2022年12月22日

完全自殺マニュアル 鶴見済

完全自殺マニュアル 鶴見済(つるみ・わたる) 太田出版

 先日同著者の『人間関係を半分降りる 筑摩書房』を読みました。
 著者は、2歳年上である兄の家庭内暴力によって、家族関係を破壊されています。
 精神科受診歴ありです。かなり悩み苦しんでおられます。
 ゆえに、この『完全自殺マニュアル』なのです。これから読んでみます。
 不気味なタイトルですが、よく売れている本です。1993年(平成5年)出版。2022年で120刷されています。そんなに死にたい人がいるのか……
 少し前、SNSで知り合った面識がないらしき男女4人がホテルの部屋で薬物を飲んで、メンバーのうちのひとりである女子大生が、ベッドの上で袋をかぶって死んでいたというニュースがありました。
 何のために大学受験のための勉強をしたのだろう。女子大生を知る知り合いのインタビューでは、ふだんは、まじめで優しい性格のいい人だったそうです。
 つくり笑いかもしれない笑顔の奥に『心の闇』が隠れている。二重人格みたいな人がいます。
 自殺されると、残された家族の心には深い傷跡が残ります。後悔という心の傷は、自ら(みずから)が死ぬまで永遠に消えません。自殺した事実を認めたくない遺族もいます。認めると自分の心が崩壊するからです。
 先日はテレビ番組『家、ついて行ってイイですか?』で、女子大生当時に妊娠出産をして、実家の親から勘当(かんどう。親子の縁を切る)されて、東京で、幼い娘と貧困暮らしをしてきた年配の女性の話がありました。たいへん苦労されて、幼かった娘さんは五十代になられてから、がんになって亡くなっています。見ていて思ったことです。世間体(せけんてい)よりも中身が大事。他人の目よりも、自分たちが生きているという幸せが大事です。実家のご両親、とくにお父さんには妊娠した娘さんを許してほしかった。

 この本の帯には『18歳未満の方の購入はご遠慮ください』と書いてあります。本は、ビニールで包まれていて中身を見ることができない状態で注文後送られて来ました。わたしは、もう老齢者で18歳未満ではないので堂々と読みます。自殺しなくても、お迎えまでの時期のほうが近い年齢になってしまいました。

(1回目の本読み)
 わたしが実用書を読むときは、まず、1ページずつゆっくりめくりながら最後のページまで目を通します。何が書いてあるのか、あらかじめ全体を把握してから2回目の本読みをします。

 「はじめに」があります。
 これから先、自殺するための方法が書いてあるそうです。
 本当は、自殺するための方法だけを淡々と書きたいけれど、営業上の理由で、書きたくないことを書いておかなきゃいけないという趣旨で、この本の出版の理由が書いてあります。読者が予想するであろうとおり、筆者は、自殺してはいけないというメッセージをこの部分に書き記しています。

 救いのある本です。
 生きようとしている。生きたいと訴えている文章です。
 すごい気合が入っている文章です。
 8ページでは、小説家太宰治(だざい・おさむ)氏のことが思い出されました。(その後やはり自殺した小説家芥川龍之介氏のことも出てきました。そういえば、川端康成氏も自殺でした。小説家の心理にとって自殺行為は身近なものです)

 本文に移りました。

 不謹慎な言い方ですが、おもしろい出だしです。
 通信簿のような五段階評価があります。株式投資参考分析のための会社評価の円に囲まれた六角形の表のようでもあります。
 (死ぬときの)
 苦痛、手間、見苦しさ、迷惑、インパクト、致死度の五段階評価です。

 クスリのページを見ていてびっくりしました。
 薬局で売っている薬の写真があります。(市販の薬で死ねるのか)

 全体をとおして、すごい文章量です。
 著者はすさまじいエネルギーと時間をこの本に注ぎ込みました。
 専門用語もけっこうあります。わかりやすく説明されています。

 次に出てきたのが『煙草(タバコ)』です。
 そうか、喫煙は自殺行為なのか。

 次が首つり。
 よくある手段です。

 69ページまで読んで、ふと、思い出したことがあります。
 二十代のころ、職場の先輩が話していたことがあります。
 『自殺は、その時は止められても、次の時には止められない』
 自殺志願者は、しじゅう自殺することを考えているから、一度止めることができたとしても、その数時間後、数日後、数週間後に再び試みられた時には止めることが無理というものでした。(納得できました)

 『樹海(じゅかい)』富士山麓の森の中で道に迷って餓死するということだろうか。
 場所の地図やバス停の写真まであります。
 『地元の人に怪しまれるな!』なんだか、ユーモラスにすら思えてきます。
 
 ビルからの飛び降りです。
 20m以上の高さが必要だそうです。
 4階建て、10mぐらいだと死に損ないそうです。
 
 崖や団地の固有名詞が出ています。

 ときに医学書を見るようです。
 体の部位の解体図みたいなものがあります。
 
 ああ、練炭自殺ってありました。安楽死できそうです。(そういえば、自分は中学一年生の冬に、練炭ごたつ(れんたんごたつ)の中で眠り込んで、一酸化炭素中毒にかかって病院に搬送されたことがあります。手術台の上で意識を取り戻しました。無影灯(むえいとう。明るく白く輝くライト照明)が天井にありました)この本では、車でのガス中毒が紹介されています。

 『自殺村』というところが大阪にあったそうです。
 この本は、自殺の研究書です。

 入水(にゅうすいじさつ)からは、心中(しんじゅう)を思い浮かべます。男女の心中。母子の心中。風呂場でもOKと書いてあります。祖母と孫の心中もあります。悲しいことです。

 火柱をあげての自殺は激しい。(焼身自殺です)
 雪山での凍死。
 餓死。いろいろあります。
 クマにかみ殺される。
 生命保険がらみ。命は金です。
 最後のほうは、自殺のデータです。死に方の分類です。
 アメリカ合衆国での自殺は、銃がらみの自殺です。銃社会という背景があります。
 
 最後のページまできました。
 思い切りがいい文章でした。

 自殺はやめましょう。
 急がなくても、人間はだれでも必ず最後には死にます。

(2回目の本読み)
 さて、最初に戻って、ゆっくり読み始めます。
 『クスリ』です。五段階評価で、死ぬのには、手間がかかるとあります。この部分を読み終えてわかったのですが、かなり大量の薬を飲まないと死ねません。人間の体の自然の働きとして、途中で、具合が悪くなって吐いてしまうそうです。苦しそうですからやめましょう。
 クスリの種類がいろいろ書いてあります。
 サプリメント(栄養補助食品)が流行っていますが(はやっていますが)、まあ、へんなものやわけのわからないものを口には入れないほうがいいです。

 医薬品以外として『煙草(タバコ)』が紹介されています。
 あかちゃんが2本ぐらい誤飲すると死んでしまうこともあるそうです。子育て中の方は注意しましょう。喫煙者のご両親や祖父母の方は禁煙しましょう。

 殺虫剤の紹介があります。人間が飲むものではありません。やめましょう。(この本を読んでいたころに同時進行で読んでいた作品『硝子の塔の殺人(がらすのとうのさつじん) 知念実希人(ちねん・みきと) 実業之日本社』で、ねずみを殺す薬が犯罪に使用されていました)
 灯油やガソリンも飲んじゃだめです。

 そうか。読んでいると、日常生活の中に、毒になりそうなものがたくさんあります。

 いじめが原因の中学生の自殺のことが書いてあります。
 学校側には、勉強よりもいじめ撲滅を最優先に取り組んでほしい。

(つづく)

 『首吊り(くびつり)』
 思い出したことがあります。
 もう半世紀以上昔の話ですが、(50年以上前の出来事)自分は、小学校一年生の時に(そのとき、祖母に止められて亡くなった方を見てはいませんが)首吊りの現場にいたことがあります。
 父方祖母とまだ6才だったわたしのふたりで、祖母の友人で、近所でひとり暮らしをしているおばあさんの家にむだ話でもしようと訪ねて行ったら、そのおばあさんが家の奥の部屋で首をつって亡くなっていました。(もう忘れていた記憶が、本のこの部分を読んでいてよみがえりました。実際の光景を見なくてよかった)その後、そのおばあさんのお葬式では、自分は祖母に言われて、葬式行列の先頭付近で位牌(いはい)を両手で持って、山の中腹にある集落の墓場まで歩きました。当時はまだ土葬(どそう)だったので、葬式行列で歩く自分の後に円筒形の棺桶がついてきました。いろんなことを思い出してしまいました。そのときの労働のごほうびが、古新聞紙に包まれたお菓子でした。

