2023年05月02日

スクラッチ 歌代朔

スクラッチ SCRATCH 歌代朔(うたしろ・さく) あかね書房

 タイトルの『スクラッチ』は、『剥ぐ(はぐ)』とか『削って中身を見る』というような意味だろうと思いながら読み始めます。(読んでみないとこの物語のテーマはわかりません)ネットで調べたら、「ひっかく」とか「こする」とかそんなことが書いてありました。
 
 本の帯に書いてあることです。
 コロナ禍:新型コロナウィルス感染症の流行によるさまざまな災い。行動制限などの規制。予防接種の実施。経済活動の停滞。心理の落ち込みなどのことです。帯には『何もかもが中止・延期・規模縮小……』と書いてあります。あわせて、おもな登場人物は4人らしい。
 登場人物として、
 岡田鈴音(おかだ・すずね。中学生女子でしょう):バレーの「総体」が中止になった。
 吉村千暁(よしむら・かずあき。中学生男子でしょう):出展するはずの「市郡展」の審査がなくなったそうです。たぶん千暁は、美術部員なのでしょう。(あとで、美術部長であることがわかりました)出展作『カラフルな運動部の群像』だそうです。

 思い出してみれば、わたしも中学のとき美術部員で、郡部の風景画コンテストに応募して受賞したことがあります。ああ、そんなこともあったと、はるか昔のことを思い出しました。
 いまのこどもに『郡(ぐん)』の意味がわかるだろうか。市町村合併が進んで『郡(ぐん)』が減りました。「○○群××町」という表記・住所が、昔はたくさんありました。
 千暁の絵画作品に、鈴音がまちがって墨を飛ばしてしまったそうです。(美術というのは評価がわからないもので、わたしは、びっしりと色を塗りこんで描いた水彩画を、ほかの美術部員とふざけながら美術室の水道水で洗い流しました。その作品をコンテストに出したら表彰されました。あんがいタイトルの「スクラッチ」の意味に通じるのかもしれません)

 千暁(かずあき)の性格です。千暁は怒らない。千暁のモットー(信条。心がけていること)は『平常心』成績は学年トップクラスらしい。メガネをかけたガリベンタイプでおとなしく暗いイメージです。体も細くてひょろりとしているのでしょう。ドラえもんののび太くんの感じで、背は高く勉強はできるという姿を想像します。

 わたしは、本のつくり手の立場で本を読むので、変な本の読み方をします。最初に全部のページをめくって、物語の構成(起承転結とか)を把握します。(はあく:全体像をつかむ)
 ページをめくって、千暁(かずあき)という名前が出てきて、(ああ、この物語は、語り手を変えながら進行していくのだな)と予測しました。
 次に千暁の最初の言葉が『僕は何色だろう。』と出てきたので、登場人物の個性(キャラクター)を色で表現していくのだろうなあと予測しました。(あとで、千暁が美術部員だということがわかって、千暁は人を色で考えるのだろうと分析しました)(97ページに色の表現の言葉が出てきました『……僕があざやかな色で塗りつぶしてふさいできたその内側には、一体どんな色たちがうごめいていたんだろう』人の心の裏の色をさすような言葉でもあります)

 それから、ゆっくりと、中身は読まずに1ページずつページをめくっていきます。最後のページまでめくります。
 岡田鈴音(おかだ・すずね)の語りが始まりました。
 吉村千暁(よしむら・かずあき)にしても鈴音(すずね)にしても、ずいぶんむずかしい登場人物の名付けをするのだなあと感じました。千暁が男子で、鈴音が女子だろうと予想しました。

 ページをめくりながら、人の名前が多い。
 中学校の教室にいる生徒たちでしょう。

 75ページで、千暁が美術部員であることが判明しました。

 99ページで、鈴音が謝っているので(あやまっているので)、岡田鈴音が吉村千暁の描いた絵に墨を飛ばしたのでしょう。習字の墨だろうか。

 144ページに『スクラッチ』のことが書いてあります。
 『削り出し技法』と書いてあります。
 やはり、美術の絵画作成時の手法があるのでしょう。

 159ページに『起立性調節障害』とあります。
 今はまだ、なんのことかわかりません。

 184ページあたりまでページをめくりました。
 本の中を旅する気分でページをめくっています。

 最初は、たくさんの登場人物が、順番を変えながら、ひとり語りをして、物語を進めていくのかと予想しましたが違っていました。
 千暁と鈴音のふたりだけで、物語を語り継ぎます(かたりつぎます)

