2022年04月06日
ドライブ・マイ・カー 邦画 動画配信サービス
ドライブ・マイ・カー インターナショナル版 R+15 2021年 邦画 動画配信サービス
この映画がまだ賞をもらう前に読んだ映画を観た人の感想には『眠い映画』とありました。
なになに賞という作品は、主催者側にとって、都合のいい作品が選ばれるものだと思っています。質は最優先の選択基準ではないのです。
村上春樹小説作品は『海辺のカフカ』が好きなくらいで、ほかに何冊か読みましたが、自分には合いません。以前中国の報道で、下品なエロ描写作品というような判断が下されている文章を読んだことがあります。怒られるかもしれませんが同感です。
あまり、気が進みませんでしたが、動画配信サービスの宣伝画像に出てきたので、とりあえず観てみるかという気分になって観ました。3時間ぐらい。けっこう長い。途中、やはり眠くなります。人間の会話のキャッチボールとは思えないようなセリフのやりとりが続きます。喜怒哀楽の薄い、冷淡で機械的な言葉のやりとりです。劇中劇とか、劇中でセリフ覚えの練習とかのシーンが混在するのですが、人間は映画にあるようには会話をしません。何をどう感じればいいのかわかりませんでした。セリフが子守唄のようでした。
けだるい出だしで、以降もだらだらと映像が流れ続けます。感情の起伏がないセリフが続きます。
途中何度か、もう観るのをやめようかと思いましたが、うつらうつらとしながら最後まで観ました。
同じような心の傷をもつ男と女が生きる希望をつかむお話でした。終わってみれば、受賞に値する(あたいする。価値がある)作品でした。
嫌だった部分も書き記しておきます。
この映画もまた、タバコ(宣伝)映画です。そんなにタバコを吸うと肺がんになりますよ。がん治療はつらいですよ。喫煙は自殺行為です。
車の宣伝かと思うぐらい車の映像が出ます。
まあ、エロ描写ありです。前半は、下ネタばかりです。
かろうじて納得できたセリフは『細かくて伝わらない』
新しい発見として、日本語、英語、韓国語、手話と多言語でひとつの演劇が表現されています。国籍とか母国語とかは関係ない。みんな地球人だという広い範囲の心持ちをもてました。
舞台にいる演者が、それぞれの言語でしゃべって、通じているという状態で演劇が進行していきます。背景に文章文字で通訳のように表示が出ます。立体感を感じる映画でした。
韓国語がいっぱい流れる映画です。日韓関係が冷えている今観ると不思議です。
以前観光で韓国へ旅行をしたことがありますが、日本人女性たちは、老いも若きも観光旅行を楽しんでおられました。男社会はだめです。すぐ、戦争になります。女社会で、平和な国際社会にしてほしい。
あとでわかることですが、車の色は小説が黄色、映画は赤でした。
うわべだけの夫婦関係があります。
奥さんは痴女なのかと思わせるほどです。
奥さんは、精神的に満たされないものがある心の病をもつ病人なのか。
奥さんの前世は『ヤツメウナギ』だそうです。わたしには、よくわかりません。
この世界は、水の中に似ている。この部屋の沈黙は、過去と現在の区別ができなくなるそうです(なんのこっちゃいな。棺桶の中の世界じゃ)
暗い夫婦です。
車の中でのふたりの会話は、夫婦の会話とは思えません。
表面上の夫婦を演じている世界です。自分ではないだれかを演じている夫婦に見えます。
そして、奥さんは、突然、くも膜下出血で他界されました。
渡利みさき(わたり・みさき)さんは、いいドライバーです。彼女の左頬に横方向の傷跡あり。(のちに理由が判明します。ここには書きません)
たぶん瀬戸内であろう海と山の景色がきれいです。
亡くなった人のことをひきずる映画です。
過去を変えることはできません。
もう終わったことだと、気持ちを切り替えないと未来が見えてきません。
人間は、音さん(おとさん。主人公の妻)ほど、もろくはありません。現実を生きている人間はもっと強くてたくましいはずです。創作者によってつくられた音の人物像です。
自分の行動が、相方の死因につながったとするのは、自意識過剰で、考えすぎではなかろうか。
人間は、だれだって、いつかは死ぬのです。死期が早いか遅いかだけです。
不完全な人間の哀しさを表現してある映画でした。
