2023年01月18日

ぼけますから、よろしくお願いします 信友直子 新潮文庫

ぼけますから、よろしくお願いします 信友直子(のぶとも・なおこ) 新潮文庫

 先日、この本に関する映画を観て感動しました。すばらしい。
 今度はこの本を読んでみます。単行本は、2019年(令和元年)に発行されています。こちらの文庫版は、2022年(令和4年)発行のものです。

 母:1929年生まれ(昭和4年)。この生まれ年で高等女学校卒ですから、優秀な方で、お元気だった時は、グループのリーダー的存在だったと思われます。
父:1920年生まれ(大正9年)。温厚な方です。第二次世界大戦中、陸軍で過ごす。戦争で大学には行けず。終戦後は会社で経理マンとして定年まで働く。家には本がいっぱいです。(なんとなく映画を観ている自分自分と重なります)
娘:東京大学文学部卒。映像作家。未婚。日記を書くように、コツコツと積み重ねで映像を貯めておられると察しました。フリーランス映像作家。

 タイトルは、今は亡きお母さんが、元旦を迎える2017年(平成29年)の午前0時に娘さんに言われた言葉からとったそうです。お母さんは、2014年の診断から、本当にアルツハイマー型認知症になられています。

 フジテレビ「Mr.サンデー」は、自分は知りません。フジテレビ系毎週日曜夜10時放送。(わたしは午後10時前には寝てしまいます)

 チャップリンの言葉として『人生はクローズアップで見ると悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ』(名言です。だから、クヨクヨするなです。)

 最初は、中身を飛ばして「あとがきにかえて―父と母のいま」と「ひとまずのお別れ-文庫本あとがきにかえて」を読みました。(お母さんは、2020年(令和2年)6月14日に91歳で亡くなっておられます。お父さんは現在もお元気で102歳になられていると思います。
 お父さんは100歳のお祝いにファミレスのこってりハンバーグを食べたい。ドリングバーでいろいろ飲みたい。先日読んだ本『おいしいごはんが食べられますように 高瀬準子(たかせ・じゅんこ) 講談社』を思い出したのです。ちゃんとした食生活が、長生きでも幸せになることでも大事なのです。
 おいしいものを食べると人は、生きる気力が湧いてくるのです。毎日カップラーメンではだめなのです。心がすさむのです。
 父が母にかけた死に際の別れの言葉です。
 『おっ母(かぁ)、今までありがとね。あんたが女房で(にょうぼうで)、わしはほんまにええ人生じゃった』『わしもすぐ行くけん、あんたは先に行って待っとってね。またあの世でも仲良う暮らそうや』(なかなか言える言葉ではありません)母の目から涙がこぼれたとあります。(この本を読んでいる自分が病気をしたときの体験だと、母の状態として、見た目は意識不明のように見えても、本人には意識があります。体全体や体の部分を自力で動かせないだけなのです)

(さて、また最初に戻って読み始めます)
 
 母の認知症の診断までに時間を要しています。自分の体験だと、病院の検査というのはあてにならない部分もあります。複数の医療機関を受診したほうがいい。あるいは、複数回受診したほうがいい。さらに付け加えると、その病気の専門性に特化した病院を受診したほうがいい。
 2012年(平成24年)の春から言動がおかしくなっていますが、診断は2014年(平成26年)にようやく下っています。アルツハイマー型認知症です。85歳になっておられました。

 2013年のお正月。母は少々おかしくなりかけています。
 娘は2000年にソニーのハンディカムを手に入れて両親の撮影を始めています。動機はドキュメンタリーディレクター(テレビディレクター。映像作家)としての撮影練習です。両親の記録を残しておいて将来心の支えにすることも目的のひとつです。(その後の映画にする気はありません)

