2024年11月18日

なんでもない 鈴木のりたけ

なんでもない 鈴木のりたけ アリス館

 こどもさん向けの絵本です。表紙をめくると、カメ(亀)がひっくりかえっています。
 前回読んだ同作者の、『とんでもない アリス館』と同じパターンのようです。
 ページをめくって、うむ。やはり、『とんでもない』と同じです。『とんでもない』の初めのページは、海に近い住宅地の風景でした。こちらの、『なんでもない』のはじめのページは、海が見えない内陸部にある住宅地の風景です。

 着ている服が破れて、がっかりしている少女が公園のベンチに座っています。
 公園にはカラスたちがいます。
 カラスはみな黒い。カラスは、黒い服しか持っていない。
 カラスにも言い分があります。
 ただ、読んでいて、カラスのしゃべりには、なにかしら無理があります。
 
 『のろまなカメ』
 どこかで聞いたことがあるセリフです。
 昔ドラマであった、『スチュワーデス物語』です。堀ちえみさんと風間杜夫さん(かざまもりおさん)が出演されていました。
 堀ちえみさんは、自称、『ドジでのろまなカメ』でした。その後の実生活では、ご病気でご苦労がありました。人生はとても長い。なにがあるかわかりません。

 カメはやることがない。
 やることがないから、一日中ひなたぼっこをしている。
 (なんだか、年金生活者みたい。人生の最後は、死ぬまで生きているだけです)
 そんなカメは、土の下で暮らすモグラに同情します。

 カメの評価に対して、モグラにはモグラの言い分があります。
 ミミズを食べているモグラの絵です。
 土に囲まれて暮らすモグラは、そんなこと(地面の下で暮らすこと)なんでもないそうです。
 土の下にあるおうちでは、快適な暮らしを送っているそうです。
 モグラたちの楽しそうな絵があります。
 そんなモグラは、体が大きいゾウに同情します。

 ゾウが自分の後ろ足の間から顔を出しています。
 おもしろい。
 ゾウは、こどもたちと遊びます。楽しそうです。
 そんなゾウは、みんなから怖がられる(こわがられる)トラに同情します。

 トラはまわりから怖がられる(こわがられる)ことを気にしていません。
 『なんでもない』のです。
 トラにはトラの理屈があります。
 そんなトラは人間に同情します。
 
 そして、人間の女の子が描いてあるページにたどりつきました。
 最初の頃に絵本のページに出ていた少女です。
 読み終えました。
 う~む。ちょっとつまらなかった。
 
 パジャマの下をはいたまま、女の子がランドセルをしょって家を出て行ったところは、おもしろかった。

 最後のページにあるクイズは、鹿の数のところがむずかしかった。鹿が17匹いると答えがありますが、わたしが何度数えても16匹しか見つけきれません。(その後1か月ぐらいがたって、絵本を読み返して、ようやく見つけきれなかった鹿1匹を見つけました。建物の2階から首を出していました。小さな鹿の絵です。老眼で見えませんでした。とほほ)。  

Posted by 熊太郎 at 07:54Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2024年11月17日

宙わたる教室(そらわたるきょうしつ) 第6話

宙わたる教室(そらわたるきょうしつ) NHKドラマ10 毎週火曜日午後10時放送 第6話 全10話

『第6話 コンピューター室の火星』

 小説は読んだので、どうしても、小説と重ねて映像を観てしまいます。
 小説は、内容が細かく、大量の情報が書いてあります。
 映像は、内容がかなり希薄です。ドラマでは、演者の演技で、テーマを強く主張するように表現してあります。

 火星の重力は、地球のだいたい40%だそうです。
 科学部員のみんなは、研究発表の内容に対して、あきらめムードです。
 『納得できませんね(藤竹先生の言葉)』。
 地球でも、火星の重力をつくることができることに気づきます。
 定時制高校の部屋に火星のクレーターをつくる。

 メンバーは実験装置として、重力を可変する装置をつくるのですが、小説だと文章なので、どのような装置なのか、読み手である自分で想像することになります。
 わたしは、絵を描いてみましたが、細かいところでわからない部分がありました。
 ドラマは映像なので、装置の姿を映像の中に見ることができます。
 今回、自転車のホイールとか、重力をつくるためのおもりのような箱を見て、なるほどと理解することができました。ただ、今回の映像だけでは、装置の全容はわかりませんでした。

 本を読んだ時の文章だと、以下のような内容で表現してありました。
トロ舟:一般的には、セメントをこねる容器に使用するようです。長さ1m四方ぐらいのプレスチック容器のようです。長方形かもしれない。

乾燥珪砂(かんそうけいしゃ):石英の粒(つぶ)。陶磁器、ガラスの原料。

クレーターの形成実験:鉄球をトロ舟に落とす。鉄球が隕石(いんせき)のつもり。鉄球は、直径4cm、3cm、2cmがあるが、藤竹は、4cm以上のものがほしいらしい。
 高さ2mから直径4cmの鉄球を珪砂に落とすと、鉄球がくぼみに沈んで頭を出す。頭のまわりに、輪ができる。砂が持ち上げられて、放出された砂がたまる。たまった砂が盛り上がった部分を、『リム』という。くぼみは直径が10cmぐらい。

 鉄球の運動エネルギーとクレーターの直径には、比例関係がある。そこからスクーリング則(そく)という話になるのですが、わたしには理解できません。規則的なものがあるのでしょう。

 科学部のメンバーはさらに、砂の固まりを加工して(お湯で溶かした寒天を流し込んである)、色付けをした砂を地層のように扱います。下から、緑色、青色、赤色、茶色とし、火星の地面を表現します。そこへ鉄球を落とします。同心円状に飛び散った4色の砂の飛び散り方の規則性を調べます。

