2013年07月14日

(再読)キッチン 吉本ばなな 

(再読)キッチン 吉本ばなな 新潮文庫

 この小説を読んで「救われた」という感想文にあたりました。以前読んだことがありますが、非凡で奇妙な配役設定だった印象しか残っていません。あらためて読み直しました。文庫には、3本の短編がおさめられていますが、標題の「キッチン」だけを読み返しました。読み返してみて、「救われた」という意味を理解することができました。
 妻が病死して、ひとり息子を小さい頃からせいいっぱいの思いをこめて育ててきたけれど、自分の能力の限界を悟り、パパではなく、オカマとなってママになった田辺雄司がいます。おそらくそのような父親のつらそうな姿をみてきて、限りなく「やさしい人」に育った田辺雄一がいます。かれは、やさしい心と引き換えに感情を失いました。主人公である桜井みかげは、両親を早くに亡くし、両親のかわりとなって育ててくれた祖父母を亡くし、天涯孤独の身でしたが、田辺親子に犬のように引き取られました。田辺親子の特徴として、電化製品を購入することが心の支えになっていることがあります。ワープロ(なつかしい)、コピー機、ジューサー、そして台所に続く廊下にはどういうわけかベッドが置いてあって、そこが、桜井みかげのお気に入りの場所です。家の中のいろいろな場所で寝た結果、台所がベストだった。台所にこだわる桜井みかげの様子から、小川糸著「食堂かたつむり」を思い浮かべました。なにかのショックで口をきくことができなくなったりんこさんが、食堂を開くのです。ブタを飼い、エルメスと名付け、愛情込めて育てて、最後には、食卓のお皿の上にのせて、食べます。厳しい優しさがありました。
 キッチンを読んだのは日曜日の早朝でした。午前4時半に目覚めて、午前5時41分に読み終えました。途中、飛んでくる蚊に悩まされましたが、読み終わる頃、パンと叩いてつぶしました。血が出なかったので、無益な殺生をしてしまったと反省しました。
 生き続けていくために、肩の力を抜いて生活する。自分はこの程度の者だと、リラックスして暮らす。自分を救うために自分を許し、自分を愛する。変わり者と呼ばれても、これがわたしと開き直る。他者から否定されても自分は自分を肯定する。父ではなく、男ではなく、ママとして子育てをする。人それぞれ限界がある。がんばっても届かない目標がある。田辺雄一がみかげの祖母の愛人ということがよくわからない。わからないけれど祖母が亡くなった今、追求する理由もない。読者は、共通体験があるから、作品に救われる。作品は、「この世でいちばん好きな場所は台所だと思う」から始まります。食事をつくる場所ならつらくない、とあります。
「飽和した悲しみ」、「ひとりで生きている感じがした。」、ときおり武士のような言葉づかいとして「かたじけない」、「デジャブー(既視体験)」、帰宅して、祖母の生存確認がとれたときの安心感、「神さま、どうか生きてゆけますように」、「無駄金はこういうときのためにある」、「人生はいっぺん絶望しないと」など、心の旋律に触れた表現です。


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