2024年08月08日
サンセット大通り アメリカ映画 1950年
サンセット大通り アメリカ映画 1950年(昭和25年) 動画配信サービス
名画紹介の文章を読んでいて、タイトルは聞いたことがあるけれど、内容は知らない映画がいくつかピックアップされていて、いっちょ観てみるかという気分になりました。
白黒映画です。時代も、第二次世界大戦が終戦してから、5年ぐらいしかたっていません。
無声映画から発声映画に変化した時期がありました。
それまで栄華を誇っていた女優が使われなくなって没落していきました。
それでもばく大な資産は保有されています。
無声映画時代の大女優(役名ノーマ・デズモンド)は、まだ50歳なのに、老害扱いです。
昭和25年当時の平均寿命は何歳だったのだろう。
調べてみました。
日本人が、男性59.57年、女性62.97年です。今から考えると短い。その時代なら、わたしはもう死んでいます。
当時の米国人が、男性が65.6歳、女性が71.1歳です。日本人より長い。
拳銃で撃たれて、プールに落ちて死んでいる状態の脚本家(シナリオライター役名ジョー・ギリス)ですが、映画の中では、半年さかのぼって、ナレーターとして、死んでいるのに、ストーリーを進行していきます。この手法は、ありですな。
お金のないシナリオライターが、大金持ちの元大女優に女優の大邸宅で、お金で囲われて、大女優が復活をかけるための脚本の執筆に専念します。体の関係はないものの、ヒモとか、ツバメ(年長の女性に愛されている男)とかのイメージです。
この邸宅の車の運転手には秘密がありますが、ここには書きません。映画を観てください。
『今もスターよ。最近の映画は、ひどいわよ』
彼女は、すごい大金持ちです。
女優として、自分で自分の美しさに惚れる(ほれる)。
この時代は、喫煙時代で、タバコシーンがたくさんです。
自動車はクラシックカーです。とても大きい。わたしは四十代はじめのころ、何度か知り合いにオープンカーのそういう車に乗せてもらったことがあります。度胸がいります。人目につきます。エンジンが止まったら、押さねばなりません。商業施設の駐車場に停めるときは、1台分のスペースではおさまりません。
女優は、なんというか、まあ、最後まで観て、心が病気の人でした。
うつ気味だった時期があって、家の中の部屋の鍵はすべて取り除かれています。緊急時(自殺)対応のためです。
お金がたくさんあっても不幸です。
さきほども書きましたが、自殺企図もあります。
おばさんにほれられた売れないシナリオライターの男子です。無声映画時代の大スターに見込まれて、同じ邸宅で部屋をあてがわれて、女優が出演する映画のシナリオを書きます。
無声映画の大女優は、時代が変化しているのに、時代の変化を受け入れることができない人です。
認知症の女の人みたいでもあります。過去の栄光にいつまで浸っています。(ひたっています)
一般人でもいそうです。
いけないことだとは思いません。
努力しても時代の変化についていけないということはあります。
周囲の関係者の目的はお金です。
お金で芸能の世界が動いています。
大女優のチャップリンの物まねがおもしろい。
使えるかもと思ってしまいました。
映画会社をここまで大きくできたことはわたしのおかげだと豪語されます。(態度は良くありませんが、事実であり本当だと、当時を知る人たちが証言するようにセリフを話します)
過去があるから現在があるのです。
大女優は、老齢になって老害扱いされています。でもまだ60歳です。
恋愛話はややこしい。
婚約している男女がいて、その女性が、シナリオライターを好きになってしまいます。お互いに脚本づくりのパートナーとして気が合うのです。ふたりの合作方式でシナリオづくりをします。
英文タイプライターでシナリオを打つシナリオライターです。いい感じです。
気持ちを大事にする映画です。
大女優に対して、現実の本当のことを伝えることができない大女優の元同僚たちです。
公開される予定のない映画のために準備に専念する元大女優です。
映画のセットの通りが出てきます。そこがサンセット大通りかと思ったらどうも違うようです。
大女優が住んでいる豪邸があるところが、サンセット大通りです。
にせものの通りは、段ボールと鏡でできているそうです。
にせものの街を通る男女がいます。
二時間ぐらいの上映時間ですが、なにもないところに積み木で形をつくっていくような時間の流れがあります。時間の部分、部分に濃淡があります。作業です。
名作洋画、『カサブランカ』パターンだろうか。
厳しい若い男女の別れがあります。
悲劇です。
大女優は明らかに、心の病人です。
そう状態です。(心ウキウキ上機嫌(じょうきげん)が続く。突然気分が奈落の底に落ちる)
『映画こそ、ワタシの人生』なのです。
(その後思ったこと)
まあ、映画なので、しかも1950年(昭和25年)の昔の映画であり、真剣に考える必要はないのですが、あれやこれやとりとめもないことを考えてしまいました。
今の時代に置き換えて考えました。
大女優だったのに、映画の中で大女優は殺人犯人です。警察に逮捕されて取り調べを受けて裁判にかけられます。
されど、明らかに本人は心身喪失状態であるので、不起訴になるでしょう。
強制的に精神科の病院に入院となるのでしょう。
入院期間が長くなるのかそうでないのかはわかりません。
ご本人にはばく大な財産があります。
相続人はいません。
財産は、税金の滞納で国庫没収でしょうが、だれがどのように手続きをするのだろう。
税金担当部署で対応するのかもしれません。税金分以外の財産はどう処理するのだろう。
まあ、いろいろたいへんな状況が生まれます。
だれかが言っていました。人生において、自殺と殺人はとりかえしがつかない。
まあ、個人的な思考です。大女優のその後の手続きの流れには、勘違いや間違いがあるかもしれません。
