2021年07月02日
出川哲朗充電バイクの旅 能登半島縦断 2017年の再編集
出川哲朗の充電バイクの旅 能登半島縦断 禄剛崎(ろっこうさき。能登半島の最先端)-輪島-和倉温泉-千里浜なぎさドライブウェイ(ちりはまなぎさドライブウェイ) 2017年7月放送分の再編集
ゲストはダチョウ俱楽部の上島竜兵さんです。もう4年前のロケになります。
東野幸治&岡村隆史さんたちの番組で「旅猿」がありますが、番組初期のころのインド旅行に出川哲朗さんも出ていてかなりヤバい旅をしていたころを思い出しました。とてもおもしろくて楽しかった。もう13年ぐらい前のことですが、あのころの旅猿精神がこの番組に受け継がれています。
旅先で出会う現地でのバス旅行団体さんは、年配の女性が多い。みなさんお元気です。
港には海鳥が飛んでいます。風情があります。
太川陽介さんと村井美樹さんも路線バスと鉄道の競争で能登半島の同じような場所を訪れていました。ロケもしやすいし景色も絵になるのでしょう。
出川哲朗さんは、声がでかすぎる。力をぬいても聞こえます。
地元の人たちの暮らしぶりをみていると、まじめであることは大事だと再確認できました。
塩づくりが有名なことは知りませんでした。塩カフェ、塩田村、パンケーキ。元気なこどもたちのようすがおもしろかった。
白米千枚田(しろよねせんまいだ)も良かった。もともとは、観光用ではないと思うのです。狭い海岸近くの土地で、少しでも米をつくるスペースを確保したかったという農家の切実な思いが伝わってきます。
ぽつんと一軒家みたいなお宅が多い。
ソフトバレーボールは、日頃からやっている人はうまい。思い出づくりの交流です。
泊まって出前をとったお宿とお料理もよかった。エビのてんぷらがおいしそうでした。
宿のおかみさんがサインをもらって「このヤバいよヤバいよ(と書いてあるのは)とは何ですか?」 と真顔で出川哲朗さんに質問したのが笑えました。たぶん、おかみさんは、この宿が良くない。ヤバい旅館だと指摘されたのではないかと誤解されて、心配されたのではないかと思うのですが、出川哲朗さんのギャグだとわからなかったのです。ただ、そういう人って案外多いです。テレビを見ることがあまりない生活を送っている人もたくさんいます。
出川哲朗さんは、ときおりいいことを言われます。今回は『上を向いていればイイことあるよ』何か心配事があって悩んでおられた様子の女性が精神的に助けられました。以前聴いて今も耳に残っている出川哲朗さんの言葉は『初めてのことをやろうとすると、必ず反対する人が出てくるけれど、めげないでがんばってやりましょう』でした。
海の幸が豊富です。大きな牡蠣(かき)、カワハギ、イカの口(くち)
農家レストランでは、しいたけ。
上島竜兵さんは、帽子を回してくるりんぱ。
お店の名称『コートダジュール(南フランス地中海沿岸)』は『コーストテーブル』でした。
よさこいまつりは、旗振りの女子がすごい。小さい女の子もすごい。
ネコに首輪をつけての散歩も笑いました。
千里浜なぎさドライブウェイ(ちりはまなぎさドライブウェイ)に寄せる青い波のドローン映像が美しかった。
羽咋市(はくいし)のロケット博物館みたいなところも良かった。(宇宙科学博物館コスモアイル羽咋)
(その後)
いまさらなのですが、わたしは、人類が月に立ったのは、1969年7月のアポロ11号のときだけだと思い込んでいました。この番組を観て調べたら、その後、アポロ12号、14号、15号、16号、17号と立て続けに1972年(昭和47年)までにけっこうたくさんの人数(宇宙飛行士12人)が月に立ったことがわかりました。最初は珍しくてもだんだんふつうになってくると興味が薄れるものです。
ゲストはダチョウ俱楽部の上島竜兵さんです。もう4年前のロケになります。
東野幸治&岡村隆史さんたちの番組で「旅猿」がありますが、番組初期のころのインド旅行に出川哲朗さんも出ていてかなりヤバい旅をしていたころを思い出しました。とてもおもしろくて楽しかった。もう13年ぐらい前のことですが、あのころの旅猿精神がこの番組に受け継がれています。
旅先で出会う現地でのバス旅行団体さんは、年配の女性が多い。みなさんお元気です。
港には海鳥が飛んでいます。風情があります。
太川陽介さんと村井美樹さんも路線バスと鉄道の競争で能登半島の同じような場所を訪れていました。ロケもしやすいし景色も絵になるのでしょう。
出川哲朗さんは、声がでかすぎる。力をぬいても聞こえます。
地元の人たちの暮らしぶりをみていると、まじめであることは大事だと再確認できました。
塩づくりが有名なことは知りませんでした。塩カフェ、塩田村、パンケーキ。元気なこどもたちのようすがおもしろかった。
白米千枚田(しろよねせんまいだ)も良かった。もともとは、観光用ではないと思うのです。狭い海岸近くの土地で、少しでも米をつくるスペースを確保したかったという農家の切実な思いが伝わってきます。
ぽつんと一軒家みたいなお宅が多い。
ソフトバレーボールは、日頃からやっている人はうまい。思い出づくりの交流です。
泊まって出前をとったお宿とお料理もよかった。エビのてんぷらがおいしそうでした。
宿のおかみさんがサインをもらって「このヤバいよヤバいよ(と書いてあるのは)とは何ですか?」 と真顔で出川哲朗さんに質問したのが笑えました。たぶん、おかみさんは、この宿が良くない。ヤバい旅館だと指摘されたのではないかと誤解されて、心配されたのではないかと思うのですが、出川哲朗さんのギャグだとわからなかったのです。ただ、そういう人って案外多いです。テレビを見ることがあまりない生活を送っている人もたくさんいます。
出川哲朗さんは、ときおりいいことを言われます。今回は『上を向いていればイイことあるよ』何か心配事があって悩んでおられた様子の女性が精神的に助けられました。以前聴いて今も耳に残っている出川哲朗さんの言葉は『初めてのことをやろうとすると、必ず反対する人が出てくるけれど、めげないでがんばってやりましょう』でした。
海の幸が豊富です。大きな牡蠣(かき)、カワハギ、イカの口(くち)
農家レストランでは、しいたけ。
上島竜兵さんは、帽子を回してくるりんぱ。
お店の名称『コートダジュール(南フランス地中海沿岸)』は『コーストテーブル』でした。
よさこいまつりは、旗振りの女子がすごい。小さい女の子もすごい。
ネコに首輪をつけての散歩も笑いました。
千里浜なぎさドライブウェイ(ちりはまなぎさドライブウェイ)に寄せる青い波のドローン映像が美しかった。
羽咋市(はくいし)のロケット博物館みたいなところも良かった。(宇宙科学博物館コスモアイル羽咋)
(その後)
いまさらなのですが、わたしは、人類が月に立ったのは、1969年7月のアポロ11号のときだけだと思い込んでいました。この番組を観て調べたら、その後、アポロ12号、14号、15号、16号、17号と立て続けに1972年(昭和47年)までにけっこうたくさんの人数(宇宙飛行士12人)が月に立ったことがわかりました。最初は珍しくてもだんだんふつうになってくると興味が薄れるものです。
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