 次は、鉄球の発射装置の図面です。溶接やネジやバネをつくる製造業をしていた長嶺省造のアイデアが登場します。上等なパチンコ、下に向けて撃つとあります。
 鉄球発射装置は、台のような形で、トロ船の上に設置する。アルミの4本足の上に木の板の台がある。台のまんなかに穴が開いている。穴の中に直径20cmの塩ビ管が通してある。
 塩ビ管の上に、幅広ゴムが十文字に設置してある。このゴム紐(ひも)の弾力で、鉄球を飛ばす。
 塩ビ管の下に、速度測定装置(光センサー使用)が取り付けてある。
 3m50cmの高さが必要になるから、コンピューター準備室の天井のパネル板をはずして、実験装置をつくる。滑車を利用する。数か月間、同室を利用する。
 この装置のことを、『重力可変装置』と呼ぶ。火星の重力を再現する。

 直径50cm~60cmのプラスチック製たらいに、粒(つぶ)が非常に細かい砂が入れてある。砂は、火山灰のつもりである。砂は、水気(みずけ)を含んでいる。砂の火山灰が100gに水が56gでつくってある。越川アンジェラがなんどもチャレンジして適度な火山灰をつくった。

 櫓(やぐら)のようなもの:メンバーいわく、『秘密兵器』。てっぺんに自転車のホイールがはめてある。
 ホイールには、金属の細いワイヤーがかけてある。ワイヤーの両端に金具で木製の箱が取り付けてある。片方は長辺が40cmほどの箱で、もう片方は、一片15cmの箱で、小さい箱のほうが軽い。これを、『重力可変装置』と呼ぶ。大きいほうの木箱を、『実験ボックス』と呼ぶ。大きいほうの木箱を落下させる。底に4cm角ほどの加速度計が取り付けてある。小さいほうの箱は、おもりの役割を果たす。火星の重力が発生するように砂を入れてある。(地球の0.38倍)

 火星は意外に小さい。半径が地球の半分ぐらいしかない。大気は二酸化炭素で、地表の気圧は地球の0.6%しかない。休眠状態の微生物とか、地中で生きている生命体がいる可能性はある。寒い。赤っぽい地面ばかりしかない。質量は地球の10分1。

加速度計:物体の加速度を測定する装置。1万円ぐらい。

 話をドラマに戻します。
 家庭が壊れている昼間部の男子高校生がいます。
 彼は、コンピューターオタクです。
 コンピューターの大会で、優秀な成績をとることを目指しています。

 両親の離婚、中学生弟のひきこもり、家の中で暴れて、物にあたりちらす弟、母親や兄に暴力は振るわないものの、家の中はメチャクチャです。孤独と怯え(おびえ)と拒否があります。定時制高校のメンバーに冷たく当たる昼間部の男子高校生です。メンバーをバカ扱いです。だめな人間です。

 素直だったこどもの心が折れて、狂暴な少年になる。心が屈折していく。
 折れ曲がった心をまっすぐに戻す。
 そんなことが表現されています。  

2024年11月16日

3000万 NHK土曜ドラマ 第6話

3000万 NHK土曜ドラマ 土曜日夜10時 全8話 NHKとか、NHK+(エネエチケープラス)とか。第6話

 話のつくりがうまい。
 展開という流れ、押したり引いたりのかけひきで、ドキドキしたり、波乱や混乱を呼び込んだりします。

 元刑事奥島は、今回の3000万円の件で、佐々木夫婦をあやしいと思っている。
 元刑事奥島は、事が明らかになれば、少なくとも、佐々木夫婦を無罪放免にするつもりはない。
 (この時点で、わたしが予想していた。犯罪グループの大ボスは、この元刑事ではないかという考えは否定されました。では、大ボスはだれなのか?)

 もうひとりの犯罪者であるソラ(女性)についても、彼女を更生させる方向へと話を向かわせなければなりません。
 ソラがずいぶん乱暴な性格なのですが、心は強い人間です。こういう女性っているんだろうなあ。あまりみかけません。きっと表面上はそのようには見えないのでしょう。

 小学生男児純一のことです。
 狭い家の中ですが、家庭の中に、『正義(純一)』と、『悪(純一の両親)』があって、人間社会のむずかしさを表現してあります。
 そして、もうひとつ、『見てみぬふり』は、だめなのです。ちゃんと注意して、更生させよう(生まれ変わってちゃんとする)なのです。

 女性の刑事野崎が、逮捕勾留中の指示役大津(実は、単なる運び屋)の携帯電話を使って、逃げている大津の手下の坂本に電話をしたのだろうか。(物語づくりのからくりとして)。
 野崎が大津に言います。『あなたを守る。あなたは悪い人間じゃない』(どういうことだろう。悪い人間に見えますが…… 謎がまだまだあります)(その後、大津はたいした役割の人間ではないことが判明します。そうなのか。さらに、大津もまた異なる名前がありました。ひとりの人間にふたつの名前があることがこの物語の特徴です)

 闇バイトの強盗致傷は、刑期が重い。殺人がからめば、死刑か無期懲役しかありません。
 浅い考えで動く人たちがいます。最近の社会現象ですが、ちゃんとした生活がいつの間にか崩れてしまった日本社会です。秩序がなくなりました。何をやってもいいというわけにはいかないのです。

 『モチヅキ』という名前が出ます。
 このドラマでは、ひとりの人間にふたつの名前が付けられています。さて、だれが、モチヅキでしょうか。ここには書きません。
 本物のボスが言います。『組織を再編して(活動を)再開する』(今の国会運営を巡る政界のようです)
 
 佐々木ファミリーの家の中の動きは、舞台劇みたいです。
 『気持ち』のやりとりが、スリルをもちながら続いていきます。
 本当のことを言いたいけれど言えない苦しさがあります。本当のことを言うと、佐々木夫婦は収監されます。ひとり息子は、親戚に預けられるか、施設入所です。とんでもないことになりました。こどもの未来がむちゃくちゃになります。3000万円の札束、あれがおもちゃの紙幣だったら良かったのに。こんなことにならずにすんだのに……

