2018年07月25日
2018年07月24日
千葉県成田空港
千葉県成田空港
今回初めて訪問しました。日本を代表する空港なので以前から見学したかったのですが、なかなかチャンスがありませんでした。以下、二日連続で現地を見た記録です。
京成成田駅から電車で第1ターミナルへ。次に無料バスで、第2ターミナルへ。翌日、レンタカーで航空科学博物館へ行きました。
京成電車はホームで時刻表を見たら「特急」しかなく、座席指定の豪華特急電車を想像したのですが、来た電車は、対面横座りシートで、乗車方法も含めて雰囲気は普通車でした。ちょっと驚きました。
第1展望台からの離陸風景です。展望スペースの規模は羽田や中部国際セントレアと比較すると大きくありません。5分間に1機ぐらいのペースで離着陸を繰り返しており、その頻度の高さに驚きました。あんな大きな物体が空を飛ぶのは信じられないなどと言っておれるようなのんびりした状況ではなく、とにかくさばかないと、少しでも遅れたらあとが詰まってしまいます。「飛行機が怖い」なんて言っていられません。とにかく、飛ぶものは飛ぶのです。さっさと乗って、さっさと飛んで、すんなり着陸するのです。
次は、第2ターミナル見学デッキから見える駐機場です。
見学した全体の感想として、成田空港は、離陸と着陸のみに重点を置いた空港ということが特徴です。お客さんは外国人ばかりで、外国人と外国人にサービスを提供する日本人と外国人がいる場所です。単純に空港見学だけをするわたしのような日本人は場違いです。空港周辺も商店街化されておらず商業の発展性はありませんでした。
自分で航空券を購入して、日本の電車に乗車して、ガイドブックとにらめっこしている外国人の観光旅行グループを見ていて、この人たちは、これから東京上野あたりまでいって、民泊みたいなところに停まるのだろうなあと予想し、安全面で不安はないのだろうかとこれまた驚きました。それだけ日本の治安は良いのでしょう。
次は翌日訪ねた滑走路の先端の先のちょっと横にある航空科学博物館です。
航空機の現物がたくさん展示してあり、なかなか力が入った見学施設です。平日のせいか、お客さんは少なく閑散としていました。航空関係者らしき人(マニアも含めて)、高齢者夫婦、子ども連れがぱらぱらといます。
次は展望施設からの眺望で貨物旅客機の駐機場です。
施設周辺の風景をながめながら、もう40年以上前に成田闘争ということがあって、死者まで出たわけですが、その後生まれた人たちにとってはそれらは知らない出来事になってしまいました。
博物館から繰り返し見える離陸時の航空機のおなかです。
ここを訪問する前に読み終えた小説が「島のエアライン」という作品でした。
自分の中では小説の雰囲気が盛り上がりました。
今回初めて訪問しました。日本を代表する空港なので以前から見学したかったのですが、なかなかチャンスがありませんでした。以下、二日連続で現地を見た記録です。
京成成田駅から電車で第1ターミナルへ。次に無料バスで、第2ターミナルへ。翌日、レンタカーで航空科学博物館へ行きました。
京成電車はホームで時刻表を見たら「特急」しかなく、座席指定の豪華特急電車を想像したのですが、来た電車は、対面横座りシートで、乗車方法も含めて雰囲気は普通車でした。ちょっと驚きました。
第1展望台からの離陸風景です。展望スペースの規模は羽田や中部国際セントレアと比較すると大きくありません。5分間に1機ぐらいのペースで離着陸を繰り返しており、その頻度の高さに驚きました。あんな大きな物体が空を飛ぶのは信じられないなどと言っておれるようなのんびりした状況ではなく、とにかくさばかないと、少しでも遅れたらあとが詰まってしまいます。「飛行機が怖い」なんて言っていられません。とにかく、飛ぶものは飛ぶのです。さっさと乗って、さっさと飛んで、すんなり着陸するのです。
次は、第2ターミナル見学デッキから見える駐機場です。
