2021年10月29日
お天道様は見てる 尾畠春夫のことば 白石あづさ
お天道様は見てる 尾畠春夫のことば 白石あづさ・文と写真 文芸春秋
行方不明になっていた二歳男児を奇跡のように発見したスーパーボランティアの方です。
2018年のことでした。たまたまわたしは、その直後の映像をテレビで観ました。びっくりしました。
後姿でした。小柄な年配の男性が男の子を抱っこしてきびきびと前へ向かって歩いている姿でした。カメラマンかレポーターが声をかけますが、ゆっくり立ち止まってインタビューに応じる様子はまったくありません。
警察か自治体の人ではないかと思われる人が、自分たちにこどもを渡すよう促しますが、かたくなに渡しません。
最初は、へんな人なのだろうかと思いました。
違っていました。
素晴らしい人でした。
ほんとうにびっくりしました。
この本は、ご本人から聞き取りをして書いたものなのでしょう。
かなりのボリュームがあります。
文字数も多い。
自分は、実用書を読むときの自分なりの読み方で読み出しました。
まず、全体のページを一枚ずつめくって、最後まで到達します。
295ページあります。
後半にある大分県由布岳の写真はなつかしい。高校生の頃に何度かバスの車窓越しにながめました。やまなみハイウェイを走ったときでした。美しい姿をもつ大きな山です。
「坊がつる賛歌」という歌もなつかしい。高校生の頃、キャンプに九重の山へ(くじゅうのやま)へ登って、キャンプをした夜にみんなで歌いました。
さて、最初のページに戻って、ゆっくり読み始めます。
(つづく)
尾畠春夫さんは、スーパーマンです。
信念の人です。
ただ、変わり者で、ご家族には負担があったと思われます。
それでもすばらしい人です。
現在80代のご高齢の方ですが、たいへんお元気でなによりです。(書中では、78歳から81歳。初版は、2021年8月です)
「はじめに」と「序章」の部分を読みました。
自分の親世代の昔の暮らしです。衣食住が戦中・戦後のものです。
粗食ですが健康にはいい。
別府温泉という土地柄に恵まれて、無料温泉入浴場が健康維持の役割を果たしています。
自然災害発生時のパニックの時には、学歴も金も関係ないのです。停電していたらスマホも電子決済もできないのです。
コロナ禍で人間の本性が見えるといういやなこともあります。うわべだけの仲良しごっこの関係が崩壊します。人に移る病気なので、移されたかもしれない人の不満が表面に出てきます。そんなことが書いてあります。
たしか、テレビで、東京から長距離を歩いて帰郷しようとしていた時に、沿道の人たちに囲まれてご苦労されていました。たくさんの物を押し付けられて、それらをリヤカーにのせて引っ張って、痛々しい姿でした。ほんとうに彼のことを思うのなら、彼の思いがかなうように、そっとしておいてあげたかった。途中で徒歩による帰郷を断念されています。マスコミが報道しすぎました。
ドラマ『北の国から』の黒板五郎(田中邦衛さんが演じる)を思わせる暮らしぶりです。
『金玉とはなにか』という話題で、筆者との関係が始まっています。睾丸のことではありません。(こうがん)
自分も歳をとってきてわかったことですが、人生は最後までいってみないとわからないということが最近わかりました。
人生の途中ではうまくいかなくても、たいてい、努力した人には、ごほうびがあるのです。
マイペースをかたくなに守る生活です。
梅干しの種を割って中身を食べるのは、自分自身もこどものころにそうしていました。読んでいて思い出しました。
記述内容は濃厚です。
健康的な暮らしぶりは最初からではなく、暴飲暴食喫煙歴もあったようです。長生きしたかったらアルコールは控えめか飲まない、喫煙はだめです。
頭の働きを維持するために「文字を書く」という言葉が好きです。いくら大学を出ていても、長い間文字を書かないでいると、まずは漢字を書けなくなります。書けても住所と名前ぐらいです。文章はぜんぜん書けなくなります。