 ソラが息巻いています。悪い組織をぶっつぶす!です。
 だけど、ソラは、組織に殺されるかも。(でも、いったんは捕まって、そこから逃げ出すことができたわけですから、組織はソラを消すことはないのでしょう)
 ソラの安達祐実さんに対するセリフが良かった。『(妻の夫に対する)しつけがなってない!』。爽快です。(そうかい。気持ちがいい)
 安達祐実さんは、家を守るために、家庭や家族を守るために一生懸命です。必死です。

 溝口恭平という弁護士はだれで、今どこにいるのだろう。(組織と関係がある人間です)

 どうして元刑事の奥島さんが車に積んで持って来たギターケースの中にギターが入っていなかったのだろう。単なる物忘れか。それともなにか意味があるのか。気にかかりました。ケースの中にギターが入っていなければ、車に積むときにギターケースが軽いからギターが入っていないとわかるはずです。

 母親の安達祐実さんが、こども部屋のドアを開けられないことも不思議でした。現実的な話として、あんな薄くて弱いドアは、簡単に開けることができます。ドライバーで鍵の部分を動かすことができます。なんならドアを叩き(たたき)壊してもいい。

 『ガキって悪いことできないんだよ。責任取れないからだよ』(そんなに気にしなくてもだいじょうぶだよという意味です。刑罰から逃れることができます。こどもはこどもでしかないのです)

 元刑事役の奥島さんの歌がうまかったのでびっくりしました。さすが役者さんです。
 歌詞に意味があります。
 『いつだって戻れる。いつだってやり直せる』

 さて、どうなりますか。  

2024年11月15日

ハサミ男 殊能将之(しゅのう・まさゆき)

ハサミ男 殊能将之(しゅのう・まさゆき) 講談社文庫

 文庫本の帯に、『古典にして、大傑作』とあります。知らなかった。洋画のシザーハンズとは違うでしょう。読んでみたい。読み始めます。
 作者のみょうじが読めませんでした。作者は、1964年(昭和39年生まれ)、そして、2013年(平成25年)に亡くなっています。49歳没。

 読み始めて数ページで感じたことです。
 社会のようすが古いかな。しかたがありません。
 スマホの地図アプリは出てきません。交通系ICカードも出てきません。地図は紙です。
 小型の東京都分区地図です。文庫版東京23区地図です。うちにも古い物があります。
 ほかにもいろいろ過去のものがあります。時代としては、1980年代から90年代、昭和55年代から平成の始めの世の中の風景です。
 単行本は、1999年(平成11年)の発行です。

 殺人事件の加害者が、ハサミ男です。すでにふたり犠牲者が出ているようですが、逮捕はされていません。三人目の犠牲者を物色して決めて、下調べをしている段階です。
 二番目の殺人は、半年以上前だったそうです。
 
 目黒区鷹番:わたしは、『たかばん』と読む地名だと思いましたが、ハサミ男は、『たかつがい』と読みます。蝶番(ちょうつがい)からきているそうです。(でも、たかばんが正解でした)

ハサミ男:アルバイトをしている。バイト先は、『氷室川出版(ひむろかわしゅっぱん)神田小川町にある。5階建てビルの3階営業部と4階編集部を借りている。正社員は十数名。アルバイトは3人』そこで、2年以上働いている。
 地下鉄駅に近い鉄筋アパートに住んでいる。駅から徒歩1分のところにある。相当古い建物である。アパートの住人は他人に無関心である。

樽宮由紀子(たるみや・ゆきこ):三番目の殺人被害者候補。16歳高校2年生。私立葉桜高校に通学している。目黒区鷹番に住んでいる。親と同居らしい。マンションの503号室。デゼール碑文谷(ひもんや)503。赤褐色のマンション。
樽宮一弘:由紀子の父親。

 わたしも今、東京の一枚地図を見ながら、目黒区あたりに目を落としています。

 鉄道線路の話が多い。著者は鉄道好きなのでしょう。そして、地図好きなのでしょう。
 目黒区、駒沢通り、東急東横線、学芸大学駅、地下鉄丸の内線、日比谷線、中目黒駅、菊名行き。

小西美奈:第一の犠牲者、高校一年生。平成14年10月21日。埼玉県内送電塔の敷地内で殺された。埼玉県居住者だった。美人ではないが、若々しく愛らしい顔立ちだった。ショートヘア、銀ぶち眼鏡。

松原雅代:第二の犠牲者。江戸川区の湾岸で殺された。

岡島部長:五十代女性。ハサミ男のバイト先である『氷室川出版』の部長。白髪まじりのおかっぱ頭。化粧気がない馬面(うまづら)。地味だが、いいスーツを着ている。有能。

佐々塚:三十代なかばの小男(こおとこ)。氷室川出版の社員

和田:デザイナー

山岸:氷室川出版のアルバイト。ハサミ男の同僚。中途退職後アルバイトをしている。黒ぶち眼鏡の脱サラ中年男性

スピードキング:バイク便の会社

タブロイド紙:新聞の用紙サイズの半分のサイズの新聞など。
写真のポジ:ポジフィルム。フィルムの状態で色などがわかる。
彫心鏤骨(ちょうしんるこつ):非常に苦心してつくりあげたもの。
玉稿(ぎょっこう):他人の原稿を敬って言う言葉
光磁気ディスク:MOディスク。記憶媒体。それらは、代替品が出て、2000年代に消滅した。

 ハサミ男は、火曜日に有給休暇をとる。(女子高生を尾行するため)。
 ハサミ男は、アルバイト先で、高校生たちの個人情報を見ることができる。(獲物の候補をそうやって探す)。添削式通信教育の仕事をする勤務先が、個人情報を盗む場所になっている。(恐ろしいことです。(おそろしい)。人を雇う時は、能力の前に、人間として信用できるかを判断せねばなりません)

 ハサミ男には、自殺願望があるらしい。(薬物による自殺)。
 ドラッグストアーで、『クレゾール石鹸液』を購入しました。

(つづく)

