2024年01月11日
出川哲朗充電バイクの旅 新春4時間スペシャル 富士山ぐるり
出川哲朗充電バイクの旅 新春4時間スペシャル 富士山ぐるり 神奈川相模湖→静岡富士山本宮浅間大社(せんげんたいしゃ)
出川哲朗の充電させてもらえませんか? 新春!絶景の“富士山”グルっと富士見街道173キロ!相模湖から“パワスポ”富士山浅間大社へ!佐藤栞里&佐藤隆太は初登場でルンルンですが一茂だけはプンプンだあ!ヤバイよヤバイよSP
元旦のことでした。
年賀状が家に届いて、家族と年賀状の内容のことであれやこれやと会話のキャッチボールをして、受け取った年賀状のうち、自分が年賀状を出していなかった人への年賀状を何枚か書いて、散歩がてらポストまで行って投函して、元旦の午前中が終わりました。
お昼過ぎから動画配信サービスを利用してテレビで邦画を見始めて1時間が経過したころでした。自分がいた二階の部屋がじわじわと揺れ始めました。(ついに来たか。(よりによって元旦に))。じつは、年末あたりから、そろそろ大きな地震が日本で起きるのではないかという予感がありました。(12月にNHKで、関東大震災の白黒映像をカラー化したという番組を観たせいもあります)。
揺れる時間の長さを掛け時計の秒針を見ながらカウントしていました。かなり長い。揺れの強弱が1分ぐらい経過して、(心の中で「おさまれ、おさまれ」と念じていました)、自分がいる場所(愛知県)が震源地ではないと判断しました。日本のどこかの土地がとてつもなく大きな地震に襲われていると判断しました。(能登半島でした)
能登半島は、太川陽介さんたちのバス旅番組とか、出川哲朗さんたちの充電バイクの旅番組で、輪島の朝市とか、なんどか映像を楽しませてもらいました。巨大地震発生後の輪島朝市あたりの燃え盛る火災が映像に出て恐怖感をもちました。長時間燃え続けたあと、焼野原が広がっています。まるで戦争での空襲の跡のようです。
元旦の夜に放映されるこちらの充電バイクの番組を楽しみにしていたのですが、テレビ東京の番組は地震・津波報道ニュース番組になり、充電バイクの番組は放送が飛んだと思いました。どこのチャンネルも津波が来るぞ逃げろーーの連呼でした。
2024年(令和6年)は、元旦早々たいへんなことが起きました。(翌日2日火曜日の夕方は、羽田空港でジェット旅客機が炎上して丸焼けになりました。もーびっくりすることばかりです。羽田空港の展望デッキは行ったことがあるので、映像がリアルに感じました)
元旦の夜、時間がたつうちに、この充電バイクの番組が放送されていることに気づきました。3人目のゲストの佐藤栞里さんのところだけ見ました。ぼーっとながめていました。(ああ、テレビ東京はお金も人もあまりない放送局だから、ニュース報道のネットワークが北陸にはないので、報道は他局にまかせて、自局の通常番組を放送することにしたのだろうなあと理解しました)
余談ですが、テレビ東京の番組をよく見るので、応援したいという気持ちから、テレビ東京の株を買おうと思っているのですが、なかなかえい!と買えなくて、二年間ぐらい株価の動きだけを追っています。ほしいなーと思った時に買っておけば、そこそこ株価が上がったときもありましたが、その後また下がりました。あまり売り買いの出来高がない株なので、売り買いする相手がなかなか現れないかもという心配が自分にはあります。長期保有向きの株です。
なんだか、神妙な気持ち(元気なくおとなしい)での新年になってしまいましたが、1月3日水曜日になって、TVer(ティーバー)でこの番組の全編が放送されていることに気づいて、気を取り直して番組映像を観てみました。後ろ向きになっていた気持ちを少し前向きにしてみました。
行ったことがあるところが何か所か映像で出てきたのでなつかしかった。富士急ハイランドとか(自分が二十歳ごろに友だちと夜間のバス移動旅行で行きました)、三島大社(息子が生まれてまだあかちゃんだったときに親族一同で行きました)とか。
番組初日ゲスト佐藤隆太さんのときは富士山が、天候が良くなくて見えませんでしたが、三日目の佐藤栞里さんの時はたいへんきれいに見えていました。わたしは、佐藤隆太さんという方はよく知りませんが、映像の中では、ROOKIES(ルーキーズ。高校野球部のドラマ)という番組で教師役をやって、とくに女性の方からの支持があるということがわかりました。
