2020年09月11日
ナチスから図書館を守った人たち
ナチスから図書館を守った人たち デイビッド・E・フィッシュマン 羽田詩津子(はたしづこ)・訳 原書房
ナチスはユダヤ人という人間だけではなく、ユダヤ人の歴史や文化まで根絶やしにしようとしたそうです。だから、ユダヤ人の本をこの世から消滅させようとした。
記録の舞台は、リトアニアです。命のビザを発給した日本人外交官杉浦千畝(すぎうら・ちうね)さんの名前が思い浮かびます。
本のカバーには、ユダヤ人の大虐殺があったリトアニアの首都ヴィルナ(現在のヴィリニュス)で、ユダヤ人の本を後世に残すために活動したユダヤ人40人のチーム「紙部隊」の命を賭けた闘いがあったと記されています。ナチスに奴隷扱いで働かされた人たちとあります。
話はずれるのですが、最近、韓国は、ハングル語が普及して、漢字を読めない人が増えてきているという記事を読みました。その結果、韓国の人は、漢字で書かれた過去の歴史書を読めなくなってきているという内容でした。そんなことがあるのかと驚きましたが、考えてみれば、そういうこともあるのだろうという結論に達してしまいます。
この本を読み始めて30ページぐらいまできたところですが、80年ぐらい前の第二次世界大戦中であれば、「本」は紙ベースでした。現代は、画像データやテキストドキュメントで保存がききます。そういう点では、技術が平和につながっていると安心しました。
(あとさきの記述になりますが、最初に)
いつも読みながら感想を継ぎ足していく方式で文章をつくっているのですが、この本は、読みながら理解するのがむずかしく、さきほど全体を読み終えたところですが、出てきた人物の氏名をここに落として少しはわかるようにしてみます。戦時中当時の年齢は30代前後の人が多い。ユダヤ人のみなさんです。
シュメルケ・カチェルギンスキ:この本の主人公的位置づけ。グループのまとめ役。パルチザン(ナチス・ドイツに対する抵抗組織の一員。非正規軍)になった。
アブロム・スツケヴェル:シュメルケの相棒的存在。詩人。パルチザンになった。
イサク・ストラシュン:ストラシュン図書館の司書助手。男性。図書館創立者の孫
ハイクル・ウンスキ:ストラシュン図書館の司書。相談係。男性
マックス・ヴァインラッヒ:ヴィルナのYIVO(リトアニアの首都ヴィルナのイーヴォ・ユダヤ人文化研究所)の所長。1940年からは、ニューヨークYIVOの所長
ゼーリグ・カルマノーヴィッチ:ヴィルナYIVOの副所長。紙部隊の副隊長
ヨハネス・ポール博士:この人はユダヤ人ではありません。ドイツナチス側の人です。文化的財産を略奪するための組織ERR(全国指導者ローゼンベルク特捜隊)の責任者。ユダヤ民族専門家。ナチズムの信奉者
ロフル・クリンスキー:紙部隊の同僚。女性。ハイスクールの歴史教師。娘がサラ
アンタナス・ウルピス:リトアニア・ソビエト社会主義共和国の図書館室長。大量の本や記録文書を聖ジョージ教会に移した。
リトアニアの首都の呼び方:場所は同一ですが、ユダヤ人は「ヴィルナ」、リトアニア語だと「ヴィリニュス」、ポーランド語で「ヴィルノ」
ミハエル・メンキン:紙部隊の一員。2012年時点で93歳。アメリカニュージャージー州の養護施設暮らし。
シオニズム:イスラエルにユダヤ人のふるさとを再建しようという運動
ヘルマン・クルク:ゲットー貸出図書館の館長。紙部隊の隊長
ハイム・グラーデ:シュメルケの友人。詩人、作家
ヴォルフ・ラツキ・バルトルディ:ユダヤ人の社会主義指導者
ノアフ・プルウツキ:1941年現在59歳。学者。ユダヤ人知識人。ソビエト化されたYIVOイーヴォ、ユダヤ研究所の所長、ヴィルナ大学イディッシュ語教授。1941年YIVOイーヴォは、ドイツ軍に支配された。妻が、パウラ・プリウツキ。夫のノアフ・プルウツキは、1941年8月18日に処刑された。