 犯罪者自身の心理が、一人称による本人の語りで語られ続けます。
 不気味で気色悪い。(きしょくわるい。生理的に受け付けがたい)。また、薄気味悪い。
 仕事の資料を利用して、女子高生を物色して、自宅を下見して、学校を見張って、殺人の獲物のとして狙います。ハサミ男は、頭のいい女の子にあこがれています。
 不思議なのは、本人に自殺企図の意思があることです。クレゾール石鹸(化学物質)を飲みます。でも、未遂です。本気で死ぬ気はないと読み手であるわたしは判断します。
 おそろしい人格をもった男です。地球上には、79億人、日本には、1億2300万人ぐらいが住んでいて、いろんな脳みそがあるわけで、凡人では理解できない不可解な脳みそをもった人がいます。殺したいから殺す。具体的な理由はありません。人間個々がもつ、その人間なりの、『欲(よく)』です。

 精神科医であろう60歳ぐらいの医師。純白の短髪。まんなか分け。痩身(そうしん。やせている)。丸い眼鏡をかけている。

 殺人のターゲットにしている女子高生が住むマンション503号室の住人として、
 おそらく父であろう、樽宮一弘
 おそらく母であろう、とし恵。(のちに美人とわかる。37歳)。
 狙われている(ねらわれている)本人、由紀子。葉桜高校2年生。背中まで髪が伸びている。美人。165cm。細い体。猫のよう。
 おそらく弟であろう、健三郎(のちに、葉桜高校1年生とわかる)
 <のちにわかることとして、お互いに連れ子を連れた者同士の再婚。健三郎には実兄がいる。兄が、ふたりいる>

 高校の制服で、本人を特定していく。(もう、制服の制度は防犯上やめたほうがいいのかも)。
 
(つづく)
 
 目黒署刑事課のメンバーです。

磯部龍彦:27歳。ハサミ男と同じぐらいの年齢。第1章では、彼のひとり語りで物語が進行していく部分があります。髪はまんなか分け。逆三角形の顔。整った顔立ち。背は高い。童顔。頼りなさそう。

下川宗夫:160cm。中2のひとり息子がいる。『長さん』と呼ばれるのがイヤ。(ドリフターズのいかりや長介さんのことでしょう)

上井田嘉暁(かみいだ・よしあき)警部:刑事課長。はげている。立派なあごヒゲがある。温厚で礼儀正しい。

松元順三郎:唯一の喫煙者。偏屈そう(へんくつそう)です。

進藤誠斗(しんどう・まこと):若手。おとなしくて優しい。

村木晴彦:巡査部長。30代後半。天然パーマ。手足がひょろ長い。クラシック音楽マニア。冷笑的。いつも超然としている。ときおり突拍子もない行動に出る。予想不可能な性格。

 10月17日金曜日:ハサミ男は、早退した。樽宮由紀子の尾行。

カリカチュア:漫画、風刺画

ブランド品のスーツを着た40歳前後の男:援助交際の相手か。

ハサミ:仕事場から盗んだ。仕事場の備品。(なぜ、凶器がハサミなのだろうか)。

 11月1日土曜日:尾行する。

高橋:アルバイト。のっぽ。

キルモア:殺鼠剤(さっそざい)
プラシーボ効果:偽薬で効果がみられる。気持ちのもちよう。
ロマン主義者:情緒的、感情的な人。

 ハサミ男の主治医は、ハサミ男が殺人犯人であることを知っている。
 主治医は、仮想のドクターなのではないか。

 『チョキ、チョキ、チョキ…… 三人目の犠牲者が出る……』

おふらんど:学芸大学駅のすぐそばの喫茶店。

アヤコ:樽宮由紀子の友人。高校生。

 自由が丘駅の近くにある映画館。上映中の映画は、『地下鉄のザジ』。

11月4日火曜日:二日ぶりに出勤する。

 平成15年(2003年)11月11日火曜日午後9時40分頃:東京都目黒区鷹番四丁目にある西公園の茂みの中で、鷺宮由紀子が殺されていた。首にビニール紐(ひも)、絞殺後、首にハサミが突き立てられていた。
 ハサミ男の手口で殺されていたが、第一発見者は、ハサミ男であり、ハサミ男は真犯人ではない。鷺宮由紀子の首に刺さっていたハサミは、ハサミ男がその時、かばんの中にもっていたハサミと同じものであった。ハサミ男は、ごまかすために、そのハサミを公園の茂みに捨てた。
 ハサミ男はまた、鷺宮由紀子の足もとに、なにやら、『小さく光るもの』を見つけたが、小説では、そのあと、詳記(しょうき。くわしい説明)はされない。(その後:金属製のガスライター。『K』のイニシャル彫り込みありとわかる)。

マルサイ:警視庁科学捜査研究所内に新設された犯罪心理分析官職。サイコアナリシス:成人分析。サイコメトリックス:心理測定法。

広域連続殺人犯エ十二号:マスコミが付けた通称が、『ハサミ男』。

(つづく)

 ハサミ男の自殺願望の理由がわかりません。自分はこの世に存在していてはいけない人間だと自分で定義づけしているのだろうか。自分が存在していると、自分がだれかを殺してしまう。(ターゲットは女子高生というのもなにか理由があるのか)。

ディクスン・カー:アメリカ合衆国の推理小説家。密室殺人を素材にする。

 11月14日金曜日:第一回捜査会議開催。

堀之内靖治(ほりのうち・やすはる):40歳手前の年齢。科捜研の犯罪心理分析官(マルサイ)。大学講師のように見える。髪はまんなか分け。丸顔。

警視庁捜査一課長:パンチ・ドランカー(ボクシングで、相手にパンチをもらいすぎ)のブルドッグみたいな顔。特別捜査本部の総責任者。

索状物(さくじょうぶつ):ひものようなもの。
死亡推定時刻は、11月11日午後8時から8時20分の間。

白皙(はくせき)の検事:皮膚の色が白い検事。

快楽殺人者:苦しむ姿が楽しい。本人がもつ固定観念。無意識の衝動。

 第三の殺人は、ハサミ男による可能性は75%(100%ではない)
 犯人は、知能指数が高い(ただし、真犯人は、ハサミ男ではない)、慎重かつ周到で、学習能力がある。
 
 11月14日:ハサミ男は、アルバイトを休む。ハサミ男は、仕事で得た資料で、樽宮家へ電話をかけて、犠牲者の母親樽宮とし恵と話して、葬儀の日取りを聞いた。11月15日午後2時から。春藤斎場にて(しゅんどうさいじょう)。

