2023年03月26日

偉い人ほどすぐ逃げる 武田砂鉄

偉い人ほどすぐ逃げる 武田砂鉄(たけだ・さてつ) 文藝春秋

 初めて読む著者です。
 書評の評判が良かったので、読んでみたくなりました。
 出版社勤務ののちフリーライターをされているそうです。
 1982年生まれ(昭和57年)の男性です。

 43本のエッセイ集です。(エッセイ:思うままに書いた文章)
 純文学の雑誌『文学界』に掲載されたものだそうです。
 読み始めます。

 「偉い人ほどすぐ逃げる」というタイトルのエッセイは見当たりません。エッセイ全体のイメージ、雰囲気が「偉い人ほどすぐ逃げる」だそうです。
 自分には、責任者というのは、責任をとらないために努力する人という印象があります。自身や組織の利益を守るために、非を認めない理屈を駆使して構築します。
 それとは別に、頭のいい人たちの特徴として、いざとなったら「知らん顔」をする人たちがいます。脳みその中にあるのは「利害関係」だけです。
 自分と利害関係がない人間は、石ころ扱いです。昔洋画でそんなシーンを見たことがあります。この地球上には、大陸の数、あるいは大都市の数だけの人間しかいない。
 自分にとって、重要な援助をしてくれる人間だけが、自分にとっての人類だというようなセリフでした。

 2016年の東京都知事選挙の話から始まりました。
 『効率』が優先されます。
 効率をすべてのことに優先させないでほしい。
 効率を追い求めるから、世間が、ぎすぎすするのです。
 むだがあっていいのです。
 心の安定を保つために「ゆとり」という「遊び」の部分は大切です。
 
 書いてある内容は、もう過去のことです。
 過去に起こった時事問題とか事件・事故のことです。
 
 詐欺師のように、大衆の心理をじょうずに誘導した者が一時的に勝つけれど、やがて化けの皮がはがれます。

 文脈から考えると、著者は、政治評論家です。

 24ページまで読んだあと、1ページずつゆっくりめくりながら、258ページの「おわりに」まできました。本が出た日付は2021年4月(令和2年)になっています。コロナ禍が始まって2年目です。

 再び24ページに戻ります。奈良県で銃弾に倒れて亡くなった前首相のことが出てきます。(2022年7月の出来事)
 本というものは、不思議な記録です。本のなかでは生きている人が、現実社会の今現在はこの世におられません。心にしみるものがあります。
 今日、隣にいる人が、明日も隣にいてくれるという保障はどこにもありません。
 家族の場合はせつない出来事になってしまいます。出がけの別れの挨拶をするときは、できるだけ感情的なケンカをしていないようにしたい。
 ケンカ別れが人生最後の別れになると、残った者は苦しい後悔を一生ひきずることになります。

 最後のページまで、ぺらぺらとめくりながら思ったことです。
 北朝鮮がミサイルを撃つことが書いてあります。何年たっても状況は変わっていません。

 政治の世界の不祥事、ゴタゴタが書いてあります。人が変わるだけで、不祥事は後を絶ちません。
 政治の世界では、人間が消耗品のように、現れては消えていきます。

 この本は、政治の本なのか。
 社会学者かコメンテーター(自分の意見や考えを述べる人)の言葉の内容です。

 「税金婚活」という単語が目に飛び込んできました。
 思い出して見れば「少子高齢化」ということは、わたしが二十代後半のころから予測され対策が考えられてきました。もう四十年ぐらい前のことです。
 それでも少子化を止められない。もう、無理なのです。もう無理だとして、じゃあどうしたらいいのかを考える時期に達しています。
 
 24ページに戻って再び読み始めます。
 2017年8月29日北朝鮮のミサイルが発射されて、日本の広域にJアラート(全国瞬時警報システム)が鳴らされています。ミサイルは日本の上空を通過しています。似たようなことが昨年もあったような記憶です。
 2022年10月4日でした。必要のない地域にもアラートが発令された記憶です。東京都の南の島。伊豆諸島、小笠原諸島です。
 読みながら考えたことです。
 日本人は『うわべ』とか『形式』を重んじる民族であることが浮き彫りになりました。

 著者は「人と意見が食い違っているときには、納得がいくまで議論したい方」だそうです。

 政治家というのはパフォーマンスをして目立って、選挙で集票につなげることが常套手段(じょうとうしゅだん。(いつも使うやり方)
 本の内容は、なにかしら世の中のおぞましきものの羅列(られつ)が続きます。パワハラ、長時間労働、自殺など。
 人間というものは、「ぼんやりとしたもの」で「きちっとしたもの」にはなれないと悟ります。気づきがあります。