名画紹介の文章を読んでいて、タイトルは聞いたことがあるけれど、内容は知らない映画がいくつかピックアップされていて、いっちょ観てみるかという気分になりました。
白黒映画です。時代も、第二次世界大戦が終戦してから、5年ぐらいしかたっていません。
無声映画から発声映画に変化した時期がありました。
それまで栄華を誇っていた女優が使われなくなって没落していきました。
それでもばく大な資産は保有されています。
無声映画時代の大女優(役名ノーマ・デズモンド)は、まだ50歳なのに、老害扱いです。
昭和25年当時の平均寿命は何歳だったのだろう。
調べてみました。
日本人が、男性59.57年、女性62.97年です。今から考えると短い。その時代なら、わたしはもう死んでいます。
当時の米国人が、男性が65.6歳、女性が71.1歳です。日本人より長い。
拳銃で撃たれて、プールに落ちて死んでいる状態の脚本家(シナリオライター役名ジョー・ギリス)ですが、映画の中では、半年さかのぼって、ナレーターとして、死んでいるのに、ストーリーを進行していきます。この手法は、ありですな。
お金のないシナリオライターが、大金持ちの元大女優に女優の大邸宅で、お金で囲われて、大女優が復活をかけるための脚本の執筆に専念します。体の関係はないものの、ヒモとか、ツバメ(年長の女性に愛されている男)とかのイメージです。
この邸宅の車の運転手には秘密がありますが、ここには書きません。映画を観てください。
『今もスターよ。最近の映画は、ひどいわよ』
彼女は、すごい大金持ちです。
女優として、自分で自分の美しさに惚れる(ほれる)。
この時代は、喫煙時代で、タバコシーンがたくさんです。
自動車はクラシックカーです。とても大きい。わたしは四十代はじめのころ、何度か知り合いにオープンカーのそういう車に乗せてもらったことがあります。度胸がいります。人目につきます。エンジンが止まったら、押さねばなりません。商業施設の駐車場に停めるときは、1台分のスペースではおさまりません。
女優は、なんというか、まあ、最後まで観て、心が病気の人でした。
うつ気味だった時期があって、家の中の部屋の鍵はすべて取り除かれています。緊急時(自殺)対応のためです。
お金がたくさんあっても不幸です。
さきほども書きましたが、自殺企図もあります。
おばさんにほれられた売れないシナリオライターの男子です。無声映画時代の大スターに見込まれて、同じ邸宅で部屋をあてがわれて、女優が出演する映画のシナリオを書きます。
無声映画の大女優は、時代が変化しているのに、時代の変化を受け入れることができない人です。
認知症の女の人みたいでもあります。過去の栄光にいつまで浸っています。(ひたっています)
一般人でもいそうです。
いけないことだとは思いません。
努力しても時代の変化についていけないということはあります。
周囲の関係者の目的はお金です。
お金で芸能の世界が動いています。
大女優のチャップリンの物まねがおもしろい。
使えるかもと思ってしまいました。
映画会社をここまで大きくできたことはわたしのおかげだと豪語されます。(態度は良くありませんが、事実であり本当だと、当時を知る人たちが証言するようにセリフを話します)
過去があるから現在があるのです。
大女優は、老齢になって老害扱いされています。でもまだ60歳です。
恋愛話はややこしい。
婚約している男女がいて、その女性が、シナリオライターを好きになってしまいます。お互いに脚本づくりのパートナーとして気が合うのです。ふたりの合作方式でシナリオづくりをします。
英文タイプライターでシナリオを打つシナリオライターです。いい感じです。
気持ちを大事にする映画です。
大女優に対して、現実の本当のことを伝えることができない大女優の元同僚たちです。
公開される予定のない映画のために準備に専念する元大女優です。
映画のセットの通りが出てきます。そこがサンセット大通りかと思ったらどうも違うようです。
大女優が住んでいる豪邸があるところが、サンセット大通りです。
にせものの通りは、段ボールと鏡でできているそうです。
にせものの街を通る男女がいます。
二時間ぐらいの上映時間ですが、なにもないところに積み木で形をつくっていくような時間の流れがあります。時間の部分、部分に濃淡があります。作業です。
名作洋画、『カサブランカ』パターンだろうか。
厳しい若い男女の別れがあります。
悲劇です。
大女優は明らかに、心の病人です。
そう状態です。(心ウキウキ上機嫌(じょうきげん)が続く。突然気分が奈落の底に落ちる)
『映画こそ、ワタシの人生』なのです。
(その後思ったこと)
まあ、映画なので、しかも1950年(昭和25年)の昔の映画であり、真剣に考える必要はないのですが、あれやこれやとりとめもないことを考えてしまいました。
今の時代に置き換えて考えました。
大女優だったのに、映画の中で大女優は殺人犯人です。警察に逮捕されて取り調べを受けて裁判にかけられます。
されど、明らかに本人は心身喪失状態であるので、不起訴になるでしょう。
強制的に精神科の病院に入院となるのでしょう。
入院期間が長くなるのかそうでないのかはわかりません。
ご本人にはばく大な財産があります。
相続人はいません。
財産は、税金の滞納で国庫没収でしょうが、だれがどのように手続きをするのだろう。
税金担当部署で対応するのかもしれません。税金分以外の財産はどう処理するのだろう。
まあ、いろいろたいへんな状況が生まれます。
だれかが言っていました。人生において、自殺と殺人はとりかえしがつかない。
まあ、個人的な思考です。大女優のその後の手続きの流れには、勘違いや間違いがあるかもしれません。
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