(つづく)

岡田鈴音(おかだ・すずね):千暁(かずあき)の近所に住んでいる。おてんば娘。すらっとしているが勢いはブルドーザー。パワー女子。バレー部部長。昔話に出てきそうな木造平屋に住んでいる。家の中はごちゃごちゃしている。

岡田鈴音の母:介護ホームで働いている。
岡田鈴音の父:介護ホームで事務職役職者
岡田初音(はつね):鈴音の姉。いつもは、大阪に住んでいる。(どうもコロナに感染していた気配がある。うーむ。読み直しました。感染はしていないけれど、都会から郷里に来たので、病原菌をもってきているかもしれないと思われている。自主的に自宅待機を二週間して発病しないことを確認するらしい)

吉村千暁(よしむら・かずあき):16ページ。鈴音に言わせると『ヘタレひょろ眼鏡』白い外壁のきれいなモデルハウスみたいな家に住んでいる。おしゃれな庭には美しい花が咲いている。家の中ではおだやかな音楽がかかっている。本人は陰キャラと自分のことを言う。(陰キャラ:見た目が地味。性格が暗い)

清瀬:同級生男子生徒。野球部員。お調子者でうるさい。

尾上健斗(けんと):同級生。体がでかい。背が高い。美術部所属の幽霊部員。もと校外空手チームの強化選抜メンバー。親と対立している。親の干渉がうっとおしい。起立性調節障害がある。吉村千暁は、尾上健斗がにがて。暴力的な怖さを感じるらしい。尾上健斗は、親が離婚していて母子家庭。母親は看護師。コロナ病棟担当

文菜(ふみな):女性バレー部のセッター(パスをあげる人)で副部長。生徒会長。鈴音の幼い頃からの知り合い。文菜の祖母が、鈴音の母親が働いている介護ホームに入所している。ポジションと役割として、鈴音が『猛獣』で、文菜が『猛獣使い』

二宮みのり:クラスメート。目がクリクリで小さくてリスみたいで、後ろでふたつに結んだ髪もリスのしっぽみたい。美術部員

玲奈:クラスメート。コロナ休校のあと、学校に来れなくなった。メンタル(心理状態)面がその理由

泉仙(いずみ・せん):美術の先生。仙ちゃん。女性。白髪交じりのやせ気味猫背。生徒に説教はしない。絵を描くことについての教え方はうまい。生徒を教え導く一般的な教師像はもっていない先生
エッシャー:オランダ人版画家。1898年-1972年。73歳没
マグリット:ベルギー出身の画家。シュールレアリスム(奇抜、現実離れ、幻想的)
野村先生:鈴音と千暁のクラスの学級担任。32歳。小太り大柄独身男性。
綾(あや):鈴音の隣のクラスのバレー部員
香澄(かすみ):鈴音の隣のクラスのバレー部員
高橋先生:数学教師。愛称タカッチー
進藤先生:厳しい数学教師
高瀬先生:学年主任。体育祭担当
種田山頭火(たねだ・さんとうか):俳人。1882年-1940年。57歳没
増田:217ページ。鈴音の母親が勤めている高齢者介護施設の職員。鈴音の母親より少し年上のおばちゃん。

 2020年(令和2年)のお話だそうです。思い出してみれば、日本でのコロナ禍が始まった年でした。
 新型コロナウィルス緊急事態宣言。地域によって期間の差あり。
 1回目:2020年4月7日(令和2年)-同年5月25日
 2回目:2021年1月8日(令和3年)-同年3月21日
 3回目:2021年4月25日(令和3年)-同年9月30日