 「令和」の「令」は、命令の「令」という文章があります。そういう発想って、自分にはありませんでした。

 エッセイの文章を読んで、痛快に感じる読者もいるでしょう。

 ナンシー関(せき):女性。版画家。コラムニスト。1962年(昭和37年)-2002年(平成14年)39歳没。虚血性心不全。青森市出身。

 著者の政治家、世相に対する分析が丁寧です。
 タピオカが出てきます。そんなときがありました。
 出ては消えていく流行が浮いたり沈んだり消えたりしています。
 政治家の名前もその時は日本中に響き渡っていましたが、今となっては、そんな人もいたなあという遠い過去の記憶になっている人もあります。

 政治活動や経済活動における猛烈な競争の中で、体を壊したり、命を落としたりしていく人たちがいます。淘汰(とうた。ふるいにかけられる。生き残り合戦)です。
 書いてあるとおり、原因は個人の資質ではなく、社会的な構造です。厳しさを求める。心身の酷使を容認する、あるいは厳しさと酷使を提唱することが正しい、あるいは妥当であるという慣習が日本社会にあります。
 外国人が不思議がる過労死です。がんばるのです。組織のために命を落としてまでがんばるのです。
 正義があるきれいで美しい世界でがんばるのではなく、どろどろとした悪があって、理不尽、不合理、不条理な世界でがんばれと尻を叩かれるのです。
「死んでもしょうがない。本人の耐性が足りなかった」で済まされるのです。恐るべき日本社会です。怖い。まじめでがんばる人は気をつけた方がいい。真実は、善人が、他者の利益のために、他者に利用されているだけなのです。

 歴史書を読むようです。そのとき表舞台に立っていた人たちが、今はもう表舞台にはいない。

 内容では、マスコミと政治家のありかたに対する攻撃が厳しい。
 ただ、それが世間というものです。世情(感情で動く群衆のなりわい。パターン)ともいえます。
 どうでもいいと思われることを、時間つぶしのためにしているという社会活動の一部があります。

 政治家の技術とは=(自分ではない)誰かの責任にする技術と読み取れます。

 マイナンバーカードとか、特別定額給付金、布マスク、東京五輪、桜を見る会、女性活躍社会、大学入試センター試験の変更、ワンチーム、いろいろありました。いろいろあります。

 文句があるなら、じゃあ、あなたがやってみなさいよという理屈があります。
 自分は長い人生で、そういうケースを何度か体験しました。
 文句を言ったほうが、じゃあやるかというと、やれたためしがありませんでした。
 文句を言ったほうは、まず、じゃあやるとは言いません。
 順番だからと促して、文句を言った本人がやったとしても、出来栄えは、ボロボロでした。
 だれがやってもやれないこともあるのです。

 政治家が発信するメッセージや会社の社員教育が『精神論』になっている。
 精神論で、見えないものが見えたり、聞こえないものが聞こえたり、脳みその中にある思考活動が洗脳されていく。そして、メッセージの受け手の頭の中がおかしくなっていく。
 
 著者のスタイル(立ち位置)は、あたりまえのことをあたりまえに発言することです。
 世間には、あたりまえのことをあたりまえにやれたら、苦労はないという意見があります。
 読んでいて思うのです。
 著者は、だれに向かって語っているのだろう。
 なにも無い空間に向かって話をしているようにみえる文脈です。

 2021年に開催された東京オリンピックについての考察記事が多い。ただし、開催前の状態です。
 結局コロナ禍の中、強硬開催された東京オリンピックって何だったのだろう。
 本の中では『復興五輪』というメッセージに対する(東日本大震災の被災地を含めた)批判があります。見た目の名目(めいもく。口実。表向きの理由)だけの「復興五輪」だと判断されています。
 ほかには、ロゴ(シンボルマーク)盗作騒動でゴタゴタしました。
 国立競技場の建設案の変更がありました。
 この本では、そもそも国立競技場を建て替える必要はなかったとあります。以前の国立競技場は使用が可能だった。
 周辺環境も含めて、新しい競技場のために歴史ある古い建物が壊された。そして、結果論ですが、コロナ禍を押し切っての無観客での開催は、結局、何万人もが入場できる新しいスタジアムを建設する必要はなかったという結論の位置に到達します。
 政府(内閣とその下の機関)はお金を動かすことを考えている。お金は動いた。されど、今になって、談合とか贈収賄が吹き出してきました。権力者たちがもうけるためにオリンピックは開催されたのか。しかたがなかったで、すんでしまうのか。信頼関係は薄らいでいくばかりです。
 
