2012年07月15日

ダーウィンと出会った夏  J・ケリー 斎藤倫子訳


ダーウィンと出会った夏  J・ケリー 斎藤倫子訳

 読み始めて今、全体で413ページのうちの62ページ部分ですが、読むのに長い時間がかかりそうなので、感想は書き始めてみます。
 「ダーウィン」という固有名詞から思い浮かぶのは、まず、オーストラリア北部、赤道近くにある都市の名称です。動植物の宝庫です。行ったことはありません。地図でいうとその右斜め下にあるケアンズというところには行きました。ちょうど地元の秋祭で暗くなった夕刻に、柔道着を来た人たちがプラカードをもってゆるゆると行進してきたのでびっくりしました。赤道近くの町で柔道着を見るとは思いもしませんでした。次に思い浮かぶのが「種の起源」を発表した「ダーウィン氏」です。この本を読み始めてみたら、「種の起源」のダーウィン氏のほうでした。コーリー・ヴィー(キャルパーニア・ヴァージニア・テイト)11才と9か月というアメリカテキサス州フェントレスに住む少女が祖父に「種の起源」を提供される部分が、はじまってしばらくしてから出てきます。でも、オーストラリアのダーウィンも関連がないわけではないと勝手に思い込んで、そのことを頭の片隅に置いておきます。(後日関連があることが判明しました。ダーウィンの仲間がその土地をそう命名したそうです。)
 思い出しました。「オーストラリア」という映画の舞台のひとつがダーウィンでした。第二次世界大戦のときに日本軍(空軍)がダーウィンを攻撃しています。映画を見ながら日本人として心が沈みました。犠牲者が出ています。
種の起源のダーウィン氏(1809年~1882年73才没)は英国の人で自然科学者です。1859年50才のときに「種の起源」を発表しています。ひとつの種から進化によって複数の種が生まれたと解釈するようです。さて物語に戻ります。時代は1899年のアメリカ大陸での出来事です。「種の起源」はその40年前に出版されており、作者であるダーウィンが亡くなってから17年が経過しています。
 7人きょうだいのただひとり女子、4番目がコーリーです。上に3人の兄、下に3人の弟がいます。動植物学の先生になってくれるのが祖父のウォルター・テイトです。ふたりの関係から「種の起源」がイメージされます。ウォルターという種からコーリーという種が生まれているのです。物語の展開と同時にコーリーは進化してゆくのです。祖父の遺伝子が孫娘に継承されて素晴らしい進化を遂げるようです。ふたりは標本採取を始めます。ふたりの関係は洋画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のブラウン博士と若者マーティ・マクフライの雰囲気があります。いい映画でした。
 ふたりの自宅の近くには自然界の広がりがあります。夏の猛暑で人間は干上がっています。早朝からお昼までしか働けないようです。アメリカ南北戦争の話が出ます。黒人差別の話もでます。そして、科学は宗教に否定されています。日本のこの時代は、明治32年勝海舟が亡くなっています。工業化が進み、金融組織ができて近代の夜明けの勢いがあります。南北戦争についてもっと深く知りたい。1861年から65年の4年間。奴隷解放が対立の理由。南部では綿花の取り入れのためにどうしても黒人奴隷制度が必要だった。
 ここまでで、心に留めた記事を並べてみます。
 コーリーは植物の新種を発見したい。大学で学びたい。ダーウィン説と聖書説がある。コーリーは図書館で本を読みたい。彼女の希望は図書館ではかなえられません。「種の起源」を貸してもらえませんでした。そもそも図書館においていないようです。図書館職員から、そんな本はこの図書館にはおかない。読みたかったら取り寄せるからお金を払えと言われています。
 祖父とコーリーは「昆虫の野外観察図鑑」とお弁当と水筒、観察ノートと鉛筆、捕虫網をもって川に標本採取にでかけました。祖父は少年のようです。祖父が孫に教えます。<仮説><実験><観察><結論>その後の検証。祖父の部屋はさながら実験室です。祖父が南北戦争従軍中に、コウモリを保護した話をしてくれます。なかなか楽しくなってきました。
(つづく)