当時、ヴィルナにいた学者、知識人は、ナチスドイツの配下で、奴隷的な労働に従事させられた。ユダヤ文化の消滅に協力させられた。
ヘルマン・クルク:ワルシャワのグロッサ図書館長。ユダヤ人司書。日記を書き残した。弟が、ピンカス。弟はアメリカへ渡った。
アナトール・フリード:ユダヤ評議会議長。ドイツは、ユダヤ人収容区域であるゲットーの中をユダヤ人に組織させた評議会で統制させた。ユダヤ人内の不満をユダヤ人に向けさせる作戦あり。
FPO:パルチザン連合組織。1941年編成。最高司令官は、イツイック・ヴィテンベルク。副官がコブナー。地雷のつくり方を本で知識を得た。
カフタン:トルコの民族衣装
ボルシェビキ:ソ連共産党の前身
アルベルト・シュポルケット:ERR(ドイツの組織。文化遺産の略奪担当)の横暴な責任者
ヘルベルト・ゴッタルド博士:ERRのユダヤ民族専門家
グトコヴィッチ:シュメルケの小学校時代からの友人。共産党地下組織に所属。ユダヤ美術館館長。
「はじめに」と「第1部 戦前」
さて、物語のほうです。1943年7月から始まりました。日本では、昭和18年です。終戦が、昭和20年です。
基本的には、「本」が好きな人たちだと思います。図書館関係者たちの偉業です。「紙部隊」のメンバーとして紹介される最初の人は、孤児として育ったシュメルケ・カチェルギンスキという当時34歳の人です。詩人で、文学関係者のまとめ役です。
敵は、ナチスのヨハネス・ポール博士とあります。
博士が属していた組織として、ERR:全国指導者ローゼンベルク特捜隊(ローゼンベルクは局長の名前 文化遺産の略奪担当
以前映画で観たポーランドの動物園のことを思い出しました。そのときもナチスの動物博士がポーランドの人やポーランドにいたユダヤ人をいじめていました。
ページに、当時の地図があります。
最近独裁で話題になっているベラルーシがあります。ベラルーシの北が、この本の舞台のリトアニアです。
首都ヴィルナにユダヤ人収容区域である「ゲットー」の図面があります。当時の人口は、19万3000人だったとあります。そのうちの28.5%がユダヤ人だったそうです。宗教(ユダヤ教)のことはわたしは知りませんが、「文化的には、東ヨーロッパユダヤ民族の首都、リトアニアのエルサレム」だったそうです。ヴィルナというのは、都市ではなく、イデア(理念)とあります。
ヴィルナの住民は、きっと、ユダヤ人の文化人関係者も多かったことでしょう。だから、「本」を大切にしたのでしょう。
先日、ヒトラーの青年期の本を読みました。彼がなぜユダヤ人の大虐殺をしたのかという理由は、結局、「わからない」でした。推測としては、ドイツ人のストレスがナチスドイツの組織に向かないように、特定の民族を攻撃して論点をそらしたのではないかということでした。ひどい話です。
これはこうだろうとか、こういう情報があるからとか、あの人がああいうからとか、事実とは異なることで、人の命まで左右されるようなことが起こります。
世の中は、先入観という思い込みによって、間違ったイメージで成り立っています。ずいぶん昔に読んだ本で、世界各地を旅行された方が書いた本に、「世界は誤解で成り立っているということがわかりました」という文章が書かれていたのを思い出しました。
お互いに交流を深めて、話し合って、よく理解しあって、平和な世界になってほしい。
さて、話は戻って、本の内容では、リトアニアの都市の歴史の説明が続きます。日本でいうところの関ケ原の合戦1600年頃から濃厚な歴史が始まっています。
タルムード:旧約聖書に出てくるモーセが伝えた律令(りつりょう)ユダヤ教徒の生活と信仰の基(もと)
ユダヤ人の言語としては、「イディッシュ語」「ヘブライ語」
調べた言葉として、
シナゴーグ:ユダヤ教の会堂 集会所
「第2部 ドイツ占領下で」