 この本が書かれた時点では表に出ていませんが、問題になっている宗教団体と関係がある議員の発言も出ています。
 
 教育について書いてあります。
 組織に忠実な人間をつくりあげる教育が徹底していた日本でした。
 人間を標準化することから離れて、個々のしたいようにと変化しています。
 いいとか悪いとかは別にして、国力(こくりょく。経済力)は衰退していくのでしょう。
 『……これまで社員の勤勉さと長時間労働が産業競争力を支え、国際競争力の源泉となってきた側面がある……』(著者はそのことを強く批判しています。ただし、わたしは事実だと認めます)

 結婚相談所のキャッチフレーズです。『男の価値は、妻でわかる。』(そんなキャッチフレーズがあるのか)
 役所がからんだ結婚促進事業のことが書いてあります。少子化対策です。
 学歴とか職業とか、ゲーム感覚でとか、いろいろ書いてあります。(まずは愛情で、ずっとこの人といっしょにいたいと思う人と結婚するのではなかろうか)

 著者の仕事はけして人から好かれるものではありません。どちらかといえば嫌われるほうでしょう。
 朝のバラエティ番組の辛口(からくち)コメンティターのようです。分析して、評価して、反論ありき、批判ありきです。黙っていられないのです。長いものには巻かれないのです。人がそうしたいと思ってもなかなかできないことです。反発覚悟のうえでの攻撃的なメッセージの発信です。(そういう仕事も必要です)

 一般的に、同じ利益を追いかけている集団は、仲間同士内での否定は×で、予定調和が○です。著者は、仲良しごっこはできないし、嫌いなのです。自立心が強い。依存心はもたないのでしょう。

 あら探し:相手の欠点や過失を細かいとこまで探して相手を批判したり、責めたりすること。しつこい態度と姿勢があります。
 紋切型(もんきりがた):おきまり。やり方が一定の型にはまっている。ステレオタイプ。
 毒舌(どくぜつ):相手に対してトゲのある言葉、厳しい悪口や皮肉を言うこと。相手が嫌がるようなことを言う。

 夜の商売をしている女性の言葉として『警察は(わたしたちを)守ってくれない。(ヤクザはわたしたちを)守ってくれる。(ヤクザは)こわくない』
 警察は形式だけのことをする。自分の身は自分で守ることが基本なのでしょう。

 身体障害者を使った報道のあり方に対する批判があります。
 感動を生み出すために身体障害者を番組制作の素材扱いするのはやめようです。障害者をほかのものに言い換えることもできるのでしょう。福祉サービスを受ける人たちです。高齢者、ひとり親家庭、ホームレスなど。

 政治家がよく口にする言葉として『丁寧な説明』
 丁寧な説明が必要ですと他人事(ひとごと)のように言って、自分の発言に割り当てられた時間をつぶす。

 社会活動の目的が『お金もうけ』である以上、お金もうけのための嘘八百(うそはっぴゃく。つじつま合わせ)が横行することは、やむを得ないのでしょう。
 ウソが多い世の中で、個々が賢い(かしこい)自分になるように、自分のスタンス(姿勢)を身につけて、身を守ることが大事だと感じました。

 以前セクハラ発言で辞任した国の行政組織の偉い人の話が出てきました。
 一生懸命働きすぎて、たぶん120%ぐらいの力を出して働いていて、(この一線を超えたら、自分はやばいことになる)という判断ができなくなるほど自分を追い詰めて、脳の中が壊れたのでしょう。ちょっと待てと立ち止まる心の余裕(遊び部分)を残しておいたほうがいい。
 頭脳優秀で地位が高い人だからといって、善人であるということはありません。すばらしい高い記録をつくったからといって、人格まで優れている(すぐれている)とは限りません。
 偉業を成し遂げた人でも差別発言はするし、実績と人格は一致しないこともあります。しっかり人を見なければなりません。いっぽう、人間とはそういうものと思うことも大事です。

 そういえば、東京オリンピックのコースが、突然のように、東京都内から札幌市内に変更されました。素直に考えればメチャクチャです。準備をされていた方々は相当お怒りになられたことでしょう。

 テーゼ:定立。ある事柄を肯定的に主張する。
 煽情的(せんじょうてき):感情をあおりたてる。
 顰蹙(ひんしゅく):不快感で顔をしかめる。

 かなり刺激的な内容の本でした。

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