2020年10月13日

父の詫び状 向田邦子

父の詫び状(ちちのわびじょう) 向田邦子 文春文庫

向田邦子さん:1929年(昭和4年)-1981年(昭和56年) 51歳没 8月22日、台湾で取材旅行中に航空機墜落事故で亡くなる。脚本家、随筆家、小説家 直木賞受賞 テレビドラマ脚本として、「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」「阿修羅のごとく」

 24本のエッセイ(随筆。思うままに書いた短い文章)とあとがきです。1本が10ページぐらいです。
 本人によるあとがきの日付は、昭和53年10月です。

「父の詫び状」
 日常生活のあれこれを記述したあと、亡くなった父親のがんこな一面について触れてあります。非があっても謝らない。頭を下げない昔の男のようすです。
 作者がこどもころのことであり、戦争の話も出ますので、もうずいぶん昔のことです。昭和4年生まれの父親ですから明治時代から大正時代はじめに生まれたぐらいの男性なのでしょう。当時、父親は三十歳ぐらいだったとあります。著者は小学生です。
 父親が酔っぱらって帰ってきました。革靴が片足しかありません。さらに、他人の靴は他人の靴です。自分が間違えてはいてきてしまったのです。なくなった革靴の片方を著者が探しに行って見つけてきます。父親はいばっています。
 さらに時が流れて、ある朝、父親が単身赴任をしている仙台の家を訪問したのですが、母親と娘は昨夜、父親の会社に勤める酔客が家に残していったゲロ掃除をするはめになります。なりゆきで困った状況になったのです。寒いなか掃除をしているのに、父親からは、母と娘にお詫びの言葉も、ねぎらいの言葉もありません。無言です。
 母と娘は腹をたてます。東京へ戻ってくると父親からいかめしい巻紙の用紙で手紙が届いているのです。「この度は格別の御働き」という一行があって、そこだけ朱筆で傍線が引かれてあったのです。なんだか、家族用であって家族でないよそよそしさがあります。仕事いちずの男の不器用さがあります。
 生活している時代背景が違うので、こういう時代が過去にあったという思いで読みました。そんな父親の行為が、いいとか悪いとかはとくにありません。

 調べた言葉などとして、
御真影(ごしんえい):天皇の肖像写真、肖像画

「身体髪膚(しんたいはっぷ。人間の体全体のこと。全身)」「隣の神さま」
 この本は、著者の主人公の父親のことを話題にしながらの散文が続くようです。
 かんしゃくもちで、周囲に攻撃の態度を示していた父親は64歳のときに、お布団で寝ているときに心不全で亡くなったそうです。一瞬で亡くなったので、父親は自分の死を自覚せずに逝かれたようです。無呼吸症候群もあったのかもしれません。
 この「身体髪膚(しんたいはっぷ)」は、おでこの片隅にあるケガによる傷の話です。
 父は逆上する人だった。
 著者の弟のために庭に池を掘る父親の姿があります。(うまくいかなくて埋め戻してしまうのですが)。読んでいる自分の父親にも同じ記憶があります。亡くなった父親がスコップをもって庭に穴を掘って池をつくろうとしましたがうまくいきませんでした。
 ワンマンで、ときにパワハラもどきの父親は、それでも妻やこどもたちに対する愛情はもっていた。愛情表現がへたくそな、あるいは教えらえてこなかった男性だった。不器用な男性です。
 自転車に乗れない父親と娘だったそうです。珍しい。微笑ましい(ほほえましい)
 四人姉妹ですが、父親は民間会社の支店長で、こどもが小さいころは、父親が全国転勤の単身赴任だったため、全員での同居家族であったときが短いようです。父親は四人のこどものおむつを取り替えたことが一度もなかったそうです。
 「隣の神さま」では、喪服を新調すると早く着てみたくなる。それは、知人の葬式を楽しみに待つことになり不謹慎だがというお話で始まります。本人この当時48歳です。その後、ご本人は51歳のときに航空機墜落事故で亡くなるわけですから、なんだか、不気味です。
 欠点の多い父親の陰で奥さんはご苦労されました。お気の毒です。昔の耐える女性です。読んでいると、人間って何だろうということを考える気分になってきます。
 味わいがありました。完ぺきを求めても完ぺきはなし。

