2023年02月02日

老害の人 内館牧子

老害の人 内館牧子(うちだて・まきこ) 講談社

 話題の本なので読み始めることにしました。
 たぶんわたしも老害の人の一面があると自覚はしております。ははは。

 ピンク色をしたTシャツを着たご老人たちが描いてある(えがいてある)本のカバーです。
 Tシャツの胸には『若鮎サロン』なにか、ボランティアグループのメンバーたちなのか。男性が3人、女性が3人、合計6人いる絵に見えます。(読み終えて、ボランティアではありませんでした。カフェです。認知症カフェではありません)
 本の帯を見ます。
 累計100万部超えも売れているそうです。1冊1600円もしますから、合計16億円超えです。そんなばかな。よーく見たら『終わった人』『すぐ死ぬんだから』『今度生まれたら』を含む累計だそうです。うむ高齢者対象対策文学ビジネスですな。日本社会には、よくもわるくもお金と時間のある高齢者がいます。お金がない高齢者は貧困ビジネスに狙われます。お金がある高齢者は特殊詐欺に狙われます。気をつけましょう。

戸山福太郎(とやま・ふくたろう) 85歳 (この人が主人公らしい。高齢者のあやうい車の運転が思い浮かびました。だいじょうぶだろうか。どうも運転は、しなさそうな人です)
 自慢話がひどいそうです。同じ話の繰り返しもあるようです。昭和10年(1935年)5月生まれ。2020年で85歳。
 生後ずっと埼玉県岩谷市(架空の市)で過ごしている。地元の商業高校を卒業後、昭和37年から父親の代にできた『雀躍堂(じゃくやくどう)社員35人』というボードゲーム(花札、福笑い、トランプ、かるたなど)の会社の二代目社長だったが、高齢でいったんは、引退している。引退しているが社員としてはその後、継続しているという変なポジションにある。肩書きは『経営戦略室長』(おもしろい。まわりをひっかきまわしそうです)
 5歳年下だった妻八重は75歳で死去している。八重の死後5年が経過しているという設定。10年前から娘夫婦と同居している。
 戸山福太郎は『老害の人』となっている。

戸山明代(あきよ):『もうやめてよッ』とぶちまけるのが、戸山福太郎85歳の娘だそうです。ご苦労お察しします。54歳。戸山家のひとり娘。昭和41年生まれ。「小江戸川越検定」の一級をもっている。夫と長女24歳と長男18歳がいる。

戸山純一:戸山明代の夫。35歳のとき、婿養子となる。妻となった明代は29歳だった。旧姓井川。現在、雀躍堂(じゃくやくどう)の三代目社長を務めている。

戸山梨子(とやま・りこ):戸山純市・明代夫婦の長女。戸山福太郎の孫娘。24歳。医科大学付属病院で管理栄養士をしている。賃貸マンションでひとり暮らしをしている。

戸山俊:戸山純一・明代夫婦の長男。県立高校三年生。18歳。駅伝の選手で、成績がよく大学からのスカウトあり。箱根駅伝への出場をめざしている。
 本来なら雀躍堂(じゃくやくどう)の四代目社長だが、本人にその気はない。
 地元の消防団に所属している。市全体の消防団員数196人。俊だけが十代。
 農業を営む松木ファームでバイトをしている。

松木達夫:松木ファームの経営者。75歳。15000平方メートルの敷地をもつ農場主。40歳のときに脱サラした。市民消防団の団長をしている。

松木美代子:松本達夫の妻。72歳。

斉田徹:副社長。

山本和美:戸山福太郎が社長だった時代の使える社員。昭和三十年代に活躍した女性社員。

吉田夫妻:素人俳句好き。俳句集を配りまくるらしい(いらないのに)。90歳。
吉田桃子:87歳。吉田夫妻の妻のほう。

春子:『私はもう死ぬ』と言い続ける。(そういう人に限って死なない)

 老害五重奏(クインテット)のお話だそうです。読むだけなので楽しみです。現実のこととして、実害があるとイヤです。

 さて、読むぞー

(つづく)

 16ページまで読んで思ったことです。
 日本人の寿命が延びました。寿命が延びたことでさまざまな出来事(それまでにはなかったこと)が起きることになりました。
 加害者としての高齢者の運転による交通死亡事故、介護、認知症、相続、貧困、生きがいづくりなど。
 経済活動に与える影響も大きい。
 世代間の意識と体験の違いによるトラブルの発生もあります。