(つづく)

 岩佐邦馬(いわさ・くにま):私立葉桜学園高校の体育教師。35歳独身。

 長谷川:葬儀の世話人。60代前半。

 黒梅夏絵(くろうめ・なつえ):週刊アルカナ編集部所属のフリーライター(正社員ではない)

 250ページまで読みました。全体の半分ぐらいの位置です。全体で502ページあります。
 読んでいて、真犯人のめぼしはまだつきません。まだ、情報が足りません。
 だれかが、人を殺したのですが、犯行をハサミ男がしたものとみせかけています。
 本物のハサミ男は、自分の名前をかたって人殺しをしたのが、だれなのかを知ろうとしています。
 ただ、考えてみると、ハサミ男が偽装犯人を警察に通報しようとすると、自分がハサミ男であることが警察にばれてしまいます。さて、そのへんを物語の中で、どう処理するのだろうか。

 読んでいて、なんとなく、うすうす気づいていましたが、被害者の家庭がいろいろわけありであり、被害者自身も問題ありです。
 連れ子同士をともなっての再婚には、読んでいるうちに気づきました。また、本人が援助交際を積極的にしていることにも気づきました。だれかが、なにかしらの不都合があって女子高生を殺して、その行為をハサミ男がやったことにしようとしたのです。

 女子高生樽宮由紀子は、お金欲しさで、接客相手を脅していた(おどしていた)というパターンがひとつあります。
 親族間のもつれがからんでいたというパターンもあります。
 話のつくりを推理する小説という位置づけで文章を読んでいます。
 なぜ凶器が、『ハサミ』なのかにも興味が湧きます。

 ハサミ男の心理として、『わたしの内側は、からっぽだ』。

 アヤコ(椿田亜矢子)という同級生が、鍵を握っている。

 周囲の人間の現実的な話が書いてあります。
 女子高生殺人事件は、関係者にとっては悲劇ですが、騒ぎ立てる、あおりたてるマスコミ関係者と捜査する警察関係者にとっては、仕事です。仕事だからやっている。給料をもらうためにやっている。

シリアル・キラー:複数の連続殺人犯。異常な心理的欲求をかかえている。
 
 こどもを亡くした直後の親の心理として:『……子供といっしょに何かが死んでしまったようなんだ。とても大事なにかが。』

 人間のその時の心理を観察するために、その人間の手の動きを見る。

 犯罪心理分析は、心理がどうなのかを考える学問ではなく、『統計学』だそうです。たくさんのサンプルを集めて分析して、こういうときは、こうだという傾向を研究して参考にする。プロファイリング=横顔を描く。こういうふうだから、犯人は、こういうふうのパターンが多いと考える。

 動機がないのに、殺人を繰り返す人間がいる。

 『正社員になる気はありませんか』(ハサミ男にかけられた言葉です)。

<世界は誤解と錯覚で成り立っている(女ひとりで世界を旅した人の言葉です。以前旅行記の本で読みました)>

 犯人検挙のためには、物的証拠が大事。

(つづく)

 402ページまで読みました。
 
日高光一:26歳。さて、誰でしょう。髪の毛の生え際(はえぎわ)が後退している。体重が90キロから100キロぐらい。誰なのかはここには書けません。

 喫茶『おふらんど(フランス語で、「捧げ物(ささげもの)」という意味』の店主50歳ぐらい。自家製ミートパイがお勧めの商品。

精神分析医:丸い眼鏡をかけている。土に汚れた白衣を着ている。もぐらの顔をしている。

 樽宮由紀子は、ロックバンドの音楽が好きだった。

解離性人格障害(かりせいじんかくしょうがい):多重人格。

 鍵を握るポイントとして、『金属製ライターにあったイニシャル「K」』、ライターと関連づけて、『喫煙者』、そして、わたしは、『ハサミ』と考えます。

 刑事の進藤が使っているカメラが、デジカメではなく、フィルムカメラのようです。時代を感じました。

 読んでいて思ったことです。悪意をもった善意というのはあります。
 相手ができないことがわかっているのに、親切そうに声をかけて、相手ができなくて困っているようすをみて楽しむのです。やっかいなのは、加害者の立場にある者が、その行為を無意識にやっていることです。

 真実を伝えることがジャーナリズムではない。
 パターンをつくって、ドラマチックな報道をして、お金もうけをすることがジャーナリズムである。
 ジャーナリズム:新聞、雑誌、放送などの報道活動。

 ニヒリスト:虚無主義者(きょむしゅぎしゃ)。なにもないとする。すべて、無価値である。

 母と娘の関係に、『異常』あり。

 容疑者の目撃者探しのあたりの記述に不自然さを感じました。目撃者が、見つかりそうなものなのに、なかなか見つかりません。いくら、人海戦術によるローラー作戦がやれないとはいえ、駅近くにいつもいる目撃者をいつまでたっても見つけられないというのは不自然です。

 住宅地図を持って聞き込みをします。今もそうだろうか。違うような気がします。う~む。わからない。

 喫煙の話がたびたび出てきます。
 たぶん作者も喫煙者なのでしょう。

 真犯人がだれなのか、いつまでたってもわからない390ページあたりです。
 時間が流れて、雪が降ってきました。
 冬が始まったのです。

フランス革命:1789年-1795年。貴族+高級聖職者VS商工業者+金融業者。王制が崩壊した。『シゾー・オム、ア・ラ・ランテルヌ!』フランス語で、『ハサミ男を街灯に吊るせ!(つるせ)』。

