2008年12月12日

二十四の瞳

二十四の瞳(にじゅうしのひとみ) 壺井榮 角川文庫

 再読になります。前回読んだのは、小学校6年生のときでした。そのいっぽう映画は、大石先生が高峰秀子さんのものと田中裕子さんのものを数回見ました。ただ、記憶に残っているのは、小学1年生たち12人が遠距離を歩いて、先生に会いに行った場面とラストシーンの老いた大石先生を生き残った7人の生徒たちが囲むシーンだけなのです。とくに戦争で盲目になってしまった岡田磯吉君が1年生のときの集合写真を指差す姿は忘れられません。そして、12人のこどもたちだから24の瞳なのですが、磯吉君は戦争で眼球まで失ってしまったのですが、彼が物語の中で眼球がなくても写真が見えると主張するのです。名作です。
 こどもたちを紹介します。岡田磯吉君(ソンキ、豆腐屋の息子、第二次世界大戦に出征し失明)、竹下竹一君(りこうでおとなしい。戦争から生還)、徳田吉次君(キッチン、戦死)、相沢仁太君(にぎやか、戦死)、森岡正君(網元の息子、戦死)、加部小ツルさん(ニックネームはカベコッツル(壁こする)、勝気)、片桐コトエさん(チリリンヤ(便利屋)の娘、物置で病死)、川本松江さん(マッチャン、父は大工、母は病死、妹はあかちゃんで病死、香川県高松市のうどん屋へやられる)、西口ミサ子さん(ミイさん)、香川マスノさん(マアちゃん、料理屋水月楼の娘)、木下富士子さん(旧家の娘、借財により遊郭へ)、山下早苗さん(教師になる)そして大石久江先生(こどもたちからは小石先生と呼ばれる。時が流れてこどもたちのこどもたちを教えるようになると泣きみそ先生と呼ばれる。夫は戦死、3人のこどものうち末娘は病死)。舞台は香川県小豆島です。なつかしい出だしです。「10年ひと昔のこと」わたしはこのフレーズ(文節)で、ひと昔は10年間のことをいうと覚えました。昭和3年の設定です。この時代はおかあさんがこどもを癒してくれた。今は、おかあさんも仕事に追われている。おかあさんもだれかに癒されたい時代になりました。本作品中に女性の人権を高めようという呼びかけもありますが、ないものを手に入れるとまた別のないものがほしくなるのが人間です。人間の欲望に対する心理は、行ったり来たりできりがありません。
 31ページにある大石先生の夢は、こういう記述があることを知りませんでした。自宅と学校の間に虹の橋を架けて自分が渡るというものなのですが、読んだことがあっても記憶にありませんでした。
 75ページにある一本松を背景にした先生とこどもたちとの集合写真が伏線になって感動のラストシーンへとつながっていきます。先生が落とし穴に転落してアキレス腱を切るシーンの設定が映画と物語とでは違います。映画では明確にこどもたちがいたずらで落とし穴を掘ったことになっているのですが、小説ではたまたま落とし穴があって先生が落ちてしまったという事故に近い出来事になっています。意外でした。こどもたちも先生も村の人たちもみんなやさしい。

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