 自分が中学生だった半世紀ぐらい前のお年寄りというのは、77歳前後で亡くなる人が多かった記憶です。
 脳出血とか脳梗塞(のうこうそく)などの脳の病気、心筋梗塞などの心臓の病気、発病して短期間、あるいは後遺症のある状態で、半年間ぐらいたって、骨と皮だけになって亡くなっていました。
 80歳まで生きる人は少なかった。だから、孫は祖父母に『長生きしてね』と声をかけていました。今は、そんな声かけをする孫はあまり聞かなくなりました。

 餞(はなむけ):別れる人への贈り物。

 本の中身では、戸山福太郎の自慢話を聞くことが、年寄りの介護みたいになっています。
 同じ話を何度も聞かなければなりません。聞かされるほうは苦痛です。迷惑です。
 でもたいていの人は、優しいから、がまんして聞いています。
 1億2300万人ぐらいのうちの三分の一ぐらい、3600万人ぐらいが高齢者だそうです。
 物語には、現代の世相も重ねてあります。
 コロナウィルスによる非常事態宣言が発令されて、5月25日に解除されています。第一次の発令の時ですから、2020年(令和2年)のことでした。

 相好を崩す(そうごうをくずす):顔をほころばせて、心の底から喜ぶ。

 老害とされるのが、
①戸山福太郎 85歳 昔していた仕事の自慢話が長い。終わらない。

②竹下勇三 76歳 昭和18年生まれ 駅前クリーニング店の二代目 病気自慢。臨死体験話がくどい。

③吉田武(吉田夫妻のうちの夫) 90歳 撮り鉄から今は詠み鉄(よみてつ。俳句。鉄道オタク)。体力自慢。
  妻:吉田桃子 87歳 青森県五所川原出身(金木(かなぎ) 太宰治の生家(だざいおさむ氏のせいか)あり)。
吉田夫婦の息子の嫁:吉田里恵 大学の国文学科卒 吉田夫婦と同居している。里恵の孫(新聞社北陸支店勤務の息子の子)が、杏奈4歳と翔(しょう)1歳、老害の状態として『孫自慢』がある。

 竹下剛:22歳。竹下勇三と竹下桃子の孫。父親が竹下クリーニングの三代目。竹下剛は四代目。

 ラタトゥーユ:フランス郷土料理。夏野菜の煮込み料理

 後藤公助:日本写真家連合協会会長

 日本人の健康寿命:男性が72.14歳で、女性が74.79歳。まあ、個人個人で違うのでしょうが、自分や自分の友人知人を見ると、四十代後半、五十代から体のどこかが、壊れているということが実感としてあります。

 時の鐘(ときのかね):埼玉県川越市「小江戸川越」のシンボル。

 年寄りが自慢話をすることがいけないことなのだろうか。それは、それでいいのではなかろうか。疑問が残ります。
 老害は公害だそうです。
 そう長くない寿命なのだから大目(おおめ。寛大に。許す(ゆるす))に見てほしい。

 クインテット:五人編成だから①戸山福太郎85歳 ②竹下勇三76歳 ③吉田武90歳に加えて、④吉田桃子87歳 ⑤春子の五人だろうか。よくわかりません。春子は何者だろう。(48ページ付近にて)

 病気自慢、趣味自慢、元気自慢、孫自慢、老害の人たち。されど、官公庁や民間企業に対するクレーマーはいません。
 
 青森の岩木山は見たことがあるので、読みながら実感が湧きます。

 佐多道彦(さた・みちひこ):フレンチレストラン「シェ・サタ」のオーナーシェフ

 克二(かつじ):30歳。リフォーム会社のサラリーマン。消防団員。座右の銘が若いのに「教育勅語」と「五か条の御誓文」
 (登場人物がたくさんいすぎて、把握がたいへんです)

 林透(はやし・とおる):27歳。消防団員。国立大学卒。食品メーカー勤務。外国勤務歴あり。

 ICT:情報通信技術。

 老人の責任とは『若い人間に仕事の面白さと生きる面白さを伝えること』

 ノリコ:松木達夫の不倫相手らしい。ノリコの前がミユキ、その前がハルミとトモエのふたまたラブ(これは、エロ好きオヤジの病気ですな。それだけ魅力がある男性なのでしょう)

