地の割れ目:サグ(目に見える世界)とナユグ(目に見えない世界)が出会うところ
 ナナイ大聖導師:二百数十年前に新ヨゴ皇国の建国の祖トルガルを新ヨゴ皇国に導いた聖導師
 星ノ宮に秘密の倉があって、倉の中にナナイ大聖導師が残した文が刻まれた石板がある。古代ヨゴ文字で書かれているので解読には手間がかかる。
 バルサには八人の人命を救うという誓いがある。
 タンダの家のそばにヤシロ村がある。
 ナージ:渡り鳥
 トド草:つわりに効く。(きく)
 雷神ヨーラム
 ヤク―は、水、土、火、気、木にかかわる<大いなる力>をもつものを精霊と呼ぶ。

 最初に図面があります。地図です。
 次に人物紹介のページがあります。
 
 「牛車」は平安時代(都は京都、平城京のイメージです)のようです。牛が暴れるシーンが不思議でした。役牛(えきぎゅう。働く牛)はおとなしいはず。自分がこどもだった昔、祖父母宅が農家で役牛を数頭飼っていました。文章描写は牛なのに、まるで馬が暴れるような光景です。(あとで、牛が暴れるようにと策略があったと出てきて、なるほどと納得しました)
 
 どうも後継者争いの親族間闘争があるようです。古墳時代とか大和朝廷以降の日本史を読むようです。親族間のし烈な権力争いです。

 第二皇子(だいにおうじ)の肉体に精霊が宿っているらしい。精霊はどこかへ帰りたいらしい。精霊が来年の夏至(げし。昼間の時間が一番長い。6月下旬ごろ)まで生き延びられたら第二皇子の命も助かるらしい。(理解しがたいのですが、父親である帝に命を狙われているそうです。その後、帝側にとっては、精霊は良いものではなく悪霊という扱いがなされていることがわかりました)

 250年前の生けにえ話になってきました。自然災害から地域を守るために神に生けにえをささげるのです。

 水の妖怪を倒す。

 新ヨゴ皇国の都市のつくりを読んでいて、韓国ソウル市のようだと思いました。

 砂地が大事です。星読みをするときには、静寂な場所が望まれます。

 バルサの良かったセリフとして、
 「この夜が明けたら、あなたは皇子ではない。ただのチャグムだ。それを心に刻みこむのです」

 平民出身三十歳のバルサが、十一歳ぐらいのチャグムをおんぶしようとしますが、宮廷育ちのお坊ちゃまであるチャグムは、これまで、何かに乗せられて育ってきたので、おんぶされたことがありません。だから「おんぶ」の意味がわかりません。その部分を読んでいるときに、そういえば、昔の母親はこどもをおんぶしたものですが、最近は前抱きが主流に変化したと思いつきました。そういう点でも、最近生まれたこどもたちは、おんぶされた体験がないから、もしかしたら、おんぶの意味がわからない子がいるかもしれません。この作品は1996年(平成8年)の刊行ですから、その当時は子育てにおいて、まだ「おんぶ」が主流だった時代です。

 バルサだけではチャグムを守りきれないので、バルサの協力者が少しずつ登場してきました。
 「トーヤ」という名前を見た時に、トム・ソーヤの冒険を思い出しました。もしかしたら、そこから発想した名前かもしれません。小学生のときに読みました。ハックルベリー・フィンがトムのともだちでいました。