「記念写真」
 いくつかの機会における集合記念写真の思い出です。
 タレントの武田鉄矢さんが出てきました。光景が目に浮かびます。
 著者が鹿児島にいたころの思い出があります。小学五年生です。お父さんはあいかわらずどなって怒っています。それでもかぞくはにそにそ笑いながら写真におさまっています。
 著者は父親の仕事の関係で転校が多かったそうです。わたしも同様の体験もちなので共感が湧きます。なにかしらしみじみとする文章でした。
 袂:たもと(読めませんでした)
 請判(うけはん):保証人

「お辞儀」
 留守番電話のお話から始まります。黒柳徹子さんの留守電がおもしろい。9通話も録音されていたのに用件は無く、また今度会ったときに話しますからねで終わっていたそうです。
 お父さんからの留守電はぶっきらぼうです。「折り返し電話をしなさい」で切れます。
 
「子供たちの夜」
 キリスト教関係者から「愛」について随筆を頼まれたというところから始まります。
 こどものころ寝ていたときに見上げる天井には木目があったという部分には同じ体験があるのでなつかしかった。
 お母さんのご苦労がお気の毒です。お父さんはやりたい放題でこどものような大人です。それでも会社では幹部社員です。仕事場だけで輝く人です。家庭では迷惑者です。
 気に入った文節として、「戦前の夜は静かだった」たしかに、当時はまだこの世にテレビという電化製品はありませんでした。
 こどものころの記憶で「愛」をたどると、酔っぱらって帰宅した父親のおみやげを眠たいのに父親に無理やりきょうだい四人で食べさせられたこととあります。

「細長い海」
 話題があちこちに飛ぶことが特徴の散文集です。過去の思い出が多い。香川県高松市での小学六年生当時のこと。鹿児島県鹿児島市のことなどです。ときおり亡くなった父親をからめてあります。
 今回は海水浴のことでした。

「ごはん」
 「歩行者天国」から始まって、「東京大空襲(1945年3月10日)」の話に発展していきます。
 戦後生まれの自分にとっては、テレビドラマで観る空襲と現実の空襲とではなにか乖離(かいり。かけはなれたもの)があると感じていました。今回この部分を読んで納得いくものがありました。
 昼間の空襲は一機か二機で、のんびりしたものだった。防空壕の中では、アメリカ人スターが載った婦人雑誌を見ていた。外国人女優とか外国の料理とか。戦争と文化・芸能は違う世界だったようです。3月10日の大空襲の日も著者は級友と潮干狩りに行っています。
 されど、その夜の東京大空襲は命を奪われるような悲惨なものだったそうです。死者10万人、死傷者100万人です。逃げるときに大八車が置き去りに捨て置かれていて、そこにおばあさんが座っていて黙って涙を流していたという記述は胸にぐっときました。
 ことし読んで良かった一冊の本です。
 著者の父親はもう死ぬだろうということで、最後に一家でおいしいものを食べておこうと、みんなでさつまいものてんぷらを食べたそうです。

「お軽勘平」
 お正月のようすのふりかえりです。タイトルは劇場へ芝居を見に行ったときの思い出話です。演者は人間ではなくてお猿さんです。忠臣蔵が下地のお話で、最後は切腹です。
 栃木県宇都宮市に住んでいたころ、著者が小学校へあがるころです。

「あだ桜」
 タイトルの意味は、「はかない桜」「散りやすい桜」で父方の祖母を表しています。祖母は未婚の母で父親の違う男子をふたり産んで育てたそうです。長子が著者の父親です。そのことで、父親と祖母の間に対立があったけれど、父親は祖母と同居して暮らしています。ただ、単身赴任期間が長かったようですが。母であることよりも女であることを優先した祖母だったそうです。老いても色恋ざたがあったそうです。そして、父は自分の生まれがふつうではないので母をうらんでいたそうです。
 文章は、おとぎばなし「一寸法師」から始まっています。「桃太郎」になり、昔話には祖父母は出てくるけれど父母は出てこないという話になります。
 テレビドラマ台本の遅筆の部分では、亡くなった樹木希林さんともめたことがあるとなにかで読んだことがあります。趣旨だけ言ってもらえれば現場でなんとかやると樹木さんが言って著者が怒ったようです。
 著者はいろいろな体験をされています。いろいろな体験が作品に反映されてつながっていきます。
 読み終えて、人生はあっという間に過ぎていくという感慨をもちました。