いまは別々に暮らす43年間連れ添った奥さんは、だんなさんとの暮らしに一区切りつけたのでしょう。人生の最後のステージまできたから、あとは奥さんが自分のしたいことをされたほうがいいです。婚姻は継続中で、「妻は旅に出ている」そうです。お孫さんをふくめての親族関係は良好なようすです。
以前、三重県松阪市にある記念館で、江戸時代1798年に「古事記」を解読した学者本居宣長(もとおりのりなが)さんの奥さんが旅好きで、家を出て旅に行ったまま帰ってこないという嘆きの文章を読んだことを思い出しました。
第一章に入って、心地よく読むリズムがわかってきました。
(つづく)
第一章は、忘れかけている昭和時代の暮らしぶりです。昭和の時代を再現する歴史書です。
子どもは無料で働かせる労働力扱いでした。農繁期になると田んぼ仕事の手伝いをさせられて中学校に出てこない男子はいました。
パンツが買えなくて、小学校で身体検査があるときに、親が近所でパンツを借りて来てくれたという職場の先輩の話を聞いたことがあります。
そんなことが、ここには書いてあります。
丁稚奉公をした話は、自分は祖父から聞いたことがあります。たいへんだったと言っていました。
最近はガソリンが高騰しているので、尾畠春夫さんもボランティアに行くときのガソリン代に困られているかも知れません。
高齢者の自動車運転が社会問題になっていますが、尾畠春夫さんの筋肉質な裸体の写真やはっきりした物言いを見ていると、例外はあると納得できます。
暮らす場所として、郷里があります。
人は、自分のルーツ(根っこ)と感じる場所で生活をします。
父親がお酒飲みだと子どもは苦労します。
昔はアル中のオヤジが多かった。
酒さえ飲まなきゃいいオヤジという男性がいました。
尾畠春夫さんは、41歳の母親を病気で亡くし、泣いた記憶もなく、半分あきらめの気持ちだったそうです。
尾畠春夫さんは、「人間」を地球にとって良くない存在ととらえています。自然破壊の原因です。
(つづく)
第二章を読み終えました。
いろいろと教えられます。
一般的には自費出版する自分史です。
今回は、ライター(文筆業の人)が書いてくれたという形式の尾畠春夫さんの伝記です。
尾畠春夫さんには、白米をおもいきり食べられなかった貧しい幼児期があります。自分も思いだしました。七歳ぐらいのころに九州で食べていたのは、麦飯でした。米と麦がまじっていました。冷めた麦飯はおいしくありませんでした。貧しさを知ったのはまだあとのことです。その後成人して、麦飯が健康食と紹介されていた時にはびっくりしました。
よき人生を歩むには、自分のことを心配してくれる人に恵まれる「運」が必要です。
蒸気機関車に乗って、九州から神戸市まで二十時間ぐらいかかった。
祖父に昔聞いた話と同じようなことが書いてあります。
まっすぐです。
給料額の要求はしない。
魚をさばく腕をみてもらって、雇い主に決めてもらう。
義務教育の学校通いを労働奉公優先でしていないので、読み書き計算ができないことをその後の努力で克服されています。
84ページにある「苦労して稼いだ金なら使っていい。楽して儲けた金ならとっておくな」のくだりは、どちらにしても使ってしまうわけで、意味をとれませんでした。
魚屋の屋号は「魚春」尾畠春夫さんのお名前からとってあるそうです。いい屋号です。
「何でもすぐ教えるのがいいことじゃない。(自分自身の研究が大事)」
「どうするんですか?」とたずねてくる若い人が増えました。指示待ち族です。うまくいかないと指示した人のせいにします。
魚屋を閉めて、65歳から新しい人生にチャレンジされています。
読んでいると、いろいろと励まされます。
「こどもが悪かったら、原因は両親と祖父母にある」
家族は小さな社会です。
「こどもとタンポポを見る時間こそ必要」とあります。
「99回ほめて、1回叱る」
「(こどもから)目を離すな」には共感します。
人が困っているときに、金もうけのチャンスだと思うのは、その時だけの運で終わるという趣旨の言葉があります。共感します。