 金貨一枚で二年間は生活できる経済社会です。

 読んでいて、<精霊とは、もとは「魚」なのだろうか?>と思いつきました。チャグムが夢をみて言うには、『青くて冷たい場所へ帰りたい』>

 第二皇子を生け捕りにして帝の元へ連れていくための狩人グループが編成されました。互いを名前ではなく番号で呼び合います。
 
 バルサはなんていい人なんだろう。
 自分をかばってくれた人に、追手が来たら、敵に隠さず正直になにもかもしゃべってもらっていいと話します。

 狩人たちとバルサの闘いシーンが出てきます。記述に迫力があります。されど、なぜ、直接第二皇子のチャグムを狙わないのか不思議でした。11歳ぐらいの少年チャグムを暗殺すればことは終わるのにと。やがて、生け捕りにして帝の住む宮殿まで連れて行くのだということがわかりました。チャグムを捕まえたという証拠がいるのでしょう。報告だけでは信じてもらえない世界です。
 槍や剣、手裏剣が飛びかう闘いは、囲碁、将棋、麻雀の一手(いって)を互いに打つようです。一枚の石やコマやハイで形勢が逆転することもあります。ハラハラドキドキのスリルがあります。
 
 すごいなあ。一番強いのは、本人に自覚はないのですが、妖怪が体に入りこんでいる第二皇子(おうじ)なのです。彼には妖力(ようりょく。ようかいの力)があります。

 「精霊の守り人(せいれいのもりびと)」というのは、第二皇子(おうじ)のチャグムを守るバルサのことをいうと思い続けていましたが違うことが判明しました。精霊を体内に入れているチャグムのことを「精霊の守り人」というのです。

 なかなかお話がややこしい。それでもこどもたちはわかるのでしょう。がんばって読みます。
 
 トロガイとタンダは、シグマの峡谷(きょうこく)へ旅立った。

 環境問題がベースにあるのだろうか。
 精霊は魚ではなく貝のようです。

 青池に咲く花として、シグ・サルア(この花の蜜が卵の栄養になりますが、花の匂いがこのあとチャグムの運命を操っていきます)

 誤解が解けて、四人の狩人たちの役割は、第二皇子を確保することから守ることに変わりました。

 サアナン(さあなん)の地:水源地。目に見えないナユグの世界では泥地。イメージとして九州有明海の干潟(ひがた)
 なあじる:鳥。ナージのこと。

 大松明(おおたいまつ)を燃やしてラルンガを退治する。

 最後に近い場面では、洋画「ローマの休日」を思い出しました。毅然とした女王とチャグムの姿勢が重なります。自分の欲望を抑えて自分の役割を務めることを選択した瞬間です。

 全体を読み終えてみて、ちょっとおじさんにはぴったりきませんでした。ファンタジー(幻想、空想世界)が好きな人向けです。

 調べた言葉などとして、
 夜気(やき):夜の冷たい空気
 侍女(じじょ):上流階級の夫人に仕えて身の回りのお世話をする女性
 民草(たみぐさ):人民を指す言葉のようですが、本を読んでいると「報酬とか給与」のことかと判断しました。
 衛士(えじ):宮中の護衛
 はしっこいガキ:機転がきき、動作が機敏なこども
 ラモンの葉:常緑高木  

Posted by 熊太郎 at 07:29Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2021年02月22日

(再鑑賞)フォレスト・ガンプ アメリカ映画

(再鑑賞)フォレスト・ガンプ アメリカ映画DVD 1994年米国、翌年、日本公開

 心が温まる名作です。
 もう何度も観ましたので、今回は英語のリスニング練習です。
 誠実に生きることを讃える映画ですが、きれいごとばかりではありません。人間の嫌なところもいっぱい出てきます。

 ジィス イズ バススクール(スクールバスではなく、バススクールと聞こえます。道ばたで、小学生のフォレスト・ガンプが、知らない人の車には乗るなって言われていると言うので、スクールバスの女性運転手がフォレストに「これはスクールバスよ」と声をかけます)子役さんは名演技です。このシーンが伏線になっていて、ラストで人物設定を変えて再現されます。

 キャント スィト ヒア―(バスの中でフォレスト・ガンプが座ろうとするとみんなが意地悪で。ここは座れない!)

 シー イズ ザ モースト スペシャル フレンド(ぼくにとって、ジェニーは一番大事で特別な友だち)

 ラン フォレスト ラン(ジェニーがフォレストにかけた言葉。いじめっこたちにフォレストが追いかけられている。走って フォレスト 走って逃げて!)