どうして人を殺してはいけないのか:人が死ぬところを見ると不愉快になるから。たんなる不快感。

 読んでいて、阿部サダヲさんの映画を思い出しました。
 『死刑にいたる病(やまい) 邦画 2022年(令和4年) 2時間9分 動画配信サービス』
 こちらの映画は、阿部サダヲさんが、連続殺人鬼を演じます。17歳・18歳のまじめでおとなしく学力優秀な高校生である男女23人と、26歳の成人女性1人を殺した罪で、死刑判決を受けて服役中です。

 400ページあたり、自問自答をする文章が続きます。読みながら、『引用が多い』と感じていたら、401ページに、『……ぼくには、引用癖がついたようです!……』と文章があり笑いました。

(つづく)

 すべて読み終わりました。
 う~む。これでいいのだろうか。これでいいのでしょう。わたしは、本格的な推理小説マニアではないので否定する力がありません。これでいいのです。

 ハサミ男の正体が判明します。
 ここには書きません。
 よくわからない内容の文章が続きます。本自体が多重人格です。
 ハサミ男は豪快です。
 こんがらがって混乱する422ページあたりです。
 だれが話をしているのかわからない。
 現実と幻(まぼろし)が、同じ空間に存在する。
 女子高生は、男たちを相手に実験をしていた。
 
 なんというか、事実がわからない文章です。
 現実と幻想が入り混じった内容の文章になっているのではないか。

 刑事課職員のチームワークと真実の追求があります。
 
 この終わり方でいいのだろうか。
 496ページの位置にいます。あと5ページで終わります。
 
 『不幸』があります。
 
 『悪魔』あるいは、『悪党』のような人間が生き続けます。
 人間と言うよりも、『人格』が生き延びます。

(参考・引用文献の部分を読みました)
 鶴見済(つるみ・わたる)『完全自殺マニュアル』(太田出版)は、読んだことがあります。2022年12月22日に長い感想メモがあります。自殺防止が目的の本です。  

Posted by 熊太郎 at 06:55Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2024年11月14日

あまろっく 邦画 2024年

あまろっく 邦画 2024年(平成6年) 1時間59分 動画配信サービス
 監督:白石和弘
 俳優:江口のりこ、笑福亭鶴瓶(しょうふくていつるべ)、中条あやみ、松尾諭(まつお・さとる)

 江口のりこさんも、最初に出てくる松尾諭(まつお・さとる)さんも、9月に東京渋谷にあるパルコ劇場での演劇鑑賞で、ご本人を観たので、親近感が湧く感情をもちながら映画を観ました。また、鶴瓶師匠は、毎週月曜日夜にあるNHK、『鶴瓶の家族に乾杯』でお顔を拝見しています。

近松陽子(江口のりこ):39歳。優秀な会社員で業績も良かったが、後輩に対する厳しいパワハラがあるので、周囲から嫌われてリストラされた。京都大学卒業。(厳しいことを言いますが、現実には、そういう人は、リストラはされません。会社から見れば、業績が良ければパワハラでもいいのです。リストラされるのは仕事をしない人です。会社への貢献度で判断されます。こちらの映画は全体的に、情(じょう。にんじょう。なさけ)に流される甘い映画です)

近松竜太郎(笑福亭鶴瓶):近松陽子の父親。町工場の経営者だが、技術職ではない。もっぱら、人間関係を大事にしながら営業を行っている。

 最初のシーンが、キリスト教会での結婚式です。
 どういうわけか、ウェディングドレスの花嫁がふたりいます。
 ふたりで入場行進です。(その後、事情が明らかになります)

 『あまろっく』というのは、兵庫県尼崎市の港に設置された閘門(こうもん。運河、放水路などと、海の間にある門。水位調整に使う建造物。水門(すいもん))のことをいいます。台風の高潮などから街を守るために開閉するようです。
 映画では、『あまろっく』をだれかに重ねます。

 小学校3年生ぐらいの女の子の語りで物語が進行していきます。(江口のりこさん役のこども時代です)

 前半見ていて、ピンとくるのが、展開として、1995年(平成7年)阪神淡路大震災がくるのではないか。(そのとおりになりました)

 2015年(平成27年)における職場でのパワハラ先輩近松陽子(江口のりこさん)のようすです。
 江口さんにぴったりの雰囲気の役ですが、わたしが、渋谷パルコ劇場で観たときには、演目、『ワタシタチのモノガタリ』が終わって、最後のカーテンコール(幕切れ後の拍手で再登場すること)のときに観た江口さんは、引っ込み思案で人見知りな感じがありました。ご本人の対応は、自分が知っている人と話すときと、知らない人と話すときとでは、かなり違うのではないかという印象を受けました。

 近松陽子さんのお母さんはいますが、そのうち亡くなってしまいます。
 そして、鶴瓶さんが演じるおやじさんが、自分の再婚相手として、二十歳の女性を連れてくるのです。
 まあ、現実にはちょっとありえない設定です。
 娘の江口さんが39歳で、父親のお嫁さんが20歳という設定です。
 三人の同居生活が始まるのです。江口さんは、言いたいことをはっきりいう人物像です。ケンカ腰です。
 新妻の早希さん(さき。中条あやみさんが演じる。設定として、元尼崎市役所職員)には、暗い過去があります。早希さんは、家族に恵まれませんでした。だから、ちゃんとした家族をつくりたいという希望をもっています。若いお嫁さんの強気がすごい。

 いろいろ名言ぽっい言葉が光っています。
 『人生で起こることは、何でも楽しもう』
 『慰め(なぐさめ)られたら、みじめだ』
 『おまえは昔から「和」を乱す』
 『食うて(くうて)寝たら、たいがいのことは、なんとかなるわ』
 『死ぬまで笑ろうときたい(わろうときたい)』
 
