2022年09月15日
余命10年 邦画
余命10年 邦画 2022年公開 動画配信サービス
タイトルを見て、10年というのは、長くなかろうか。
ドラマとか映画とか小説だと、癌で、余命3か月とか、半年とか、1年とか……
老齢者であれば、10年先が寿命の終わりとも考えられる。いや、その手前のこともある。
前知識なしで観ました。
若い女性のお話で、余命10年という病気になって、余命3年~4年ぐらいのところから恋が始まっています。ラブストーリーです。
主人公女性は小説を書くらしい。
ワープロでの原稿作成だと思います。
ワープロがなつかしい。
ワープロは、見かけなくなりました。
映像で、東京オリンピック2020のことが流れます。
東京オリンピック2020は、無理やりのように開催されました。
今年ももうすぐ後半にさしかかっていますが、コロナ禍はまだ終息しません。
去年開催された東京オリンピックに関する贈収賄事件(ぞうしゅうわいじけん)が明らかになっています。大きなお金が動くから中止できなかったわけか。不正なことをした結果のお金だけど。
一部の人たちがいい思いをしたオリンピック東京大会2020でした。
昨年の夏は、国民は旅行の移動もできず、親きょうだいや、入院している親族の顔もなかなか見られず、がまんしていました。
映画では同窓会シーンです。
同窓会は、成功者が出席する会です。
タイムカプセルは、いいようでそうでもない。(冷めた(さめた)コメントが続いてすいません)
男女は『縁(えん)』がないとくっつけない。
障害年金を受給できるのなら、障害者枠の仕事に就けるような気がします。
主人公の名前「まつりちゃん」という呼びかけの言葉が何度も出てきます。
ちょっと多すぎです。
人はそんなに、相手の名前を呼んで会話をしません。
相手は目の前にいるのですから。
途中で、この映画の原作になっている小説があることに気づきました。
そうか。原作者は亡くなっているのか。
『余命十年 小坂流加(こさか・るか) 2017年38歳永眠』
むかし、いつだったか、20年ぐらい前に、やはり病気で若くして亡くなった女性がいました。
自費出版で何冊も絵本を出版されていました。
そんなことがありました。映画を観ていて思い出しました。
自分の読書メモのデータを調べました。楠ふき子さんという方でした。1981年生まれ。2006年永眠。25歳ぐらいで、絵本を何冊も出されて亡くなっています。
『1リットルの涙 木藤亜矢 幻冬舎文庫』も思い出しました。
木藤亜矢さんは、1988年25歳永眠。
こちらの映画の中の女性と同じような言葉が『1リットルの涙』という本の中で発されていました。
思うことはみな同じです。
「自分は何のために生きているのか。結婚したい」
こどものままで亡くなっていく人もいます。
『電池が切れるまで 宮本雅史 角川つばさ文庫』
思うに、病気というものは、数学の「集合」にたとえると、ものすごく大きな円になるわけで、その円のなかに小さな円があって、小さな円の部分が、病名とか治療法が判明している部分になるのでしょう。つまり、医学がすばらしく進歩しているように思われるのは錯覚で、今なお、病名が付けられないような未知の病気とか治療法がわからない病気のほうがたくさんあるのでしょう。
この本では、まだ年端もゆかないこどもたちが病院で亡くなっていきます。それを、命を動かす電池が切れるまでとたとえてあります。つらいお話です。
映画では、暗い雰囲気が続きます。
『桜の花』が伏線のひとつです。桜で始まり、桜で終わる映画です。
何度も桜のシーンが出て、歳月という時間が経過していきます。
ときおりの海のシーンが『カップル』とか『家族』を表現します。
いちょうの黄色い葉っぱがしきつめられた路上がきれいでした。
恋愛相手に、病気を隠しての交際はむずかしいと思います。
されど、小説であり映画です。
父親役の松重豊さんのセリフがほとんどなく、もったいなかった。
自殺願望のある人に見てもらいたい映画です。
「もっと生きたい」のに、死んでいく人がいます。
死にゆく者は、この世に何かを残したい。
自分がその時代にこの地球上にいたという記録を残すために、何かを残したい。
たいていは、自分のこどもだったりします。
なのに、主人公の女性は、ハンディカメラで撮った自分の過去記録データをひとつずつ消去していきます。
重松清作品に「その日の前に」があります。病気で亡くなった奥さんがご主人に「忘れてもいいよ」というメッセージを残します。
「(わたしを)忘れていいよ」ではなく「忘れてもいいよ」という言葉を残します。
自分のことを本当は忘れてほしくないのですが、あとに残るご主人の未来の幸せを考えて「忘れてもいいよ」と言葉を残したのです。別の女性と、再婚していいよということです。
こちらの映画でも同様のことが起きます。
主人公女性は、本当は残しておきたい自分が生きていたときの記録映像動画データをどんどん消していきます。
女性が亡くなったあと、恋人の男性がハンディカメラで、女性の映像を観ようとするシーンがあります。何も映っていないのです。男性は膝から崩れ落ちました。
男性にとっては、まだこれから先、長い人生が続きます。
亡くなった女性からのメッセージは流れませんが、桜の映像を観ているとわかるのです。
わたしのことは忘れてください。
(彼氏を含めた)みなさんは、みなさんの残りの人生を楽しんでください。
あなたは(彼氏は)、新しい女性を見つけて、ふたりで幸せになってください。
(でも、残された人たちは、彼女のことを忘れません。いつまでもずーっと覚えています)
ハンディカメラの動画映像は消えても、彼氏の脳みその中には彼女の笑顔が残っているのです。