二人目のゲストの長島一茂さんは前回出演時の運転免許証ハワイに忘れたのでレンタル自転車で同じ町内だけ回ったということが強烈に思い出されました。まあ、今回も暴れん坊状態でした。いいともよくないともいいようがありません。
番組内の映像から察すると、ロケは、2023年(令和5年)12月1日(金)2日(土)3日(日)であったことがわかりました。
佐藤隆太さんが最初の充電を依頼したお宅は、ちょっとむずかしそうな元公務員の男性でした。『オレ、出川哲朗って好きじゃないんですけど……』と、最初からなにかしら人を斜め(ななめ)に見る方でしたが、遅れて到着した出川哲朗さんと会うと、『出川さん!大好きです!!』とおっしゃって、さすが年の功(としのこう。経験力。場慣れしている)と感心しました。お宅に干してあった干し柿を提供されましたが、とてもおいしかったと思います。
出川哲朗さんみたいにロケ先でこどもさんを大切に扱うタレントさんはそうそういません。わたしは出川哲朗さんのそういうところを尊敬しています。
『猿橋』という珍しい構造の橋も良かった。
バス通学の中学生がたくさんいました。いろいろ出会いがあって良かった。
この日は、昼食、夕食と『天丼』が続きましたが、それはそれで良かった。
国定忠治(くにさだちゅうじ):最近は聞かなくなりました。江戸時代後期の渡世人(とせいにん。いばっている人をこらしめ、弱い立場の人を助ける)。生存期間1810年-1851年。現在の群馬県出身。舞台劇の題材になっている。名文句として、『赤城(あかぎ)の山も今夜を限り(こよいをかぎり)……』
実際に動いているリニアモーターカーを見る展示館が良かった。佐藤隆太さんの発言、『なんで東京から大阪まで1時間で行きたいんですか?!』はもっと良かった。(わたしもそんなに急がなくてもいいと思います。今でさえ新幹線はビジネス列車になっています。東北新幹線の「はやぶさ」に乗りましたが、車内のほとんどがスーツ姿のビジネスマンで、テーブルに、ノートパソコンやタブレットを開いて、車内が事務室、会議室(リモート)のようで、のんびりした旅気分とか旅情はありませんでした)
番組で、途中で立ち寄ったバッティングセンターも良かった。野球ボールを打ったあとの卓球対決で、佐藤隆太さんは、卓球をしたことがないということもよくわかりました。中学3年生、1年生、小学5年生の三姉妹が明るいのがいい。
スマホを使って親御さん(おやごさん)と話して、テレビ電話みたいでお互いに顔も見ることができて、今は便利になりました。
どこも満室で、ようやく見つけた館内工事中の河口湖のホテルに佐藤隆太さんがスケジュールの都合で東京に帰らなければならないというのはお気の毒でした。ぎりぎりまで帰京を教えてもらえなかったのは演出のためでしょうが、翌日の長島一茂さんは夜中、勝手にホテルから東京に帰ってしまったわけであり、まあなんだかめちゃくちゃですな。結局二日間とも出川さんと熊谷ディレクターが宿泊しただけです。ホテルにはお世話になったので、きちんとお礼をしたほうがいいです。
長島一茂さんのお化け屋敷ビビリは、なんというか、おっきな体をしているのに、気持ちは臆病なのねです。わがまま乱暴者のようですが、ああ見えて、感受性が強いのかも。
わたしは、お化け屋敷という施設が、どういうふうにつくられていて、演じられていて、ストーリーはどうなっているのかと作り手の立場でものごとを考えるので、ものすごく怖いとは思いません。
さらに儲け(もうけ)はいくらぐらい出るのかと経営のことまで考えてしまいます。何人入場して、人件費や光熱費はいくらぐらいかかるかとかです。まあ、そんなふうですから、夢はありません。経営する側の視点で、ものごとを見てしまいます。
神社で充電のお願いをしたときに頼まれた男性が、『まかしてくださいよ(任せて)』と力強く返事をされたのが、たのもしくてとても良かった。
移動の途中で見えた花火大会の花火がとてもきれいで良かった。
ラーメン屋さんにいた、野球選手だったときの長島一茂さんのホームランを球場で見たことがあるというファンの人が良かった。偶然の出会いがあります。
ラーメン屋のお嬢さんが、介護の仕事で夜勤明けなのに家の手伝いをされていて偉い!