「尾畠春夫はこの世の中に一人しかいないから、自分のことは自分で決める」力強いお言葉です。
いろいろ教えられるありがたい本です。
「日本人は洗脳されやすい(だから戦争になると右向け右になる)」とあります。
(つづく)
2004年(平成16年)65歳から災害ボランティアを始められています。
10月23日に発生した新潟県中越地震のときに、原付バイクで大分県から新潟県まで駆けつけています。すごい。以前、名古屋から東京まで原付バイクで数日かけて行かれた女性の記事を読んだことがありますが、尾畠春夫さんはそれをはるかに超越されています。
その後の活動行動を読んでいて、「ちょっと、真似できない」という気持ちになりました。偉人の功績です。
自動車について考えました。電車での移動と比較して、自由度が高い。戸口から戸口まで、道路があれば、時間がかかってもたどりつけます。宿泊も車中泊ができます。ホテル代がいりません。
そして、尾畠春夫さんはさらに徒歩で日本各地へ行かれています。とても真似できません。
勤労年齢のときはひたすら働いて、リタイア後に自分の好きなことをやる人生の送り方です。魚のおかげで(個人商店の魚屋だったから)生活できた。魚の命に感謝する。
『(苦労が)報われた(むくわれた)』と感じることがリタイア後にあります。努力してきて良かった。忍耐が報われたと思うことがあります。
「浅田家」という日本映画がありました。東日本大震災で被災された方たちの津波で流された思い出の写真をボランティアが洗浄してご本人や親族に渡すというものでした。尾畠春夫さんの類似体験が「思い出探し隊」という活動として紹介されています。
ただ、もう過去には戻れません。過去には戻れないということを自覚して、現在(いま)を生きる。
『蒔かない(まかない)種は目が出ない』という言葉が紹介されています。
最初から大きな種を植えなくてもいい。最初は小さな種でいい。
女性を呼ぶときは「姉さん」と呼ぶ。男尊女卑を嫌う尾畠春夫さんです。
川で洗濯の記事が出ます。
そういえば、わたしが5歳ぐらいの頃、母親は近所の奥さんたちと連れだって川へ行き、川で洗濯石鹸と洗濯板を使って、洗濯をしていました。わたしは、そばにいて、「桃太郎」とか「一寸法師」の話は、本当のことだろうと思っていました。
尾畠春夫さんは、いろいろ勉強されています。学校に行かなくても勉強はできます。
日本人は古い考えに洗脳されていることがわかります。「土俵に女性があがっていけない」
自分は、長年のすもうファンでしたが、ここ最近の相撲界における力士を始めとした関係者の素行(そこう)にまつわる不祥事や取り組み内容のひどさもあって、今年、すもうファンをやめました。
尾畠春夫さんを一躍有名にした2018年真夏の二歳行方不明男児発見時のことが書いてあります。
たまたま発見直後の映像をテレビで観ました。
ご親族にきちんと挨拶をしてからこどもさんを探し始めた。こどもさんを見つけた時は、自分の手で親ごさんにこどもを手渡しすると強調されていました。
劇的です。ドラマチックです。
文章をよく読んでみると、発見は、奇跡ではなく、必然(見つかるべくして見つかった)であったことがわかります。
準備万端で、探し始めておられます。午前三時半から動かれています。すごい観察力です。尾畠春夫さんは、山にすむ野生動物のようです。あわせて、自然をあがめる(尊いものとして尊敬して、大事にする。太陽に感謝する)人です。最後半部に「太陽=お母さん」という種明かしがあります。
発見直後の映像で自分が覚えているのは、こどもさんが、「おいちゃん、おいちゃん、オレ、ここ、オレ、ここ(にいる)」と繰り返し言っていたというものでした。「オレ」が乱暴に受け取られるのをさけたのか、テレビではその後、「オレ」が「ぼく」に加工されて伝えられたと受け取りました。自分の息子や孫たちのちいさいころをふりかえってみると、二歳児が自分のことを「ぼく」というのは不自然です。「オレ」もしくは、母親の話し言葉の影響で「あたし」と言っていたような記憶です。二歳児は、母音(ぼいん。あいうえお)の「オ」とか「ア」で話す年齢です。
