2022年02月25日
ムーンライト アメリカ映画
ムーンライト アメリカ映画 2016年(平成28年) 動画配信サービス
お笑いコンビオードリーの若林正恭さんの本を読んだことがきっかけで観た映画です。
うーむ。暗かった。自分には合いませんでした。
若林正恭さんは、キューバへ旅行した時のことを本に書いたのですが、この映画では、キューバの話は出てきますが、ちょっとだけ触れてあるだけでした。
黒人差別、同性愛者差別、貧困、売春、大麻の売人、そういうお話です。加えて、学校でのいじめもあります。
黒人が月光に照らされるとブルーに見えることがあるそうです。青黒く見える。そこから映画のタイトル『ムーンライト』がきています。
主人公はシャロン(あだながリトル(ばかにしている意味があるらしい))男子ですが、こども時代と成長してからの高校生は別の役者さんです。
母子家庭で気持ちが満たされない息子がいます。(まだ、中学1年生ぐらい)
こどもたちが、原っぱで固まって、走りながらなにかスポーツをして遊んでいるシーンを見て、何をしているのだろう? と画面を見つめていました。
何をしているのかが、わかったときには、びっくりして笑ってしまいました。なつかしい。自分らも貧困な小学生時代を送っていた頃は、新聞紙を丸めて、ガムテープでぐるぐる巻きにして、ドッチボールや、野球のボールにして遊んでいました。ボールを買うお金がありませんでした。親が買ってくれることは期待できませんでした。
映画では、男の子たちが、新聞紙でつくったボールで、ラグビーをしているように見えました。
外国人も日本人も、貧乏人の子どもの遊び方は同じだと共感しました。
こどものなかのいじめのシーンでは、主人公が抵抗しないことが不満でした。
やられっぱなしでいいのか。それでいいのか。
やられたらやりかえせ、が自分たちの親世代の教育でした。
まずは自分がこぶしをあげなければなりません。
人の助けをあてにしてもむだです。
格闘技を学んでもいい。
毎日いじめられるのは、ごめんこうむりたい。
違法薬物の売人男性が少年に親切です。
自分のようにはなるなという思いがあるのでしょう。
男性は少年に海で泳ぎを教えます。
海面上で、背泳ぎのときのように、あおむけになって、力を抜くと、とても楽で、気持ちが良くなります。顔や体にあたる太陽光線がありがたい。
男性のセリフです。『黒人はどこにでもいる。世界中にいる。自分の出身はキューバで、キューバには、黒人がいっぱいいる』『自分の未来は自分で決めろ』
観ている途中で、男性はたぶん死んでしまうのだろうなとピンときます。
話は進んでいくのですが、優しかった男性は、いつの間にか亡くなっていました。
薬物中毒の母親と息子は分離したほうがいい。
映画では、母親を見る息子の瞳は、不信感でいっぱいです。
もう何十年も昔に、知り合いのお年寄りの男性と話をしたときのことを思い出しました。
『精神病の親とは、親子の縁を切るのが、こどもためだ』と、ご老人はお話しされていました。厳しいけれど、愛情はこもっていました。
差別用語が次々と出てきます。『オカマ』『ニガ(黒人をさげすむ言葉)』ほかに『ゲイ』
主役は成長してもいじめられています。
今どきだと、いじめられている人間は、いじめる人間をナイフで刺します。
いじめるほうも覚悟がいります。ネット社会です。社会的制裁も待っています。
薬物中毒の母親は精神が崩れていきます。
ヤクと売春があります。幻聴もあります。
お金はありません。お金、お金、お金がない。
演技力不足なのか、外国語作品のためなのか、成長した少年ふたりの映像を日本人の自分が観ていても、人間のもつ悲しみがこちらに伝わってきません。
シーンは、情緒に流されています。
ストーリーがあるようで、表現したいことが見えてこない。
母子関係の絆(きずな)の描き方は弱い。
友人同士の会話は、きちんとしすぎています。
無理にいろいろ設定してあります。
感動できません。気持ちが冷めていきます。
それでも1時間3分経過したあたりの少年の深層心理を描いたあたりは良かった。<役所のいじめ相談担当女性職員の話が、少年の耳に入ってこないシーン>
BGM(バックグラウンドミュージック)で視聴者の心を不安にさせる手法はつまらない。
友人同士は、友人のふりをしていただけの友人に見えます。
会話の言葉がきちんとしすぎています。
比較してはいけないのですが、観ていて、邦画の名作『砂の器(すなのうつわ)』を思い出しました。
言葉のやりとりがなくても、父子の深くて強い愛情が、見ている者に力強く伝わってきました。
こちらの映画は、ぬるい展開です。
眠たくなるシーンもあります。
いちずな男同士の愛は、自分にとっては、ちょっと無理でした。