 第二章終了、84ページまで読んで思うのは、『老害』にも程度問題があるということです。
 同じ話を繰り返し聞かされるぐらいはどうということはないのではないか。また始まったと思って、適当にあいづちをうちながら聞き流せばいい。しつこいと思うのなら、もう何度も聞きましたと言えばいい。毎回初めて聞くようなふりをするのもいい。実害がありそうでない言動です。
 本当に困るのはクレーマーになる老害です。実害ありです。なんとしても排除したい。相手との戦いが必要になります。
 次に困るのはエロい老害です。エロいおじいさんがいますが、エロいおばあさんもいます。ユーモアのうちならいいですが、ストーカーのようになった年寄りは怖い。しつこそうです。
 あと思いつくのは、がんこな人です。これはこうでなければならないと言い張る人、こうでないと納得できないと要求する人です。本来、やり方はいかようにもあるのです。どれかひとつだけが正解ということはありません。
 あと、思いつくのは、場を仕切らないでほしい。一歩引いて欲しい。小さな親切大きなお世話ということはあります。次世代の人たちにまかせたほうがいい。
 とりあえず、自分がそんなふうな年寄りにならないように注意します。

 さて、読書を続けます。

 孫の進路に口を出す。(年寄りの指示に従う必要はありませんよ。孫の人生は孫のものです)
 
 時間の話が出ます。『年を取るってことは、いつも頭の中に残り時間の意識があるってことなんだ』(そのとおりです)
 残された時間をどのように使うかを考えています。自分は、会えるうちに血族・姻族との交流を深めておきたいと思っています。次が友人・知人です。なるべくいっしょにいる時間をつくって、楽しい時間をすごして思い出多い人生を送って、この世にサヨナラしたい。

 長幼の序(ちょうようのじょ):年少者は年長者を敬う。年長者は年少者を慈しむ(いつくしむ)。

 駅伝に賭けていた俊が、農業の道に転じたのは唐突です。(とうとつ。突然すぎる)
 大卒という学歴にこだわるおとなたちがいます。
 大学を出て就職しても社会活動や企業活動に適応できず、仕事を辞めたり休んだりして、なにもできない人もいます。
 高齢者から若い人への進路選択のアドバイスはほどほどでいい。大学卒業後のことを大学進学の前によくイメージしておいたほうがいい。大学入学はゴールではないのです。

 会社や商売の後継ぎ問題はむずかしい。

(つづく)

 なかなか身に染みる言葉がありました。『どこかの組織で都合よく使われて定年になる虚しさ(むなしさ)』(当たっています。見返りがお金です。お金のためにサラリーマンは耐えるのです。お金をもらえるから耐えられるのです)
 さらに『カネだけでは幸せになれませんが、カネがないと幸せになれない……』
 
 おもしろかった文章として『老人はどうせ、近々お迎えが来るのだ。強気だ。』(そのとおりです)

 『番頭はんと丁稚(でっち)どん』茶川一郎とか大村崑(おおむら・こん)とか。(なつかしい。亡くなった自分の母方祖父が明治生まれでしたが、当時の義務教育の小学校卒業後、商家に丁稚奉公(でっちぼうこう)に行っていたことがあると話していました。給料はありませんが、住み込みで、三食と寝場所付き、読み書き計算、礼儀作法の教育を受けられる民間の人材育成教育制度のようなものだったそうです)
 
 ときおり自分も思うこととして『年寄りはいつも感じてんだよ。自分は「いてもいなくてもいい人間」に扱われてることをさ』(実感があります。だけど、気楽でいいと思っています)

 青森ではトウモロコシのことを『きみ』と呼ぶそうです。商品名として『弘前の嶽きみ(ひろさきのだけきみ)』(そういえば、嶽温泉(だけおんせん)で熱いお湯が出なくなったとかいう、そんなニュースを先日テレビで見ました)

 クレーマーの年寄りというのは、家族が本人を注意したり説得したりしてもいうことをきいてくれません。
 お金をもっていてもお金を払わない人はいっぱいいます。
 現役時代組織で地位の高かった人は引退後も名誉欲とか自己顕示欲が強いのでクレーマーになりやすい。リタイアしても肩書きがほしい。偉そうな履歴をまわりに披露したい。自慢したい。
 「おだてりゃ豚でも木に登る(ことわざ:ほめれば、いい気分になって能力以上ことを発揮する)」
 
 そんな話が続きます。

 村井サキ:79歳。市の元公民館長。60歳まで教師。(このあと、老害のひとりになるらしい)

 122ページまで読みました。
 なんなのだろうなあ。
 みんな最後は死んでしまうのです。
 お金はあっても、時間はそれほどないのです。
 最近自分が思うのは、現役の時は『ムリ、ムダ、ムラなく、安く、速く、正確に』という効率最優先主義で生きてきたわけで、リタイアして数年が経つ今思うのは『ムリ、ムダ、ムラがあってもいい。遅くてもいい。自分の脳みそは機械じゃない』という意識です。
 効率が悪くても、自分の気持ちが納得できればいいと思うのです。だから、老害になるのかも。よくわかりません。