 本書によると「首吊り」は、最善の自殺の手段だという趣旨で解説があります。
 変な表現ですが、「お勧め(おすすめ)」なのです。
 しばらく前に、刑務所で収監されている死刑囚が、死刑の手段として「首吊り」は残虐(ざんぎゃく)だからけしからんというような訴えを裁判所に起こしたというニュースを見ました。(そういうものなのかとその時は思いました。されど、この本によれば、楽に死ねるそうなのです)
 高さは必要がない。脳に血を送る動脈を締めれば人間は死ぬそうです。
 脳への血液供給を止める。
 一瞬で意識がなくなる。苦痛なしとあります。(わたしは嫌です)
 ふざけていて、事故死のように亡くなった例がいくつか紹介されいます。
 ただ、完ぺきな死を迎えるためには、一定の時間がいるそうです。
 実例として、歌手の例、連合赤軍の活動をしていて殺人をおかし収監されていた最高幹部の例、精神病院の患者の例などがあげられています。
 年間1万人もの人が首つり自殺で亡くなっているそうです。
 なんなんだろう。明日に希望がもてない環境になると、人は、明日を生きることをあきらめる。ちょっとはっきり思い出せないのですが、邦画作品「男はつらいよ」のフーテンの寅さん(とらさん)のセリフだったか、何かの本に書いてあったフレーズで『幸せとは、明日が楽しみだと思える生活を送ること』というような格言めいた言葉がありました。そんなことを、この本を読みながら思い出しました。『たまに、幸せだなあと思える時がある。それを幸せっていうんじゃないかなあ』というのが、寅さんのセリフだったような記憶です。

 『樹海(じゅかい)』富士山の山麓です。森の中に入って、迷って餓死するのかと思ったら、森の中で首を吊るそうです。死後、見つからないようにするそうです。(ひとりぼっちでさみしそう。死後、だれかに見つけてほしいという気持ちはないのか)
 年1回、自衛隊の歩行訓練があって、死体が発見されるそうです。
 平凡なコメントですが、死ぬ気があったら、死ぬ気で生きてほしい。

『飛び降り』
 何十年も前に東京のビルから飛び降り自殺をした女性アイドル歌手の名前が出てきます。18歳でした。ショッキングな自殺でした。覚えています。すでに結婚していましたが、自分も若かった。アイドル女子は、いろいろとがんばりすぎて、心身をコントロールできなくなったのでしょう。
 彼女がデビューして人気が出てテレビに出ていた当時、わたしの知り合いのおばちゃんが彼女の知り合いで、おばちゃんがサインをもらってあげるわと言い、おばちゃんから白い厚紙に書かれた彼女のサインをもらいましたが、その後自分が引っ越しを二度したこともあって、そのサインはどこかにいってしまいました。
 偶然ですが、先日電子書籍の週刊誌を読んでいたら、彼女のご両親は彼女が自殺したあと離婚されたという内容の記事を読みました。
 自殺は、あとに残された人にも深い悲しみを連鎖させていきます。自殺はやめましょう。
 この本では、飛び降りは、苦痛はないことが多いけれど、迷惑をかけることは、はなはだ大きいと解説されています。巻き添えで、たまたま建物の下にいた関係ない人まで死ぬこともあります。自殺はやめましょう。
 スカイダイビングのような感じです。数秒間の間に、思い出が走馬灯のように流れるそうです。(死にきれなかった人の話です。転落しても死ねない人もいます。自転車置き場の屋根とか車の屋根がクッションになるそうです)
 転落後に死んだ姿はむごい姿になるそうです。
 先日読んだ『闇祓(やみはら) 辻村深月(つじむら・みづき) 角川書店』を思い出します。古い建物を改装したサワタリ団地から複数の主婦が時期を変えて飛び降り自殺をします。

 いじめを受けた中学生は自殺をしやすい。
 『毎日いじめられるので、学校に行くのがいやになりました……』関係者はいじめ防止に熱意を注いでほしい。
 いじめた中学生たちは、『バンザーイ!』と言ったそうです。おもしろいとか退屈だったからが、いじめた理由です。狂っています。脳みそへの教育がされていません。生まれたところからやり直しです。
 
 団地からの飛び降りが多かったという説明があります。
 そういえば、昭和50年代に、大都市には、自殺の名所となっている高層の公団住宅があった記憶です。もうすっかり忘れていました。

 今は96ページにいます。気が重くなってきました。『孤独』は、死に近い。
 ビルの高いところから下を見下ろす写真があります。怖い(こわい)。死にたくありません。

『手首・頸動脈切り(けいどうみゃく。首のあたり)』
 わたしは小中学生のころ、将来は動物園の飼育員か獣医になろうかと思っていたことがあります。でも、よく考えたら、血を見ることが怖い人間だったので、医者とか獣医には向かないということが自覚できました。ゆえに、手首を切るなどというおそろしいことはわたしにはできません。

 文章を読んでいて気分が悪くなってきたので速読します。
 なかなかこの方法では死ねないそうです。
 スリル(恐怖)はあります。
 この本は1993年の本です。(平成5年)。
 今年の紅白歌合戦に出るかもしれないとニュースが流れた当時のアイドル歌手の名前が書いてあります。その昔、自殺企図(じさつきと)がありました。
 (今は、みんな歳をとりました。昔も今も、十代アイドルのメンタルの管理は、関係者がしっかりやったほうがいい)

 死にたかったら手首を切り落とせみたいに書いてあります。無理です。やめましょう。
 それから、首を切るなんて、おそろしくてできません。
 心臓を刺すのもむずかしそうです。
 
 挑戦して、死ねないことがわかって『助けてーー』と叫んだ女子高生の例が書いてあります。

 この付近を読んでいて思い出した作品があります。『1リットルの涙 木藤亜矢』病気で亡くなった娘さんの手記です。たしか『ばかでもいいから五体満足な体がほしい』と書いてありました。
 生きたいのに死ななければならない運命の人たちがいます。自分から死んじゃだめです。

 会社の不正を隠すために死んだ人がいます。
 不気味です。遺書に『会社の生命は永遠です……』自分の生命は永遠ではないのです。間違っています。

 恋愛がらみの自殺企図があります。
 案外いっしょに暮らしてみると、こんなはずじゃなかったのにと思うことが多いのに。
 『あこがれ』は錯覚(さっかく)なのです。世の中は、誤解と錯覚で成り立っているのです。
 歳をとるとわかります。

 本の中身はすごい調査能力で驚かされます。

『飛び込み』
 『飛び降り』があったので『飛び込み』って何だろうと思いました。
 鉄道への飛び込みでした。
 かなり問題のある自殺方法のようです。
 見苦しさ、迷惑が5段階評価の5です。
 永い人生を送ってきたので、人生経験のひとつとして、一度だけ電車にひかれた人を見たことがあります。顔は挫傷して(ざしょう。ひきずった。こすれた)性別も表情もわからず、粘土の塊(かたまり)のようでした。こわいとは感じませんでした。見た目は、粘土でできた人形のようでした。毛布をかぶせられて担架で運ばれて行きました。亡くなっていたと思います。
 鉄道への飛び込みはおおぜいの人たちに迷惑をかけるからやめてほしい。そもそも自殺自体をやめてほしい。
 
 妻のある男性との不倫関係で悩んで電車に飛び込んだ女性の例が書いてあります。
 『不倫』は、自殺の理由になるのです。不倫はやめましょう。

 鉄道自殺に失敗して、両足を失った女性のことが書いてあります。
 その後、義足を付けて結婚されて2児をもうけておられます。
 洋画『フォレスト・ガンプ』に出てくる軍隊でフォレスト・ガンプの上司だった軍曹のようなポストの男性を思い出しました。彼は戦場で戦っていた時に、敵の爆弾で足を失います。彼は軍人としての名誉のために俺はここで死ぬと主張するのですが、フォレスト・ガンプが彼をかついで助けます。長いこと、上司はフォレスト・ガンプを死なせてくれなかったとうらみますが、やがて、うらみが晴れる時が来ます。生きていなきゃだめなんです。