 コロナ対策で全国一斉休校(地域で違いあり)
 2020年2月27日(令和2年)首相から要請あり。
 2020年3月2日(令和2年)-5月末まで。

 ユトリロ:フランスの画家。1883年-1955年。71歳没

(つづく)

 さて、登場人物の名前をだいたい把握(はあく)できたので、最初のページから読み始めます。

 2023年4月の今読むと、過去になりつつあるコロナ禍(コロナウィルス感染拡大による制限・規制など)のことです。バレーボール大会とか美術コンテストが中止になるのです。
 そんなことを中学美術部員の千暁(かずあき)が、色にたとえようとしています。白と肌色、あるいは灰色。まあ灰色でしょう。
 
 登場人物たちは、中学三年生です。
 自転車がパンクして道に倒れている女子中学生が鈴音ですが、太い神経をもつ女子らしく、倒れいることを気にしていません。コロナで総合体育大会が中止になって腹を立てています。

 マゼンダの鈴(すず):明るくて鮮やかな赤紫色の鈴
 アクリルガッシュ:ツヤなし不透明の絵の具。むかし中学生の美術部員だったわたしは、ポスターカラーというものを使ってポスターの絵を描いていました。そのことだろうか。別物のようです。

 三密(さんみつ):密閉、密集、密接
 
 なにやら大型台風の話があります。
 2015年(平成27年)だろうか。7月17日台風11号岡山県倉敷市に被害。(最後まで、どの台風のことをさしているのか、よくわかりませんでした)

 千暁(かずあき)のひとり語りが続きます。
 小学校四年生の時にこちらへ引越してきたそうです。
 厭世的(えんせいてき):世の中を嫌う。生きることがイヤになる。

 小学校四年生の時に千暁が出会った鈴音は、道路のまん中で、大の字になって寝ていたそうです。鈴音とはそういう豪快な女子なのです。
 鈴音と千暁のラブはありそうで、なさそうです。ふたりとも中学三年生です。
 色気づくころです。(異性に関心が湧く)

 ナツグミ:植物。赤い実がなる。
 551の豚まん:中華レストランの名称。551蓬莱(ほうらい)
 
 登場人物「千暁」をかずあきとは読みづらい。つい「ちあき」と呼んでしまいます。そのせいか、本には、ふりがなが、うってあります。どうして、こんな読み名を設定したのだろうか。

 クラスター:そんな言葉があったことを思い出しました。1か所5人以上のコロナ感染者というような意味。もう今はぜんぜん聞かなくなりました。
 ホルベインのオイルパステル:絵の具ほか絵画材料の製造販売企業の油性固形描画剤。クレパスのようなもの。

 人はなぜ絵を描くのだろう。(かくのだろう)
 描きたいから描く。
 それ以外の理由はない。

 クロッキー帳:速写。素早く、おおざっぱに対象の形を描くノート
 サルバトーレ・ダリの『記憶の個室』:木の枝に時計がだらーんとたれさがってかかっている絵。ダリはスペインの画家。絵は、ニューヨーク近代美術館にある。
 アザラシ:バレー部のペナルティ。うつぶせになって、手だけで前進する。

 みどり:バレー部の後輩
 のん:バレー部の後輩
 チート:ごまかし、ずる。いかさま

 千暁も鈴音もコロナ禍の規制でストレスがたまりにたまっています。
 行事中止。感染予防対策。体育祭は規模縮小か中止。飛沫が飛ぶ応援合戦はなし。無観客短時間開催。夏休み縮小。補習授業開催
 生徒さんには、そういったストレスがありました。

 女子中学生の心理描写が、鈴音のひとりつぶやきで続きます。

 美術の授業で墨絵があります。
 墨流し:マーブリング。水に浮いた墨を写し取る。
 ドリッピング:墨を含ませた筆を振って墨をはね落とす。
 吹き流し:ドリッピングで落としてたまっている墨を息でふうっと吹きかけて流す。
 アマビエ:今となってはなつかしい。半魚人の体。妖怪。疫病(えきびょう)による災い(わざわい)よけ。
 沙織(さおり):バスケ部

