2012年01月16日

丹下左膳餘話 百万両の壺

丹下左膳餘話 百万両の壺

 片目片腕の剣豪です。京都嵐山の大河内山荘を訪れたことがあります。丹下左膳を演じた大河内傳次郎(おおこうちでんじろう)という役者さんのお宅でした。九州福岡県から出てきて、すごいお金持ちになって、ひと山買って、太秦撮影所(うずまささつえいじょ)から馬に乗って通勤していたと年表に書いてありました。わたしにとっては伝説の人です。昭和10年代から戦後にかけて活躍した役者さんという印象があります。
 最近は1930年代の映画を観ています。学ぶことがたくさんあります。物語展開構成は、何十年経過してもしっかりしています。この当時の特徴としては邦画・洋画問わず「気持ち」の優先と表現があります。しあわせ感を余韻(よいん)として残してあります。理論や数学的なものではなく、きちんとまとまらない人間の気持ちの動きを上手に表現してあります。監督の才能を感じる一作ですが、28歳のときに戦地で亡くなっています。
 本作品では、百万両のありかを示してあるという二束三文の壺が中心に置かれます。壺をとりまくのが、江戸不知火道場(しらぬいどうじょう)の道場主夫婦と道場主の兄である柳生家藩主、遊技場のおかみと左膳、両親を亡くした男児「やす」そのほかとなります。壺を探して右往左往する人々を描いた人情喜劇となっています。最終的に壺と100万両の関連を明かさないのがいい。粋(いき)な終わり方です。100万両は、本題のようで本題ではないのです。道場主夫婦のやりとりや遊技場のおかみと左膳のやりとりがいい。言ってることとやってることが一致しないのがいい。人間の心理の本質を的確に把握して観客の共感を呼んでいます。BGMはやさしくてやわらかい。「とおりゃんせ」の演奏がよかった。
 左膳の個性設定もいい。気が強くて乱暴者にみえますが、実は気が優しくて繊細です。生きてきた軌跡(画面にはでない登場人物の体験)が感じられます。大河内さんは存在感があります。
 人々を混乱させているのは意地の張り合いです。お金もありますが主ではありません。人のプライドは高い。問題解決の手段がお金です。考えすぎなのでしょうが、左膳の片目・片腕から障害者への配慮もあります。道場主が浮気がしたくて、壺が見つかるまでには10年・20年はかかると奥さんに言います。壺が見つかって100万両が手に入るよりも街中を散策できる自由があるほうが大切なのです。さらに考えを進めると人間の愚かさに対する風刺があります。兄弟間の極端な区別待遇(長男と次男)が挙げられています。面子(めんつ)にこだわる。いいがかりを注意した「やす」の父親はささいなことで報復によって刺殺されています。されど「やす」の父親は嘘つきです。いずれも愚かな行為です。人は愚かなことをしながら人生を送り人生を終えてゆくのです。


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