2012年06月21日

家族の勝手でしょ! 岩村暢子

家族の勝手でしょ! 岩村暢子 新潮社

 がっくりくる本です。副題は「写真274枚で見る食卓の喜劇」ですが笑えません。小学生以下のこども複数を含む夫婦世帯を中心とした1日3食を1週間記録した結果の分析となっています。食事内容は、まるで餌です。人間の食ではありません。よその家のことはわかりません。7日目朝の朝食は悲惨です。共働きであるとか、たまたま忙しいときは仕方がありません。でも、読み続けてみると、1週間の前半は見栄で、後半が日常の食事なのです。
 夫やこどもに対する愛情が料理に現れていません。夫はゴミクズ同然の扱いです。こどもの健康は考えられていません。夫は妻に反発しません。こどもたちはさすがに反発しますが、母親はわがまま勝手に自分のやり方を押し通します。
 コンビニ利用を中心とした、おかず、おにぎり、冷凍食品、カップラーメン、シリアル、お菓子のオンパレードです。お皿に盛らない、テーブル上に直(じか)におかずを置く(食器洗いを省略するため)、鍋からおかずを直接、箸(はし)でとる。親も子もひとりで食べる孤独な食事。親とこどもは別々のテーブルで同じ時間帯に食事をとる。(こどもは汚すからわずらわしい)サプリメント(栄養補助剤)の摂取量多し。しっかり食べなければ知恵も気力も体力も湧いてきません。
 野菜不足で便秘で苦しむこどもたちを放置する。血尿で苦しむ夫の食事は、油もの・インスタントものばかり。夫たちは早死にするでしょう。悲しくなりました。しつけという名の虐待が思い浮かびました。
 本では、「分析-写真」のパターンが延々と繰り返されます。飽きます。問題提起はするけれど、そこから未来に開かれる明るさはありません。後半はもう読みたくなくなりました。頭の中に残っているのは「めんどくさい」とか「疲れる」という言葉でした。比較的時間の拘束を受けない立場であり、うるさい上司がいるわけでもないのに何が疲れるのか。こどもの習い事の付き添い(うちの子は才能と能力があるという錯覚)、つきあい(昼間は高価なランチ)、エステ、ネット中毒。読んでいて不快になったことを列挙してみると、何でも瞬間的にできないと精神が切れる(3分間でできるカップ麺の影響ではなかろうか)、あわせて時間がかかる仕事を忍耐強くできない(時間がかかる料理はつくれない)、人が(おそらく親が)なんでもやってくれた。責任は人のせいにする。素直になれない。「めんどくさい」という言葉からは、生きることすらめんどくさいということまで伝わってきます。がまんできない。やりたい放題。楽をしたい。「料理は(仕事から帰った)パパがやる」には、ため息がこぼれました。食器洗いが疲れる。温水が出るから疲れるわけがないと反論します。40年ぐらい前は冷水で洗っていたのです。
 朝は早起きが基本です。いつまで寝ているのか。夜遅くまで起きているから朝起きられないのです。この本を読むと、男性に結婚はやめたほうがいいと勧めたくなります。不健康な暮らしが続いて、病気になって、失職して、医療費の支払いに困るという線路を走り出すことになります。
 こうなった理由は、利潤追求目的のための過剰サービスが行き渡った社会生活をはじめとして、団塊の世代が、自分たちが味わった苦労をこどもたちにさせまいとこどもを甘やかしたことが一因だと思う。いつでもどこでもだれかが自分のめんどうを無料でみてくれる。同様に自分のこどものめんどうもみてくれる。日本の長寿社会はいずれ途切れる時期を迎えるでしょう。暗い気持になりました。

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