発見後の関係職員たちの言動はがっかりするものばかりです。
権力行政をつかさどることで感覚がマヒしているのか、「(こどもをわたしなさい)そういう決まりだから」と圧力をかけてきます。よくあることです。どこに書いてあるのかと聞くと、答えることができない公務員ばかりです。
尾畠春夫さんを誘拐犯ではないかと疑った気配(けはい)があります。
警察職員も自治体職員も、事件、事故の観点から探す。死傷しているかもしれないから、水の近くや、がけ下を探す。
おおぜいでやっているのになかなか見つからないと、もしかしたら、探しているふりをしているだけじゃないだろうかと、不信感をもつこともあります。
有名になった人を利用して、自分たちの利益につなげようとする組織や人が多い。
嘆かわしいことです。(なげかわしい。情けない。残念)
公共機関は、本人が、賞状はいらないというのに押し付けてきます。
優しい。限りなく優しい。
賞状に興味はない。
親身(しんみ。真心の通った)な関係になっても、相手の顔は覚えているけれど、名前は忘れてしまうそうです。
後半で出てくるたしか、昔自分たちで九州の天井(てんじょう)と呼んでいた祖母山(そぼさん)傾山(かたむきやま)には、自分も高校生のときに登ったことがあるのでなつかしい。
本では、尾畠春夫さんの語録が続きます。
ダイハツの軽ワゴン車のくだり(話)がおもしろくて笑いました。
世の中には、人に向かって、ひどい言動をする人がいっぱいいます。
そういう人には、バチが当たります。そういう人は、未来に渡って運に恵まれません。
ようやく読み終えました。
力いっぱい書きすぎているような気がします。
文字数が多すぎて、読み疲れました。
もっと省略されても、書き手が読者に伝えたい人間愛のメッセージは伝わってきます。
行方不明になっていた二歳男児を奇跡のように発見したスーパーボランティアの方です。
2018年のことでした。たまたまわたしは、その直後の映像をテレビで観ました。びっくりしました。
後姿でした。小柄な年配の男性が男の子を抱っこしてきびきびと前へ向かって歩いている姿でした。カメラマンかレポーターが声をかけますが、ゆっくり立ち止まってインタビューに応じる様子はまったくありません。
警察か自治体の人ではないかと思われる人が、自分たちにこどもを渡すよう促しますが、かたくなに渡しません。
最初は、へんな人なのだろうかと思いました。
違っていました。
素晴らしい人でした。
ほんとうにびっくりしました。
この本は、ご本人から聞き取りをして書いたものなのでしょう。
かなりのボリュームがあります。
文字数も多い。
自分は、実用書を読むときの自分なりの読み方で読み出しました。
まず、全体のページを一枚ずつめくって、最後まで到達します。
295ページあります。
後半にある大分県由布岳の写真はなつかしい。高校生の頃に何度かバスの車窓越しにながめました。やまなみハイウェイを走ったときでした。美しい姿をもつ大きな山です。
「坊がつる賛歌」という歌もなつかしい。高校生の頃、キャンプに九重の山へ(くじゅうのやま)へ登って、キャンプをした夜にみんなで歌いました。
さて、最初のページに戻って、ゆっくり読み始めます。
(つづく)
尾畠春夫さんは、スーパーマンです。
信念の人です。
ただ、変わり者で、ご家族には負担があったと思われます。
それでもすばらしい人です。
現在80代のご高齢の方ですが、たいへんお元気でなによりです。(書中では、78歳から81歳。初版は、2021年8月です)
「はじめに」と「序章」の部分を読みました。
自分の親世代の昔の暮らしです。衣食住が戦中・戦後のものです。
粗食ですが健康にはいい。
別府温泉という土地柄に恵まれて、無料温泉入浴場が健康維持の役割を果たしています。