 杉田公平:雀躍堂(じゃくやくどう)の総務課長
 菊川和史:株式会社サンタマム社長 1988年、昭和63年生まれ。
 草野明:株式会社サンタマム専務取締役 1991年 平成3年生まれ。

 表敬訪問:相手に対する尊敬を表すために訪問すること。

 戸山福太郎が、昭和30年代、40年代のことを語ります。
 読んでいて、なにもかもがなつかしい。

 『トップに居座って、若い人に譲らない老人……』(そういえば、最近自動車大手の社長が変わることになりました。潔い(いさぎよい))
 141ページ付近は激しい。激しいけれど笑えます。
 トップにとって必要なものとして:スター性。華(はな)。<納得できます。(かもしだす神がかった雰囲気)オーラとか。人をひきつける魅力とか、エネルギーとか>

 『個性』についての戸山福太郎の語りがあります。
 老害は個性だと、まずカウンターパンチをはなちます。
 いまどきの若い者たちは、「個性」という言葉が好きで、「個性」といえばなんでも許される。なんでも通るとして、「個性」という言葉を利用している。みんな違ってみんないい。そんなことはきれいごとだと言い切ります。(一理あります。一理(いちり):うなずける理由。標準的な暮らしを目指さないと生活が安定しないという現実はあります)
 この作品は、いつかは映画化されるのでしょう。
 台本みたいな位置づけの作品です。

(つづく)

 読み終わりました。
 おもしろかった。コメディ社会風刺小説でした。(ふうし:遠回しの批判。「老害とはいわせないわよ」です)

 ああでなければならない。こうでなければならない。口は動かすが、体は動かさない。指示はするが、自分ではやらない。そんな男が現実にいます。(自分は、第三者の立場で見ていて、めんどくさい男だと思います)

 本に書いてあるのは、世の中にあるものとして:「若年層」「壮年層(そうねんそう。働き盛り)」そして「老年層」
 自分が思うこととして、老年層は、若年層や壮年層を支配しないようにする。逆に、若年層や壮年層は、老年層に支配されないようにする。人間界はどこも両面をもっています。バランスを上手にとることにいつも心を奪われます。

 おもしろかった表現として『水戸黄門かと思ったら遠山の金さんだった』『自分の老後を他人の老後のために使う』『パンデミックは、パンダミック』『うちには若いメンバーいるよといような趣旨で、「サキさんはまだ79(才)だ』
 胸にじんとくる表現として『人生って短いね』『あの世にはひとりで行くんだもんな』『……残された日が少ないからこそ、人間は遊ばないとダメなんです』『……仕事のコツは野良猫にもお辞儀をすることだって言ってました……』『……先のない85歳……(コロナに感染することが心配)』『遠慮して謝って生きている年寄りは悲しい』『同行二人(どうぎょうににん。どうぎょうふたり):四国の巡礼者は、ひとりで歩いていてもひとりじゃない。目には見えないけれど弘法大師(空海)がそばにいる』『みんないなくなったよね』

 158ページ付近。マンガのようです。楽しい。

 まわりにいる人や有名な芸能人がどんどん死んでいく。
 ふと、先日90歳近くになったふるさとの実母と電話で話したことを思い出しました。
 わたしが中学生のときにいっしょに中学校に通っていた近所の男子同級生が病気で亡くなって先日お葬式が済んだそうです。彼といっしょに暮らしていた妻子はどこかへ引越して行ったそうです。
 朝は、彼といっしょに中学校へ歩いて登校していました。へんな話ですが、おばかな中学生コンビですから、朝からエロ話で盛り上がっていました。
 そうか。たしか、こどものころから腎臓が悪くて入退院を繰り返していた彼です。亡くなったか。しみじみしました。人の命は長いようで短い。

 172ページ、いまごろ気づいたのですが歌謡曲の「帰って来いよ」の歌詞に出てくる『お岩木山』というのは『岩木山(いわきさん)』のことだったのか。実際に青森で岩木山を見たこともあるのに、歌詞に出てくる「おいわきやま」が岩木山だとは思いませんでした。山の名称に「お」を付けるという発想がありませんでした。松村和子さんが三味線を持ちながら歌っていました。いい歌でした。

 アルフレッド・テニソン:イギリスの詩人。1809年(江戸時代)-1892年(明治25年)83歳没。

 読んでいると「そうか。老人は嫌われているのか」という気分になります。(だれもが、老人になるのに)
 
