2017年05月30日

すべりだい 鈴木のりたけ PHP

すべりだい 鈴木のりたけ PHP

書店の本棚で見つけて、ちょっと迷って、さっさと買いました。
こどもは、すべりだいが好きです。

帯にある「いくよ、もう、とめられないーい!」に実感がこもっています。

ぶらんこよりも、すべりだいが好きなこどものほうが多いと思う。

スタートです。
まずは、フツーのすべりだい。

つぎは、ながーい、すべりだい。

そのつぎは、ひくーい、すべりだい。

ブレインストーミングのアイデア出し作業です。

くるくる回転すべりだい。このへんまでは、凡人にも出てくる。
おうっ、スプリングには意表を突かれました。

だじゃれパターン

すべれない…は、傑作でした。
こどもさんもよろこぶでしょう。

おー、すごい発展があります。

おもしろい!

どかーん。

ひょえー

うぉー

着地成功

やりましたー

あとは、読み聞かせるだけ―

買ってよかった。

今年読んで良かった1冊になりました。  

Posted by 熊太郎 at 18:21Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2017年05月28日

なにがあってもずっといっしょ 2017課題図書

なにがあってもずっといっしょ 2017課題図書

(1回目)
 サスケというなまえの犬がいます。
 サスケは、サチコさんという中年女性に飼われています。
 小学生の下校時にサスケに声をかけてくるこどもたちがいます。
 声をかけてくる小学校低学年のうち、女の子は、サスケを「あんず」と呼びます。男の子は、「チュージ」と声をかけてきます。だけど、サスケは、自分の名前は「サスケ」だと主張します。でも、犬の言葉は小学生たちには理解できません。

 ネコが登場します。ネコは太っていて、態度もでかい。
 ネコがなんの関係で登場したのか、このときの本読みでは理解できませんでした。

 「信じる」というキーワードがあります。
 サスケが、飼い主のサチコさんの帰宅を信じるということです。
 サスケが、サチコさんに、捨てられていないといことをサスケが信じるということです。

 昔の作品で、「吾輩は猫である」という小説がありました。
 小説のジャンル(分類)としては、その系統に入る作品です。
 人間が動物の姿に変わって、なにかのメッセージを送るのです。
 「交流」とか、「(疑似)親子関係」もあるようです。

(2回目の本読み)
 短いので、もう1回読んでみました。
 絵はかわいい。

 犬を飼っている小学生向けの本だろうか。
 犬以外のペットを飼っている小学生もいるでしょう。

 「サチコさんはイヌのことばがわかる」というのは、「イヌのきもち」がわかるということです。
 思いやりの心がないと、あいての気持ちはわかりません。
 思いやりのきもちは、たくさんの体験から生まれてきます。悲しいおもいをしたことがある人ほど、やさしいきもちをもつ人になれます。
 
 こどもを犬に擬人化しているわけではない。

 飼い犬と散歩をしたことがある人には、物語の内容が実感できるでしょう。

 イヌもやきもちをやきます。

 サスケは、家の敷地を飛び出しました。
 サスケにとっては、冒険です。
 ただ、ネコにとっては、フツーのことです。

 うーむ。なんだろう。
 「信じる=食べ物や愛情を与えてくれる飼い主に対する依存」があります。
 それを「忠義」と言う人もいます。
 
 サスケには、きゅうりも食べる「食欲」があります。空腹だからです。

 イヌのことば、人間のことば、ことばにたいするこだわりがあります。

 飼われている犬は、自分で、食料を確保できない。確保する意思もない。
 それを是(ぜ。あたりまえのこと)とするのは、秩序ある平和な世界のなかにいるからです。
災害や戦争の渦中では自活できないと放置されます。
 だからイヌは、飼い主に感謝します。そして、ネコはイヌを軽蔑します。イヌの首にはロープ(リード)がつけられていますが、ネコの首には、ロープはありません。
 イヌは、ロープを「自由」だと誤解しています。
 移動の自由を奪う束縛だとは考えていません。  

Posted by 熊太郎 at 14:49Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2017年05月27日

アランの歯はでっかいぞこわーいぞ 2017課題図書

アランの歯はでっかいぞこわーいぞ ジャー・ヴィス BL出版 2017課題図書

アランというのはワニです。
ちいさな子どもさん向けの大きな絵本です。
わたしはおとなだから、へんなふうに考えるのです。

ワニの歯は武器です。
武器と言えば北朝鮮の核ミサイルです。
そんなふうに想像が重なるのです。
おいらは、核ミサイル(とんがったたくさんのワニの歯)をもっているぞ。
おいらの言うことをきかないと、ミサイルを撃ち込むぞ。(嚙んじゃうぞ)

アランの行動からは、みんなと仲良くなりたいという気持ちがくみ取れません。
自己顕示欲(じこけんじよく。めだちたい)の固まりです。
弱い者いじめの面もあります。
カエルやオウムはちいさい。

アランの朝の支度(したく)は、女性のお化粧シーンのようです。

種明かしである「入れ歯」はおもしろい!
 