自然災害の危機に直面して、自分を虐待する母親の命を発災現場から助けることを自分の体は拒否したという娘がいます。
浮気を繰り返している妻の命を見捨てた夫がいます。
似た者同士のふたりが、互いの傷をなめあうように言葉を交わします。
暗い世界の中で、ひとつぶの明るい光を探すのです。
(追記)
映画を観ている途中で気づきました。
2014年に、原作を読んだことがありました。
読書メモを見つけました。
しっかりと記録してありました。自分が書いたことなのに忘れていて驚きました。
加齢で記憶力が低下してきています。
たくさん記憶しすぎて、脳内にある個別の記憶の引き出しがどこにあるのかがわからなくなってきました。
女のいない男たち 村上春樹 文芸春秋
短編6本です。
「ドライブ・マイ・カー」
男優と女優の結婚。そして、女優は病死。ひとりになった男優と男優のドライバーとして雇われた北海道出身24歳美人ではない女子渡利みさき(わたり・みさき)身長165cmがっちり体型・喫煙者、無表情で感情を表に出さない、とのやりとり。自問自答のようでもあります。
家福悠介(かふく・ゆうすけ)は端役の男優49歳。マイカーのなかでセリフを覚えたいから私設ドライバーを雇う。車は、黄色のサーブ900。コンバーチブル(幌付き)。走行距離10万km。
病死した妻(生きていれば今47歳)は、3日間だけ生きた子ども(生きていれば、今、渡利みさきと同じ24歳)を亡くしてから、家福が知る複数の男優と浮気をしていた。女性の性(さが)がそうさせたと渡利は言う。制御できない本能。妻の浮気を知りつつ、フツーに暮らす仮面夫婦の苦痛。
カセットテープとか、喫煙とか、アルコールとか、ベートーヴェン弦楽四重奏、古いアメリカンロック、車サーブもそうだが、古いものへのこだわりあり。思い出の中に今だにいる男優家福。彼は生活を演じている。愛妻を失って、気持ちは死んでいる。死にながら生きている。「孤独」がある。「友人」はない。
自分が相手を友だちだと思っていても、相手は自分を友だちだとは思っていない。
読み手は、亡くなった妻子に手を合わせて、眠るしかないと思う。
この映画がまだ賞をもらう前に読んだ映画を観た人の感想には『眠い映画』とありました。
なになに賞という作品は、主催者側にとって、都合のいい作品が選ばれるものだと思っています。質は最優先の選択基準ではないのです。
村上春樹小説作品は『海辺のカフカ』が好きなくらいで、ほかに何冊か読みましたが、自分には合いません。以前中国の報道で、下品なエロ描写作品というような判断が下されている文章を読んだことがあります。怒られるかもしれませんが同感です。
あまり、気が進みませんでしたが、動画配信サービスの宣伝画像に出てきたので、とりあえず観てみるかという気分になって観ました。3時間ぐらい。けっこう長い。途中、やはり眠くなります。人間の会話のキャッチボールとは思えないようなセリフのやりとりが続きます。喜怒哀楽の薄い、冷淡で機械的な言葉のやりとりです。劇中劇とか、劇中でセリフ覚えの練習とかのシーンが混在するのですが、人間は映画にあるようには会話をしません。何をどう感じればいいのかわかりませんでした。セリフが子守唄のようでした。
けだるい出だしで、以降もだらだらと映像が流れ続けます。感情の起伏がないセリフが続きます。
途中何度か、もう観るのをやめようかと思いましたが、うつらうつらとしながら最後まで観ました。
同じような心の傷をもつ男と女が生きる希望をつかむお話でした。終わってみれば、受賞に値する(あたいする。価値がある)作品でした。
嫌だった部分も書き記しておきます。
この映画もまた、タバコ(宣伝)映画です。そんなにタバコを吸うと肺がんになりますよ。がん治療はつらいですよ。喫煙は自殺行為です。
車の宣伝かと思うぐらい車の映像が出ます。
まあ、エロ描写ありです。前半は、下ネタばかりです。
かろうじて納得できたセリフは『細かくて伝わらない』
新しい発見として、日本語、英語、韓国語、手話と多言語でひとつの演劇が表現されています。国籍とか母国語とかは関係ない。みんな地球人だという広い範囲の心持ちをもてました。