見学した全体の感想として、成田空港は、離陸と着陸のみに重点を置いた空港ということが特徴です。お客さんは外国人ばかりで、外国人と外国人にサービスを提供する日本人と外国人がいる場所です。単純に空港見学だけをするわたしのような日本人は場違いです。空港周辺も商店街化されておらず商業の発展性はありませんでした。
自分で航空券を購入して、日本の電車に乗車して、ガイドブックとにらめっこしている外国人の観光旅行グループを見ていて、この人たちは、これから東京上野あたりまでいって、民泊みたいなところに停まるのだろうなあと予想し、安全面で不安はないのだろうかとこれまた驚きました。それだけ日本の治安は良いのでしょう。
次は翌日訪ねた滑走路の先端の先のちょっと横にある航空科学博物館です。
航空機の現物がたくさん展示してあり、なかなか力が入った見学施設です。平日のせいか、お客さんは少なく閑散としていました。航空関係者らしき人(マニアも含めて)、高齢者夫婦、子ども連れがぱらぱらといます。
次は展望施設からの眺望で貨物旅客機の駐機場です。
施設周辺の風景をながめながら、もう40年以上前に成田闘争ということがあって、死者まで出たわけですが、その後生まれた人たちにとってはそれらは知らない出来事になってしまいました。
博物館から繰り返し見える離陸時の航空機のおなかです。
ここを訪問する前に読み終えた小説が「島のエアライン」という作品でした。
自分の中では小説の雰囲気が盛り上がりました。
2018年07月23日
千葉県成田山新勝寺
千葉県成田山新勝寺
土用の丑の日7月20日金曜日に訪問しました。
うなぎがおいしい。
おいしいものを食べると、生きていて良かったと思います。
境内にある三重の塔が美しい。
節分のときに相撲取りが豆まきをするニュースを思い出します。
土用の丑の日7月20日金曜日に訪問しました。
うなぎがおいしい。
おいしいものを食べると、生きていて良かったと思います。
境内にある三重の塔が美しい。
節分のときに相撲取りが豆まきをするニュースを思い出します。
2018年07月22日
さざなみのよる 木皿泉
さざなみのよる 木皿泉 河出書房新社
読む前の情報として、小国ナスミという女性43歳が亡くなったところから物語が始まるらしい。どうやって、死んだ後の世界を描いて感動を呼び起こすのか。そこに注目しながら読み始めました。
全体で14話の短編がくっついて成立している物語です。
第1話:癌で死ぬ。本人に実感なし。過去形の記述が続きます。朝、目が覚めると、まだ死んでないじゃんと思う。なんだかすごいなあ。命は一個きりだから気持ちに迫るものがあります。ナスミさんはご主人の日出男さんと富士ファミリーという屋号のコンビニみたいなスーパーを自営している。ナスミさんの1人称記述が続く。周囲のみなさまに感謝している。動きのない場所が、ここ。ラストの「ぽちゃん」うまいなあ。
第2話:ナスミの夫、日出男の目線で話は進む。ひらがな表記が上手に使ってある。ぽちゃんは、伏線になるのだろう。(読み終えて:伏線にはなりませんでした。)
第3話:おんばざらだるまきりっくそわか。ナスミさんの妹である月見さんが語る。義母と月見さんのこと。そしてナスミさんが亡くなる。「ちぃ姉ちゃん:複数の姉のうち、自分の年齢に近い姉をさす。」。ナスミさんの上にもうひとりの姉、鷹子さんがいる。
第4話:ナスミさんの夫、日出男さんの目線。日出男さんには、人間が文字に見える。東京での夫婦生活スタートの思い出話が良かった。
第5話:母親とナスミの対立があります。されど、もう、ふたりとも亡くなっています。ナスミの父方おばの笑子さんが、それを語ります。「アーモンド型の目」、それは窓の記述、設定が良い。死ぬのはそんなに悪くないもいい。
第6話:床屋店主の清二、食堂経営マンボの登場。清二とナスミの中学生当時の家出話。それぞれが、そのとき、本当に好きだったものは、お互いではないものだった。