改心したアランはおもしろくないし、改心などしないし、嘘つきに決まっています。

でんでん虫(かたつむり)が至る所に出てきます。
なにか意味があるのでしょう。
でも、その意味はわかりませんでした。
それから、このお話を書いた人の国籍もわかりませんでした。  

Posted by 熊太郎 at 19:31Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2017年05月25日

ストロベリーライフ 荻原浩 2017課題図書

ストロベリーライフ 荻原浩(おぎわら・ひろし) 毎日新聞出版 2017課題図書

 安心して読める直木賞作家の家族小説です。
 読み始める前に、タイトルから、いちごがからんだ生活であると予測します。
 主人公は静岡県出身望月恵介36歳妻子もち3人家族東京在住デザイン個人事務所経営です。タイトルのストロベリー(いちご)から、久能山東照宮(日本平とか三保の松原あたり)付近のいちごハウスを思い浮かべましたが、もとはトマトハウス栽培を実家がしていたとのことですので、よその土地でしょう。

 父親が脳梗塞で倒れて搬送されて駆けつけてというところまで読みました。
 3人の姉と望月恵介の4人きょうだいです。(愛称モッチー)。農家を継ぐのはだれという問題が生じました。仲良し兄弟ではありません。上手に書いてあります。

(つづく)

 文章にリズム感があります。リズム感がない文章は読みにくい。賞を受賞するためには音楽のセンスも必要です。

 おそらく、東京で働く夫婦が、実家に帰って農業(いちご農家)をすることになるのでしょうが、農家は大変です。束縛と低収入があります。
 農家とは、農業とは、自然との共生、肉体労働、心の健康には良し。
 
 「若さ」と「老い」の比較があります。

 子育て、部下の育成に似ているイチゴ栽培の秘けつです。風通しのいいところで育てる。
寒風にさらしたほうが強くなる。雨には当てすぎないほうがいい。

(つづく)

 読み終えました。山や谷はゆるやかで、おっとりとした感じで終了しました。大きな波があるわけではありません。大きく変わる冒険があるわけでもありません。おとなしい作品でした。安定感と安心感はありました。今の日本の家族像の一面がやさしく描かれていました。

 農業を選ぶ。農業を選べる。それは、「逃げ」なのかもしれない。
 地元の高校を卒業して、東京の大学を出て、仕事に就いたけれど、うまいこと収入につながらない。そんなとき、ふるさと両親の財産に身を寄せてみようという「甘さ」はどうしてもあります。

 「土地」、親族は「土地」を巡って、所有権を主張したい。土地はなかなか手に入るものではありません。
 農地には、優遇制度があります。でも、農業をする気のない人間が制度を利用してはいけない。
 主人公は、デザイナーと農民のふたつを選択します。

 良かった表現として、「自分より年下の人間はすべて説教の対象」、「毎日見ていると富士山はうっとうしい存在」、「たてがみのないライオン3頭(3人の姉をさして)」、「富士山は夜のインクにとけていった」、「ホジョ―ニオヤカブ」、「農家における忍耐と繊細さは、女性に向いている」、「らくらくコッシーDXデラックス」、「紅ほっぺ(112パック3万円)と章姫あきひめ(500パック15万円)」、「観光資源としての富士山」、「どこに住むかではなく、だれと住むかが大事」

 難しき漢字として、「齧る:かじる」、「嵌める:はめる」、「高設栽培:人口培養土を使用する。」、「手タレ:手のみを映像に出すタレントさん」

 いろんな言葉が頭に浮かびます。「ふるさと再生」、「地方の時代」、「サービス業」、

 親族の一致協力、団結があります。

 「富士望月いちご:新しい品種への挑戦」  

Posted by 熊太郎 at 18:52Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2017年05月23日

干したから 2017課題図書

干したから… 森枝卓士(もりえだ・たかし) フレーベル館 2017課題図書

 干物(ひもの。太陽光に当てて、乾燥させて食べる食べ物)のお話でした。
 きれいな写真集です。絵本というよりも写真集です。にんじん、菜っ葉、赤ピーマンを干物にした写真から始まります。

 「干したから…」、保存食として食べることができるのです。
 最初のページの写真は、ナスか貝のあわびと予想しましたがはずれました。
 トマトでした。ハズレました。トマトは太陽の下でカラカラになっています。

 次から次に干した食べ物が登場します。
 その干し物をつくった国も多様です。
 南半球南米のチリ、日本のお隣の国である韓国、メキシコ、多種多様です。

 ゲッ! 乾燥したカエルの干物に身を引きました。

 生きるために食べる。
 グロテスクでも食べる。
 食べていたら慣れる。
 食べなければ死んでしまうから食べる。
 そして、食べたものに感謝する。

 乾燥はダイエットと似ている。
 干した大根と生の大根の体重比べがあります。
 12倍ぐらい。干した大根は軽い。

 腐りかけ、カビだらけのオレンジをつくってはいけない。
 干せばいい。
 水分は失われるけれど、水分を与えれば復活するのが「干物(ひもの)」です。
 人類が編み出した、人類が生き続けるための主食クラスの食べ物です。