お笑いコンビオードリーの若林正恭さんの本を読んだことがきっかけで観た映画です。
うーむ。暗かった。自分には合いませんでした。
若林正恭さんは、キューバへ旅行した時のことを本に書いたのですが、この映画では、キューバの話は出てきますが、ちょっとだけ触れてあるだけでした。
黒人差別、同性愛者差別、貧困、売春、大麻の売人、そういうお話です。加えて、学校でのいじめもあります。
黒人が月光に照らされるとブルーに見えることがあるそうです。青黒く見える。そこから映画のタイトル『ムーンライト』がきています。
主人公はシャロン(あだながリトル(ばかにしている意味があるらしい))男子ですが、こども時代と成長してからの高校生は別の役者さんです。
母子家庭で気持ちが満たされない息子がいます。(まだ、中学1年生ぐらい)
こどもたちが、原っぱで固まって、走りながらなにかスポーツをして遊んでいるシーンを見て、何をしているのだろう? と画面を見つめていました。
何をしているのかが、わかったときには、びっくりして笑ってしまいました。なつかしい。自分らも貧困な小学生時代を送っていた頃は、新聞紙を丸めて、ガムテープでぐるぐる巻きにして、ドッチボールや、野球のボールにして遊んでいました。ボールを買うお金がありませんでした。親が買ってくれることは期待できませんでした。
映画では、男の子たちが、新聞紙でつくったボールで、ラグビーをしているように見えました。
外国人も日本人も、貧乏人の子どもの遊び方は同じだと共感しました。
こどものなかのいじめのシーンでは、主人公が抵抗しないことが不満でした。
やられっぱなしでいいのか。それでいいのか。
やられたらやりかえせ、が自分たちの親世代の教育でした。
まずは自分がこぶしをあげなければなりません。
人の助けをあてにしてもむだです。
格闘技を学んでもいい。
毎日いじめられるのは、ごめんこうむりたい。
違法薬物の売人男性が少年に親切です。
自分のようにはなるなという思いがあるのでしょう。
男性は少年に海で泳ぎを教えます。
海面上で、背泳ぎのときのように、あおむけになって、力を抜くと、とても楽で、気持ちが良くなります。顔や体にあたる太陽光線がありがたい。
男性のセリフです。『黒人はどこにでもいる。世界中にいる。自分の出身はキューバで、キューバには、黒人がいっぱいいる』『自分の未来は自分で決めろ』
観ている途中で、男性はたぶん死んでしまうのだろうなとピンときます。
話は進んでいくのですが、優しかった男性は、いつの間にか亡くなっていました。
薬物中毒の母親と息子は分離したほうがいい。
映画では、母親を見る息子の瞳は、不信感でいっぱいです。
もう何十年も昔に、知り合いのお年寄りの男性と話をしたときのことを思い出しました。
『精神病の親とは、親子の縁を切るのが、こどもためだ』と、ご老人はお話しされていました。厳しいけれど、愛情はこもっていました。
差別用語が次々と出てきます。『オカマ』『ニガ(黒人をさげすむ言葉)』ほかに『ゲイ』
主役は成長してもいじめられています。
今どきだと、いじめられている人間は、いじめる人間をナイフで刺します。
いじめるほうも覚悟がいります。ネット社会です。社会的制裁も待っています。
薬物中毒の母親は精神が崩れていきます。
ヤクと売春があります。幻聴もあります。
お金はありません。お金、お金、お金がない。
演技力不足なのか、外国語作品のためなのか、成長した少年ふたりの映像を日本人の自分が観ていても、人間のもつ悲しみがこちらに伝わってきません。
シーンは、情緒に流されています。
ストーリーがあるようで、表現したいことが見えてこない。
母子関係の絆(きずな)の描き方は弱い。
友人同士の会話は、きちんとしすぎています。
無理にいろいろ設定してあります。
感動できません。気持ちが冷めていきます。
それでも1時間3分経過したあたりの少年の深層心理を描いたあたりは良かった。<役所のいじめ相談担当女性職員の話が、少年の耳に入ってこないシーン>
BGM(バックグラウンドミュージック)で視聴者の心を不安にさせる手法はつまらない。
友人同士は、友人のふりをしていただけの友人に見えます。
会話の言葉がきちんとしすぎています。
比較してはいけないのですが、観ていて、邦画の名作『砂の器(すなのうつわ)』を思い出しました。
言葉のやりとりがなくても、父子の深くて強い愛情が、見ている者に力強く伝わってきました。
こちらの映画は、ぬるい展開です。
眠たくなるシーンもあります。
いちずな男同士の愛は、自分にとっては、ちょっと無理でした。
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