 鈴音から千暁に対する片思いになるのかなあ。

 鈴音の動きで、墨汁が千暁の絵にかかってしまいました。

 なんというか、千暁の力作の絵は、行事の中止で、もともと展示されることがない絵になっていました。

 国語教科書の『少年の日の思い出』:ヘルマンヘッセの短編小説。中学一年生の国語の教科書に掲載されている。過ち(あやまち)を許してもらえないという内容。見損なったというような表現があります。(みそこなった:きみは、人としてだめだ)

 千暁から水害の話が出ます。
 避難所でタンポポの絵を描いたそうです。
 千暁が小学校4年生の7月大型台風が来て自宅が風水害で被災したそうです。
 父親は、病院で、システムエンジニアとして待機しています。
 人生に災難はつきものです。
 病気やケガ、事件や事故、自然災害などで、人生の途中で、無念にも命を落とす人たちがいます。
 五十代になって同窓会名簿を見るとわかるのですが、小中学校、高校で同級生、先輩、後輩だった人が何人も亡くなっています。今、中学や高校の教室にいるメンバーが、この先ずーっと長寿でいられる保証はないのです。

 ハチャトゥリアンの『剣の舞』:楽曲

 台風の被害で、千暁の母の知人がひとり亡くなった。おかあさんはショックで、表情がなくなった。
 千暁ファミリーは、自宅の再建に年数がかかることであきらめて、千暁が小学四年生のときに母親の実家があるところへ引越すことになった。
 それから5年が絶って、千暁は、中学三年生で今いる。

 墨で汚れた絵をどうするのか。
 (絵というものの製作に終わりはありません。いかようにもどのようにも創作は続けられます)
 千暁の心理として『まだなんとかなる』
 
 黒のアクリルガッシュ:アクリルガッシュは、ツヤなし不透明の絵の具(このあとアクリルガッシュ絵の具を剥ぐの(はぐの)です。タイトル『スクラッチ』につながりました。スクラッチ技法です。削れ、削れ、削り出せ)

 『……僕はもう何年も嘘の絵ばかり描いていた気がする。』(世の中は、うその世界を表現する世界が多い。みせかけだけの形だけの世界です。ものごとをきれいごとに加工することが、世間のありようです)
 
 ネイビーブルー:濃紺
 ピカソの泣く女:ピカソの浮気で泣く女性
 アリーナ席:スタンド席ではなく、通常は席がない区域に設置された席のこと。
 脈絡(みゃくらく):一本の筋道
 帆布(はんぷ):キャンバス生地(きじ)

 ときおり出てくる音楽の曲は、聞いたことがない人間にとってはピンとこない。
 エンターティナー:洋画「スティング」の曲。スティングは「だます」という意味でした。ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードが出ていました。
 スッペの軽騎兵(けいきへい):これから、なにかのものごとが、はじまるぞーみたいな感じの曲。トランペットから始まる。
 シュトラウスのツォラトゥストラはかく語りき:ドンドンドンドンという夜明けの感じ。洋画「2001年宇宙の旅」で使われた曲

 170ページまで読んできて、中盤の話のなかみがわかりにくいです。
 もうひとつ。千暁(かずあき)をかずあきと読みにくいまま読んでいました。
 先日、自分がいつも見ているテレビ番組「東野&岡村の旅猿23」で、旅先は京都・大阪、ゲストは吉本興業の小藪千豊(こやぶ・かずとよ)さんでした。『千(かず)』が重なって、千暁(かずあき)を素直にかずあきと読めるようになりました。

 芽衣(めい):鈴音のバレーボール部の後輩
 総体はなくなった。

 203ページまで読んで、内容を理解できていないので、最初のページからゆっくりめくりなおすことにしました。わたしは読解力がない人間なので手間がかかります。

 通称「総体」とは:中学生運動部員によるスポーツ大会のこと。夏の初めにある。(6月下旬ぐらいから始まるのでしょう)市郡の総合体育大会。勝てば、県総体、さらに全国総体と上がっていく。ただし、今回コロナ禍で開催がなくなった。こちらは岡田鈴音のコロナ禍被害関係です。