 かつお節。日本の代表的干物。
 昔から、そして、将来に向かっても生き残っていく干物です。

 太陽からの恵みの品物、自然の恵みの品物、人の知恵、結集されたものを人は食べている。

 電気も冷蔵庫もない。それは、それほど、昔のことでもない。
 
 外国の干物店風景は、カラフルです。  

Posted by 熊太郎 at 19:48Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2017年05月21日

耳の聞こえないメジャーリーガーウィリアム・ホイ 2017課題図書

耳の聞こえないメジャーリーガーウィリアム・ホイ ナンシー・チャーニン 光村教育図書 2017課題図書

 短い文章の絵本形式伝記だったので、2回読みました。
 100年ぐらい前、アメリカ合衆国に実在した耳の聞こえない(障害者)プロ野球選手のお話でした。野球のサインプレーが始まった理由のひとつに、耳が聞こえない選手、ひいては、観客のために、言葉ではなく、動作で表現をするように工夫がなされ、さらに、その手法が戦略形成に寄与したという流れです。
 
 この本を書いた人は女性です。
 本のカバーを見ると、ニューヨーク州生まれ、野球好き、夫と4人の息子、2匹の猫と暮らしているとあります。
これが日本だと、どこそこ大学卒、なんとかかんとかと自慢が続きます。その点で、好感をもちました。

 1876年に開始されたメジャーリーグに、この本の主人公聴覚障害者(1862年生まれ。3歳で髄膜炎ずいまくえん・脳の病気で耳が聞こえなくなる)ウィリアム・エルワース・ホイは、神さまから与えられた環境の中で、努力を積んで、1888年26歳ぐらいでワシントン・ナショナルズに入団します。その後、イチロー選手のように、盗塁上手、フォアボールの選球眼良し。外野からの遠投が上手なプレー(ロングスローでホームベース上でランナーをアウトにする)を披露したと本の後半に書いてありました。才能に恵まれたことを夢として実現した彼なりの人生を生き通した偉大な人とみました。そして、99歳の長寿で永眠されています。人生とは、終わってみないとわからないものです。病気で障害をもった不幸ではないのです。
 彼はアメリカ人にしては小柄でした。180cm以上はある選手の中で、168cmぐらいしかありませんでした。ただし、どの種目においても、本物の選手にとって、身長が何センチなんて、関係がないようです。

 彼を支えたことのひとつに母親からの愛情があります。
 筆談や手話が出てきます。手話は野球のサインプレーを生むきっかけになったと推測します。
 本のなかでは、いじめにあったウィリアムがおかあさんからの手紙を読んで励まされます。

 絵が、単調なようで、実はそうではなくリアル(現実的、写実的、写真みたい)です。絵が生きています。

言葉の意味です。「メジャーリーガー:米国プロ野球リーグであるメジャーリーグに所属する選手」

 日本においては、昔、甲子園の高校野球大会に出たかった聾学校高校生を描いた邦画を見た覚えがあります。
たしか、「遥かなる甲子園」というタイトルで、漫画が原作で、舞台は沖縄県だったと思います。
聾学校(ろうがっこう)の高校生が、甲子園で高校野球を観戦して自分も参加したいと思い立ったのですが、耳が聞こえないからプレー中の交錯プレーで「危険」だと判断されたのです。
この本の選手のことを思うと、「バリアフリー(意識でも設備でも)」が大切だと思わされるのですが、事故がおきて賠償問題を避けたがるのはいたしかたない面もあります。人というものは、責任を追及される場になると逃げるものです。潔く謝罪する人は少ない。

 そして、人には差別したい習性があります。標準化されていないものを攻撃します。弱い者いじめもします。同じ人間でも、立場がときどき入れ替わることには、そのうち気づきます。人は人を見下してストレスを解消するのです。だから、人は強いものになろうとします。
 勝負事では、勝たねばなりません。勝つ。いいプレーをする。そうするとチームメイトが集まってきて支えてくれます。

 工夫があれば、生き抜ける。ストライクなら右手を大きく真上にあげる。ボールなら左手を横に水平に伸ばす。
 「対立」よりも「協調」を選択して目指す。
 学校時代は野球選手になれなかったメジャーリーグ選手のウィリアム・ホイは、同じくスポーツ選手を目指した障害者の人たちの目標になったことでしょう。心の中に存在する英雄的存在であったことでしょう。

 そして、「愛情」です。スポーツに対する愛情、選手に対する愛情、球団に対する愛情が相互にからみあって、優勝にたどり着けます。
 ウィリアム・ホイは、同じく耳が聞こえないという障害をもつ聾学校の先生と結婚しています。そして、こどもさんたちを育てています。これらが、実話であることがすごい。野球界を引退したあとは、聴覚障害のある労働者で野球チームを結成しています。表彰に値する偉大な人です。  

Posted by 熊太郎 at 19:45Comments(0)TrackBack(0)読書感想文