1941年6月22日です。戦争が終わるのは、1945年です。
混乱しています。悲惨です。
ゲットー(ユダヤ人収容区域)にユダヤ人向けの図書館があって、開館しています。
収容所での苦しい生活をまぎらわせるために人々は本を借りて読みます。また、本の閲覧室で座って本を読んでいるふりをして心を落ち着かせます。
ドイツ軍は、ユダヤ人女性は出産を禁止するという法令をつくりました。1942年2月5日以降に生まれた赤ちゃんはドイツ軍によって毒殺されました。
また、年配者は、サナトリウムに送られて、療養するのではなく、全員が殺されました。
図書館で貸し出された本のタイトルがいくつか並べられています。ジュール・ベルヌの「八十日間世界一周」、同じくジュール・ベルヌの「グラント船長の子供たち」、マーガレット・ミッチェルの「風と共に去りぬ」、トルストイの「戦争と平和」、レマルクの「西部戦線異状なし」、いちばんよく読まれたのは、犯罪小説だったそうです。
主な登場人物としては、パルチザン(他国の支配に抵抗するために結成された非正規軍の構成員)になった。ふたりとも詩人でした。読んでいて気づいたのですが、ヨーロッパにおける「詩人」とは、政治活動をするようなリーダー的存在をさし、人から尊敬される立場のようです。いっぽう日本で言うところの、「詩人」は、情緒たっぷりの詩を書いて、人々の心をいやしてくれる存在です。
シュメルケ・カチェルギンスキ
アブロム・スツケヴェル
ふたりとも銃を持った写真が出ています。
もうひとりは女性で、
ロフル・クリンスキー 結婚して、まだ二歳ぐらいの小さなこどもさんと生き別れになって、四年後、なんとか再会されていますが、ご主人は、ドイツ軍に捕まって銃殺されています。
この三人は、三十歳前後の年齢でした。
YIVO:イーヴォ。イディッシュ科学研究所。1925年設立。国立のユダヤ調査研究所。ユダヤ人文化の研究、保存、振興のための機関。図書館の役割もある。
共産主義とか社会主義にに対する反発があるのですが、かといって、資本主義が完ぺきなわけでもありません。けっきょく、完ぺきな「主義」というものは存在しないという読み手の感想に落ち着きます。
ただ、共産主義、社会主義にある、集団のための管理には嫌悪感をもちます。「自由」も「文化」も組織の上層部の意向に沿うように管理されるのです。
むずかしい。ヨーロッパで暮らしたことがないので、歴史とか文化の下地がありません。知らないことやわからないことも多い。読んでいても理解できないことが多い。
ポナリ:地名。ユダヤ人の大量虐殺があった場所
(つづく)
これまでわかりにくかったこともあって、ふりかえりながら以下のとおり整理してみました。自己解釈もあるので、違う点もあるかもしれません。
イディッシュとは、ユダヤ人のこと。ユダヤ人が話す言葉。ドイツ語に近い。
ヘブライ語とは、古代パレスチナに住んでいたヘブライ人が使っていた言語。現在、イスラエルで、現代ヘブライ語が使われている。
シオニズムとは、イスラエルにふるさとを再建しよう。ユダヤ人の運動
リトアニア国の首都ヴィリニュスにナチスドイツが、ヴィルナ・ゲットー(収容としてのユダヤ人居住区域)をつくった。
ヴィルナは、“リトアニアのエルサレム”と呼ばれていた。リトアニア語では、「ヴィリュニス」、ロシア語で、「ヴィリナ」、ドイツ語で、「ヴィルナ」
1940年6月にソビエトがヴィルナを支配下においたが、1941年6月にドイツ軍が攻撃してきて、ヴィルナの支配権はドイツ軍に移った。ここから、ドイツ軍のユダヤ人虐殺が始まった。
ドイツの組織ERR(ローゼンベルク特捜隊)が、ユダヤ人の本を処分するための組織だった。
対象になった図書館は、ヴェルナ大学図書館、ヴブレフスキ州立図書館(ポーランド国立図書館の地方館)、それからYIVOイーヴォの図書館だった。