自然災害発生時のパニックの時には、学歴も金も関係ないのです。停電していたらスマホも電子決済もできないのです。
コロナ禍で人間の本性が見えるといういやなこともあります。うわべだけの仲良しごっこの関係が崩壊します。人に移る病気なので、移されたかもしれない人の不満が表面に出てきます。そんなことが書いてあります。
たしか、テレビで、東京から長距離を歩いて帰郷しようとしていた時に、沿道の人たちに囲まれてご苦労されていました。たくさんの物を押し付けられて、それらをリヤカーにのせて引っ張って、痛々しい姿でした。ほんとうに彼のことを思うのなら、彼の思いがかなうように、そっとしておいてあげたかった。途中で徒歩による帰郷を断念されています。マスコミが報道しすぎました。
ドラマ『北の国から』の黒板五郎(田中邦衛さんが演じる)を思わせる暮らしぶりです。
『金玉とはなにか』という話題で、筆者との関係が始まっています。睾丸のことではありません。(こうがん)
自分も歳をとってきてわかったことですが、人生は最後までいってみないとわからないということが最近わかりました。
人生の途中ではうまくいかなくても、たいてい、努力した人には、ごほうびがあるのです。
マイペースをかたくなに守る生活です。
梅干しの種を割って中身を食べるのは、自分自身もこどものころにそうしていました。読んでいて思い出しました。
記述内容は濃厚です。
健康的な暮らしぶりは最初からではなく、暴飲暴食喫煙歴もあったようです。長生きしたかったらアルコールは控えめか飲まない、喫煙はだめです。
頭の働きを維持するために「文字を書く」という言葉が好きです。いくら大学を出ていても、長い間文字を書かないでいると、まずは漢字を書けなくなります。書けても住所と名前ぐらいです。文章はぜんぜん書けなくなります。
いまは別々に暮らす43年間連れ添った奥さんは、だんなさんとの暮らしに一区切りつけたのでしょう。人生の最後のステージまできたから、あとは奥さんが自分のしたいことをされたほうがいいです。婚姻は継続中で、「妻は旅に出ている」そうです。お孫さんをふくめての親族関係は良好なようすです。
以前、三重県松阪市にある記念館で、江戸時代1798年に「古事記」を解読した学者本居宣長(もとおりのりなが)さんの奥さんが旅好きで、家を出て旅に行ったまま帰ってこないという嘆きの文章を読んだことを思い出しました。
第一章に入って、心地よく読むリズムがわかってきました。
(つづく)
第一章は、忘れかけている昭和時代の暮らしぶりです。昭和の時代を再現する歴史書です。
子どもは無料で働かせる労働力扱いでした。農繁期になると田んぼ仕事の手伝いをさせられて中学校に出てこない男子はいました。
パンツが買えなくて、小学校で身体検査があるときに、親が近所でパンツを借りて来てくれたという職場の先輩の話を聞いたことがあります。
そんなことが、ここには書いてあります。
丁稚奉公をした話は、自分は祖父から聞いたことがあります。たいへんだったと言っていました。
最近はガソリンが高騰しているので、尾畠春夫さんもボランティアに行くときのガソリン代に困られているかも知れません。
高齢者の自動車運転が社会問題になっていますが、尾畠春夫さんの筋肉質な裸体の写真やはっきりした物言いを見ていると、例外はあると納得できます。
暮らす場所として、郷里があります。
人は、自分のルーツ(根っこ)と感じる場所で生活をします。
父親がお酒飲みだと子どもは苦労します。
昔はアル中のオヤジが多かった。
酒さえ飲まなきゃいいオヤジという男性がいました。
尾畠春夫さんは、41歳の母親を病気で亡くし、泣いた記憶もなく、半分あきらめの気持ちだったそうです。
尾畠春夫さんは、「人間」を地球にとって良くない存在ととらえています。自然破壊の原因です。
(つづく)
第二章を読み終えました。
いろいろと教えられます。
一般的には自費出版する自分史です。