 206ページまできました。半分ぐらいのところです。コーリーファミリーの家族関係と「種の起源」とを関連付けしながら読み続けています。
 おじいさんは「ペカン」という植物からお酒をつくろうとしています。どんな植物なのかはわかりません。
 65ページに「自然選択」という言葉が出てきます。あとあと鍵を握る言葉になるかもしれません。その後「探求者」という言葉も出てきました。ステキな言葉です。196ページには「変異体、変種」という言葉が出てきます。これも記録しておこう。
 ふたつの教会の対立とかピアノの発表会、チョウの毛虫を大事に育てたらさなぎから出てきたのは大きなガだったとか、ひとりの女の子を兄弟3人が同時に好きになったとか、一番上の17才の兄が23才の女性に恋をしたが思いはかなわなかった。そんな話が続きます。ゆっくりと時間が進んでゆきます。
 コーリー家は名家のようです。祖父は南軍での幹部軍人とか、食事時のきびしいしつけがあります。41才らしき母親マーガレットの家族に対する束縛があります。これから先、どんな展開になるのだろう。
(つづく)
 330ページまできました。あと70ページです。でも、「種の起源」とコーリーの関連は明確ではありません。アナグマの穴のそばで見つけた植物は新種なのかそうではないのかはまだ判明しません。物語のなかでは、これから思春期を迎えるコーリーや兄弟たちの恋ばなしとか、男尊女卑の男女差別、たとえば女子には選挙権がないとか、女子は料理をつくるとか、年頃になったらお金があるいい男をつかまえるために社交界にデビューするというようなお話が続きます。こと、男女の話になると、コーリーは女子に生まれるよりも男子に生まれたほうがよかったと思っているに違いありません。料理はいくらやってもうまくなれません。人には向き不向きがあります。男女別職業分担は無理なときもあります。
 ダーウィンのキーワードとしては、「人為選択」が登場します。いいなあと思ったコーリーのセリフは、ふたりの弟を見ながら、「あのふたりにはあのふたりの人生がある。わたしにはわたしの人生がある。」そうです。たとえきょうだいでもそれぞれの世界は違うのです。コーリーは研究者になりたい。
 女子の選挙権が認められたのはそれほど遠い昔ではありません。日本でも1945年、戦争が終わってからです。わたしがこの世に生まれる10年ぐらい前のことです。
 物語のなかでは、グラハム・ベルが発明した電話機が出てきます。コーリーの祖父は元大尉で相当の高い地位にいた人らしくグラハム・ベルと知り合いです。最初は1本だった電話線もどんどん増えていきます。
 祖父が熱意を注いでいたペカン(ナッツの木らしい)の蒸留酒は失敗を迎えます。ただし、祖父は悲観しません。祝います。ねこのおしっこのようなみためと味でした。祖父とコーリーは、実験が成功しなくてよかった。実験が終わることは悲しいと、ともに手をとり発見の航海はまだ終わっていないと言うのです。それはそうだけれど、なんだかへんなおじいちゃんと孫娘です。
 ひとりの少女を3人の男が同時に好きになる。見た目で決めていいのかと思うのです。
 感謝祭で食べる七面鳥に名前を付けてしまったから情がわいて料理にすることを反対する男子がいます。映画「ブタがいた教室」と同じ展開です。教室内は大論争になります。
 300ページにキーワード「選択の作用」がでてきます。さて、よくわかりません。
(つづく)
 読み終えました。後半は華やかです。クリスマスと1899年から1900年への新世紀を迎える気運に満ちています。コーリーファミリーは祖父からたくさんの孫まで、にぎやかに大晦日を過ごします。100年前のアメリカ人の生活が生き生きと描かれていました。
 食生活について考えました。感謝祭では七面鳥が食べられます。わたし自身では食べたことがあるのでしょうが、味を覚えていません。鶏肉の味でしょう。鹿肉のソーセージ、日本人とは食生活が異なります。
 コーリーの弟トラヴィス10才は心がやさしい。彼のそばには小動物がいっぱいいます。やさしいと傷つきやすい。おとなになるまでに苦労するかもしれません。
