2023年09月15日
さよならのあとで 夏葉社
さよならのあとで 詩・ヘンリー・スコット・ホランド 絵・高橋和枝 夏葉社(なつばしゃ)
『あしたから出版社 島田潤一郎(しまだ・じゅんいちろう) ちくま文庫』を読んで、島田さんがひとりで経営している出版社「夏葉社」の本を何冊か取り寄せました。
まず驚いたのが、どの本も装丁(そうてい:本のつくり)が、ていねいにつくられていたことです。大量販売の本ではありません。大量販売の本は効率優先でつくられています。できるだけ製作経費を安くして、世の中に大量に流通するように、購買者に目立つようにという派手なつくりです。
夏葉舎の本はそうではありません。まるっきり正反対のつくりです。驚きました。末永く持ち続ける本です。何度でも再読するのです。
この本は、一片の詩を一冊の本にしてあります。
珍しい。
詩集はなんどか読んだことがありますが、このようなつくりの詩集は初めて見ました。
1ページに、文章が、一行(いちぎょう)か二行(にぎょう)しか書いてありません。
全体を読み終えて、目を閉じて思ったのは、類似の詩(あるいは歌)として『千の風になって 秋川雅史さん歌唱』があるということです。亡くなった方が、生存している人に贈るメッセージです。
こちらの本にある詩は、イギリスの詩人がつくったものです。
ヘンリー・スコット・ホランド:1847年(日本では江戸時代末期。明治維新が1868年)-1918年71歳没
絵を描かれた方は『盆まねき 富安陽子・作 高橋和枝・絵 偕成社』で見たことがあります。児童文学です。
こちらの本の挿絵(さしえ:文章に関係がある絵)には味わいがあります。
自分の勝手な解釈を入れながら、もう一度、1ページずつめくって読みながら考えてみます。
『となりの部屋にそっと移っただけ。』(亡くなった方が、隣の部屋に移動したのです。この文章がこの詩のキモ(最重要点)です)
人の死というものは、亡くなった方とすごく身近な関係にあった人を除いて、たいていは、お葬式が終わって一週間もたつと忘れ去られてしまう出来事です。
生きている人たちは、日々の生活に追われて時間が過ぎていきます。
一年に数回しか、あるいは、数年に数回しか会わない人は、その人が亡くなったあとも、まだ生きているかのような気がしたりもします。(ゆえにわたしの母方祖父母は、わたしのなかではまだ生きています。ただ、本当に生きていたら、とうに100歳を超えています。自分のイメージ(想像、空想)では、歳をとらずに生きています)
この本は、魂とか心がこもった本です。
先日親族の三回忌を営みました。
また、近々お寺さんにお参りにも行きます。
ヒガンバナが咲く9月になりました。
おととしの9月にひとり、続けて10月にもうひとり、高齢の親族を見送りました。
時がたつのは早いものです。
そのぶん、孫たちが成長しました。幼稚園生だった子どもたちが、いまは小学生です。
生きているうちに、お互いによく会話をして、意志疎通をはかっておこう。
けっこう、誤解があったりもします。
みためではなかみはわかりません。
亡くなった人との思い出を秘めながら(ひめながら:表面には出さないけれど。)これからの日々を過ごしていく。自分なりに、いつもせいいっぱいやってきた。よかったことも、そうでなかったことも、いろいろあったけれど、あれはあれで良かったと自分を納得させています。過ぎた過去を変えることはできません。
詩の一文(いちぶん)として『人生を楽しんで』(この言葉に尽きます)
死んだ人からのメッセージです。『ほほえみを忘れないで。』(「ありがとう」という言葉を言えない人は、幸せになれないと思います)
白黒の絵が秀逸です。(しゅういつ。ぬきんでて、すぐれている)。カラーじゃなく、白黒で良かった。
深い悲しみがあって、強い克服があった。
自然でいてくださいというメッセージが続きます。
平常心の維持がだいじです。
絵本のようでもあります。
歳をとって思うことです。これまでにたくさんの人の死を見送ってきました。
自分が迷惑をかけた相手もいますし、逆に迷惑をかけられた相手もいます。
もう終わったんだなあと思うのです。
相手はもうこの世にいません。
そんなことを考えながら、自分もあの世へ行く順番待ちをしているという実感はあります。
さて、この本の趣旨に戻って考えてみます。
繊細な心をもつ人にあてた死者からのメッセージです。
愛する人を失って(男女とか年齢に関係なく)、その人のことを忘れることができないのです。
亡くなってしまったのはしょうがない。気持ちを切り替えて、ガンガンやっていこう! とは思えないのです。
愛する人を失って、沈んだ気持ちでいる人が読む本です。(失意とか落胆とか)
忘れられないのなら、忘れなくていいのです。
詩に一文(いちぶん)があります。『となりの部屋にそっと移っただけ』
カノン:クラッシク曲の美しい曲(パッフェルベルの「カノン」)ですが、こちらでは、この詩をつくった人が所属するキリスト教会(セント・ポール大聖堂)での役職が「カノン」として書いてあります。カノンは、司祭(しさい:儀式担当の職員)
グリーフケア:死別の悲しみをかかえる遺族をサポートする。