 美術部に関して。「市郡こども美術展」がある。:各中学校内の校内審査を経た作品が出展され、次に市郡審査にかけられ、特選か入選か選なしに判定される。特選ならば、高校受験の内申点が良くなる。ただし、今回コロナ禍の影響を受けて、校内審査を通った絵を集めて飾るだけで終わりとする。市郡規模での審査はなし。こちらは吉村千暁のコロナ禍被害関係です。

 2020年4月(令和2年)に岡田鈴音と吉村千暁は、中学三年生に進級した。しかし、5月末ころまでは、コロナ禍の規制「全国一斉休校」のために通学することができなかった。
 ゆえに、総体の中止、市郡こども美術展の審査の中止は2020年のことになる。(令和2年)
 
 吉村千暁の自宅は、小学四年生の夏に大型台風の被害にあい、家が損壊し、やむなく、被災地から当地へ両親とともに転校してきた。当地は、母方の実家のそばである。
 吉村千暁が被災した大型台風とは、台風何号なのかとかは、明記はされていない。それとも架空の設定だろうか。

 吉村千暁が製作している絵:市郡の展覧会に出展するつもりだったが、展覧会がなくなった。大きなパネル。キャンバス地。オイルパステルで書いた。(油性の柔らかいクレヨンみたいなものか)
 絵は、毎年夏休み明けの体育祭で飾られたあと、市郡の展覧会に出展される。
 絵には、野球部の清瀬、バスケットボール部の沙織、テニス部の水野、バレーボール部の鈴音の絵が描いてある。

 岡田鈴音のふとした体の動きで、手に持つ筆に含まれていた墨汁が落ちた。
 あわてた鈴音が、墨汁をぞうきんでふいたら、墨汁の汚れが絵に広がった。
 鈴音は吉村千暁にあやまったが、見損なったというような態度をとられて、鈴音の気持ちは落ち込んだ。
 絵の中の鈴音の顔は墨汁で黒く汚れている。

 アクリルガッシュ:ツヤなし不透明の絵の具。バーガンディ(暗くて紫みのある赤。ワイン色)、クリムゾン(濃く明るい赤)、ブラウン、オーク(ベージュ色、木の色)、レモンイエロー、黒
 
 暗闇の牛:暗闇から黒い牛を出す。物事の区別がつかない。

 吉村千暁は、台風に被災したときから、ウソの絵を描いてきた。最初に描いたウソの絵が『タンポポ』だった。(きれいごとの絵ということでしょう。見た人が喜ぶ絵(タンポポは母親が見ました)。自分の正直な気持ちが表れていない絵。人からの評価を気にする絵)
 97ページ『あれからずっと、僕があざやかな色で塗りつぶしてふさいできたその内側には……』(内側に本物の色があった。目には見えないけれど、自分の本心がこもった色があった)
 
 岡田鈴音が、吉村千暁によって、真っ黒に塗りつぶされた自分が墨汁で汚した絵を見て大泣きした。ショックを受けた。
 吉村千暁は、キャンバス地のパネル絵のアクリルガッシュで真っ黒に塗った部分を、パレットナイフを使って削り出し始めた。(スクラッチ。削り出し技法)
 削った下地に、もともと描いてあった岡田鈴音の顔が出てきた。美しい岡田鈴音の顔の絵だった。そのあとがはっきりしないのですが、岡田鈴音の顔は鼻をたれている絵となった。黒い絵の具を削った時に鼻をたれていたのではなく、岡田鈴音が大泣きをしたことをきっかけにして、吉村千暁が鼻たれの絵にしたと自分は受けとりました。それからほかのメンバーの顔や姿もあったと思うのですが文章には出てきません。絵には、野球部の清瀬、バスケットボール部の沙織、テニス部の水野、バレーボール部の鈴音の絵が描いてあるのです。
 その絵を『県展』に出展することになった。審査に通ると(特選、入選、選外出展認可、出展不可の区別あり)、県立美術館に作品が展示される。

 サティの『ジムノペディ』:ピアノ独奏曲。聴くと、ああ、どこかで聞いたことがあると感じます。
 パウチ:ラミネート加工。両面をフィルムではさむ。
 ハイスペ陣:ハイスペック(能力が高い)成績、運動

