2021年05月15日

みずをくむプリンセス

みずをくむプリンセス スーザン・ヴァーデ・文 ピーター・H・レイノルズ・絵 さくまゆみこ・訳 さ・え・ら書房

 アフリカで水道設備がないので、水がある場所まで水をくみにいく不便さを教えてくれる絵本です。
 ジョージ・バディエルさんという女性の体験がもとになってできたお話だそうです。
 ジョージ・バディエルさんは、現在は世界で活躍するファッションモデルですが、こどものころは、西アフリカのブルキナファソという国で、水くみの体験をしたことがあるそうです。
 ジョージ・バディエルさんは、水くみの作業がたいへんだったので、いまは、「井戸」をつくる運動をしているそうです。
 この絵本では、主人公がプリンセス・ジージーという女の子です。主人公のもとになっているのがジョージ・バディエルさんなのでしょう。
 
 この絵本を読んだ日本のこどもたちは、遠いアフリカにある国は水道がない不便なところだと思うでしょう。しかし、六十年ぐらい前の日本の地方でも水道設備がなかったところはたくさんありました。
 日本は、急速に都市化が発展したので、あとから生まれた世代はそのことに気づけません。1960年代後半でも水道設備が完ぺきに施されていたという記憶がありません。
 自分がこどものころには、この絵本と同じく、山へ湧き水をくみに行って、自宅のコンクリートのかめにためていた体験があります。また、井戸もありました。農家の庭には大きくて深い井戸がありました。また、集落では、手押し式のポンプで水をくみ上げる井戸がありました。水道ができても集落に1本で屋外にあり、住民みんなで使用していました。だから、水道の蛇口がある近くには人が集まりました。今となっては、忘れかけている昔の日本がありました。

 この物語では、主人公のことを「プリンセス」と書いてあるので、王女さまだと思っていましたが、読んでみると、王国の王女さまのことではありませんでした。主人公の女の子のお名前は「ジージー」です。なんとなく日本語だとおじさんを思い浮かべてしまいます。
 「プリンセス」というのは、ジージーの優しいママがジージーを呼ぶときにつけるニックネームのようなものです。「プリンセス・ジージー、おきる じかんよ。みずを くみに いきましょう」と朝になるとママがジージーに声をかけてくれます。
 アフリカの女性だから、ヘアスタイルが独特です。髪の毛がぐるぐる巻きで、頭皮が見えている部分もあります。お国柄です。国が違えばファッションも異なります。
 風景はなにもない砂漠のようなところに見えますが、砂漠のような砂地ではなく、アスファルトやコンクリートほそうされていない土がむきだしのところなのでしょう。高い建物がないし、夜のネオンサインもないので、夜空を見上げれば満点の星が広がっています。不便だからといって、悪い事ばかりではありません。日本の都会の繁華街では見ることができない夜空です。

 『水』は大切です。人間が生きていくために必要なものは、『水』と『空気』と、そして『コミュニケーション(人とのつながり)』です。

 お話を読んでいて、水をくみにいくのはたいへんなので、水を家までひけばいいのにと思ってしまいます。深く考えると、現地の人はこの作業を楽しみにしている部分もあるようにうけとれるのです。みんなとわいわいやれる楽しみみたいなものがあるのではないだろうか。『時間』はあって、もしこの作業がなくなったら、することがなくなって、時間をもてあましてしまうのではないだろうか。
 今年は、俳優の田中邦衛さんが亡くなられましたが、田中邦衛さんが出ていた『北の国から』というドラマでは、お父さんと小学生の兄と妹の三人が、北海道で、水も電気もガスもないところで生活を始めます。しばらくたって、集落のみんなが手伝ってくれて、自宅までといを使って水をひきます。そんなシーンを思い出しました。昔の日本の地方ではそういうことが多かった。今もそうしてつくった自家製の水道を使って暮らしている人はいると思います。

 ティアラ:頭にのせるかんむり。調べてわかりました。ジージーは、かんむりの代わりに水が入ったつぼを自分の頭にのせて運ぶから『プリンセス・ジージー』なのです。

 絵は、暑そうです。アフリカだから熱い国のイメージがあります。
 
 カリテ:絵本にはカリテという大きな樹木が描いてあります。木の上のほうは葉っぱがたくさん茂っています。

 一回水をくみにいって帰ってくるのにどのくらいの時間がかかるのかは書いてありませんが、かなり長い時間がかかりそうです。
 水を頭の上にのせて働いているのは女の人ばかりです。男子はどこに行ったのだろう。狩りだろうか。されど、今の時代に狩りはしないような気がします。農業とか、昔の日本だと、地方から都会への出稼ぎがありました。
 そして、なんとなく男尊女卑の気配があります。

 どろのまじった茶色い川の水は、そのままでは、飲食用にもお洗濯にも使えないと思います。どろをとりのぞくろ過が必要ですし、水の中に微生物のばい菌や虫の卵がいると内臓に悪いので、熱をとおして殺菌しなければなりません。

 やっぱり、おとうさんは、畑から帰ってきました。

 今はコンビニやスーパーでペットボトル入りの水が売られています。
 昔は『水』を買うなんて考えられませんでした。
 アフリカの人から見たら、日本人の暮らしは、この世の天国にいるように見えるのかもしれません。あるいはぜいたくすぎると思うのかもしれません。

 本のあとがきを読みました。
 物語の舞台にあるアフリカの土地では、上下水道設備をつくるのではなく、井戸をつくるという解決策に取り組んでおられます。
 ジョージ・バディエルさんが押している手押しポンプの大きさは、アフリカ製のほうが大きいですけど、昔見た日本の手押しポンプと同じ仕組みに見えます。
 たぶんアフリカだけじゃなくって、世界の各地で、まだ水がきちんと供給されていないところもたくさんあるのでしょう。これから徐々に人々の暮らしが良くなっていくことを願っています。

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