『あしたから出版社 島田潤一郎(しまだ・じゅんいちろう) ちくま文庫』を読んで、島田さんがひとりで経営している出版社「夏葉社」の本を何冊か取り寄せました。
まず驚いたのが、どの本も装丁(そうてい:本のつくり)が、ていねいにつくられていたことです。大量販売の本ではありません。大量販売の本は効率優先でつくられています。できるだけ製作経費を安くして、世の中に大量に流通するように、購買者に目立つようにという派手なつくりです。
夏葉舎の本はそうではありません。まるっきり正反対のつくりです。驚きました。末永く持ち続ける本です。何度でも再読するのです。
この本は、一片の詩を一冊の本にしてあります。
珍しい。
詩集はなんどか読んだことがありますが、このようなつくりの詩集は初めて見ました。
1ページに、文章が、一行(いちぎょう)か二行(にぎょう)しか書いてありません。
全体を読み終えて、目を閉じて思ったのは、類似の詩(あるいは歌)として『千の風になって 秋川雅史さん歌唱』があるということです。亡くなった方が、生存している人に贈るメッセージです。
こちらの本にある詩は、イギリスの詩人がつくったものです。
ヘンリー・スコット・ホランド:1847年(日本では江戸時代末期。明治維新が1868年)-1918年71歳没
絵を描かれた方は『盆まねき 富安陽子・作 高橋和枝・絵 偕成社』で見たことがあります。児童文学です。
こちらの本の挿絵(さしえ:文章に関係がある絵)には味わいがあります。
自分の勝手な解釈を入れながら、もう一度、1ページずつめくって読みながら考えてみます。
『となりの部屋にそっと移っただけ。』(亡くなった方が、隣の部屋に移動したのです。この文章がこの詩のキモ(最重要点)です)
人の死というものは、亡くなった方とすごく身近な関係にあった人を除いて、たいていは、お葬式が終わって一週間もたつと忘れ去られてしまう出来事です。
生きている人たちは、日々の生活に追われて時間が過ぎていきます。
一年に数回しか、あるいは、数年に数回しか会わない人は、その人が亡くなったあとも、まだ生きているかのような気がしたりもします。(ゆえにわたしの母方祖父母は、わたしのなかではまだ生きています。ただ、本当に生きていたら、とうに100歳を超えています。自分のイメージ(想像、空想)では、歳をとらずに生きています)
この本は、魂とか心がこもった本です。
先日親族の三回忌を営みました。
また、近々お寺さんにお参りにも行きます。
ヒガンバナが咲く9月になりました。
おととしの9月にひとり、続けて10月にもうひとり、高齢の親族を見送りました。
時がたつのは早いものです。
そのぶん、孫たちが成長しました。幼稚園生だった子どもたちが、いまは小学生です。
生きているうちに、お互いによく会話をして、意志疎通をはかっておこう。
けっこう、誤解があったりもします。
みためではなかみはわかりません。
亡くなった人との思い出を秘めながら(ひめながら:表面には出さないけれど。)これからの日々を過ごしていく。自分なりに、いつもせいいっぱいやってきた。よかったことも、そうでなかったことも、いろいろあったけれど、あれはあれで良かったと自分を納得させています。過ぎた過去を変えることはできません。
詩の一文(いちぶん)として『人生を楽しんで』(この言葉に尽きます)
死んだ人からのメッセージです。『ほほえみを忘れないで。』(「ありがとう」という言葉を言えない人は、幸せになれないと思います)
白黒の絵が秀逸です。(しゅういつ。ぬきんでて、すぐれている)。カラーじゃなく、白黒で良かった。
深い悲しみがあって、強い克服があった。
自然でいてくださいというメッセージが続きます。
平常心の維持がだいじです。
絵本のようでもあります。
歳をとって思うことです。これまでにたくさんの人の死を見送ってきました。
自分が迷惑をかけた相手もいますし、逆に迷惑をかけられた相手もいます。
もう終わったんだなあと思うのです。
相手はもうこの世にいません。
そんなことを考えながら、自分もあの世へ行く順番待ちをしているという実感はあります。
さて、この本の趣旨に戻って考えてみます。
繊細な心をもつ人にあてた死者からのメッセージです。
愛する人を失って(男女とか年齢に関係なく)、その人のことを忘れることができないのです。
亡くなってしまったのはしょうがない。気持ちを切り替えて、ガンガンやっていこう! とは思えないのです。
愛する人を失って、沈んだ気持ちでいる人が読む本です。(失意とか落胆とか)
忘れられないのなら、忘れなくていいのです。
詩に一文(いちぶん)があります。『となりの部屋にそっと移っただけ』
カノン:クラッシク曲の美しい曲(パッフェルベルの「カノン」)ですが、こちらでは、この詩をつくった人が所属するキリスト教会(セント・ポール大聖堂)での役職が「カノン」として書いてあります。カノンは、司祭(しさい:儀式担当の職員)
グリーフケア:死別の悲しみをかかえる遺族をサポートする。
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