2012年10月21日

ツナグ 辻村深月 文庫と映画

ツナグ(死者と生者との仲介役。使者) 辻村深月(みづき) 新潮文庫と映画館での鑑賞


 小説と映画を対象として両者が混在した感想を書きます。434ページのうち10ページほどを残したときに映画館で映画を観ました。上映開始時刻に間に合わなかったので、暗い館内に入ると映画はすでに始まっていました。小説と映画の筋立て(ストーリーの展開)はかなり異なっています。小説は5つの章に分かれています。映画は、いきなり最終章の部分から始まっています。樹木希林(きききりん)さんの祖母は主として小説では第5章(最終章)から登場しますが、映画では冒頭付近から顔を出します。その点で、この映画は樹木さんの映画です。「東京タワー」とか「悪人」での名演技を思い出しました。樹木さんは、小説では入院していますが、映画では自宅で暮らしているところからスタートしています。
 映画を見た翌朝に小説を読み終えました。章ごとの感想などを映画感想とともに記録してみます。
「アイドルの心得」満月の夜に亡くなった人と再会ができます。最初は、青森県恐山(おそれざん)イタコ形式(霊魂のり移り)かと思いました。また、沖縄ユタ(シャーマン。憑依(ひょうい))を予測しましたがツナグでは、死者は実体がある肉体で現れます。会いたい願望をもつ人が平瀬愛美、彼女に会ってくれるのが、亡くなったアイドル水城サヲリです。水城が平瀬の本心を鋭く突きます。ツナグの役割を果たす男子高校生の名前はまだ明らかにされません。
「長男の心得」映画ではこの部分が冒頭になっていたようです。後半でも父子のかすかな和解がとりあげられていました。長男である工務店経営者畠田靖彦は母親に癌の告知をしなかったことを悔いています。その長男である大学3年生太一が性格の悪い靖彦を責めたてます。
「親友の心得」ツナグの少年名が明らかにされます。渋谷歩美(アユミ)です。死亡するのが御園奈津(みそのなつ)、加害者が嵐美砂です。映画ではこの部分と次の「待ち人の心得」が重点的に長時間放映されています。水道のホースから道路上に流れ出た水が凍っていたのかいなかったのかが焦点になります。御園がどう表現しようと、水は凍っていたのです。親友だと思っていた嵐に拒否された御園は深く悩み心は傷つき、承知のうえで自ら氷の上に突っ込んでいったのです。まさか死ぬとまでは思わなかったことでしょう。わざとケガをして主役を嵐に譲り和解するつもりだったのです。嵐の行為で死んだ御園に謝罪をしなかった嵐に対して御園は報復したと解釈しました。御園は嵐を許しませんでした。嵐はとりかえしのつかない過ちを犯したことを一生ひきずって生きていかなければならない。
「待ち人の心得」泣けます。この章が一番好きです。映画よりも小説のほうがいい。きめこまかな文章表現が続きます。映画鑑賞中、嗚咽(おえつ)を漏らすほどに泣いている観客が何人もいました。逆に何の感動もないと小声でもらす人もいました。(当然泣いていない)。「泣き」や「笑い」のツボは人それぞれです。登場人物と類似の体験がないと感動や共感は生まれません。泣ける人は人生で苦労を積まれた心優しい人です。
「使者の心得」小説にしても映画にしても、読み手と観客はツナグを務める渋谷歩美少年の両親の死因に途中で気づきます。「待ち人の心得」までが事例紹介で、この「使者の心得」が裏話です。
 さて、感想ですが、小説を読む前に期待した内容と実際の小説の内容は違っていました。それが原因で読み終えても物足りなさがありました。でも、映画は好評です。死んだ人にひとりだけ生涯に一度だけ会うことができるというヒントから、だれしも自分だったらだれに会いたいかという発想が始まります。人の関心をひきつける部分であり小説で実現できる世界です。
 きれいな思い出の世界ばかりではありません。実存する人間の利益のために死者の過去を利用するあるいは事実を書き換える。映画に出てくるツナグの渋谷歩美はそのことで悩みます。いくら突き詰めて考えても正解のない質問です。映画を見終わるころに思ったことは、「きれいな心を保つために美しい映画を見続けよう」ということでした。


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