 125ページに『三原山』が出てきました。伊豆諸島の大島にある火山です。
 どういうことだろうと首をかしげましたが、火口に身を投げるそうです。捜索もしてもらえないそうです。なんだかすさまじい話です。

『ガス中毒』
 ガスをためて爆発させて爆死するのかと思ったら、ガス管を口にくわえて死ぬやり方があるそうです。(小説家川端康成氏がそうだったそうです)
 だけど、たまったガスに引火して、爆発することもある。近所迷惑です。別の部屋の人が巻き添えで亡くなったこともあると事例が紹介されています。自殺を図った本人は生き残っていたりもします。これはもう殺人罪です。
 都市ガスではなかなか死ねないとあります。
 ガスを吸って中毒で死ぬ。
 車の排気ガスを吸って死ぬ。
 そういえば、小学校低学年のこどものころ、排気ガスのにおいがとてもいいにおいで、うれしい気持ちで吸った体験があります。(あぶなかった)
 
 この死に方に限らず、ほかの方法でも、死後発見されたときのこととして、失禁(しっきん。おしっこちびり)、脱糞(だっぷん。うんこちびり)の状態で発見されたくないという意識が人にはあるようです。ゆえに、なかなか死ねない自殺行為中にトイレに行って用を済ましてから死んでいたということがわかる人がいたそうです。(うーむ。人間の行動とはわからないものです。うんこ、しっこで、かっこわるい思いをしたくないのなら死んじゃだめです)

 自殺の理由が、借金とアルコール。うーむ。返せないお金は借りない。いや、返せない人には貸さない。アルコールはやめて白湯(さゆ。あたたかいお湯)を飲む。そのほうが体には良さそうです。

 これを書いている今、ラジオからは、昨年の今ごろ起きた大阪にあったクリニックでのガソリンまき引火爆発大量死事件のニュースが流れています。他人を巻き込んでの自殺行為です。あれからもう1年がたってしまいました。やりきれない思いが残ります。

 140ページまで読んできて、読み疲れてきました。時間をかけて、ずーっと毎日少しずつ読んできました。なんだか、自殺で死ぬのがばからしく思えてきました。これだけ労力を尽くしてあの世へ行きたいのなら、生きたほうが楽です。生きていれば楽しい体験もできます。
 以前読んだえびすよしかずさんの本に、たしか、死にたいと思った時は、おいしいものをいっぱい食べて、ぐっすり眠るといいと書いてありました。
 おいしいものを食べると、幸せな気分を味わえます。またおいしいものを食べるために、がんばって働こうと、生きていく動機が生まれます。
 疲れているから死にたくなるのです。疲れがぬけるまでぐっすり眠りましょう。

『感電』
 そんな死に方があったのか。事故死のようなものです。
 ほかの死に方でも出てきていましたが、単独のやり方ではなかなか死ねない。合わせて睡眠薬を飲んだり、アルコールを飲んだりです。

 本人が感電死しているときは、本人にさわらない方がいいそうです。まだ、その人の体に電流が流れていることがあるそうです。巻き添えはごめんです。

 別件として、大阪府内に自殺が相次いだ町があるそうです。6月4日から7月2日までに5人の男女が亡くなっています。
 思うに、公表されないがために、案外、全国各地の自治体内で自殺は起きているのではないか。
 知らないだけかもしれません。

『入水(にゅうすい)』
 体がひどい状態で発見されるそうです。
 窒息死で死ぬ。
 女性が好む方法だそうです。
 153ページ、ここまで読んできての感想です。
 原則として、人生で1回だけのチャレンジです。例外は未遂で生き残りです。再チャレンジもなきにしもあらずですが、よほどこの世がイヤなのでしょう。
 ホラーとかスリラー作品よりもこの本のほうが怖い。気になって、ネットで、ほかの方の感想も読みました。たくさんの感想が寄せられていました。むしろ、この本を読んで、死ぬのがばからしくなったというご意見もちらほら見かけました。ぜひ、そうしてください。
 入水の部分を読みながら、今年、知床半島遊覧船沈没事故で亡くなられた人たちの亡くなった時の状態と重なる細かい状態表現が書いてあって、犠牲者の方たちがとても気の毒になりました。運行事業者はひどいことをしたものです。自殺する気なんてこれっぽっちもない人たちでした。あまりにもお気の毒です。観光業に携わる(たずさわる)人たちは、事故防止にきつく努めてほしい。安全第一、人命第一です。金もうけに心を奪われないでほしい。

『焼身』
 焼け死ぬというよりもガスで中毒死すると思って読み始めましたが違っていました。焼け死ぬのです。死にそこなったら、生き地獄を味わうことになります。
 ふーっとため息をつきながら思う。いろんな本がある。本の世界は広い。死ぬ本もあれば、死にたくない本もある。
 焼身自殺では、即死できないそうです。
 この自殺を選択する理由として、悲惨(ひさん)な事情があって、その不幸な事情を世間にアピールする(ときに加害者の非を責めて、自分を責めた相手を世間のさらしものにする)ことが目的だそうです。復讐です。

『凍死』
 新田次郎作品で映画化された『八甲田山 死の彷徨(ほうこう。さまようこと)』を思い出します。
 八甲田山(はっこうださん)の山上(さんじょう)にはロープウェイで二度行ったことがあります。一度目は雪山状態ですばらしい景色と空気でした。このブログの青森県のところに写真があります。
 されど、自殺目的の山入りは悲惨です。死ぬのも根性がいります。
 北海道の大雪山での事例が書いてあります。
 
『その他の手段』
 餓死(がし):すさまじい貧困暮らしがあります。
 砂丘に埋もれる:そんなことができるのか。窒息死です。
 
 いついつどこで何があったという書き方をしてあるので、歴史書を読むようでもあります。

 クマにかみ殺された:クマ牧場のクマ舎に飛び込んでいます。そんなことをする人がいるのか。クマもびっくりしたんじゃないか。

 尊厳死(そんげんし):自殺しなくても近々死ぬ運命にある人の死です。うーむ。まわりの人は死ぬなと止めると思います。

 生命保険目当ての自殺:保険金はおりるようですが、死んだらだめです。ばかになって、働いて、倹約すればお金は残ります。

 187ページ以降はデータです。
 統計数値をながめていると、悲しい気持ちになってきます。
 人間って、何なのだろう。
 1年のうち、5月の火曜日がいちばん危ない日らしい。
 アメリカはピストル自殺が多いそうです。
 
 読み終えました。
 かなり時間がかかりました。
 疲れました。
 わたしは、長生きしたい。
 いままで苦労したのですから、リタイア後は、そのぶん楽しい思いをして極楽浄土(ごくらくじょうど。苦しみのない楽しい世界)へ旅立ちたい。  

Posted by 熊太郎 at 07:12Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2022年12月21日

はじめてのおるすばん 岩崎書店

はじめてのおるすばん しみずみちを・作 山本まつ子・絵 岩崎書店

 ひととおり読みましたが、変な感想文になりそうです。
 こどもさん向けの絵本ですが、1972年のものなので、昭和47年の作品です。かなり古い。
 時代背景や社会環境が、2022年(令和4年)の現在とはだいぶ違います。
 作者は89歳ぐらいでご存命のようです。絵を描いた女性は今年97歳ぐらいで亡くなっています。絵本は読み継がれていきます。
 絵本の最後におふたりの住所が書いてあることに時代を感じます。
 昔は個人情報が明らかでした。だれも不思議に思いもしませんでした。
 ふと思い出したのですが、昔の給料は現金払いで、給料の封筒を受け取ると、中身を確認して、給料の一覧表に受け取りましたという意味で自分の印鑑を押していました。
 一覧表には、他の人たちの給料額とか税金額、お金を借りている人は借金の返済額まで書いてありました。
 一覧表は、丸見えで、他人の欄をながめる人もいましたが、だれも自分の給料額等を隠す気もありませんでした。
 今思えば不思議な感覚でした。
 だれからもおかしいという声は聞きませんでした。
 そういうものだという思い込みがありました。