佐藤栞里さんは、先日は旅番組の『東野・岡村の旅猿』でお見かけしました。青森県大間(おおま)で男の旅猿メンバーたちが釣り上げた巨大な本マグロを食べる会に出席されていました。旅番組への出演がお好きなのでしょう。明るい方です。
行く先々の神社でおみくじを引いて、書いてあることを読み上げて確認してという流れがなかなかおもしろくて良かった。最後は、ディレクターを含めた三人とも『大吉』で良かった。
途中の神社では、出川さんが、『小吉(しょうきち) 目標高すぎ、方向間違い。原点に立ち返れ』佐藤栞里さんが、たしか『末吉(すえきち) 見通し立たない。山と川にはさまれて、身動きがとれない状態』というのもおもしろかった。
静岡県沼津市あたりの海辺は、強風がすごかった。静岡県は海風が強いというイメージがあります。
陽が沈むころの夕映えの富士山がきれいでした。わたしは、先月夕日を浴びた鹿児島桜島を観ましたが、映像を観ていて、赤く染まる桜島を思い出しました。
名古屋からの年配のご夫婦が出ておられましたが、名古屋から静岡は近いです。
焼き肉もおいしそうでした。
おみくじ大吉『病気は軽い。治りも早い』
健康が一番です。
番組を見終えて、自分の人生をふりかえってみると、10年に1回ぐらいのペースで大きな自然災害を見聞きしています。
1995年(平成7年)の阪神淡路大震災のときは、職場からの指示で震災の翌月2月に神戸市内の現地に入り、災害復旧支援の仕事をしていました。そのころ自分は三十代でした。
2000年(平成12年)愛知県を襲った東海豪雨のときは、大雨で河川が破れて、市街地に流れ込んだ洪水で水没した地下鉄の駅にいて、家に帰ることができませんでした。そのころは四十代でした。
2011年(平成23年)の東日本大震災の時は、若い人たちが現地に支援に行きました。自分は五十代で体を壊していて、もう現地で対応できるような体力はありませんでした。後方支援のような立場で働きました。
リタイア後は、スーパー台風が来て、近所の電信柱がポキンと折れて、半日ぐらいの停電を体験しました。(中部電力さんが来て、代わりに仮設の電柱を立ててくれました)
また、これからさき10年後ぐらいにとても大きな地震が来るだろうと予想しています。10年後、たぶんまだ自分は生きていると思います。いちおう地震対策とか備えはしてありますが、不安は消えません。
(2024年(令和6年)1月23日火曜日に追加記載)
先週用事があって東京に行ったおり、富士山とリニアモーターカーの広告を見ました。(リニアモーターカーの広告があったのは、品川駅新幹線乗り場のコンコースです)
この番組を観たときのことを思い出しました。
なかなかかっこいいリニアモーターカーでした。
ドーンと突き進むのでしょう。
出川哲朗の充電させてもらえませんか? 新春!絶景の“富士山”グルっと富士見街道173キロ!相模湖から“パワスポ”富士山浅間大社へ!佐藤栞里&佐藤隆太は初登場でルンルンですが一茂だけはプンプンだあ!ヤバイよヤバイよSP
元旦のことでした。
年賀状が家に届いて、家族と年賀状の内容のことであれやこれやと会話のキャッチボールをして、受け取った年賀状のうち、自分が年賀状を出していなかった人への年賀状を何枚か書いて、散歩がてらポストまで行って投函して、元旦の午前中が終わりました。
お昼過ぎから動画配信サービスを利用してテレビで邦画を見始めて1時間が経過したころでした。自分がいた二階の部屋がじわじわと揺れ始めました。(ついに来たか。(よりによって元旦に))。じつは、年末あたりから、そろそろ大きな地震が日本で起きるのではないかという予感がありました。(12月にNHKで、関東大震災の白黒映像をカラー化したという番組を観たせいもあります)。
揺れる時間の長さを掛け時計の秒針を見ながらカウントしていました。かなり長い。揺れの強弱が1分ぐらい経過して、(心の中で「おさまれ、おさまれ」と念じていました)、自分がいる場所(愛知県)が震源地ではないと判断しました。日本のどこかの土地がとてつもなく大きな地震に襲われていると判断しました。(能登半島でした)
能登半島は、太川陽介さんたちのバス旅番組とか、出川哲朗さんたちの充電バイクの旅番組で、輪島の朝市とか、なんどか映像を楽しませてもらいました。巨大地震発生後の輪島朝市あたりの燃え盛る火災が映像に出て恐怖感をもちました。長時間燃え続けたあと、焼野原が広がっています。まるで戦争での空襲の跡のようです。
元旦の夜に放映されるこちらの充電バイクの番組を楽しみにしていたのですが、テレビ東京の番組は地震・津波報道ニュース番組になり、充電バイクの番組は放送が飛んだと思いました。どこのチャンネルも津波が来るぞ逃げろーーの連呼でした。