第7話:佐山啓太の登場。この部分、偶然ですが、最近の事件で、近隣に住む小学生をさらっての殺人事件やお金目的ネットで募集後の女性殺害事件と重なります。この本のこの部分を読んだら、人殺しなんてしなくて済んだのにと思わせてくれる記述です。こんにちは、さようならの四行詩が光っています。「私たちは本当は危うい世界に生きている。」の部分がいい。「よいことも悪いことも受け止めて最善を尽くす。」もいい。
第8話:加藤由香里の登場。セクハラ上司との対決です。悲しい話でした。読んだ人が明日もがんばろうと思える本をつくろうが良かった。あげたりもらったり、繰り返しながら生きてゆくが良かった。
第9話:床屋の清二さんの妻利恵さんが語ります。結婚後、家を出ようとしたことがあるが、ナスミに止められた。そのことを、今もだれも知らない。味わいがあります。今年読んで良かった1冊になりました。
ここまで、読んで、以前読んだことがある同作者の「昨夜のカレー、明日のパン(ゆうべのカレー、あしたのパン)の感想文を読み返しました。この本と類似の内容でした。ブラッシュアップしてあるのかもしれません。ただ、カレーの物語のあらすじをもう覚えていません。2014年の2月に読みました。
第10話 兄啓介、妹愛子です。最初にふたりはだれの子? 既婚者ナスミと啓介の男女交際です。さいごは、まあ、びっくりです。
第11話 漫画家さんが出てきます。「続け!」が良かった。
第12話 夏美はナスミ45歳。加藤由香里が登場。
第13話 「めんどくさいから、とりあえずそういうことにしておこう。」は、よくあることです。最初、光は8歳の男の子だと固定観念で思いこんで読んでいたので、途中、わけがわからない部分にぶつかり、しばらくして、光は女の子だと気づきました。「いのちがやどっている。」
第14話 最後は厳しい話です。うーむ。どうかなあ。物語のスパン(期間)がとても長い。私の好みの終わり方ではありません。
タイトル「さざなみのよる」を見ていて、「さよならのよる」のほうがしっくりくると思いました。
読む前の情報として、小国ナスミという女性43歳が亡くなったところから物語が始まるらしい。どうやって、死んだ後の世界を描いて感動を呼び起こすのか。そこに注目しながら読み始めました。
全体で14話の短編がくっついて成立している物語です。
第1話:癌で死ぬ。本人に実感なし。過去形の記述が続きます。朝、目が覚めると、まだ死んでないじゃんと思う。なんだかすごいなあ。命は一個きりだから気持ちに迫るものがあります。ナスミさんはご主人の日出男さんと富士ファミリーという屋号のコンビニみたいなスーパーを自営している。ナスミさんの1人称記述が続く。周囲のみなさまに感謝している。動きのない場所が、ここ。ラストの「ぽちゃん」うまいなあ。
第2話:ナスミの夫、日出男の目線で話は進む。ひらがな表記が上手に使ってある。ぽちゃんは、伏線になるのだろう。(読み終えて:伏線にはなりませんでした。)
第3話:おんばざらだるまきりっくそわか。ナスミさんの妹である月見さんが語る。義母と月見さんのこと。そしてナスミさんが亡くなる。「ちぃ姉ちゃん:複数の姉のうち、自分の年齢に近い姉をさす。」。ナスミさんの上にもうひとりの姉、鷹子さんがいる。
第4話:ナスミさんの夫、日出男さんの目線。日出男さんには、人間が文字に見える。東京での夫婦生活スタートの思い出話が良かった。
第5話:母親とナスミの対立があります。されど、もう、ふたりとも亡くなっています。ナスミの父方おばの笑子さんが、それを語ります。「アーモンド型の目」、それは窓の記述、設定が良い。死ぬのはそんなに悪くないもいい。
第6話:床屋店主の清二、食堂経営マンボの登場。清二とナスミの中学生当時の家出話。それぞれが、そのとき、本当に好きだったものは、お互いではないものだった。