 最初、絵本のタイトルを見間違えました。
 『はじめてのおつかい』と思っていました。歳をとりました。
 『はじめてのおるすばん』です。

 おるすばんをするのは、だれかというと、まだ3歳の女の子のみほちゃんです。
 ぬいぐるみのくまと、おるすばんをします。

 ママが、ちょっとの時間だけ、外で用事をすましてくるそうです。
 (今年は、幼児が高層マンションのベランダから転落する事故が何度かありました。みほちゃんの身が心配です。でもよく考えたら、昭和47当時には、高層マンションを見かけませんでした)

 文字の大きさを変えて、恐怖を表現してあります。
 『ひとり、ひとり、ひとり、ひとり』(うまい)

 昭和40年代に母親のことを『ママ』と呼ばせる家は珍しい。みほちゃんの家は、上流階級だろうか。(『かあちゃん』が一般的でした。そう考えていたら、11ページに『かあちゃん』という言葉が出てきました)
 『ぴん・ぽーん』という玄関呼び出しチャイムの音が『びんぼー』という音に聞こえるのは、当時の、貧しい庶民の暮らしが自分にしみついているからでしょう。
 昭和40年代に玄関チャイムが付いている家は珍しかった。たいていは『ごめんくださーい』の声がけで訪問は始まりました。横に開いてあける引き戸をガラガラガラと動かして、両者の面談が始まるのでした。

 『小包でーす(こづつみ)』という郵便屋さんの声かけも、今はありません。
 日常生活の言葉から『小包』という言葉が消えました。『ゆうパック』です。
 みほちゃんの返答がいい。
 『いりましぇん』
 不在連絡票は、ごみ箱へポイです。(みほちゃんが捨てました)
 新聞屋さんが集金に来ました。
 『いりましぇん』(なかなかおもしろい)

 ひとりで待つ不安な時間帯が過ぎて、優しいママが帰宅しました。
 ごほうびありです。
 プリンです。(給食にプリンが出たことがあったような。家では見たことがありまっしぇん)  

Posted by 熊太郎 at 06:59Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2022年12月19日

不親切教師のススメ 松尾英明

不親切教師のススメ 松尾英明(まつお・ひであき) さくら社

 ネットの『これから出る本』をチェックしていて、目に留まったので注文しました。
 すると、YAHOO!JAPANニュースでこの本のことが紹介されていたのでびっくりしました。
 偶然です。

(1回目の本読み)
 わたしの読み方です。
 1ページずつ、最後のページまで、ページをめくります。
 『背の高さ順』について書いてあります。(五十音順ということもあります。ふーむ。何を基準にすればいいのだろう)
 『給食は「完食することが目的」ではない』(同感です)
 『子どもには小さなケガやトラブルを経験させておく』(意図的にケガさせるようなことはどうかと)
 宿題のことが書いてあります。自分には、漢字の練習ぐらいしか記憶が残っていません。
 『「早寝早起き朝ごはん」ができていない家庭(がある)』暮らし方が多様化しました。

(2回目の本読み)
 今、同時期に並行して読んでいる本が『人間関係を半分降りる 鶴見済(つるみ・わたる) 筑摩書店』です。こちらの本とかぶるような内容もあります。学校に適応できないこどもさんがいます。

 以前別の本を読んだ時にも書いたのですが、親にとって小学校に望むことは、こどもを死なせないでちゃんと卒業させてほしいということです。勉強ができるとか、できないとか、運動ができるとか、できないとか、そういうことは除外です。親としては、こどもが生きていればいい。その一点だけです。

 働いていたころ、どうやったら、そんなふうになるのだろうかと疑問をもったことがあります。
 その理由のヒントがこの本にあります。
 親や教師の言いなりになって育ってきたからです。
 本人がやるべきことを親や教師がやってしまっていたからです。
 だから本のタイトルが『不親切な教師になれよ それがほんとうはこどものためなんだ』なのです。
 働いていたころの一部の大卒社員の嫌だったところです。
 いつでもどこでも、だれかが自分の世話を、ただでやってくれると思っている。
 質問ばかりです。しじゅうこちらからの指示を求めてきます。
 自分の頭で考えません。
 失敗した時は、あなたの指示が悪かったから自分には責任はないと主張してきます。
 嫌になります。
 問題集は解けても仕事はできない個性ができあがっています。
 自己防衛のための言い訳や自己主張はいくらでも出てきます。

 教師が児童・生徒に対するサービス提供者になっている現状を指摘されています。

 教師の長時間残業が新聞記事になることがあります。
 不思議です。
 効率が悪いだけのことではなかろうか。
 やらなくてもいいことをやって、時間をつぶしている。
 あるいは、残業賃(ざんぎょうちん)を生活給(せいかつきゅう。生活していくために必要な毎月支給される報酬)の一部として考えている。
 働いていたころの労働時間の感じ方についてふりかえってみると、分かれるふたつのタイプがありました。
 就業時刻の始まりと終わりを気にしない人が案外いました。まあ、よく働く人たちでした。始業開始時刻の1時間前とか30分前には、職場に来ている人たちがいました。机のぞうきんがけなんかをしていました。さらにそういう人は、終業時刻が過ぎても30分ぐらいは職場にいました。未婚の仕事をやるのが好きな人間だったり、子育てがひと段落した世代だったりの人がそうでした。残業賃はつけていません。働くことが半分趣味のようになっていました。
 いっぽう、ぎりぎりに来て、すぐ帰る人たちもそこそこいました。子育て世代でした。
 どちらが幸せなことなのかは、人それぞれの感覚です。同じ人でも人生の時期によって違ったりもします。
 職場に長時間いる人は、職場が家庭みたいでした。仲間意識が強く、わきあいあいの雰囲気がありました。職場でのコーヒータイムや職場外でも飲食をともにすることも多かった。
 職場に最低限の時間しかいない人は、帰宅後の家が家庭なのでしょう。まあ、本来の姿なのでしょう。

 授業について書いてあります。
 全員が全部を理解できるわけではありません。
 人それぞれの能力と適性があります。
 得手不得手があります。(えてふえて)
 わからないものはわからないのです。
 鉄棒で、逆上がり(さかあがり)ができなくても生きていけます。
 漢字とか文章は、普段から書いていないと、高学歴の人でも書けなくなります。
 テレビ番組『チコちゃんに𠮟られる』を見ていると、漢字を書けない芸能人さんはけっこういます。それでも、稼いでいます。(かせいでいます)

 努力と根性の昭和時代を否定されるとつらい。
 楽して稼げる(かせげる)わけがない。
 会社が倒産したら、職を失って、おだぶつです。
 労働者の労働意欲が低下しているような今の現状をみると、今後の日本経済の衰退化が懸念されます。(けねん:心配、不安)

(つづく)

 学校という特殊な世界です。
 無差別にいろんな人間が同じ場所にいます。
 卒業後は、類似の人間で固まって働きます。
 たいていは、利潤を追求する仕事に就きます。
 学校のなかには、利潤を追求する活動はありません。

 靴箱に名前の表示をするといじめにつながるそうです。だれの靴かわかる。靴を隠す。


 提案されている内容は、今すぐどうこうできるようなことでもないような気がします。
 学校には、卒業とか人事異動があります。生徒にとっても教師にとっても、学校は、一時的な滞在地です。
 やることは何も変わりません。毎年同じ時期に同じことを、人が入れ替わりながらしていくところです。

 半世紀ぐらい前までは、教師はこどもを腕力(わんりょく)で押さえつけていました。
 今老齢の時期にある自分たちがこどものころの教師の体罰はひどかった。ビンタされたり、グーで殴られたり、廊下に正座させられたり、髪の毛をつかんでぐるぐる回しにされたり、男でも女でも先生は、わめいたり、どなったり、そんなことがありました。(ゆえに、社会に出て、職場でのパワハラに耐えられる度胸と忍耐力があるということはあります。あれも教育だったのか。皮肉なものです)
 親が体罰を容認していましたから地域や社会の問題とされませんでした。
 軍国主義とか、第二次世界大戦の名残り(なごり)があって、終戦後も二十五年間ぐらいは暴力でこどもにいうことをきかせる教育が続いたのでしょう。戦地から復員後の先生も多かった。授業中に何度も戦時中先生たちが戦地で体験された話を聞きました。それはそれで良かった。生きるか死ぬかのいいお話でした。
 