 わかりやすい表現力のある文章です。
 名言として『「人が老いていくこと」の無残さと、逆に「年を重ねてゆくこと」の豊かさとを……』
 これを書いている今朝がた「有吉クイズ」という番組で、認知症になったえびすよしかずさんの姿を久しぶりに見ました。昨年夏ごろのロケ風景でしたが、かなり年老いておられました。太川陽介さんと路線バスの乗り継ぎ旅をしていたころの元気さはありませんせんでしたが、あいかわらずの個性で安心しました。かわいらしくぼけれたら幸せです。
 この本の映画のシーンに、広島県呉市のバス停で、母と娘の別れのシーンがあるのですが、太川&えびすの路線バス乗り継ぎのバス停シーンと重なるような構図があって、しみじみしました。

 映画の映像では、しっかり食べるご夫婦でした。本には「肉じゃが、おでん、煮魚」の3点セットをぐるぐる回すとあります。しっかり食べることは長生きの秘訣とわかります。

 アルツハイマー型認知症:脳みそがちぢむ。脳に空洞ができる。記憶担当の「海馬」がちぢむ。メマリー:認知症の進行を抑制する薬。
 最近自分自身も記憶力が衰えています。固有名詞が出てきません。人名とか、お店の名称、地名がポンと瞬間的に口から出てきません。加えて、次は何をしようかと考えて、これをしようと決めるのですが、15分後ぐらいには、何をしようとしていたのかがわからなくなっていることがあります。だから、思いついたときに、最優先でそのことをするように心がけています。

 93歳の父が、85歳のアルツハイマー型認知症になっている母の生活のめんどうをみます。
 娘さんは、2007年45歳ぐらいのときに乳がん手術を体験されています。
 
 71ページ、父の姿がある白黒写真を見ながら、老いを迎える準備をしておこうという気持ちになりました。

(つづく)
 
 男の美学:男はこうであるべきだ。2015年(平成27年)この本の父の場合は、94歳の父が86歳の認知症の母と二人暮らしをしているわけですが、父の男の美学は、娘から介護保険サービスの利用を提案されたときに、自分が(父が)妻のめんどうをみるから介護サービスはいらないと断ることです。

 認知症の母は、腐ったものを食べて下痢をします。

 父が補聴器は嫌いだという話が出てきます。
 実は、昨年の秋、わたしも90歳近い母に補聴器を勧めましたが断られました。(その後、どうも聞こえているのに、自分の都合の悪いことは、聞こえていないふりをしているのではないかという疑いを自分はもっています。まだまだしっかりしています)

 母の脳みそがちぢんでいきます。思考能力が衰えていきます。(おとろえていきます)
 
 父は旧制第三高等学校(現在の京都大学)を目指していましたが、第二次世界大戦と親の反対で同校への進学をあきらめています。米屋の後継ぎなので、学問はいらないのです。ゆえに自分の夢を娘に託しています。

 父の貴重な言葉があります。
 『……優秀な若いもんが、南の島に行かされたきり食べ物が補給されんで、飢えやらマラリアで死んでいった……』
 (娘が東大卒後務めた一流企業を辞めて、自分の本来の希望であるテレビの制作会社で働くと言い出したときに)『ほうか。えかったのう。やりたいことをやれるのが一番じゃ』
 『……あんたが(娘が)元気でおることが、お父さんもお母さんも一番大事なんじゃけん』

 娘さんの東京からの帰省は飛行機です。昔、自分が高速道路を自家用車で走った時に、広島空港への案内表示板があったことを思い出します。

 コンサバなファッション:保守的なファッション傾向。

 読み進めていて、子の立場での気持ちとして『(親のめんどうをみることは、育児において、親から)やってもらったからやってあげるということはある。やってもらったことがないとむずかしい』
 もうひとつ思うのは『人生には、どうしたって一番つらい時期がある』
 
 2016年(平成28年)両親の映像をテレビ番組で紹介できないかの話がある。
 2015年にテレビ放送とは無縁の偶然の出来事があって、人のつながりがあって、話が発展して、ご両親が快諾されるという流れが記述されています。素材は「老老介護」「遠距離介護」「介護離職」。
 両親の娘に対する愛情が深い。あたりまえのことではあるけれど、そうできない人は多い。