 シュリンプ イズ フード オブ スィー(軍隊で親友になったババがフォレストに言った言葉です。フードと聞こえるのですが、フルーツなのかもしれません)エビは海の果物だ。

 ホワット ドゥー ユー ミーン ジェニー?(フォレスト・ガンプが、橋から飛び降り自殺をしようとするジェニーを止めて)どういう意味?

 トウイーン(ダン中尉がフォレスト・ガンプとババに)おまえら、ふたごか?
 
 チャーリー(ベトナム戦争で、ゲリラのことをチャーリーというそうです)

 ゲットダウン シャーラップ(ベトナムの道で)腰をおろして静かに。

 ヘルプミー フォーレースト ヘルプミー フォーレースト(ジェニーがフォレスト・ガンプに助けを乞う)

 リーブミーヒアー(ダン中尉が戦場で被弾して倒れて、フォレスト・ガンプに自分を助けるな。自分はここで名誉の戦死をするからと主張します(でもフォレスト・ガンプはダン中尉を助けます。ダン中尉がかなり怒ります。興奮して怒り(いかり)の固まりになります))

 プロミス イズ プロミス(戦死した親友ババとの約束)約束だから自分はエビ釣り船の船長になる。

 アイ ウッド サンク トゥ ユー フォー セイブ マイ ライフ (帰国後ずいぶんたってから、戦場で両足を失い車いす生活になったダン中尉がフォレスト・ガンプにかけた言葉。自分の命を救ってくれてありがとう)

 イト ウォズ ザ ハッピストタイム オブ マイライフ(人生で一番幸せな時だった)

 アイム ノット ア スマートマン バット アイ ノウ ホワット ラブ イズ(ぼくは、知的障害があって頭は良くないけれど、愛がなにかはわかるよ)

 ホワイ ユー ドント ニード テイク ア バス ヘンリーストリート イズ ジャスト ファイブ オア シックス オクロック(違っていると思いますが、こういうふうに聞こえます) ドン バック ウェイ バスに乗らなくても、あなたが行きたい目的地のジェーンが住むヘンリーストリートはここから歩いて5~6分のところにあるわよ。道を戻ってはだめよ(すでに過ぎた人生の軌跡を戻ってはだめですよというふうに聞こえます)

 アイ ネイムドゥ ヒム ダディ(わたしは自分のこどもに父親の名前を付けたの)
 ユー アー ダアディ フォレスト(あなたが父親よ)

 ウッジュー マリー?(結婚してくれる?)
 OK

 ホワット アー ユー ウォッチング?(フォレストが幼い息子に)テレビで何を見ているんだい?
 バートナークン(バートとナニーだよ。マンガです)

 マジックレッグス(魔法の脚(あし)だ。義足のこと。戦争で両足を失って身体障害者になったダン中尉の言葉)

 アイ ミス ユー ジェニー(ジェニーが病死して)ぼくは寂しいよ

 冒頭と最後に空中に浮かんで流れていく鳥の羽根が出てきます。今回観て初めてその意味に気づきました。羽根は「人生の運命」です。「人生の運命」は、羽根のようにふわふわと風にのって空中をさまよっているのです。

 音楽が優しい。

 過去のニュース映像から、対立する者から射殺という手法で殺されてしまう恐ろしい国アメリカの歴史があります。

 スクールバスの中とか、兵隊を乗せるバスの中で、差別がらみのいじわるがあります。でもジェニーやババは、ここがあいているよと、フォレスト・ガンプに席を勧めてくれました。世の中には、嫌な人がいますが、いい人もいます。

 トム・ハンクスさんの語りが続きながらシーンが進む独特な進行方法をとるフォレスト・ガンプの半生記です。語りはときに「詩」を聴くようです。ベースは壮大なほら話なのですが、ドラマチックです。