 学校にいるときは、こどもはこどもでしかない。
 おとなになってからが、人生の勝負が始まります。
 学校という世界をうまくいくようにするというメッセージがあります。
 ただ、それが、社会生活につながるかは不確かです。
 社会では、ルールを守らない人がけっこういます。
 人をだまそうとする人も案外います。
 きれいごとだけを教えていてはこどもの心は壊れます。
 学校は、世の中の不条理を学ぶ世界でもあってほしい。(不条理:ふじょうり。理屈が通らない。正義が通らない)不条理、不合理、理不尽(りふじん。圧力に屈する)なことがあっても、心が折れない気持ちをつくる場所であってほしい。
 校則も卒業してしまえば何のしばりもなくなります。
 学校と生徒との権利義務関係は消滅します。

 子育てはむずかしい。
 たいていは、親や先生の思うとおりには、こどもは動いてくれません。
 親は、こどもの未来にばくぜんとした不安を感じながら、とりあえず、こどもが生きていてくれればいいと願うのです。学校では、いじめや体罰のないようにしてほしい。
 間違っても命を落とすようなことはないようにしたい。
 こどもは、まだ、人生が始まっていないようなものなのです。

 宿題は、教師が満足するために出す。
 おとなになってみて、宿題をやったから、なにか成果とか実績があったとか、聞いたことがありません。

 これまでに教育界が積み上げてきたものを、ひとつずつ消去していく内容です。
 こどもが、自分のことを自分でできるようにする。
 家庭教育のことは親にやってもらう。
 教師がやらなくていいことや、やめたほうがいいことは、やらない。
 それが、こどもと親のためになると読み取りました。
 ごもっともです。  

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2022年12月17日

人間関係を半分降りる 気楽なつながりの作り方 鶴見済

人間関係を半分降りる 気楽なつながりの作り方 鶴見済(つるみ・わたる) 筑摩書房

 同著者の本に『完全自殺マニュアル』があります。(1993年発行)。著者は29歳でした。
 こちらの『人間関係を半分降りる』は、2022年の発行です。まず、この本から読んでみます。
 人間関係を全部降りるのではなく、半分降りるのです。著者は58歳です。

 自分は自殺したいと思ったことはありませんが、消えてしまいたいと思ったことはあります。どちらも似たような心理なのでしょう。
 自殺しようと思って、自殺を試みた(こころみた)のではないという話を聞いたことがあります。
 自殺未遂者(じさつみすいしゃ)の話です。
 死ぬ気はなかったのに、体がふわ~と浮いたような感じになって、線路に自分の体が吸い込まれていった。
 悩んで、思い詰めて、自分で自分の心身をコントロールすることができなくなったのでしょう。
 脳みそに『死』への招待という暗示がかかったのでしょう。
 恐ろしいことです。
 
 たぶんこの本は、人が生き続けるために必要なことが、アドバイス(助言)として、書かれている本なのでしょう。
 読み始めます。

(1回目の本読み)
 わたしが実用書を読むときは、まず、最初に1ページずつめくりながら、ゆっくりと最後のページまで目を通すという読み方をします。最後のページまでいくと、全部読んだような気分になれて安心できるのです。

 まえがきに『すべての悩みは対人関係の悩み』とあります。(そのとおりです)
 わたしが、三十歳ぐらいのころに、六十代以上だった人たちは、もう、みなさんお亡くなりになりました。
 人間ですから対立はあります。あのころのあの激しい対立や論争は、関係者全員がこの世にいなくなった今、なんだったのだろうかと過去を振り返ることがあります。
 どうせみんな最後は寿命で死んでしまうのだから、頑固(がんこ)に自己主張をするのではなく、譲り合って、仲良くしたほうがいいと思うのです。

 『家族は人間でなくてもいい』
 この項目表示を見て、ああ、ペットのことだなと思ったら、該当のページに、さらに発展して、ぬいぐるみでもクッションでもいいと書いてあるのを発見しました。最初はびっくりしましたが、共感できました。本では『鉢花』でもいいと記事があります。(その後、車でもいいと思いました。愛車です)

 目次の項目を読んでいると、後ろ向きなメッセージが多い。
 なになにでなくてもいいというパターンでお話が進みそうです。

 『もうどうしようもないとあきらめる』
 あきらめることは大切です。
 あきらめないから、ストーカー殺人事件が起きます。死ななくてもいい人が死にます。被害者です。

 『あなたは、あなた、私は私』
 この本は、今年読んで良かった一冊になりそうです。
 『いいかげんになる』
 なにが書いてあるのだろう。
 マスコミや世間が人心をあおるという風潮に流されないというメッセージがあるようです。

 『人目を気にしすぎると自分を殺す』
 かっこつけない。
 人の視線を気にしすぎると、自由な発想が制限されて、精神衛生上よくありません。
 かっこ悪いと人から思われてもいい。開き直って、なにが悪いです。

 著者の体験が下地になっている本なのでしょう。

 性格的に自分とは合わない人には、近づかないほうがいい。

 『子どもがかわいいと思えない』
 子どもとの接し方がわからないという人はいます。

 血のつながりについて書いてあります。
 血がつながっていることに加えて、こどものころに助け合った体験がないと、血縁関係があってもおとなになってからは疎遠になります。

 頻繁(ひんぱん)に会うと断絶しやすい。(そういうことってあります。住居が互いに離れているから仲がいいということはあります。『兄弟姉妹間の比較』がもめごとの種になることがあります)

 夫婦をやめて、離婚して、友だちに戻るというアドバイスがあります。

 一夫一婦制、一夫多妻制、一妻多夫制、いろいろあります。同性カップルもありでしょう。

 『あとがき』を読みました。
 みんな同じでなくていい。
 人の目を気にして生きない。
 人間は素晴らしくない。
 著者から読者へのメッセージです。

(2回目の本読み)
 冒頭で、人間関係の悩みの話が出ます。
 自分の場合は、自分が生まれてから成人するまでの悩みは、家が貧乏でお金がないことでした。
 まえがきを読んでいて、お金がある人は、お金のことでは悩まない。人間関係のことで悩むのだと変な気持ちになりました。
 人間は、お金がなくて悩んで、お金があっても別のことで悩むのです。人間はどんな環境におかれたとしても『悩む』生き物なのでしょう。

 人間を否定する内容でもあります。
 『人間には酷い(ひどい)面があるのだから……』

 そうか『昭和』は、異常で異様な時代だったのか(すべてがそうだとは思えませんが。)
 昭和の時代は、人が「家庭」と「会社」と「学校」に閉じ込められていたとあります。
 
 第1章は、友人から離れるという内容です。
 自分は相手を友人だと思っていても、相手は自分のことを友人だとは思ってくれていなかったということは、よくある話です。その場限りの時間つぶしの相手でしかなかった。ときに相手の都合がいいように利用されることもある。

 どうも著者は、精神的な病(やまい)を体験したことがあるような記述内容です。実際あるのでしょう。(ありました)

 読んでいて思ったことです。
 以前、東京タワーの展望室から、国会議事堂あたりをながめときに思ったことです。
 あの国会議事堂周辺は『箱』になっている。
 国会議員とか、国家公務員の官僚とか、あの箱の中で毎日を送っている人たちは、箱の中にいる間(あいだ)は身分を守られるけれど、箱を出てしまうと、袋叩きにあうこともある。
 箱の中だけで通用するルールの中で生活を営んでいる人たちがいる。(これは、ほかの世界でも共通することです)

 救いのある本です。
 いい本です。
 今年読んで良かった一冊になりそうです。
 今、20ページあたりをながめています。

 昭和時代という昔の話です。
 タモリさんは、今はいい人ですが、昔は人をけなすようなことをテレビで言っていました。
 ビートたけしさんのことも書いてあります。だれかをばかにすることが当時の笑いのネタだった。