 水面上で競争するボートの様子がときおり映像として流れます。
 京都大学ボート部所属の近松陽子さんなのでしょう。

 『運針(うんしん。タオルを縫う)』にこだわりがあります。『精神統一、集中』です。

 うめぼしおにぎり→10月から始まったNHK朝ドラ、『おむすび』が思い出されました。(ドラマの内容について否定的な意見や評価がありますが、うちは、毎朝時計代わりに見ています。そんなにとんがって、文句ばかり言うほどのことでもないのにと思います。わたしは、今どきのなんでもかんでも攻撃的なニュースに、嫌気がさしている年寄りです)。

 近松陽子の見合い相手の男性は心の優しい(やさしい)男です。
 結婚相手は優しい人がいい。
 優しくて強い人がいい。
 恋愛の基本です。
 『ほんまは、辛いの(からいの)にがてなんです』
 『あの… 手つないでいいですか』
 『一生、陽子さんを大切にします』
 
 映像を見ていて思うのは、『人生は、自分の居場所探し(さがし)』ということです。
 自分にとって快適な場所を、この地球上で探すことが人生の目標のひとつです。
 もうひとつ思ったのは、人生は、40歳を過ぎてからが、また長い。(若いとき、希望がかなわなくても、先のばしにして、時期を待てばいい。願いはいつかかなうことが多い)

 陽子さんは強い人だ→『(本人の言葉)ふん、知らんくせに(実は弱い)』

 家族そろってごはんを食べる。
 家族団らんが夢。おいしいものを飲み食いして、あたりさわりなく、気楽に雑談をすることが心の交流です。

 『この子は、竜太郎さんからのプレゼントや』(鶴瓶さんは寿命で死んじゃうんです。そして、お嫁さんのおなかには、鶴瓶さんとのあかちゃんがいるのです)

 江口のりこさんを中心におきながら、そのときそのときで相手を変えての二人劇です。

 『あなたのことを一生笑わせます』(プロポーズの言葉)

 鶴瓶さんのお嫁さんの家庭です。『(浮気症、DV(児童虐待。父親からの暴力)えらい! そんなことがあっても、めげんとまっすぐ育っている。(母親は酒で死んだ)』
 励ます人がいます。

 おとうちゃんは、『あまろっく』やった。
 これからは、わたしが、あんたらの、『あまろっく』になる。(近松陽子の言葉)。

 最後のオチ(新人工員)が良かった。
 びっくりしました。  

2024年11月13日

碁盤切り(ごばんきり) 邦画 2024年

碁盤切り(ごばんきり) 邦画 2024年(令和6年) 2時間9分 動画配信サービス

監督:白石和彌(しらいしかずや)
俳優:草彅剛(くさなぎ・つよし)、清原果耶(きよはら・かや)、中川大志、斉藤工、市村正親(いちむら・まさちか)、小泉今日子、國村準

 忠臣蔵(ちゅうしんぐら)のような、仇討ち、仕返し劇かと思いながら観始めました。
 冤罪(えんざい。ぬれぎぬ。犯人ではないのに犯人に仕立て上げられた)をはねかえすために、草彅剛さん演じる浪人柳田格之進ががんばります。
 妹お絹を演じる清原果耶さんは、置屋へ(おきや:売春宿)に預けられて、期限付きで復讐を果たすための借金の担保(たんぽ。返済ができないときは、売春の仕事でお金をつくってもらう)になります)。

 囲碁の映画です。ただし、賭け碁です。勝ち負けにお金やほかのものを賭けます。勝ったほうが利益を得ます。
 江戸時代の碁石は、白石も黒石もぺったんこです。
 音楽の映画でもあります。
 セリフがないときに、けっこう長い時間帯、音楽が流れ続けます。

 草薙剛作品の傾向です。
 『正義』を追求します。不正を嫌います。
 純粋であることを求めます。
 キャッチフレーズは、正々堂々です。
 以前観たドラマ、『罠の戦争』がそのパターンでした。政治家のドラマでした。

 こちらの映画は、前半から中盤までは、シンプルな筋立てです。
 なんでもお金の世界です。
 
 武士の世界があります。
 藩の世界です。
 いまどきの、国家公務員とか、地方公務員です。
 現代も同様ですが、政治家も含めて、藩(国、地方自治体)という箱の中で生活している人たちです。箱の中にいるときは、身分を堅く守られますが、箱の外に出ると、こてんぱんに叩かれる(たたかれる)こともあります。

 冤罪(えんざい)ということは、真実の犯人がいるわけで、冤罪に問われた人を救うこと、本ボシ(真実の犯人)を見つけることが必要です。
 
 上の者にゴマをすれない人は、出世はむずかしい。柳田格之進のことです。ゴマをする:自分が利益を得るために、権力を持つ人に過剰なサービスをする。

 賄賂(わいろ)も生活給なのか。(給金が(給料が)低いから、業者からわいろをもらっても良しとする(業者に便宜を図って利益を与える。生活給:生活をしていくために必要な給料。せいかつきゅう)。

 柳田格之進の妻がらみの設定は、(夫の地位保全のためにわが身を上役に提供する)ほかの映画でも見た記憶があります。『武士の一分(いちぶん)』という邦画でした。
 
 むずかしい話もあります。無理があります。柳田格之進が自ら(みずから)切腹する理由はありません。
 清廉潔白であることを義務とする武士の設定には無理があります。(事実ではないと思います)。
 
 敵との再会シーンは、どうつくるのかと興味が向きました。
 街道(かいどう)である中山道(なかせんどう)で出会うという設定では単純すぎます。(やはり違う場所で再開しました)

 わたしは、映画を観るときは、つくり手の立場で観ます。

 中川大志さんのセリフがうまくない。<セリフの文章がということです>

 後半は、空間が凝縮されています。
 生きるか死ぬかのきつい空間です。
 ビートたけし映画のようでもあります。
 勝負は、剣ではなく、囲碁です。(されど勝敗に命がかかっています)
 『どちらが勝っても遺恨はなし(いこん。うらみ。復讐心。仕返しの心)』(されど、そううまくはいきません。今どきの風潮に似ています。敗者は、負けても負けを認めず吠える(ほえる)ばかりです)。見苦しい。敗者は、次回は勝つと思ってがんばればいい。
 こどものころ観ていた昔の時代劇を思い出します。日本人が気力で生きていたころのやりとりです。あのパターンのほうが良かった。
 
