2024年08月03日

トラ・トラ・トラ 邦画 1970年

トラ・トラ・トラ 邦画 1970年(昭和45年) 2時間28分 動画配信サービス

 タイトルは聞いたことがありますが、初めて観ました。
 なかなか良かった。
 中学生のころ、授業中にたしか、英語の先生がこの映画のことを話してくれました。
 戦地に行ったことがある兵隊経験がある男の先生でした。
 1965年代(昭和40年代)のあのころは、ほかにも軍隊経験がある先生がいて、中学や高校の授業中に自分たちが南方(なんぽう。東南アジア)の国で戦ったときのことなどを話してくれました。第二次世界大戦が身近でした。

 暗号についてですが、たしか、『ニイタカヤマノボレ』が、真珠湾(ハワイ)を攻撃せよで、『トラ・トラ・トラ』が、真珠湾攻撃に成功したという意味だったと教わった記憶です。さらにニイタカヤマは、台湾にある山だと中学の先生から教えてもらった覚えがあります。
 それから、映画が公開された1975年(昭和45年)は、大阪万博が開催された年でした。だんだん生活が豊かになっていく勢いがあった時代でした。

 シンプルな映画だと思いました。
 史実に沿ってつくってあるのでしょう。
 登場人物はたくさんです。

 前半の一時間は、宣戦布告を米国に伝達する経過における日本の段取りの悪さと、米国の開戦危機に対する気のゆるみが映像で表現されています。
 途中、休憩タイムがあって、そのあとの一時間はすさまじい日本軍の真珠湾攻撃シーンです。びっくりしました。映像は古いのですが、ど迫力です。戦闘機は模型だとわかるのですが、音がリアルですさまじい。
 米軍ハワイ基地という、その場にいるような怖さがあります。青空広がるいなか風景の中で、部分的に大爆発が起こります。農地で働く人たちと無数の戦闘機が低空で飛ぶ映像が、現実でもそのようであっただろうと推測できます。
 いまでは、ハワイは日本人が好む観光地となりましたが、この真珠湾攻撃のことを知っている人にとっては、複雑な気持ちをいだくでしょう。訪れても観光気分は味わえないかもしれません。それはそれ、これはこれと割り切って、ハワイのためにお金を落とそうと思えばハワイを楽しめるかもしれません。

 日本は段取りが悪かった。意思疎通がまずかった。米国への宣戦布告の伝達が遅れた。
 映画では、米国に宣戦布告をする55分前に、350機という大量の爆撃機が真珠湾を攻撃して、米軍基地をメチャクチャにしてしまいました。
 宣戦布告前ですから、合法的な奇襲ではありません。卑怯な手段をとったとみられてもしかたがありません。
 米国民の怒りは大きかったと思います。だから、仕返しとして、戦争末期に、広島・長崎に原子爆弾が落とされたとは思いたくはありませんが、思わざるを得ない部分もあります。やったら、やりかえされるのが、人間界の常(つね。変わらないありよう)です。
 
 山本五十六(やまもといそろく)連合艦隊司令長官の言葉が重い。日本は、米国と戦争をしたら勝てないと開戦前に語っておられます。米国の実力をきちんと把握しておられました。米国での留学歴があられます。
 そして、宣戦布告前の真珠湾攻撃が米国人のファイト(闘志)を燃えたたせたと分析をされています。非常にまずいことになったと映画の中でも終わりのほうで語られました。ご本人は、1943年(昭和18年)に戦死されています。59歳没。惜しい人を亡くしました。
 山本五十六氏のセリフとして、『眠れる巨人を起こし、奮い立たせる結果を招いたも同然である』

 いっぽう米国軍部と政府は、日本が奇襲してくることを十分把握していたのに、準備を怠りました。危機管理意識の低さに驚きました。もし、米国側が対策をとっておれば、真珠湾攻撃はどうなっていたかわかりません。真珠湾攻撃自体が起きなかった可能性もあります。
 やはり、責任者というものは常に危機管理意識をもっておくことが必要だと再確認できました。
 
 プロペラ式戦闘機の戦いは、80年以上前のものであり、現代のジェット機ではないので、手作業が基本の戦いです。単発集団連続攻撃で、手づくり感がある発砲のしかたです。日本における戦国時代の騎馬武者隊とか鉄砲隊の交代順番発砲方式のようです。
 日本軍の攻撃に参加した戦闘用飛行機の数が350機。死者が、約2400名、そのほかに、約1200名が負傷です。米国の被害は、かなりひどい。
 映画では、真珠湾攻撃は、現地時間の午前7時55分から始まって、映像の中ではかなりの長時間日本軍による攻撃が続きます。すさまじい爆発です。すごい撮影の技量です。
 ハワイには13万人の日系人がいた。米国側は、外部からの攻撃よりも日系人による内乱を恐れていたそうです。

 渥美清さんと松山栄太郎さんの台所シーンがあり、ああ、こんなところに出ておられたのだとなにかしらほっとした気持ちになりました。兵隊の食事をつくっていたのでしょう。日付変更線をめぐっての『時差』について、コメディのような雰囲気で会話をされていました。

 昭和天皇は最後まで、戦争は望んでいなかったということがわかりました。
 軍部が主導して、戦争に突入しています。
 外交での解決は無理だったのです。

 簡単な話ではなさそうです。
 米国側が意図的に、日本が開戦せざるをえない状況に日本を追い込んだというような流れが見えました。いわゆる日本に対する経済的な制裁措置なのでしょう。米国産石油の日本に対する供給を絞っています。日本が米国に戦争を起こすようにしむける。そして、日本を叩く(たたく)。日本軍は、米国の罠(わな)にはまった。
 当時の日本には、『国民』という意識がないように見えました。軍部独裁者グループが独走し、迷走します。

 名作です。

この記事へのトラックバックURL

http://kumataro.mediacat-blog.jp/t155004
※このエントリーではブログ管理者の設定により、ブログ管理者に承認されるまでコメントは反映されません
上の画像に書かれている文字を入力して下さい