「車中の皆様」
 タクシードライバーとの会話のやりとりのお話です。仕事柄タクシー利用が多く、10年間で3000人ぐらいのドライバーさんたちとお話をしたそうです。 
 500円札の記述が出ました。ありました。500円札。ふつうに使っていました。なつかしい。
 初めて見た言葉として、「茶菓:さか」打合せのときの茶菓子

「ねずみ花火」
 売立会(うりたてかい):せり売り

 香川県高松市にいたころが、小学6年生、鹿児島県鹿児島市にいたころが、小学4年生、栃木県宇都宮市にいたころが小学1年生ぐらい。転々を住居を変わる生活をしていた著者です。
 父親のいなひとり親家庭の男の同級生が鹿児島市にいます。著者の父親もひとり親家庭だったので、父親はその男の子を可愛がります。そして、その子の母親が亡くなります。話はその後、何人かの身近な人たちが短命で亡くなった思い出につながります。
 突然命を落とされた思い出の人たちのことが書いてあるのですが、この数年後、ご本人もそうなられたので複雑な思いの読後感が残りました。

「チーコとグランデ」
 食べ物の大小のお話です。四人きょうだいだったので、食べ物の大きさについて、公平とか平等ということにこだわりがあり無意識に身にしみついているそうです。
 チーコはスペイン語で「小さい」ということ。グランデは「大きい」なのでしょう。スペイン語圏の海外旅行で覚えられたようです。
 おおきいものにこだわるのは父親譲りかもしれない。「成り上がり者の貧しさ」と表現があります。
 クリスマスケーキからしぐれ蛤(はまぐり)の話になり、森光子さんや樹木希林さんが登場します。

「海苔巻きの端っこ」
 食べ物の話です。父親が遠足の弁当をつくるときに出る海苔巻きの端っこをとってしまうことに憤りを(いきどおり)を感じているこどもの著者です。父親はまんなかを取りたがることが多いのに海苔巻きのはじっこがたくさん余るそうで、その端っこまでも父親がもっていってしまうと怒っています。相当くやしがっています。
 ここまで読んできてふと感じるのは、人が死ぬ話が多い。年齢的なものもあるのでしょう。50歳を過ぎる頃から身近な人たちの訃報が増えてきます。
 烏滸の沙汰(おこのさた):愚かなこと。ばかげていること。

「学生アイス」
 19歳ぐらいのころ東京の学生でアイスクリーム売りのアルバイトをした体験記です。昭和23年です。若いので男性にもてます。
 権謀術数(けんぼうじゅっすう):巧みに人をあざむく策略
 泰西名画(たいせいめいが):西洋名画のこと

「魚の目は泪(なみだ)」
 最終的には、皮膚病の魚の目が話のオチになるのですが、そこにたどりつくまでに、魚の目刺しから始まって、猿を食べたことがあること(そういえば昔の人はいろんな動物の肉を食べていました)、動物園の動物たちの目のこと、ライオンとか、パンダ、キリンとかラクダとかの話が続きます。
 読みながら、自分がこどものころは、煮魚の目玉が好物だったことを思い出しました。目玉のまわりのぬるっとしたところがおいしかった。そうしたら、著者の父と祖母が、「魚は眼肉(がんにく)がおいしいんだ」と目のまわりをせせて食べるようすが出てきたので自信をもちました。
 
「隣の匂い」
 生命保険会社の支店長だった転勤族の父親の都合で、あちっこち引っ越し、転校した体験とその後のひとり暮らしのことが書いてあります。けっこういいところで住まわれていたので有名人との接触もあります。
 素封家(そほうけ)の息子:財産家。お金持ちで裕福
 玉藻城(たまもじょう):香川県高松市の高松城(見学したことがあるので少し驚きました。お堀のそばの社宅に住まわれていたそうです)