タイトルを見て、10年というのは、長くなかろうか。
ドラマとか映画とか小説だと、癌で、余命3か月とか、半年とか、1年とか……
老齢者であれば、10年先が寿命の終わりとも考えられる。いや、その手前のこともある。
前知識なしで観ました。
若い女性のお話で、余命10年という病気になって、余命3年~4年ぐらいのところから恋が始まっています。ラブストーリーです。
主人公女性は小説を書くらしい。
ワープロでの原稿作成だと思います。
ワープロがなつかしい。
ワープロは、見かけなくなりました。
映像で、東京オリンピック2020のことが流れます。
東京オリンピック2020は、無理やりのように開催されました。
今年ももうすぐ後半にさしかかっていますが、コロナ禍はまだ終息しません。
去年開催された東京オリンピックに関する贈収賄事件(ぞうしゅうわいじけん)が明らかになっています。大きなお金が動くから中止できなかったわけか。不正なことをした結果のお金だけど。
一部の人たちがいい思いをしたオリンピック東京大会2020でした。
昨年の夏は、国民は旅行の移動もできず、親きょうだいや、入院している親族の顔もなかなか見られず、がまんしていました。
映画では同窓会シーンです。
同窓会は、成功者が出席する会です。
タイムカプセルは、いいようでそうでもない。(冷めた(さめた)コメントが続いてすいません)
男女は『縁(えん)』がないとくっつけない。
障害年金を受給できるのなら、障害者枠の仕事に就けるような気がします。
主人公の名前「まつりちゃん」という呼びかけの言葉が何度も出てきます。
ちょっと多すぎです。
人はそんなに、相手の名前を呼んで会話をしません。
相手は目の前にいるのですから。
途中で、この映画の原作になっている小説があることに気づきました。
そうか。原作者は亡くなっているのか。
『余命十年 小坂流加(こさか・るか) 2017年38歳永眠』
むかし、いつだったか、20年ぐらい前に、やはり病気で若くして亡くなった女性がいました。
自費出版で何冊も絵本を出版されていました。
そんなことがありました。映画を観ていて思い出しました。
自分の読書メモのデータを調べました。楠ふき子さんという方でした。1981年生まれ。2006年永眠。25歳ぐらいで、絵本を何冊も出されて亡くなっています。
『1リットルの涙 木藤亜矢 幻冬舎文庫』も思い出しました。
木藤亜矢さんは、1988年25歳永眠。
こちらの映画の中の女性と同じような言葉が『1リットルの涙』という本の中で発されていました。
思うことはみな同じです。
「自分は何のために生きているのか。結婚したい」
こどものままで亡くなっていく人もいます。
『電池が切れるまで 宮本雅史 角川つばさ文庫』
思うに、病気というものは、数学の「集合」にたとえると、ものすごく大きな円になるわけで、その円のなかに小さな円があって、小さな円の部分が、病名とか治療法が判明している部分になるのでしょう。つまり、医学がすばらしく進歩しているように思われるのは錯覚で、今なお、病名が付けられないような未知の病気とか治療法がわからない病気のほうがたくさんあるのでしょう。
この本では、まだ年端もゆかないこどもたちが病院で亡くなっていきます。それを、命を動かす電池が切れるまでとたとえてあります。つらいお話です。
映画では、暗い雰囲気が続きます。
『桜の花』が伏線のひとつです。桜で始まり、桜で終わる映画です。
何度も桜のシーンが出て、歳月という時間が経過していきます。
ときおりの海のシーンが『カップル』とか『家族』を表現します。
いちょうの黄色い葉っぱがしきつめられた路上がきれいでした。
恋愛相手に、病気を隠しての交際はむずかしいと思います。
されど、小説であり映画です。
父親役の松重豊さんのセリフがほとんどなく、もったいなかった。
自殺願望のある人に見てもらいたい映画です。
「もっと生きたい」のに、死んでいく人がいます。
死にゆく者は、この世に何かを残したい。
自分がその時代にこの地球上にいたという記録を残すために、何かを残したい。
たいていは、自分のこどもだったりします。
なのに、主人公の女性は、ハンディカメラで撮った自分の過去記録データをひとつずつ消去していきます。
重松清作品に「その日の前に」があります。病気で亡くなった奥さんがご主人に「忘れてもいいよ」というメッセージを残します。
「(わたしを)忘れていいよ」ではなく「忘れてもいいよ」という言葉を残します。
自分のことを本当は忘れてほしくないのですが、あとに残るご主人の未来の幸せを考えて「忘れてもいいよ」と言葉を残したのです。別の女性と、再婚していいよということです。
こちらの映画でも同様のことが起きます。
主人公女性は、本当は残しておきたい自分が生きていたときの記録映像動画データをどんどん消していきます。
女性が亡くなったあと、恋人の男性がハンディカメラで、女性の映像を観ようとするシーンがあります。何も映っていないのです。男性は膝から崩れ落ちました。
男性にとっては、まだこれから先、長い人生が続きます。
亡くなった女性からのメッセージは流れませんが、桜の映像を観ているとわかるのです。
わたしのことは忘れてください。
(彼氏を含めた)みなさんは、みなさんの残りの人生を楽しんでください。
あなたは(彼氏は)、新しい女性を見つけて、ふたりで幸せになってください。
(でも、残された人たちは、彼女のことを忘れません。いつまでもずーっと覚えています)
ハンディカメラの動画映像は消えても、彼氏の脳みその中には彼女の笑顔が残っているのです。
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