 テレビディレクター:テレビ番組の制作を指揮する職業

 母のよかった言葉として『…… 明けん夜はないんじゃねえ。……』

 164ページにシルバーカーを使う父のことが出てきて、ああ、いつかは自分もシルバーカーを押すような年齢になるのだろうと思いました。(手足が弱って、スーパーで買った重たい商品を自宅まで持って帰るため。そのころ、車の免許は返納していることでしょう。著者の父君(ちちぎみ)のように90代までがんばりたい。されど、そのときにはたぶん、紙パンツをはいていることでしょう)

 地域包括支援センター(ちいきほうかつしえんせんたー):各市区町村にある高齢者介護に関する相談窓口。

 介護保険サービスの申請をしようとしても本人が拒否することが多い。(うちの90歳近い実母もそうです)この本でも苦労されています。(わたしたち夫婦自身は、老後の将来は利用するつもりでいます)

 カメラマン河合輝久さん:最初は他人に撮影されることを嫌がられた著者のご両親に受け入れられています。
 カメラマンの河合輝久さんとの最初の面談で、驚くことが起きています。(娘さんの言葉)『どうしたんお母さん、口紅つけるとるじゃない』(家にとっては何年かぶりの(他人の)来訪者だった)
 昭和4年1月5日生まれのお母さんです。(1929年生まれ)
 ちなみにお父さんは、大正9年生まれです。(1920年)
 2016年4月当時で、父親は95歳です。まじめにコツコツがんばる仕事人間だった。定年後は、毎日新聞4紙を読み、要点をまとめたり、わからない言葉を調べたりで記録を残している。(なんだか、これを書いている自分と重なります。自分も90代まで生きることができるかもしれません)
 高橋さん:女性。広島県呉市中央地域包括支援センターの職員さん。
 佐々木さん:両親の元主治医。
 広島弁で『ぼけまあね』:ぼけないようにしようね。
 要介護度:軽いほうから、要支援1、要支援2、要介護1、要介護2、要介護3、要介護4、要介護5。
 母は『要介護1』父は『非該当』。お元気な95歳男性です。
 
 小山さん:ケアマネージャー

 2016年6月末、実家の家庭訪問。介護関係スタッフがせいぞろいです。
 母は、87歳です。
 このシーンは映画で観たので、文章が映画のシーンになってよみがえります。
 母は、みんながいる前では積極的にいい顔をしますが、みんながいなくなると強烈な反発をします。デイサービスなんか行かない! ヘルパーなんか来てもらわなくていい! というきっぱりとした態度です。(よくあるパターンでしょう。家族はとても困ります)
 そして、実際にデイサービスに行ってみると母の返事は『楽しかったけん、また行きたい。行ってもええ?』です。(これもまたよくあるパターンなのでしょう)

 95歳と87歳で、ひきこもりの夫婦のときがあった。
 人間はたいへんです。
 小中学生でもひきこもりがいます。
 青少年でもひきこもりがいます。
 主婦でもひきこもりがいます。
 中年男性でもひきこもりがいます。
 散歩でも、食材の買い物でもいいから外に出たほうがいい。
 毎日なにかしらの新しい発見とか、工夫とか、自然に触れるとか、出会いがあったほうがいい。
 人からどうみられるかなんて、気にしなくていい。
 この本では、介護サービスを利用することで、社会とのつながりができて、両親に笑顔がみられるようになったとあります。
 2016年の広島の夏は猛暑だったそうです。

(つづく)

 母への感謝があります。
 著者が高校生のころ、母は毎朝4時半に起きて著者のお弁当を作ってくれた。5時半に著者を起こし、6時20分のバスに高校生である著者を乗せた。かなり早い時刻ですが、いなかはそんなものです。著者はバスから鉄道に乗り換えて、広島市内にある高校まで通っています。