 ただ、この本に書いてあるような精神状態(弱気)で、集団の中で働いていくことは苦しい。
 小さいうちから人にもまれて強い気持ちを持つ人にならないと組織でうまくやれないこともあります。
 世の中には、いじわるな人がいます。
 だけど、いい人もいっぱいいます。
 日本人のいじめは『仲間はずし』や『無視』が多いとあります。
 今年の夏に読んだ建築家の人の本でも、従業員を日本人だけにするといじめが起きるので、建築プロジェクトチームには、外国人の社員をたくさん混ぜるようにしているということが書いてありました。
 日本人には二面性があって、表面はにこやかでも、裏では怖い顔をしていることもあります。

 著者は繊細(せんさい。気持ちがこまやかで傷つきやすい)な人です。
 人助けのために『不適応者の居場所』づくりをされています。

 攻撃してくる相手と関わらない。
 学校や職場は危険な場所です。
 
 パワハラをする人は、何人か見たことがあります。
 暴力団員が来てわめいているのかと思ったことがあります。
 警察を呼んだほうがいいと思ったことがあります。
 だれかと思ったら上司にあたる人だったので、警察を呼ぶことはできませんでした。
 ボスと呼ばれる人は、自分の思いどおりにならないとわめき散らす人が多い。机を叩いたり(たたいたり)、イスを蹴ったりして威嚇してきます。(いかく。おどす)
 部下は耐えるばかりです。
 頭がカッとなる人は、脳みその病気ではなかろうか。
 あまりにもひどいので、勇気をふりしぼって『だいじょうぶですか? どうしてそんなにカッカするのですか』と怒鳴る(どなる)上司に声をかけたことがあります。本人は放心状態になって、返答が返ってきませんでした。部下から静かに声をかけられるという想定外のことが起こって、脳みその中身は、どこか別の世界に行ってしまったのでしょう。
 すぐカッとする人のことを、昔は『瞬間湯沸かし器』と言っていました。最近は聞かない言葉です。
 
 筆者は常に弱気です。

 学校は、同じ製品(生徒のこと)をつくるところとあります(同感です)。

 学校に行けないこどもの数が増えました。
 通信制の高校のことが書いてあります。

(つづく)

 103ページまで読みました。
 著者の家庭は崩壊しています。
 著者の兄が狂気です。
 すさまじい。ふたつ違いの兄の手によって、両親や弟である著者が、殺されてしまいそうです。事件になりそうです。著者には凄惨(せいさん。むごい)な体験があります。兄が家族を殴る、蹴る(ける)です。家庭内暴力のシーンがあります。
 著者がサラリーマン社会に適応できなかった原因が兄の素行にあることは推定できます。
 著者の本音(ほんね)が書いてあります。今年読んで良かった一冊です。
 読んでいて、2020年(令和2年)に82歳で亡くなった小説家、作詞家であったなかにし礼さんの小説『兄弟』を思い出しました。なかにし礼さんの兄が、第二次世界大戦の戦地から帰還後、気が狂ったようになっています。なかにし礼さんは、そんな兄を強く深くうらんでいました。(お兄さんの娘さんが2018年に66歳で病死された森田童子(もりた・どうじ)さんであることは後年知りました。自殺する歌ばかりを歌っていた女性シンガーの方でした)
 この部分を読んでいた時に、今はもう九十歳近い年齢になった実母と以前、若くして病気で亡くなった父親の話をしたことを思い出しました。(40歳没)。酒さえ飲まなければ、いいオヤジでした。アルコールが入ると暴君に変わるのでした。アルコールの多量摂取(たりょうせっしゅ)で病気になったようなものなのですが『あの人が生きていたらたいへんな思いをしていた』と母が言い、息子の自分が、そうだねとあいづちをうったのです。
 家庭内暴力というのは、なかなか人には言えません。たとえば、老老介護で、祖父が祖母を叩いて(たたいて)いるとか、逆に、祖母が祖父を叩いているとか、そういうことは、親族の中でも教えることがためらわれたりもします。
 
 著者の記述からは、さみしくないのだろうかという推測と、すごいなあという感嘆が同時に感じられます。
 なにかしら、もったいない。広い世界を知らないままの狭い世界で終わってしまう人生が見えます。『どこにも通わなくても大丈夫』という心もちなのです。(それでも114ページにインドネシアで長期間過ごしたことが書いてありました。良かった。一度っきりの人生を楽しむために、できる範囲内で広い世界を見てほしい)

 著者は、不思議な状態です。
 引きこもりではありません。
 東京大学卒という学力があるからできる作家活動です。(フリーライター)

 『親しみを持つためには自己開示が必要』
 じょうずに自己開示をすることは、けっこうむずかしい。
 著者が書くように、オンラインではなおさらむずかしい。
 
 大企業の中での学閥(がくばつ。同窓生):よくあるパターンです。学閥で互いの信頼関係を確認して信じあって仕事に生かす。ときに不祥事を隠蔽する(いんぺい)グループにもなりがちです。

 『社交不安障害』(状態がよくわかる造語です)

 『子どもさえいれば幸せになれたのに』(子どもがいるだけでは、幸せにはなれません。子どもと苦楽を共にしなければ幸福感は生まれません)

 家庭内別居→夫婦とか兄弟姉妹とかの間において。
 いっしょに食事はしない。各自の部屋で食べる。
 (息が詰まりそうです)

 『子どもがかわいいと思えない』(うーむ。それなりに遊んであげないとこどもはなついてきません。おもちゃやおいしい食べ物をあげないとついてきてくれません)

 『子孫を残すことが生き物の目的だ』(本能だとは思います。著者にとっては、苦痛な言葉だそうです)

 怖い(こわい)ことがいっぱい書いてある本です。
 人間の本性(ほんしょう。根っこ。生まれながらの性質)は、酷い(ひどい)のです。嫌がらせをしたり暴力という力で相手にいうことをきかせたりするのが人間なのです。

 『日本で食卓を囲んで一家団欒(だんらん)をしていたのは、1955年(昭和30年)から1975年(昭和50年)の20年間ぐらいのこと……』(そうなのか。実感が湧きませんが、そうなのでしょう。いっしょに飲食をともにしておしゃべりをすることは交流という楽しみのはずなのですが)

(つづく)

 『家族は人間でなくてもいい』(ペット、鉢花、ぬいぐるみ、クッションなどでもいいとのことです)
 『だれとも会わない日が多かったので……(花に助けられた)』
 セラピー:医術によらない心の病(やまい)の治療方法。
 『こどもよりも、猫のほうがいい……』
 心の優しい人は、心が傷つきやすい。

 血のつながりを信用しない。むしろ拒否する。なぜなら2歳年上の兄に加害されたから。
 『養子』の話が出ます。『見合い結婚』の話も出ます。
 時代背景によって、人の考え方、感じ方が違います。江戸時代、明治時代、戦前、戦後、現代。
 わたしの祖父母や両親、自分の世代もですが『養子』は珍しいものではありませんでした。それでもたいていは、親戚関係のあるところから養子をとっていました。血縁は下地としてあります。
 著者は、まるっきり血縁関係のない者同士でも養子縁組するのは、いいではないかとメッセージを読者に送ります。養子になると、養親の介護とか相続がセットで付いてきます。事例ごとにいろいろありそうです。

 著者の意見として読み取れるのは、江戸時代は意外に自由な時代だった。
 明治時代以降、日本は、国が国民を管理するために、人を一定の枠(わく)にあてはめようとしてきた。人間の『標準化』があった。

 ラジオ放送が著者の暗い毎日を救ってくれた。
 人には、心の安定を維持するために第3の場所が必要と説かれています。『家庭』と『学校・職場』そして『第3の場所(著者の場合はラジオ放送を聴くことだった)』

 兄との関係がむずかしいのですが、40年間近く絶交状態のようです。
 兄の話も聞かないと実態はわかりません。
 これから、親の介護や相続の話が出てきそうです。なかなかてごわい人生です。

 結婚とか子づくり行為のことが書いてあります。
 行為に関して、人間はどうしてこんなことをしなければならないのだろうかと思う人はいると思います。子孫をつくる。命をつなぐためが理由のひとつとして納得できます。
 書中では『ただ、痛い』を始めとして、年がら年中さかりがついているわけではないというように後ろ向きの表現が続きます。ハグだけでもスキンシップの愛情は伝わるということもあります。
 社会には、こういう状態が幸福だという『圧(あつ)』がある。圧を取り払いたい。めんどうくさいから恋愛はしたくないという人もいます。
 性的欲求がない人の人権も保障されなければなりません。
 