ナチス・ドイツは、ユダヤ文化撲滅のために、図書館の本をドイツへ移送すると提案してきた。表向きは、貴重な財産の保存、本当は、本の処分が目的だった。
本の選別、移送をする労働をするのが、ゲットーに収容されていた図書館関係者で、ナチスドイツは彼らのことを、「紙部隊」といった。
紙部隊のメンバーは40人のユダヤ人だった。彼らは、本が処分されることを知り、貴重な知的文化財産である本を後世に残すために、ドイツに送られて処分される本を体に隠して、ゲットーの地下深くにある秘密の場所に持ち帰り隠した。持ち出しをナチスドイツに見つかれば殺されてしまう。しかし、かれらは、自分たちの命はいずれにせよ長くはないと観念して、覚悟を決めて、本を隠して図書館から持ち出した。彼らの年齢は大半が30歳前後だった。
ユダヤ人の居住区域であるゲットーにあるユダヤ人の自治組織ユダヤ評議会の意向で、ゲットー図書館ができた。
1942年2月11日ドイツの兵隊がゲットー図書館に来た。命令として、シナゴーグのストラシュン図書館の蔵書をヴィルナ大学図書館に移す。それは、ストラシュン図書館の閉鎖を意味する。
1942年6月、ユダヤ民族の本を救うために、メンバーたちは、YIVOイーヴォ図書館の作業場からこっそりと持ち出しを始めます。本、原稿、記録、美術品などを持ち出します。
ちょっとわかりにくいのですが、市街地の中にゲットーの区域がふたつあって、紙部隊の作業場であるYIVOイーヴォ図書館が、ゲットーの区域外にあって、同図書館から、ゲットーの中に本を持ち込むときに、検問所を通らなければならないと考えました。
1942年8月2日の紙部隊副隊長の日記で、すべての図書館が廃館になったとあります。大量の本は製紙工場へ運ばれて処分されます。当時リサイクルがあったとは思えないので、読めないような状態で廃棄処分されたのでしょう。
戦況は厳しくなり、紙部隊のメンバーたちの一部は命を落としていきます。
1944年9月18日にあった大量のユダヤ人の処刑で亡くなった司書のひとりは、「記録」を遺そうとします。「日記」です。メモを重ねるようにひたすら紙に文字を書きます。見つかるのを恐れながらもほとんど読み取れない筆跡で書きます。「未来の世代のためにあらゆることを記録する。だれかがこれを発見する日がくるだろう。わたしが記録した恐怖のページを」という詩の文節に胸を打たれます。「平和」であってほしい。(埋めて隠された日記は、戦後、そのことを知る生存者によって掘り起こされています)
ハインリッヒ・ヒムラ―:ヒトラーの側近。親衛隊のトップ。ユダヤ人に対する迫害を実行した。1945年、44歳没。自死
「第3部 戦後」
レーニン:1870年-1924年 53歳没 ロシアの革命家、政治家。史上初の社会主義国家を樹立。
スターリン:1878年-1953年 74歳没 レーニンの死後29年間、ソビエト連邦の最高指導者を務めた。
第二次世界大戦が終わっても、ソ連の目があって、隠したユダヤ人の資料を公表することができません。公表までにはさらに永い歳月がかかっています。40年後です。聖ジョージ教会に保管というか放置されます。途中、いろいろありますが、秘匿されます。1990年3月にリトアニアがソ連から独立してようやく1994年に資料が日の目を見ます。
ゲシュタポ:ドイツ警察組織内の秘密警察部門
トーラーの朗読:ユダヤ教の聖書における最初の「モーセ五書」のこと。「教え」という意味
「第4部 粛清から贖罪へ」
読んでいて、「人間って何なんだろう」と考えこみます。
生まれた時代、生まれた場所で、全然違う体験をもつことになります。
「死」が近い時代と場所の時もあるし、そうでないときもあります。
ただ、歴史を創り出しているのは人間であることに間違いはありません。
ナチスはユダヤ人という人間だけではなく、ユダヤ人の歴史や文化まで根絶やしにしようとしたそうです。だから、ユダヤ人の本をこの世から消滅させようとした。