「兎と亀」
 お正月に南米ペルーで過ごしたことが書いてあります。
 アマゾン見学です。目的は、アマゾンにいる隊長ぐらいの泳ぐ兎(うさぎ)です。ところが、それは兎ではなく亀でした。日系三世の方がおばあさんから話してもらった民話「兎と亀」の内容を勘違いしていて、亀のことを兎だと言っていたのです。
 途中、その頃、南米アマゾンの秘境で飛行機墜落事故があって、少女がひとりだけ助かった話が出てきます。そういうことがありました。
 著者と連れの女性も自分たちが搭乗する飛行機が落ちやしないかと心配されますが決行されます。この時は、ご無事でしたが、その後はご無事ではなく、著者は台湾での飛行機墜落事故で命を落とされました。なにかしら、エッセイの内容が事故を引き付けているようで怖い。

「お八の時間」
 こどものおやつにまつわるお話です。まるぼうろ、ウェーハウス、キャラメル、ビスケット、中流家庭なのでけっこういいものが出てきます。昭和10年頃のことです。
 きょうだいとの関係について、弟さんと著者のために、差し向かいの机をお父さんがつくってくれたそうです。

「わが拾遺集」
 ものを拾った記録。そして、落とした記録です。
 七歳のときに料理屋で財布を拾う。
 その後、落としたものとして、現金、ハンドバック、懐中電灯、傘、手袋、ことに飲み屋で汲み取り式便所の中にハンドバックを落としてお客の男性たちに釣り上げてもらった話がおもしろかった。バックの中には化粧品のほかにもらったばかりの給料袋があったのです。
 思い出は四国の高松になり、ここで、戦前の学校制度がわからず調べました。ご本人は、香川県立高等女学校の一年生です。拾ったのは五年生女子生徒の鉢巻きです。へんなお礼のお返しがあります。五年生女子のひげを抜かせてもらうというものです。
 12歳で入学して一年生。現在の中学一年生。五年生は16歳。17歳で卒業。現在の高校二年生
 
「昔カレー」
 ライスカレーの思い出にいくつかの関連をからめてあります。

 辣腕(らつわん):物事を躊躇(ちゅうちょ)することなくすばやくうまく処理する能力があること。

「鼻筋紳士録」
 人間の「鼻」の話です。鼻筋がスーととおっている父の家系と団子鼻の母の家系で、四人きょうだいの鼻筋が異なる。ちなみに著者は自称団子鼻です。
 父親の自慢は、背が高いこと、記憶力がいいこと、鼻筋がとおって鼻の形がかっこいいことだそうです。
 話は、アメリカ暮らしの友人が整形をして、目と鼻だけがアメリカ人になったことを記事とします。
 著者は、鼻筋に関心が強いらしく、人物を二分類した紳士録(著名人の名簿)なるものをもっているそうです。たしか、滝沢カレンさんというタレントさんも鼻にこだわりをもっている人だったので、著者と共通点があります。

 ボルゾイ:ロシア原産の大型犬。鼻筋がとおっている。
 狆(ちん):犬種。断固鼻

「薩摩揚(さつまあげ)」
 鹿児島市で生活していたことの思い出と同市への愛着が記してあります。住んでいたのは著者が小学3年生からの三年間です。人格形成の時期で良い方向で多大な影響を受けたそうです。薩摩揚が好きなことを口実にしていろいろと書いてあります。
 思い出すに、50年ぐらい前は、児童文学というジャンルはあったのでしょうが、こどもでも大人の小説をわからないなりにも読んでいました。そんなことが書いてあります。夏目漱石、明治大正文学全集、世界文学全集、直木三十五、バルビュス(フランスの作家)などの名前や記事が出てきます。

 箪笥:たんす

「卵とわたし」
 卵をネタにしていろいろですが、これまでの話も含めて話が短い文章の間隔でかなりあちこちに飛びます。思い出の多い著者です。
 こどものころは体が小さかったので、卵が大きく感じた。いまは大人になったので、卵が小さくなったように勘違いをする。たまごの大きさは変わらず、自分のてのひらが大きくなって卵を小さく感じるようになったと結んでおられます。

「あとがき」
 三年前乳がんをを患って(わずらって)、大豆粒ほどの癌を切除されたようです。(あとがきの日付は昭和53年10月です)

この記事へのトラックバックURL

http://kumataro.mediacat-blog.jp/t140935
※このエントリーではブログ管理者の設定により、ブログ管理者に承認されるまでコメントは反映されません
上の画像に書かれている文字を入力して下さい