第7話:佐山啓太の登場。この部分、偶然ですが、最近の事件で、近隣に住む小学生をさらっての殺人事件やお金目的ネットで募集後の女性殺害事件と重なります。この本のこの部分を読んだら、人殺しなんてしなくて済んだのにと思わせてくれる記述です。こんにちは、さようならの四行詩が光っています。「私たちは本当は危うい世界に生きている。」の部分がいい。「よいことも悪いことも受け止めて最善を尽くす。」もいい。
第8話:加藤由香里の登場。セクハラ上司との対決です。悲しい話でした。読んだ人が明日もがんばろうと思える本をつくろうが良かった。あげたりもらったり、繰り返しながら生きてゆくが良かった。
第9話:床屋の清二さんの妻利恵さんが語ります。結婚後、家を出ようとしたことがあるが、ナスミに止められた。そのことを、今もだれも知らない。味わいがあります。今年読んで良かった1冊になりました。
ここまで、読んで、以前読んだことがある同作者の「昨夜のカレー、明日のパン(ゆうべのカレー、あしたのパン)の感想文を読み返しました。この本と類似の内容でした。ブラッシュアップしてあるのかもしれません。ただ、カレーの物語のあらすじをもう覚えていません。2014年の2月に読みました。
第10話 兄啓介、妹愛子です。最初にふたりはだれの子? 既婚者ナスミと啓介の男女交際です。さいごは、まあ、びっくりです。
第11話 漫画家さんが出てきます。「続け!」が良かった。
第12話 夏美はナスミ45歳。加藤由香里が登場。
第13話 「めんどくさいから、とりあえずそういうことにしておこう。」は、よくあることです。最初、光は8歳の男の子だと固定観念で思いこんで読んでいたので、途中、わけがわからない部分にぶつかり、しばらくして、光は女の子だと気づきました。「いのちがやどっている。」
第14話 最後は厳しい話です。うーむ。どうかなあ。物語のスパン(期間)がとても長い。私の好みの終わり方ではありません。
タイトル「さざなみのよる」を見ていて、「さよならのよる」のほうがしっくりくると思いました。
2018年07月18日
DESTINY 鎌倉ものがたり 邦画
DESTINY 鎌倉ものがたり 邦画 DVD
自分には合わない映画でした。
DESTINYは運命、宿命。
映画の内容は、知らなかったのですが、原作がマンガで、映像は、空想幻想妖怪霊魂ファンタジーです。
江ノ電を模した電車一両が空中に浮かぶ長い線路を走る姿は美しかった。
理屈っぽかった気がします。
特撮はすばらしい。
鎌倉の文学館に行ったことがあります。主人公たちの家が文学館の雰囲気でした。
調べた言葉として、埒が明かない:らちがあかない。事態が進展しない。
堺雅人 高畑充希
自分には合わない映画でした。
DESTINYは運命、宿命。
映画の内容は、知らなかったのですが、原作がマンガで、映像は、空想幻想妖怪霊魂ファンタジーです。
江ノ電を模した電車一両が空中に浮かぶ長い線路を走る姿は美しかった。
理屈っぽかった気がします。
特撮はすばらしい。
鎌倉の文学館に行ったことがあります。主人公たちの家が文学館の雰囲気でした。
調べた言葉として、埒が明かない:らちがあかない。事態が進展しない。
堺雅人 高畑充希
2018年07月17日
8年越しの花嫁 邦画
8年越しの花嫁 邦画 DVD
今年観て良かった映画の1本になりました。
本は読んだことがあったので、どうやって、8年間の空白を埋めるのだろうかと想像がつきませんでした。ずっと昏睡状態であったのではなくて、最初は、左手がけいれんするように動き、右手が動き、まぶたが開き、若干記憶喪失状態で、車いす、歩行のリハビリと続いていきます。まいさんを演じた女優さんは熱演です。周囲の役者さんたちも立派な演技で感動しました。まじめな映画を観たい。
観ていて、思い出が濃厚なほど別れはつらくなる。男性が追い求める姿はときにストーカーに近くなるのですが、気持ちはよくわかります。