 最終盤です。
 う~む。平坦な気持ちになりました。良しとも、そうでないともいえませぬ。
 いそがしいのね。駆けっこ(かけっこ)です。太川陽介さんと村井美樹さんの『路線バスVS鉄道乗り継ぎ旅』の闘いのようでもあります。さらに、太宰治作品(だざい・おさむ作品)、『走れメロス』のようでもあります。

 人を疑うときには、覚悟がいります。
 
 オチは、わかってしまいます。映画のタイトルになっているから。
 緊張の心理を高めるために、前振りとして、実際の首切りありです。
 『覚悟(かくご。心の準備)』
 
 小泉今日子さんが、優しい(やさしい)。
 やはり映画は、最後は、『愛』で終わるのがいい。
 夢のような話でした。  

2024年11月12日

おじいちゃん、死んじゃったって。 邦画 2017年

おじいちゃん、死んじゃったって。 邦画 2017年(平成29年) 動画配信サービス
森ガキ侑大(もりがき・ゆきひろ)監督 岸井ゆきの、美保純、岩松了、光石研、水野美紀


 江口のりこさんが出演された、『愛に乱暴』が上出来だという評価をたくさん見て、同じ監督作品のこちらの作品をテレビで観てみました。

 壊れた家族関係の修復・再生話ですが、う~む。ちょっとまずかったような。表現の手法が独特で極端でした。
 映画は監督のものです。監督のものですから、監督の脳みその中にある世界が映像化されています。
 監督の世界を入れ込み過ぎた映画です。
 家族関係のまとめ方もじょうずではない。
 謝ったからといって許されるものではない言動もありました。

 タバコ映画です。観ていて不快でした。
 そして、アルコール依存かと思うほどの、中年おやじ兄弟の飲酒が強調されるアルコール映画です。酔っ払えばケンカになります。葬式では、お金のことでもめたりもします。
 さらに、若い男女のエッチシーンとか、女子高生の喫煙、飲酒シーンとか、鑑賞しているほうは、引く思いです。まあ、監督はそれでもかまわないのでしょう。

 死んだので、話の中心にあるべきおじいちゃんが、どんな人間だったのか、紹介がありませんでした。(認知症になっているおばあちゃんについての思い出話はありましたが、おじいちゃんの詳細は不明なまま終わってしまいました。おじいちゃんの人物像は最後までわからずじまいでした)。

 リアルではありますが、現実にある出来事が、みんな映画にあるようなふうとは思えず、ちょっと描き方が極端かなと思いました。

 まあ、思い切った描写です。
 祖母の放尿シーンが二度ほどあります。

 隣保(りんほ):隣近所の人々。組織。

 さて、おじいちゃんが80歳ぐらいで、まあ病気で亡くなったのです。
 観ているわたしはおじいちゃんなので、死んじゃうほうの立場です。
 長いこと生きてきましたので、お葬式の体験は何度もあります。参列する立場も主催する立場も体験しました。

 まあ、映像を観ていて思うのは、みな、だらしない。
 人が死んだというのに、おじいちゃんを偲んで(しのんで)くれる人が少ない。
 じいちゃんが死んでも悲しくないようです。
 そんなに、交流がないおじいちゃんだったのだろうか。どうしてもじいさんの葬式に行かなきゃいけないのかと言う親族もいます。
 礼服をもっていないからと行けない理由を言います。(行きたくないのです。まあ、そんなふうなら、来てもらわなくていいです(死んだおじいさんの声が聞こえてきそうです))。
 息子の嫁さんが通夜も葬儀も出ないので不思議だったのですが、息子夫婦は、離婚していました。元嫁です。
 娘(孫)が一番おじいちゃん思いでした。葬式に母親も顔を出すべきだと母親(亡くなった祖父の息子の元嫁)に抗議をしていました。

 だらだらとした孫の男子たちです。
 
 『(世間体があるから(せけんてい))葬式が終わるまでは、幸せな家族のふりをしましょう。』
 そんなセリフが、だれかから出ます。

 ダイハツエッセという軽自動車を運転している元嫁です。わたしも昔、その軽自動車を2台目の車として、愛用していたことがあります。車体が軽い小さな車で、ダッシュする力が強く、小回りもきき、自転車感覚で運転できるいい車でした。

 みんないいかげんな人間です。見ていて哀れ(あわれ)です。

(火葬場にて、棺桶のなかで眠るご遺体に)『今まで、お疲れさまでした。』(わたしも何度か、その言葉をかけたことがあります)。

 『老いる』ということ。『人である』ということ。
 昔をふりかえっての出来事話では、おばあさんはとてもやさしかった。
(そのおばあさんが、今は認知症で、『おたく、どなた? 初めまして』の世界にいる。おばあさんがそう声をかける相手は、自分が産んだ息子や血のつながりがある孫たちです)

 祖父と孫のつながりの薄さは、世の常(つね)、現実なのか。

 後半の食事会のシーンがいい。
 やっぱり、みんなでテーブルを囲んで、ワイワイやりながら、飲食をともにすることは心の交流の面でいいことです。人の悪口なんぞ言わず、まずはおいしいお寿司を楽しむのです。みんなでいっしょにごはんを食べることは大事なことです。
 最後に、親族の集合記念写真を撮ることも大事なことです。
 もう二度と、同じメンバーで、集合写真を撮ることは、たいていないのです。

 『ありのままでいい』、『ありのままはだいじ』、身内ですから、気取る必要もありません。

 ばあちゃんはすごい。
 花火、ミュージカル、舞台、ステージのようでした。

 こどもが欲しかった。
 子孫をつなぐことは、人間の本能です。
 
 インドが出てきます。
 宗教的でもあります。
 う~む。いまいち、趣旨がわかりませんでした。

 されど、江口のりこさんの、同監督の『愛に乱暴』は、良作と聞きました。