 フォレスト・ガンプの集中力がすごい。

 ダン中隊長のキャラクター(個性設定)がいい。こういう人って実際にきっといます。

 ジェニーとフォレスト・ガンプは、うまくいかないことが長い間あって、最後にようやくふたりは、最初に出会ったお互いにこどもだった時の関係に戻りました。
 ジェニーが怒り(いかり)狂って、廃屋となった生家に向かって石を投げ続けるシーンは、胸に突き刺さるものがあります。ジェニーは、アル中と虐待で、ちゃんと養育してくれなかった親への怒りを家にぶつけます。
 あれはあれで良かった。あの時はああするしかなかった。いつだって、そのときは、一生懸命やってきた。自分で自分を責め続けると自死が近づいてくる。自殺をしてはいけない。生きていれば、きっと生きていて良かったと思えるときがくる。映像は見る者にそう訴えてきます。

 バス停のベンチでのシーンでは、高齢の女性の存在が大きい。彼女がフォレスト・ガンプの話を聴いてくれるだけで幸せが近づいてきます。誠実に生活していればいいことがあると思わせてくれます。 もうつらかった時代に戻る必要はないのです。高齢の彼女がなんども繰り返すセリフとして、ドン バック ウェイ ドン バック ウェイ


(2010年9月のときの感想文)
フォレスト・ガンプ DVD
 もう何度も見ました。疲れたときに見ると元気が湧いてくる映画です。IQ75(知能指数、通常は100)のフォレスト・ガンプの真面目で一途(いちず)な生き方です。社会福祉の映画でもあります。夢とか、再起とかが、かなっていきます。ひとり親家庭、児童虐待、障害者、アルコールあるいは薬物依存、どうしようもない貧困生活、いじめ、人種差別、さまざまな要素が含まれています。「克服」がテーマです。
 何度も見ましたが、見落としている部分も多々あります。フォレスト・ガンプの語りが続きます。彼がバス停のベンチでバスを待っているところから始まり、ラスト付近でベンチから離れます。バスを待つ人に話しかけている時間は短い。しかし、彼の話は彼が生まれてから何十年間にも及ぶ経過です。
 さまざまな仕掛けがしてある数学的・科学的な映画でもあります。時間をかけて丁寧に構築された脚本と撮影班のチームワークがうかがえます。  

2021年02月20日

おしゃべりなたまごやき 絵本

おしゃべりなたまごやき 寺村輝夫・作 長新太(ちょう・しんた)・画 福音館書店

 絵本の表紙にかいてある絵の説明をします。
 ニワトリ小屋に無数のたぶん白色レグホンが入れられています。窮屈そうです。どまんなかに赤い上着と赤と白の王冠をかぶった王さまの後姿があります。
 どんなお話が始まるのだろう。
 タイトルでネタバレしているから、たまごやきがしゃべるのでしょう。
 なにをしゃべるのだろう。
 だれにしゃべるのだろう。
 やっぱり表紙にあるように、ニワトリ君たちがきゅうくつそうでかわいそうだから王さまがニワトリたちを小屋から逃がしちゃうわけね。それを優しいというかどうかは悩ましいところです。
 読む人の感じ方次第で感想が変わります。
 わたしは、王さまは、自分勝手な人だと思いました。王さまはうそつきです。王さまは、自分の身のまわりの世話をしてくる人たちに対していじわるでもあります。
 だから、めだまやきが、王さまの秘密をばらすのです。
 王さまの耳はロバの耳とか、裸の王さまとかのお話を思い出しました。

 人間というものはそういうものだというメッセージがあるのでしょう。人間は、うそつきなのです。
 だから、ニワトリの卵が王さまにばちをあてたのです。悪事へのこらしめです。
 されど、王さまはケロッとしています。なかなかの悪者です。

 絵は、赤と緑の反対色で塗られ続けてあり、目がばちばちとしてかなり意識に厳しい。
 話の中身も含めて、好みが分かれる絵本だろうという気がしました。  

Posted by 熊太郎 at 07:21Comments(0)TrackBack(0)読書感想文