長い人生、だれもが、いつかは病気になって入院します。そのとき「克服」が必要になります。
8年間は長いけれど、長い分、幸福感に満たされます。人間ってすばらしい。死んではだめです。
ご家族が、もういい。ほかをあたってくれみたいになるのは仕方がありません。「君は家族じゃない。」71分過ぎからは舞台劇を観るようでした。なんて、やさしい男なんだろう。「もう一度」と言う女性と「(以前から)ずっと」という男性。
冒頭付近のフェリー船内を観て、(このフェリー乗ったことがある。)旅行で行ったことがある小豆島でした。身近に感じました。
土屋太鳳 佐藤健 薬師丸ひろ子
2017年11月11日付感想文
8年越しの花嫁 キミの目が覚めたなら 中原尚志・麻衣 主婦の友社
小説、つくり話だと読み始めたら違っていました。びっくりしました。事実を伝えるドキュメンタリー形式の本でした。
それまで健康に見えたのに、1月に心肺停止してしまった。8年は長い。とてつもなく長い。12月17日に結婚式場を予約した。挙式は、翌年3月11日の予定だった。
脳の病気の原因は書かれていませんが、そういう病気があるのだとは納得しました。
おもに夫の記録です。
妻のほうは、記憶がありません。
日記を戻りながら記事をひろっていきます。日記の強みです。
ご両親が出てきます。両方のご両親は似ています。風貌も似ています。
「世の中には神も仏もない」、「生きてるだけで、まる儲け」
泥まみれになって、幸せをすくいだすような表現。
どうしても親の立場で読んでしまいますが、ふたりを止めることはできません。
今年観て良かった映画の1本になりました。
本は読んだことがあったので、どうやって、8年間の空白を埋めるのだろうかと想像がつきませんでした。ずっと昏睡状態であったのではなくて、最初は、左手がけいれんするように動き、右手が動き、まぶたが開き、若干記憶喪失状態で、車いす、歩行のリハビリと続いていきます。まいさんを演じた女優さんは熱演です。周囲の役者さんたちも立派な演技で感動しました。まじめな映画を観たい。
観ていて、思い出が濃厚なほど別れはつらくなる。男性が追い求める姿はときにストーカーに近くなるのですが、気持ちはよくわかります。
長い人生、だれもが、いつかは病気になって入院します。そのとき「克服」が必要になります。
8年間は長いけれど、長い分、幸福感に満たされます。人間ってすばらしい。死んではだめです。
ご家族が、もういい。ほかをあたってくれみたいになるのは仕方がありません。「君は家族じゃない。」71分過ぎからは舞台劇を観るようでした。なんて、やさしい男なんだろう。「もう一度」と言う女性と「(以前から)ずっと」という男性。
冒頭付近のフェリー船内を観て、(このフェリー乗ったことがある。)旅行で行ったことがある小豆島でした。身近に感じました。
土屋太鳳 佐藤健 薬師丸ひろ子
2017年11月11日付感想文
8年越しの花嫁 キミの目が覚めたなら 中原尚志・麻衣 主婦の友社
小説、つくり話だと読み始めたら違っていました。びっくりしました。事実を伝えるドキュメンタリー形式の本でした。
それまで健康に見えたのに、1月に心肺停止してしまった。8年は長い。とてつもなく長い。12月17日に結婚式場を予約した。挙式は、翌年3月11日の予定だった。
脳の病気の原因は書かれていませんが、そういう病気があるのだとは納得しました。
おもに夫の記録です。
妻のほうは、記憶がありません。
日記を戻りながら記事をひろっていきます。日記の強みです。
ご両親が出てきます。両方のご両親は似ています。風貌も似ています。
「世の中には神も仏もない」、「生きてるだけで、まる儲け」
泥まみれになって、幸せをすくいだすような表現。
どうしても親の立場で読んでしまいますが、ふたりを止めることはできません。