2021年11月10日

ドラエもん 第1巻から第5巻 藤子・F・不二雄

ドラエもん 第1巻から第5巻 藤子・F・不二雄 てんとう虫コミックス 小学館

 孫のうちのひとりが、ひらがなを読める年齢になりました。
 最近は、ポケモンの四コマ漫画を読んで笑っています。
 クリスマスプレゼントにしようと、この5冊を駅ビルの中にある書店で購入しました。
 まずは、自分が読んでみます。
 1974年(昭和49年)初版の本です。当時の自分は、ドラえもんを読むような年齢を過ぎていたので、この本を読むのは初めてです。テレビ漫画はちらりと見たことはありますが詳しくは知りません。
 書店の棚に同作者の作品『パーマン』(1967年昭和42年発表)があってなつかしかった。テレビマンガを熱心に見ていました。マントをつけて空中を飛んでというスーパーマンの模倣(もほう。真似まね)ですが、チンパンジーのパーマン2号が出てきてという展開で楽しみました。
 藤子・F・不二雄:二名の合体ペンネーム。藤本弘さん(1996年。62歳病死。児童・少年向け漫画志向。ギャグが好み)と安孫子元雄さん(あびこ・もとお)87歳。(青年・大人向け漫画志向。ブラックユーモアが得意)1987年(昭和62年)にコンビを円満解消。

 セワシくん:のび太の孫の孫。セワシくんからみてのび太は、おじいさんのおじいさん。
 セワシくんが、頼りないのび太のために、未来からドラえもんを派遣したというきっかけで始まりました。
 おもしろいです。
 1974年ののび太には、未来があります。
 2021年になった今、歳をとった自分にはもう未来はありません。のび太の未来は、わたしにとっては過去です。だからといって、特段、悔いはありません。先日、義父の葬儀で焼香のときに手を合わせる孫たちの後姿を見て、この世に子と孫を残せて良かったとしみじみしました。

 未来がわかるマンガです。
 ふと同作者の『オバケのQ太郎』を思い出しました。小さいころ、熱心にテレビマンガを見ていました。横山光輝作品『鉄人28号』も思い出しました。大好きでした。物忘れが多くなった最近ですが、消えていた記憶が戻って来て嬉しい。

 自分の記憶にある最初に読んだマンガは、少年が100万円を貯めるというものでした。最初は10円ぐらいから始まって、『わらしべ長者』のようにだんだんお金が増えていくのでした。
 自分が幼児の頃は、まだ、50銭という単位が通用していて(50銭硬貨は使用できなかった)、駄菓子屋に1円を持って行くと、50銭の小さな菓子が2個買えました。

 本の絵が優しい。
 戦国時代の合戦の絵には勢いがあります。
 
 『タケコプター』『とうめいマント』『スーパーてぶくろ』『アンキパン』
 昔は未来への夢がありました。
 生活が不便だった時のほうが、未来への夢がありました。
 
 のび太のパパとママの結婚を決めた日のマンガがいい。
 昭和34年11月3日に公園で決まったそうです。1959年のことです。
 そして、12回目の結婚記念日を迎えるそうです。
 すったもんだがありますが、『どっちでもいいじゃない』『いまぼくたちはしあわせなんだから、それでじゅうぶんさ』というご夫婦の会話にいやされます。縁があった男女が人生の最後まで寄り添いあうということは、なかなかむずかしいときもあるからです。

 アラジンと魔法のランプのようなシーンもあります。『発想』は世界中で『共有』したほうがいい。模倣から新しい発想が生まれます。

 のび太は小学三年生だろうか。(あとで、小学四年生10歳と判明します。昭和39年8月7日生まれだそうです)
 『アンキパン』を食べたら暗記できるけれど、うんこをしたら記憶が消えてしまうというオチに笑いました。
 
 こどもさん向けのマンガでは、妖怪、幽霊、恐竜が出てくることが定番です。
 どうしてなのかは、わかりません。
 自然との『共存』というメッセージもあります。

 ふたりは、のび太が生まれた日にタイムトラベルをします。
 あかちゃんが生まれて喜ぶ両親の姿があります。
 のび太は親の喜びようを知ります。
 のび太は、勉強をがんばろうと思います。

 しずかちゃんが可愛くて優しい。
 男性から見ると母親のような存在にも見えて、母性を慕う男性の心理があります。
 4巻では、「スケスケ望遠鏡」という道具で、ちらりとしずかちゃんの入浴シーンが出るのも少年のすけべ心を充足させてくれます。

 自分の未来を知りたいけれど、知ったら、これからのことがつまらなくなってしまいます。

 タブー(禁止)を設けない発想です。

 『定期預金を預けると十年で倍の金額になる』
 確かにそういう時代がありました。
 中学生の時に親から教わりました。
 今は、何十万円も預けても数円しか利子がつかない時代になりました。
 なつかしい。
 マンガでは、新札、旧札の話も出ます。このマンガが描かれて以降、長い間に新しい紙幣や硬貨がたくさんできました。
 