舞台にいる演者が、それぞれの言語でしゃべって、通じているという状態で演劇が進行していきます。背景に文章文字で通訳のように表示が出ます。立体感を感じる映画でした。
韓国語がいっぱい流れる映画です。日韓関係が冷えている今観ると不思議です。
以前観光で韓国へ旅行をしたことがありますが、日本人女性たちは、老いも若きも観光旅行を楽しんでおられました。男社会はだめです。すぐ、戦争になります。女社会で、平和な国際社会にしてほしい。
あとでわかることですが、車の色は小説が黄色、映画は赤でした。
うわべだけの夫婦関係があります。
奥さんは痴女なのかと思わせるほどです。
奥さんは、精神的に満たされないものがある心の病をもつ病人なのか。
奥さんの前世は『ヤツメウナギ』だそうです。わたしには、よくわかりません。
この世界は、水の中に似ている。この部屋の沈黙は、過去と現在の区別ができなくなるそうです(なんのこっちゃいな。棺桶の中の世界じゃ)
暗い夫婦です。
車の中でのふたりの会話は、夫婦の会話とは思えません。
表面上の夫婦を演じている世界です。自分ではないだれかを演じている夫婦に見えます。
そして、奥さんは、突然、くも膜下出血で他界されました。
渡利みさき(わたり・みさき)さんは、いいドライバーです。彼女の左頬に横方向の傷跡あり。(のちに理由が判明します。ここには書きません)
たぶん瀬戸内であろう海と山の景色がきれいです。
亡くなった人のことをひきずる映画です。
過去を変えることはできません。
もう終わったことだと、気持ちを切り替えないと未来が見えてきません。
人間は、音さん(おとさん。主人公の妻)ほど、もろくはありません。現実を生きている人間はもっと強くてたくましいはずです。創作者によってつくられた音の人物像です。
自分の行動が、相方の死因につながったとするのは、自意識過剰で、考えすぎではなかろうか。
人間は、だれだって、いつかは死ぬのです。死期が早いか遅いかだけです。
不完全な人間の哀しさを表現してある映画でした。
自然災害の危機に直面して、自分を虐待する母親の命を発災現場から助けることを自分の体は拒否したという娘がいます。
浮気を繰り返している妻の命を見捨てた夫がいます。
似た者同士のふたりが、互いの傷をなめあうように言葉を交わします。
暗い世界の中で、ひとつぶの明るい光を探すのです。
(追記)
映画を観ている途中で気づきました。
2014年に、原作を読んだことがありました。
読書メモを見つけました。
しっかりと記録してありました。自分が書いたことなのに忘れていて驚きました。
加齢で記憶力が低下してきています。
たくさん記憶しすぎて、脳内にある個別の記憶の引き出しがどこにあるのかがわからなくなってきました。
女のいない男たち 村上春樹 文芸春秋
短編6本です。
「ドライブ・マイ・カー」
男優と女優の結婚。そして、女優は病死。ひとりになった男優と男優のドライバーとして雇われた北海道出身24歳美人ではない女子渡利みさき(わたり・みさき)身長165cmがっちり体型・喫煙者、無表情で感情を表に出さない、とのやりとり。自問自答のようでもあります。
家福悠介(かふく・ゆうすけ)は端役の男優49歳。マイカーのなかでセリフを覚えたいから私設ドライバーを雇う。車は、黄色のサーブ900。コンバーチブル(幌付き)。走行距離10万km。
病死した妻(生きていれば今47歳)は、3日間だけ生きた子ども(生きていれば、今、渡利みさきと同じ24歳)を亡くしてから、家福が知る複数の男優と浮気をしていた。女性の性(さが)がそうさせたと渡利は言う。制御できない本能。妻の浮気を知りつつ、フツーに暮らす仮面夫婦の苦痛。
カセットテープとか、喫煙とか、アルコールとか、ベートーヴェン弦楽四重奏、古いアメリカンロック、車サーブもそうだが、古いものへのこだわりあり。思い出の中に今だにいる男優家福。彼は生活を演じている。愛妻を失って、気持ちは死んでいる。死にながら生きている。「孤独」がある。「友人」はない。
自分が相手を友だちだと思っていても、相手は自分を友だちだとは思っていない。
読み手は、亡くなった妻子に手を合わせて、眠るしかないと思う。
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