今回は、ライター(文筆業の人)が書いてくれたという形式の尾畠春夫さんの伝記です。
尾畠春夫さんには、白米をおもいきり食べられなかった貧しい幼児期があります。自分も思いだしました。七歳ぐらいのころに九州で食べていたのは、麦飯でした。米と麦がまじっていました。冷めた麦飯はおいしくありませんでした。貧しさを知ったのはまだあとのことです。その後成人して、麦飯が健康食と紹介されていた時にはびっくりしました。
よき人生を歩むには、自分のことを心配してくれる人に恵まれる「運」が必要です。
蒸気機関車に乗って、九州から神戸市まで二十時間ぐらいかかった。
祖父に昔聞いた話と同じようなことが書いてあります。
まっすぐです。
給料額の要求はしない。
魚をさばく腕をみてもらって、雇い主に決めてもらう。
義務教育の学校通いを労働奉公優先でしていないので、読み書き計算ができないことをその後の努力で克服されています。
84ページにある「苦労して稼いだ金なら使っていい。楽して儲けた金ならとっておくな」のくだりは、どちらにしても使ってしまうわけで、意味をとれませんでした。
魚屋の屋号は「魚春」尾畠春夫さんのお名前からとってあるそうです。いい屋号です。
「何でもすぐ教えるのがいいことじゃない。(自分自身の研究が大事)」
「どうするんですか?」とたずねてくる若い人が増えました。指示待ち族です。うまくいかないと指示した人のせいにします。
魚屋を閉めて、65歳から新しい人生にチャレンジされています。
読んでいると、いろいろと励まされます。
「こどもが悪かったら、原因は両親と祖父母にある」
家族は小さな社会です。
「こどもとタンポポを見る時間こそ必要」とあります。
「99回ほめて、1回叱る」
「(こどもから)目を離すな」には共感します。
人が困っているときに、金もうけのチャンスだと思うのは、その時だけの運で終わるという趣旨の言葉があります。共感します。
「尾畠春夫はこの世の中に一人しかいないから、自分のことは自分で決める」力強いお言葉です。
いろいろ教えられるありがたい本です。
「日本人は洗脳されやすい(だから戦争になると右向け右になる)」とあります。
(つづく)
2004年(平成16年)65歳から災害ボランティアを始められています。
10月23日に発生した新潟県中越地震のときに、原付バイクで大分県から新潟県まで駆けつけています。すごい。以前、名古屋から東京まで原付バイクで数日かけて行かれた女性の記事を読んだことがありますが、尾畠春夫さんはそれをはるかに超越されています。
その後の活動行動を読んでいて、「ちょっと、真似できない」という気持ちになりました。偉人の功績です。
自動車について考えました。電車での移動と比較して、自由度が高い。戸口から戸口まで、道路があれば、時間がかかってもたどりつけます。宿泊も車中泊ができます。ホテル代がいりません。
そして、尾畠春夫さんはさらに徒歩で日本各地へ行かれています。とても真似できません。
勤労年齢のときはひたすら働いて、リタイア後に自分の好きなことをやる人生の送り方です。魚のおかげで(個人商店の魚屋だったから)生活できた。魚の命に感謝する。
『(苦労が)報われた(むくわれた)』と感じることがリタイア後にあります。努力してきて良かった。忍耐が報われたと思うことがあります。
「浅田家」という日本映画がありました。東日本大震災で被災された方たちの津波で流された思い出の写真をボランティアが洗浄してご本人や親族に渡すというものでした。尾畠春夫さんの類似体験が「思い出探し隊」という活動として紹介されています。
ただ、もう過去には戻れません。過去には戻れないということを自覚して、現在(いま)を生きる。
『蒔かない(まかない)種は目が出ない』という言葉が紹介されています。
最初から大きな種を植えなくてもいい。最初は小さな種でいい。
女性を呼ぶときは「姉さん」と呼ぶ。男尊女卑を嫌う尾畠春夫さんです。
川で洗濯の記事が出ます。