 『人間関係においては、「好意」を向ければ「好意」が返ってくる。「悪意」には「悪意」が返ってくる』だから好意だけにしておく。けんかしないとアドバイスがあります。

 真理を言い当てている本です。
 ただ、読んでいると、元気がなくなってくる本でもあります。
 何のために生きているのか。死なないようにするために生きている。先日読んだ朝井リョウ作品『正欲(せいよく)』を思い出しました。
 
 今は、初婚年齢が男31歳、女29歳だそうです。
 ずいぶん結婚年齢が遅くなりました。
 結婚しない。こどもをもたないというのは、既婚子ありの夫婦から見れば、楽そうな生活です。子どもにかかる多額の費用の負担もありません。自分の時間もあります。
 ただ、ずーっと若い世代ではいられません。人はみな老いていきます。四十代後半から、心身ともに健康状態が不安定になってきます。
 子孫が無い人は、そのときどうするのか。お金だけでは解決できないこともあります。やはり、パートナーがいりそうです。(パートナーが異性とは限りません。友情もありです)

(つづく)

 夫婦は同居しなくてもいいという提案があります。別居婚です。(うーむ。なんとも。複雑な気持ちになります)
 どちらかが、がまんするパートナーシップ(相互関係。協力関係)を否定します。
 自分は賛同できかねますが、いろんな形があっていいのではないかという、今どきの世相にあって、この本が必要な人はいます。

 全体的に、努力と根性、そして忍耐でこの世を生き抜いてきた昭和世代の自分には合わない内容の本です。

 『卒婚(そつこん)』はさみしい。子も孫もいると、なかなか卒婚はできません。

 複数の異性と付き合うことは、人間の自然な行為だそうです。
 異性にもてる人ならそういうことはあるのでしょうが、凡人にはひとり見つけるだけでも大変で、ひとりで十分です。
 そういえば、半世紀ぐらい昔は『愛人とかお妾(めかけ)さんとか、2号さん』というのは、一般的でした。収入がたくさんある人には、奥さんが複数いても責められることはなかった風潮です。
 だから、親族関係の輪の中に愛人が普通の感覚で存在していて、その地位も確立されていた記憶です。

 『もっと肩の力を抜いていればよかった。』(同意します。真剣になりすぎてうまくいかないということはあります)

 外国人から見た日本人の特徴として『集中』があるそうです。
 日本人は、電車に乗っているときでも、歩いていても、何かに集中しているそうです。(ああ、そういえばそうです)
 集中しすぎると死んじゃうんです。『過労死』がそうです。

 ここまで読んできて、著者のように後ろ向きな考えで前に進もうとすると、家族の秩序が乱れます。
 家族はこうあるべき、こういうものという協力関係の枠の中にいるようにしないと、うまくいかないこともあります。
 それでも、そうすることで、自殺したいと思うようになるのなら、家族の標準スタイルにあてはまることはやめたほうがいいのでしょう。自殺しちゃだめです。人間は歳をとるなりして、いつかは必ず死ぬのですから、それまでは生きていたほうがいい。

 215ページに葬式のときに笑いが止まらなくなる人がいるとあります。路線バス乗り継ぎ人情旅に出ていた、えびすよしかずさんがそうでした。
 この本では、行き詰まった時に、もう笑うしかないということがあると紹介されています。(同感です)本にもあるとおり『笑い』は人を救うのです。
 天才バカボンのパパの名文句『これでいいのだ』で、人生で起きる困難を乗り越えることはできます。

 手づくりの文章でできた本でした。
 今の時代にあって、飾らない表現が珍しい。
 著者のメッセージが、素直に読者に届く本でした。  

Posted by 熊太郎 at 07:03Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2022年12月16日

きょうはそらにまるいつき 荒井良二

きょうはそらにまるいつき 荒井良二 偕成社

 2016年発行の絵本です。

 月夜ですから、月の姿があります。
 『あかちゃんがそらをみています』から始まります。
 風景は、外国、イギリスに見えます。
 背の高いビルディングを背景にして、樹木が生えた都市公園が見えます。
 ページをめくると、黄色で大きな満月の絵が目に飛び込んできました。
 こどもにはいい絵です。
 月がどかーんと見開き2ページの半分ぐらいを占領しています。
 
 イギリスではなくて、パリ市か。
 バスか、電車の窓から見える黄色い満月です。(あとで、バスだとわかります)
 風景は一転して、山奥です。
 動物の親子が月をながめています。
 
 今度はねこたちが集まり始めました。
 都市公園で暮らす野良猫たちです。

 骨太の油絵で描かれた絵本です。
 月明かりが明るいから、電気照明器具がまだあまり世間に出回っていなかったころの夜ではなかろうか。

 ベビーベッドに寝かされたあかちゃんの登場です。
 たぶん女の子です。
 大きな瞳で可愛い。
 『うわー きれい』というページがあります。
 絵画の絵本です。
 迫力があります。
 明暗があります。
 今夜は、月の日記念カーニバルか。
 絵なのに、街の灯りがついているように見えます。
 地球上の生き物たちが、同時に、黄色い満月を楽しんでいます。」(南極海でのクジラのジャンプがあります)
 
 盆踊りみたいな絵ですが、たぶん違います。
 コンサートでしょう。
 
 そうか、伏線が、あかちゃんでした。

 言葉数は少ない。
 幼児と会話をしながら読む絵本です。
 心が落ち着きました。  

Posted by 熊太郎 at 07:15Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2022年12月15日

おいしいごはんが食べられますように 高瀬準子

おいしいごはんが食べられますように 高瀬準子(たかせ・じゅんこ) 講談社

 ラベルパッケージの製作会社です。東京本社にデザイン部あり。8支店あり。
 物語の場所は、関東にある支店の営業部。埼玉県にある支店でしょう。

(支店長):男性。口ぐせ『飯はみんなで食ったほうがうまい(営業部員を昼食に誘う。おごってくれる。ワンマン(独裁的)なところあり』

藤(支店長補佐):中年男性40歳過ぎ。愛妻弁当持参。卵焼きが入っている。妻とうまくいかない部分あり。

二谷:29歳男性。大卒後、6年間東北支店に在籍していた。認知症の施設に入っている90歳の祖母あり。両親と妹あり。独身ひとり暮らし。左利き。職場のふたりの女性から好意をもたれている。

芦川:女性。ワケアリ。入社6年目だが、30歳。実家暮らし。26歳ぐらいの弟がいる。実家に「ムコスケ」という飼い犬がいる。芦川は、二谷とできているが、二谷は芦川を本心から愛しているわけではない。(読んでいて、天然ボケキャラクターの芦川なのですが、芦川は、なにか宗教でもやっているのではないかと気を回して考えました。(読み終えて、違っていました)読み続けていると、この芦川という女性にはかなり問題があることがわかります)

押尾:女性。27歳。22歳で入社して5年目。福岡県出身。高校でチアリーディング部に所属していたときに九州大会に出場した。職場では、芦川の隣席にいる。芦川と比較される。押尾は、二谷は自分に好意があると思い込んでいる。押尾は、芦川が苦手(にがて)。

原田:パートさん。

 40ページまで読んだところです。
 登場人物が順番に一人称で語っていくパターンです。
 最初は、27歳独身社員の押尾が語ります。
 
 上手な文章運びです。

 みんな、パソコン画面を見ている仕事場です。
 自分が働きだした若かった頃には、パソコンはありませんでした。

 芝居のような仕事仲間との飲み会です。
 今どきの注文は、自分たちで、タブレットで注文します。(昔は、そのようなものはありませんでした。今は、焼き肉屋も中華料理屋もタブレットで注文です)
 職場や職場の飲み会では、サラリーマンは、それぞれ『いい人』を演じようとします。
 家に帰り着くと疲れ果てます。

 いいなと思った文章表現です。
 『どうして、じゃなくて、どういうところが、と聞かれたので……』
 『…… 予定外のことが苦手……』

 メンタルで休職はあるけれど解雇はない。休職後の復職は楽な所属に配属してもらえる配慮がある。そのしわ寄せを別の社員が負う。別の社員は、残業が多い繁忙な毎日が続く。会社への貢献は出世でカバーしてもらう。それが会社のシステムです。
 あのようにはなりたくない(メンタル、休職、思いやり人事配置)
 むかつく社員がいる。
 そんなことが書いてあります。
 仕事をさぼる人をいじめたい。それが、起承転結の起の部分です。
 