2024年(令和6年)は、元旦早々たいへんなことが起きました。(翌日2日火曜日の夕方は、羽田空港でジェット旅客機が炎上して丸焼けになりました。もーびっくりすることばかりです。羽田空港の展望デッキは行ったことがあるので、映像がリアルに感じました)
元旦の夜、時間がたつうちに、この充電バイクの番組が放送されていることに気づきました。3人目のゲストの佐藤栞里さんのところだけ見ました。ぼーっとながめていました。(ああ、テレビ東京はお金も人もあまりない放送局だから、ニュース報道のネットワークが北陸にはないので、報道は他局にまかせて、自局の通常番組を放送することにしたのだろうなあと理解しました)
余談ですが、テレビ東京の番組をよく見るので、応援したいという気持ちから、テレビ東京の株を買おうと思っているのですが、なかなかえい!と買えなくて、二年間ぐらい株価の動きだけを追っています。ほしいなーと思った時に買っておけば、そこそこ株価が上がったときもありましたが、その後また下がりました。あまり売り買いの出来高がない株なので、売り買いする相手がなかなか現れないかもという心配が自分にはあります。長期保有向きの株です。
なんだか、神妙な気持ち(元気なくおとなしい)での新年になってしまいましたが、1月3日水曜日になって、TVer(ティーバー)でこの番組の全編が放送されていることに気づいて、気を取り直して番組映像を観てみました。後ろ向きになっていた気持ちを少し前向きにしてみました。
行ったことがあるところが何か所か映像で出てきたのでなつかしかった。富士急ハイランドとか(自分が二十歳ごろに友だちと夜間のバス移動旅行で行きました)、三島大社(息子が生まれてまだあかちゃんだったときに親族一同で行きました)とか。
番組初日ゲスト佐藤隆太さんのときは富士山が、天候が良くなくて見えませんでしたが、三日目の佐藤栞里さんの時はたいへんきれいに見えていました。わたしは、佐藤隆太さんという方はよく知りませんが、映像の中では、ROOKIES(ルーキーズ。高校野球部のドラマ)という番組で教師役をやって、とくに女性の方からの支持があるということがわかりました。
二人目のゲストの長島一茂さんは前回出演時の運転免許証ハワイに忘れたのでレンタル自転車で同じ町内だけ回ったということが強烈に思い出されました。まあ、今回も暴れん坊状態でした。いいともよくないともいいようがありません。
番組内の映像から察すると、ロケは、2023年(令和5年)12月1日(金)2日(土)3日(日)であったことがわかりました。
佐藤隆太さんが最初の充電を依頼したお宅は、ちょっとむずかしそうな元公務員の男性でした。『オレ、出川哲朗って好きじゃないんですけど……』と、最初からなにかしら人を斜め(ななめ)に見る方でしたが、遅れて到着した出川哲朗さんと会うと、『出川さん!大好きです!!』とおっしゃって、さすが年の功(としのこう。経験力。場慣れしている)と感心しました。お宅に干してあった干し柿を提供されましたが、とてもおいしかったと思います。
出川哲朗さんみたいにロケ先でこどもさんを大切に扱うタレントさんはそうそういません。わたしは出川哲朗さんのそういうところを尊敬しています。
『猿橋』という珍しい構造の橋も良かった。
バス通学の中学生がたくさんいました。いろいろ出会いがあって良かった。
この日は、昼食、夕食と『天丼』が続きましたが、それはそれで良かった。
国定忠治(くにさだちゅうじ):最近は聞かなくなりました。江戸時代後期の渡世人(とせいにん。いばっている人をこらしめ、弱い立場の人を助ける)。生存期間1810年-1851年。現在の群馬県出身。舞台劇の題材になっている。名文句として、『赤城(あかぎ)の山も今夜を限り(こよいをかぎり)……』
実際に動いているリニアモーターカーを見る展示館が良かった。佐藤隆太さんの発言、『なんで東京から大阪まで1時間で行きたいんですか?!』はもっと良かった。(わたしもそんなに急がなくてもいいと思います。今でさえ新幹線はビジネス列車になっています。東北新幹線の「はやぶさ」に乗りましたが、車内のほとんどがスーツ姿のビジネスマンで、テーブルに、ノートパソコンやタブレットを開いて、車内が事務室、会議室(リモート)のようで、のんびりした旅気分とか旅情はありませんでした)
番組で、途中で立ち寄ったバッティングセンターも良かった。野球ボールを打ったあとの卓球対決で、佐藤隆太さんは、卓球をしたことがないということもよくわかりました。中学3年生、1年生、小学5年生の三姉妹が明るいのがいい。