 著者が乳がんになったときの母の言葉として『……何事もおもしろがらんと損よ。前向きに行こう!』
 著者がまだ小さかった時の話があります。その部分を読んでいて、わたしの母方の祖母が、わたしが幼児だったころのことを話してくれて、そうだったのかと感心したことがあるのを思い出します。(自分では記憶が残っていません)ひとつは、ラジオから流れてくるCMをまねて『ぎゅうにゅうたっぷ、にゅうたっぷ』と歌っていた。もうひとつは、祖父母がイスにのって高いところに手を伸ばして物を取ろうとしていると、幼児のわたしが、イスをおさえながら『(イスを)おさえとくからだいじょーぶだよ』と言ってくれていたとのこと。
 
 245ページにある認知症専門医の今井幸充先生の言葉は宗教家のお話のようです。『家族はその人を愛することが一番の仕事』

 ほかに心に残った言葉として『おいしいものを食べるとコロッと機嫌が直って……』おいしいものを食べなきゃダメなんです。作品『おいしいごはんが食べられますように 高瀬準子(たかせ・じゅんこ) 講談社』をまた思い出しました。

 248ページ『ホンネを言えば、私は今の母をもう、努力しないと愛することができません』の部分の関連として、以前読んだのが『認知症になった蛭子さん 蛭子能収(えびす・よしかず) 光文社』で、以下は、そのときの読後感想の一部です。『記者自身の認知症だったお母さんのお話がありのままに書いてあります。勇気ある発言もあります。わたしが思うに、両親や義父母の介護をするということは、自分や自分たち夫婦が自由に使える自分たちの時間を失うということです。もっと強く言うと、自分たちの時間を奪われるということです。ああしたい、こうしたい、あるいは、あれをしなければならない、これをやらなければならないということがやれなくなります。行きたい所へ行けないことも出てきます。そして、その状態が延々と続いて、なかなか終わりが見えないのです。いつまで続くのだろうかと、とほうに暮れるときがあります。記者は正直に「もう死んでくれ」と思ったことがありますと書かれています。わたしも不謹慎ですが「(妻による義父母の数年に渡る長い介護生活が続いて)いつまで生きるのだろうか」とため息をついたことがあります。こちらのほうが、心身ともにまいってしまいます。精神的にもしんどいのです。それが現実です。それでも、終わりは必ずきます。』
 この本ではさらに、著者の気持ちとして『母は少しずつ死んでいっていると感じる』とあります。認知症になると親の人格が変容していって、別人になる感覚があります。めんどうをみるのは、たいへんです。
 おおっぴらには言えないけれど、老いた親の介護をしている人は、たぶんみんながそんなことを感じています。

 つい数時間前のことの記憶が消えてしまう。
 仮定として、両親の父も母も、両方が認知症になったときは、かなり苦しい。
 本では、寝起きが一番混乱するとあります。今いるところがどこなのかわからない。時刻がわからない。なにをしたらいいのかわからない。本人にとっては、わからないことだらけです。
 父が母に投げかけた言葉です。『……みんなにかわいがってもらえる年寄りになれや』
 認知症の母を介護して見送った女性の言葉があります。『……「介護は、親が命がけでしてくれる、最後の子育て」って』逆転の発想をすると、折れそうな心が折れないということはあります。

 274ページ付近を読んでいて、ここに書いてあることと同じようなことが、自分たちにもあったねと妻と話が盛り上がりました。
 父から電話がかかってきて母の具合が悪いというくだりです。以下は、わたしたちのことです。
 妻「(電話の受話器に向かって)救急車を呼んで!」
 義父「救急車は、何番だったっけ?」(しばらくのやりとりのあと)
 妻「わたしが今から119番に電話をする」
 義父「そうしてくれ」
 以下、救急隊と娘の電話のやりとりが続く…… 入院先の病院へ駆けつける。

 著者のお母上は、2020年6月14日(令和2年)に91歳でご逝去されました。お悔やみ申し上げます。この本を読んだり、映画を観たりした人の気持ちをゆったりさせていただく存在として、本の中、映像の中で、今後もご活躍を期待します。

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