 共進会というパーティはにぎやかです。バンドがワルツや行進曲を演奏しています。文化祭のようで、編み物のコンテストもあります。社交ダンス、写真撮影、圧巻はラストの自動車登場でした。まだ、車が世の中に普及していなかった頃、発明品のデビューみたいなものです。人びとはお金儲けの算段をしています。アメリカ経済はここからがんがん稼いでゆくのです。米国の歴史を学んでいるようです。
 祖父とコーリーが発見した新種の植物の鑑定結果がワシントンにあるスミソニアン協会植物分類委員会から届くのです。新種の認定を受けて植物の名前は「ウィキア・タテイイ(ラテン語でテイトのウィキア、テイトは祖父とコーリーの苗字)」と名付けられました。ふたりは大喜びです。アメリカ風サクセス・ストーリー(成功物語)です。
 わからない言葉がいくつかあります。「ベッチ」豆科の植物となっています。テイトたちが発見したのは、ヘアリーベッチの未知の新種で、分類上「網こう」ディコティレドン、「目もく」ファバレス、「科か」ファバケアエ、「属ぞくウィキア」で、名前が「ウィキア・タテイイ」となります。祖父は朗報を耳にした後、虚脱感に包まれます。目標を達成するといちまつの寂しさがあります。未来への楽しみが消えるからです。彼はショパンの「雨だれ」を聴きます。わたしは太田裕美さんの「雨だれ」しか知らなかったので、ネットでショパンの「雨だれ」を聴いてみました。和風ぽい旋律で胸にしみました。「ピアノはともだち」の辻井伸行さんの「ラ・カンパネラ」という曲があったのでそれも聴きました。透明感のある音です。曲の解釈もよく心地良く聴き入りました。感服しました。
 大晦日、世界の終わりはこないとワインで乾杯します。どこかで聞いたようなはなしです。21世紀を迎えるときにもそんな話がありました。祖父は、時の経過を表す区切りに過ぎないとコーリーに説明します。
 「ダーウィンに会った夏」、ダーウィンは祖父であり、コーリーから見た祖父との出会いの思い出話です。その夏までは、コーリーは7人きょうだいのうちのひとりの孫でしかなかった。極端に言えば、祖父はコーリーの名前すらぼやけていた。一方祖父は、博識ではあるけれど変わり者でもあった。孤独でもあった。そこへ、自分と同じ素養をもった孫娘が現れたのです。うれしかったに違いありません。書中の言葉をかりるとふたりは「変異体」です。ふたりのやりとりの経過のなかで、コーリーは進化を遂げてゆくのです。それは植物に限ったことではなく、女性の社会進出に向けたものなのです。402ページにコーリーの言葉があります。おじいちゃんはいった。わたしの人生はわたしの望んだようにできる。コーリーが死ぬ前に見たいもののひとつに「雪」がありました。彼女は間もなく雪を見ます。まっしろな雪原の上に最初の一歩を踏み出すのです。

(その後、1か月半ぐらいが経過して)
今読み終えつつあるのは、「夢をかなえるゾウ」水野敬也(みずのけいや)著です。
過去のベストセラーでありロングセラーです。
再読です。
211ページにダーウィンの記述があります。昆虫大好き人間と記されています。
285ページにグラハム・ベルが登場します。
異なる2冊の本がつながる。
読書の醍醐味(だいごみ、おもしろさ、深い味わい)です。

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この記事へのコメント
めっちゃ助かりました^^
ありがとうございます!!
Posted by なっちゃん at 2012年08月19日 23:32
お役にたててうれしいです。
感想文で、なにを書いたらいいのかわからないという記事をみかけることがあります。参考にしてください。
Posted by 熊太郎熊太郎 at 2012年08月21日 11:25
参考にさせていただきました!!
おかげでこの作品のメッセージに気づけ、大切なことを学びました

ありがとうございます><
Posted by yuka at 2012年08月21日 22:59
yukaさん、書き込みありがとう。
わたしもまだまだ「探求者」でありつづけたいと思うのです。
Posted by 熊太郎熊太郎 at 2012年08月22日 06:04
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