スマホを使って親御さん(おやごさん)と話して、テレビ電話みたいでお互いに顔も見ることができて、今は便利になりました。
どこも満室で、ようやく見つけた館内工事中の河口湖のホテルに佐藤隆太さんがスケジュールの都合で東京に帰らなければならないというのはお気の毒でした。ぎりぎりまで帰京を教えてもらえなかったのは演出のためでしょうが、翌日の長島一茂さんは夜中、勝手にホテルから東京に帰ってしまったわけであり、まあなんだかめちゃくちゃですな。結局二日間とも出川さんと熊谷ディレクターが宿泊しただけです。ホテルにはお世話になったので、きちんとお礼をしたほうがいいです。
長島一茂さんのお化け屋敷ビビリは、なんというか、おっきな体をしているのに、気持ちは臆病なのねです。わがまま乱暴者のようですが、ああ見えて、感受性が強いのかも。
わたしは、お化け屋敷という施設が、どういうふうにつくられていて、演じられていて、ストーリーはどうなっているのかと作り手の立場でものごとを考えるので、ものすごく怖いとは思いません。
さらに儲け(もうけ)はいくらぐらい出るのかと経営のことまで考えてしまいます。何人入場して、人件費や光熱費はいくらぐらいかかるかとかです。まあ、そんなふうですから、夢はありません。経営する側の視点で、ものごとを見てしまいます。
神社で充電のお願いをしたときに頼まれた男性が、『まかしてくださいよ(任せて)』と力強く返事をされたのが、たのもしくてとても良かった。
移動の途中で見えた花火大会の花火がとてもきれいで良かった。
ラーメン屋さんにいた、野球選手だったときの長島一茂さんのホームランを球場で見たことがあるというファンの人が良かった。偶然の出会いがあります。
ラーメン屋のお嬢さんが、介護の仕事で夜勤明けなのに家の手伝いをされていて偉い!
佐藤栞里さんは、先日は旅番組の『東野・岡村の旅猿』でお見かけしました。青森県大間(おおま)で男の旅猿メンバーたちが釣り上げた巨大な本マグロを食べる会に出席されていました。旅番組への出演がお好きなのでしょう。明るい方です。
行く先々の神社でおみくじを引いて、書いてあることを読み上げて確認してという流れがなかなかおもしろくて良かった。最後は、ディレクターを含めた三人とも『大吉』で良かった。
途中の神社では、出川さんが、『小吉(しょうきち) 目標高すぎ、方向間違い。原点に立ち返れ』佐藤栞里さんが、たしか『末吉(すえきち) 見通し立たない。山と川にはさまれて、身動きがとれない状態』というのもおもしろかった。
静岡県沼津市あたりの海辺は、強風がすごかった。静岡県は海風が強いというイメージがあります。
陽が沈むころの夕映えの富士山がきれいでした。わたしは、先月夕日を浴びた鹿児島桜島を観ましたが、映像を観ていて、赤く染まる桜島を思い出しました。
名古屋からの年配のご夫婦が出ておられましたが、名古屋から静岡は近いです。
焼き肉もおいしそうでした。
おみくじ大吉『病気は軽い。治りも早い』
健康が一番です。
番組を見終えて、自分の人生をふりかえってみると、10年に1回ぐらいのペースで大きな自然災害を見聞きしています。
1995年(平成7年)の阪神淡路大震災のときは、職場からの指示で震災の翌月2月に神戸市内の現地に入り、災害復旧支援の仕事をしていました。そのころ自分は三十代でした。
2000年(平成12年)愛知県を襲った東海豪雨のときは、大雨で河川が破れて、市街地に流れ込んだ洪水で水没した地下鉄の駅にいて、家に帰ることができませんでした。そのころは四十代でした。
2011年(平成23年)の東日本大震災の時は、若い人たちが現地に支援に行きました。自分は五十代で体を壊していて、もう現地で対応できるような体力はありませんでした。後方支援のような立場で働きました。
リタイア後は、スーパー台風が来て、近所の電信柱がポキンと折れて、半日ぐらいの停電を体験しました。(中部電力さんが来て、代わりに仮設の電柱を立ててくれました)
また、これからさき10年後ぐらいにとても大きな地震が来るだろうと予想しています。10年後、たぶんまだ自分は生きていると思います。いちおう地震対策とか備えはしてありますが、不安は消えません。
(2024年(令和6年)1月23日火曜日に追加記載)
先週用事があって東京に行ったおり、富士山とリニアモーターカーの広告を見ました。(リニアモーターカーの広告があったのは、品川駅新幹線乗り場のコンコースです)
この番組を観たときのことを思い出しました。
なかなかかっこいいリニアモーターカーでした。
ドーンと突き進むのでしょう。
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