 最初のページからめくりなおして、194ページ付近まで戻ってきました。
 内容を理解しようとするとけっこうむずかしい本です。
 198ページ前後のページは読むのがたいへんです。
 
 高齢者介護施設のお祭りで、お話を締めるのだろうか。
 無理な進行ではなかろうか。
 この部分がいるのかなあと思うようなお祭りと花火の話です。
 話の種はいくつかまかれているのですが、はっきりとした回収がなされていません。
・玲奈がコロナ禍の休校後、中学校へ登校できなくなっている話
・岡田鈴音の姉である岡田初音のコロナ禍がからんだ帰郷話
・介護施設で働く岡田鈴音の両親の仕事の話
・岡田鈴音と吉村千暁のほのかな恋愛っぽい話
・吉村ファミリーの大型台風被害の話

(つづく)

 読み終えました。
 いくつか理由があるのですが、わたしには合わない作品でした。
 読みにくかった。

 今となっては『コロナ禍』も過ぎてしまったことです。
 いつまでも過去のことにしばられて、負の感情(ふの感情。へこんだ気持ち)にひたっていたくはありません。不幸をひきずっていては、明るい未来は来ません。どうしたって、過去を変えることはできないのです。
 204ページあたりから最後までを読みながら思ったことをぽつりぽつりと書いてみます。

①登場してくる人物たちの名前の扱いがぞんざいでした。(ぞんざい:注意深さや思いやりが足りない)鈴音(すずね)は読めますが、千暁(かずあき)は読めません。ふりがなをふって表記するぐらいなら、最初からすんなり読める名前を付けて欲しかった。加えて、苗字(みょうじの)設定がよくわかりませんでした。基本的に下の名前だけで物語を流してあります。登場人物たちは苗字があったり、なかったりのバラバラで、読んでいて気持ちが落ち着きませんでした。創作の荒さを感じました。19ページの文末に『……この辺の地区は親戚でなくても苗字がかぶっている家が多いから名前で呼び合うことが多いんだ』とあるのですが、「親戚だから」ならわかりますが、親戚でなければ苗字がかぶることはないと思うのです。

②237ページあたりを中心に、マンガのコマ割り(絵が描いてある区画単位)を見ているような会話が続きます。絵がないので場面をイメージできず苦痛です。

③読み手にすんなり理解できなかったり、連想できなかったりする単語の羅列(られつ。並べてある)があってわかりにくいです。音楽や楽曲の曲名だったり、絵の具の種類や色だったりです。

 サコッシュ:肩掛けの小さいかばん、袋。自転車のロードレースで使うのが起源
 ネイビーブルー:濃紺
 
 中学生の夏休みの職場体験みたいなことが書いてあります。施設内のお祭りです。模擬店(ヨーヨー釣り)とか。

 花火の話が出てきました。「疫病退散花火」です。
 
 サモトラケノニケ:背中に翼が付いた形をした女神像。頭の部分、両手の部分はない。フランスパリにあるルーブル美術館に保存されている。1863年にエーゲ海で発見された。(そのころの日本は江戸時代末期。1868年が明治元年。米国ではリンカーン大統領が奴隷解放宣言をしたころ)
 
 なぜ、めざす職業が『医師』なのだろう。
 安直な感じがしました。人助けなら、ほかにも医療職、福祉職はあります。(あんちょく:考えが浅い)
 以降も、学歴偏重、職業偏重(へんちょう。いっぽうばかりへのかたより)が感じられるような記述内容でした。(めざすのは、医者、弁護士、大学教授…… 高校は有名大学難関学部をめざす特別なクラスに入る。上層部をめざす特定少数のこどもに向けて書かれた作品なのだろうか)

 後半部は、なにかしら権威主義的圧力で圧迫感がありました。
 そこまで一生懸命にすると、メンタルが壊れます。(心が崩壊)
 中学校の中だけの世界です。
 社会に出たらいろんな人がいて、いろんな空間があります。
 そしてけっこう、いいかげんな人がいっぱいいます。
 こどもさんには、柔らかく順応していってほしい。

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