 五か条の御誓文:1968年、明治新政府の政治の基本方針。天皇が神に誓う形式。
 (由利公正(ゆり・きみまさ)が起草し、木戸孝允(きどたかよし)が完成させた。先日出川哲朗の充電バイクの旅で、木戸孝允(桂小五郎)が泊まった宿に充電バイクのメンバーが泊まるシーンがありました)
 ①会議でよく話し合う。多くの人が賛同することを決定する。
 ②身分の上下にこだわらず、みんなで心をひとつにしていく。
 ③みんながやる気や希望を失わないようにする。
 ④悪い慣習や考え方をやめる。
 ⑤知識や知恵を学び、天皇を中心にして国を発展させる。

 陋習(ろうしゅう):悪い習慣。

 この小説はコロナ小説でもあります。
 『コロナ禍』を『コロナ鍋』と読み間違える年寄りたちです。
 年寄りにとっての『YouTubeユーチューブ』は、病院のベッドに寝かされた年寄りの体中に巻かれたチューブのことと誤解します。(35年ぐらい前、脳梗塞後、そのような姿になった女性高齢者を見たことをこの部分を読んで思い出しました。数週間後に亡くなりました。お気の毒でした)
 コロナの緊急事態宣言
 1回目:2020年4月7日-同年5月25日(令和2年)
 2回目:2021年1月8日-同年3月21日(令和3年)
 3回目:2021年4月25日-6月20日
 4回目:2021年7月12日-9月30日


 『姥捨て山(うばすてやま)』、以前映画館で観た『デンデラ』という邦画を思い出しました。70歳で山に捨てられます。まだ若いのに厳しい。中身はB級映画だと思うのですが、出演者は、浅丘ルリ子さん、倍賞美津子さん、山本陽子さん、草笛光子さんと豪華女優陣でした。
 
 辣腕経営者(らつわんけいえいしゃ):物事をちゅうちょせず、てきぱきと処理する経営者。能力が優れている。すご腕。

 曼殊沙華(まんじゅしゃげ):ヒガンバナ
 倶利伽羅紋々(くりからもんもん):やくざが背中に彫った入れ墨。王さまの絵。
 
 なるほど。この本は、アイデアがいっぱい詰まった本です。
 
 『懐メロ(なつめろ)なんて、その時代に生きた人だけの楽しみ……』(そうなのか。今どきの言葉数が多い歌は、何を言っているのか聞き取れない自分です)

 読んでいて自分なりに発想したフレーズが『許してちょんまげ。迷惑かけてもすぐ死ぬからね(ほんとは、なかなか、死なないけど)』

 「しばり」を解除する。相手に対しても、自分に対しても。
 制限することをやめて、やれそうだったら、提案を受け入れて、とりあえず1回やってみる。
 それが、老後を楽しむコツのような気がしてきました。
 命が尽きるまでの残り少ない時間だから、やり残してしまったと後悔することは少ないほうがいい。

 読みながらふと思い出したのです。
 自分のひとさし指1本を、孫であるあかちゃんの五本指が、つつみこむように握ってくれるのです。ぎゅっと強く握ってくれるのです。守ってあげたい。幼き小さな命を、守りたいという気持ちになるのです。(その後、本の中にあかちゃんが登場したので、びっくりしました。生後60日ぐらい)

 おひとり、亡くなってしまうのですが、亡くなった時の状況が、うちの義父が亡くなった時と似ていてしみじみしました。死因となった病名もいっしょです。『虚血性心疾患』心臓が弱って止まります。

 夫婦だと、相方に死なれると精神的にかなりこたえます。それとも、せいせいする人もいるのだろうか。いるのかもしれません。

 なんだろう。なんでもかんでも『仕事が優先』で、冠婚葬祭にも顔を出さない。出してもすぐいなくなる。そんな光景が現実にあります。なんだか、世の中はへんな方向に向かっているんじゃないか。

 ふるさとの美化は、ありがちですが、じっさいは違うと思います。むしろ、ふるさとでのイヤな思い出も多く、イヤだったことを思い出してしまうから、ふるさとにはあまり帰りたくないという人もいます。

 『末期高齢者』
 いろいろと実感があることが書いてありました。
 職業人をリタイアしてからが本来の自分の人生のような気がしてきました。
 それまでは、生活費を稼ぐための虚構の自分だった。
 
 本の趣旨として、人は『毒』か『薬』にならなければならない。
 どちらにもなれない人間には、魅力がない。(それでもいいような気もしますが。)

 登場人物のみなさんたちは、お元気で喜ばしいことです。
 ただ、直接的には関わりあいにはなりたくはないタイプの人たちです。
 一歩距離をおいてながめる立ち位置にいれば楽しい。

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