そういえば、わたしが5歳ぐらいの頃、母親は近所の奥さんたちと連れだって川へ行き、川で洗濯石鹸と洗濯板を使って、洗濯をしていました。わたしは、そばにいて、「桃太郎」とか「一寸法師」の話は、本当のことだろうと思っていました。
尾畠春夫さんは、いろいろ勉強されています。学校に行かなくても勉強はできます。
日本人は古い考えに洗脳されていることがわかります。「土俵に女性があがっていけない」
自分は、長年のすもうファンでしたが、ここ最近の相撲界における力士を始めとした関係者の素行(そこう)にまつわる不祥事や取り組み内容のひどさもあって、今年、すもうファンをやめました。
尾畠春夫さんを一躍有名にした2018年真夏の二歳行方不明男児発見時のことが書いてあります。
たまたま発見直後の映像をテレビで観ました。
ご親族にきちんと挨拶をしてからこどもさんを探し始めた。こどもさんを見つけた時は、自分の手で親ごさんにこどもを手渡しすると強調されていました。
劇的です。ドラマチックです。
文章をよく読んでみると、発見は、奇跡ではなく、必然(見つかるべくして見つかった)であったことがわかります。
準備万端で、探し始めておられます。午前三時半から動かれています。すごい観察力です。尾畠春夫さんは、山にすむ野生動物のようです。あわせて、自然をあがめる(尊いものとして尊敬して、大事にする。太陽に感謝する)人です。最後半部に「太陽=お母さん」という種明かしがあります。
発見直後の映像で自分が覚えているのは、こどもさんが、「おいちゃん、おいちゃん、オレ、ここ、オレ、ここ(にいる)」と繰り返し言っていたというものでした。「オレ」が乱暴に受け取られるのをさけたのか、テレビではその後、「オレ」が「ぼく」に加工されて伝えられたと受け取りました。自分の息子や孫たちのちいさいころをふりかえってみると、二歳児が自分のことを「ぼく」というのは不自然です。「オレ」もしくは、母親の話し言葉の影響で「あたし」と言っていたような記憶です。二歳児は、母音(ぼいん。あいうえお)の「オ」とか「ア」で話す年齢です。
発見後の関係職員たちの言動はがっかりするものばかりです。
権力行政をつかさどることで感覚がマヒしているのか、「(こどもをわたしなさい)そういう決まりだから」と圧力をかけてきます。よくあることです。どこに書いてあるのかと聞くと、答えることができない公務員ばかりです。
尾畠春夫さんを誘拐犯ではないかと疑った気配(けはい)があります。
警察職員も自治体職員も、事件、事故の観点から探す。死傷しているかもしれないから、水の近くや、がけ下を探す。
おおぜいでやっているのになかなか見つからないと、もしかしたら、探しているふりをしているだけじゃないだろうかと、不信感をもつこともあります。
有名になった人を利用して、自分たちの利益につなげようとする組織や人が多い。
嘆かわしいことです。(なげかわしい。情けない。残念)
公共機関は、本人が、賞状はいらないというのに押し付けてきます。
優しい。限りなく優しい。
賞状に興味はない。
親身(しんみ。真心の通った)な関係になっても、相手の顔は覚えているけれど、名前は忘れてしまうそうです。
後半で出てくるたしか、昔自分たちで九州の天井(てんじょう)と呼んでいた祖母山(そぼさん)傾山(かたむきやま)には、自分も高校生のときに登ったことがあるのでなつかしい。
本では、尾畠春夫さんの語録が続きます。
ダイハツの軽ワゴン車のくだり(話)がおもしろくて笑いました。
世の中には、人に向かって、ひどい言動をする人がいっぱいいます。
そういう人には、バチが当たります。そういう人は、未来に渡って運に恵まれません。
ようやく読み終えました。
力いっぱい書きすぎているような気がします。
文字数が多すぎて、読み疲れました。
もっと省略されても、書き手が読者に伝えたい人間愛のメッセージは伝わってきます。
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