 次は、29歳男性二谷の語りです。
 細かい話が続きます。
 ハラスメント(いじめ、嫌がらせ、脅し、脅迫、人権侵害)
 なんだかなあといういじめの表現あり。
 人が泣くのが嬉しい。どこも、パワハラ、セクハラの横行です。

 シュラスコ:ブラジルの肉料理。牛や羊の肉を串刺しにして焼く。
 
 職場内の恋愛は、うまくいかなくなったときにつらい。

 好きな人をいちずに好きだと思うことができないのだそうです(二谷君は)。まあ、この人でいいかという選択があります。

 いいなと感じた表現として、
 『…… 弱々しさの中に、だから守られて当然……(女性のありかたとして)』
 『自分は正解を選んでいる(男性の考えとして、女性の選択に関して)』

(つづく)

 割り当てられた仕事をこなさないメンタル職員から被害を受けているというような内容で進行していきます。
 会社側が、メンタル病欠で抜けた社員の代替えの社員を用意してくれないと現場は混乱します。
 メンタル病で休んでいる社員の仕事の負担をしている別の社員が、長時間労働によってメンタル病になったり、脳梗塞とか、心筋梗塞になったりしたら、何のための制度なのかわからず、めちゃくちゃになってしまいます。

 この物語では、労働者の権利を行使している社員の言動の問題点を浮かび上がらせています。
 芦川は、心や体の具合が悪いから仕事はしない。その代わりにお菓子をつくって職場で配っておわびする。おわびするというよりも、上手なお菓子づくりができることを職場の人間にほめてもらう。
 まわりにいるみんなは、本音(ほんね)を言いません。(「自宅療養中にお菓子をつくることができる時間があるのなら、職場で仕事をしてください」です)
 上司はメンタルで休んだり早退したりする社員を指導できません。社員の背景には、社員を守る手厚い保護法令があります。診断書という医師の証明もあるでしょう。上司も同僚もしかたがないとあきらめています。でも、いつも芦川さんの仕事の負担をしている27歳女性の押尾さんは不満です。
 (こういう分野を小説の素材にもってきている作品は珍しい。触れにくい雰囲気があります。作品は、静かなサスペンス(恐怖小説)という趣(おもむき)があります)

 虚無感がただよう内容です。
 愛情はありません。

 パクチー:タイ料理に使われる。香菜。ハーブ。
 マフィン:焼き菓子
 チクワブ:ちくわではない。

 いい表現として、二谷の、
 『…… おれは、好きなことより、うまくやれそうな人生を選んだんだなと……』
 
 自分がやるべきことを上手に人にやらせるずるい人間が芦川です。
 読んでいて、芦川に、詐病(さびょう)、仮病の疑いをもってしまいます。
 芦川は、嘘つきです。
 芦川は、声は出すけれど、みんなのために体を動かす人ではありません。自分をほめさせるために手づくりお菓子をつくって配る人です。

 二谷という29歳の男性は、AI(エーアイ。人工知能ロボット)人間のようです。
 29歳の今の時点で、人間が固まっています。
 人生は長い。
 これからさき、いろんなことが起こります。
 病気やケガ、自然災害や事故、事件に巻き込まれることもあります。避けきれません。
 
 タイトル『おいしいごはんが食べられますように』
 『毎日食べないと死ぬから食べている。』

 二谷29歳というひとりの男性を巡っての三角関係ものです。
 奪い合う女性は、芦川30歳と押尾27歳です。
 このさきおそらく正直者の押尾のほうが敗れるのでしょうが、敗れたほうがいい。
 二谷という男性はいい人ではありません。

 『あの人は弱い(読んでいて、芦川は、弱くはない。むしろ、ずるがしこい)』

(つづく)

 読み終わりました。
 最後は、さわやかでした。

 『(押尾は)腕を伸ばして猫を助けた…… 落ちたものを拾うのが得意なのかもしれない』

 ラインの仲間(大学時代の)に問いかけられてもアンサー(返答)しない二谷がいます。「既読」行為はする。

 二谷は、カップラーメンばかりを食べているから、脳みそが人工知能ロボットみたいになっているのではないか。だから本のタイトル『おいしいごはんが食べられますように』となるのではないか。
 ふと、自分自身のことを思う。たぶん、もう何十年間もカップラーメンを食べたことがありません。
 去年だったか、孫たちにポケモンのカップラーメンは買ってあげました。たしか、しょうゆ味と海鮮味の二種類があって、両方買ってあげました。自分は食べませんでした。
 一生懸命思い出したら、たぶん十二年前ぐらいに辛い(からい)台湾ラーメンのカップラーメンを何度か食べたことを思い出しました。歳をとったことも影響してか、辛い食べ物は苦手になりました。
 おいしいごはんを食べれば、二谷はもう少し愛情のある人間になれるのではないか。123ページにそういった文章が出てきました。『ちゃんとしたごはんを食べるのは自分を大切にすることだって……』(小学生のようなこどもも同じだと思います。ちゃんとした食生活から、ちゃんとした暮らしが始まります)

 朝早く起きて仕事に行って、夜遅くまで残業をして、夜10時前にスーパーやコンビニに立ち寄って、睡眠時間を確保すると、自分の時間が一日30分ぐらいしか残らないと二谷が嘆きます。
 永い人生には、そういう時期もあります。そういう時期も必要です。そういう時期を経て、金銭的に余裕のある生活が生まれます。

 上手に(じょうずに)詐欺的(さぎてき。人をだまして)行為を行って、人心を動かせる人間が富を得ることもあります。(前提条件として、ばれなければ)
 世の中にはそういうことがある。ただし、正直者は、最後は報われる(むくわれる)と思いたい。

 働くって何なのだろうと考えてしまいました。
 精神的に嫌なことがあっても、結局最後は『お金(おかね)』で気持ちに折り合いをつけて、働き続けるのでしょう。
 働くことはつらいけど、人生の終わりに近づく時期には、働きたくても働けない状況になります。雇用される場がなくなります。体力・精神力が弱くなれば働けません。あきらめがついて、もう働かなくていいんだと、ほっとできる時がきます。

 読んでいて、おいしいごはんということで、ふと思い出したことがあります。
 自分が小学生の高学年のころ、そのころは当然週休二日制ではないわけで、土曜日は、午前中だけ授業がありました。
 土曜日の授業が終わると、たまに担任の男の先生がこどもたちを誘ってくれて、みんなで小学校の近くにあるうどん屋でうどんをごちそうになっていました。おいしかった記憶が残っています。食べて、みんなと話をして、くつろぐ時間は大切です。(その先生はもうずいぶん前に高齢でお亡くなりになりました)

 二谷は、みんなで食べるごはんが嫌いです。
 ごはんを残さず全部食べるのも嫌いです。
 二谷は、人と共感する(共感したふりをする)ことが嫌いです。
 されど二谷には、嫌なことは嫌ですと意思表示をしたいけれど意思表示ができないもどかしさがあります。

 キッシュ:フランスの郷土料理。卵と生クリーム。パイのよう。
 リゾット:ピラフのようなもの。米を使った料理。
 
 人間の二面性が表現されています。
 外面(そとづら。他人向けの表情)は喜んでいるような言動と笑顔があっても、内面(うちづら。腹の中)は不満顔です。

 芦川は悪女です。二谷も悪人です。
 押尾は善人だけど、今回は集団から追い出されてしまいました。
 めげないでほしい。居場所探しをする二十代後半の時期です。人生はまだこれから先、はるかに永い(ながい)。
 芦川と二谷のふたりは、このままの状態で結婚しないか、結婚しても別れるでしょう。結婚していても仮面夫婦とか家庭内別居になるのでしょう。打算のつながりです。愛情の下地がない損得勘定が入ったみせかけだけのカップルです。(まあ、この人でいいかということが結婚の動機です)
 読書の終了にあたって、正直者で善人の押尾さんを、未来に幸あれ(さちあれ)と応援します。  

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