 第二次世界大戦のこと、学童疎開のことがマンガの素材として出てきます。今ではそういう傾向はなくなりました。
 半世紀たつと人間が入れ替わります。新しい人間は過去の苦しみを体験したことがないので、戦争の怖さを知りません。
 勉強よりもお金よりも、まず生きていなければなりません。

 マンガの世界の中では、ドラえもんがのび太に優しい。ふたりの友情があります。
 『のろいのカメラ』には、ブラックユーモアがあります。のび太をいじめるとドラえもんから怒られます。
 
 4巻の53ページにある海底の断面図は勉強になります。
 
 二十年前の空き地の絵があります。
 同じ地域に何十年間も住んでいると、昔の風景を記憶しているので、時代の変化がわかります。半世紀ぐらい前、原野だったところが、今は、ビルや家屋の密集地帯で、道路が縦横に伸びています。
 人間生活の発展とともに、動植物の自然は消えていきました。先日NHKで地球温暖化が危険だという特集番組を見ました。60年前の不便だった生活に戻れば自然破壊はストップすると思ったのです。

 『月ぷ(げっぷ。毎月返済のローン)』という言葉は死語になってしまいました。
 自分が幼児だった頃、家にあったテレビがなくなったので、どうしてかと父親に聞いたら「月ぷが払えなかったので、電気屋が来て、テレビをもっていかれた」と情けない答えが返ってきたことを、半世紀以上たった今も覚えています。
 
 『世界沈没』という言葉が出てきます。小松左京作品『日本沈没』は1973年(昭和48年)ですから、関連があるかもしれません。
 ノアの方舟(はこぶね)のような展開のストーリーでした。自分は長い間勘違いをしていたのですが、方舟(はこぶね)というのは、箱舟で、箱の中に生き物たちがいて、どこか目的地へ向かっていくわけではなくて、そこに浮いてただよっているだけということを、洋画を見て理解しました。

 いつもラーメンを食べている「小池さん」というキャラクターが出てきます。オバケのQ太郎に出てくる人だと思っていました。ドラえもんにも登場されています。

 『ヤカンレコーダー』では、中学生のときに電気店で母親にテープレコーダーを買ってもらったシーンが脳裏によみがえりました。とても欲しかった。英会話の勉強をするからと母親を説得した覚えがあります。当時はやっていた流行歌とかフォークソングばかりを録音して楽しんでいました。
 もう今では、古いタイプのテープレコーダーも見かけなくなりました。そういえば、ワープロも見なくなりました。あんなに毎日のように使ったフロッピーディスクも記憶から消えていました。

 のび太が幼稚園のときに亡くなったおばあちゃんのお話にはほろりときました。
 あのころはまだ長生きのお年寄りが少なかった。
 今では、ひ孫を見ることができるようになりました。

 「宿題」のことが出てきます。
 どういうわけか、のび太の宿題をドラえもんが一生懸命やります。ドラえもんが勉強ができるというわけではなく、ドラえもんも四苦八苦しながら宿題問題を解いています。ドラえもんは疲れ果てています。
 宿題を教えるという作業はとてもむずかしい。教わる方はちゃんと聞いていないし、聞いても理解できていないことのほうが多い。教えるほうは腹が立ってきます。解けないないなら解けないで、やったけれど、解けませんでしたではいけないのだろうか。

 「貧しさ」と「優しさ」が同居しています。当時は貧しい家が多かった。現代の貧困とはようすが異なりますが、みんな同程度に貧乏でした。
 クリスマスパーティのお話です。道具は『重力ペンキ』です。あばら谷(あばらや)くんの家でクリスマスパーティをすることになりましたが、家が狭くて人が入りきりません。無重力にして、壁や天井でも過ごせるようにして楽しみました。

 ドラミちゃんがかわいい。

 『ゾウとおじさん』は、戦争のお話です。
 動物園のゾウが毒殺されそうです。
 戦後全国各地から生き残っていたゾウを見るためにこどもたちを乗せた列車がやってきたという東山動物園が関係するゾウ列車のお話を思い出しました。

(その後、気づいたこと)
 タイトル表記「ドラえもん」は「ドラエもん」だと、これまで長い間勘違いしていたことに気づきました。
 ショックでした。
 上記の文章のタイトルは、自分で意識して、「ドラエ」とカタカナで打ち、「もん」をつけ足しました。
 文章中の「ドラえもん」は自動変換を利用したので間違っていません。
 ドラえもんが好きな、ドラ焼きの「どら」と、主に江戸時代の武士が使用した「(右)衛門」が合体しているのでしょう。
 間違って思い込んで、間違いに気づけずに歳をとっているということがあるのでしょう。

 加齢によって、これまで見えていたものが見えなくなってきています。
 先日は、古くなって買い替えた新しい家庭用電話機の子機にある「保留」ボタンが見つからなくておろおろしました。以前の子機は、左下端に「保留」ボタンがありました。新しい子機には、右上端に「保留」ボタンがありました。
 目の前にあるのに見えないということが多くなってきました。視力で見えるとか見えないということもあるのですが、加えて、脳の理解力、認識力が少しずつ低下しているようです。老いていくことを実感しています。

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