記録の舞台は、リトアニアです。命のビザを発給した日本人外交官杉浦千畝(すぎうら・ちうね)さんの名前が思い浮かびます。
本のカバーには、ユダヤ人の大虐殺があったリトアニアの首都ヴィルナ(現在のヴィリニュス)で、ユダヤ人の本を後世に残すために活動したユダヤ人40人のチーム「紙部隊」の命を賭けた闘いがあったと記されています。ナチスに奴隷扱いで働かされた人たちとあります。
話はずれるのですが、最近、韓国は、ハングル語が普及して、漢字を読めない人が増えてきているという記事を読みました。その結果、韓国の人は、漢字で書かれた過去の歴史書を読めなくなってきているという内容でした。そんなことがあるのかと驚きましたが、考えてみれば、そういうこともあるのだろうという結論に達してしまいます。
この本を読み始めて30ページぐらいまできたところですが、80年ぐらい前の第二次世界大戦中であれば、「本」は紙ベースでした。現代は、画像データやテキストドキュメントで保存がききます。そういう点では、技術が平和につながっていると安心しました。
(あとさきの記述になりますが、最初に)
いつも読みながら感想を継ぎ足していく方式で文章をつくっているのですが、この本は、読みながら理解するのがむずかしく、さきほど全体を読み終えたところですが、出てきた人物の氏名をここに落として少しはわかるようにしてみます。戦時中当時の年齢は30代前後の人が多い。ユダヤ人のみなさんです。
シュメルケ・カチェルギンスキ:この本の主人公的位置づけ。グループのまとめ役。パルチザン(ナチス・ドイツに対する抵抗組織の一員。非正規軍)になった。
アブロム・スツケヴェル:シュメルケの相棒的存在。詩人。パルチザンになった。
イサク・ストラシュン:ストラシュン図書館の司書助手。男性。図書館創立者の孫
ハイクル・ウンスキ:ストラシュン図書館の司書。相談係。男性
マックス・ヴァインラッヒ:ヴィルナのYIVO(リトアニアの首都ヴィルナのイーヴォ・ユダヤ人文化研究所)の所長。1940年からは、ニューヨークYIVOの所長
ゼーリグ・カルマノーヴィッチ:ヴィルナYIVOの副所長。紙部隊の副隊長
ヨハネス・ポール博士:この人はユダヤ人ではありません。ドイツナチス側の人です。文化的財産を略奪するための組織ERR(全国指導者ローゼンベルク特捜隊)の責任者。ユダヤ民族専門家。ナチズムの信奉者
ロフル・クリンスキー:紙部隊の同僚。女性。ハイスクールの歴史教師。娘がサラ
アンタナス・ウルピス:リトアニア・ソビエト社会主義共和国の図書館室長。大量の本や記録文書を聖ジョージ教会に移した。
リトアニアの首都の呼び方:場所は同一ですが、ユダヤ人は「ヴィルナ」、リトアニア語だと「ヴィリニュス」、ポーランド語で「ヴィルノ」
ミハエル・メンキン:紙部隊の一員。2012年時点で93歳。アメリカニュージャージー州の養護施設暮らし。
シオニズム:イスラエルにユダヤ人のふるさとを再建しようという運動
ヘルマン・クルク:ゲットー貸出図書館の館長。紙部隊の隊長
ハイム・グラーデ:シュメルケの友人。詩人、作家
ヴォルフ・ラツキ・バルトルディ:ユダヤ人の社会主義指導者
ノアフ・プルウツキ:1941年現在59歳。学者。ユダヤ人知識人。ソビエト化されたYIVOイーヴォ、ユダヤ研究所の所長、ヴィルナ大学イディッシュ語教授。1941年YIVOイーヴォは、ドイツ軍に支配された。妻が、パウラ・プリウツキ。夫のノアフ・プルウツキは、1941年8月18日に処刑された。
当時、ヴィルナにいた学者、知識人は、ナチスドイツの配下で、奴隷的な労働に従事させられた。ユダヤ文化の消滅に協力させられた。
ヘルマン・クルク:ワルシャワのグロッサ図書館長。ユダヤ人司書。日記を書き残した。弟が、ピンカス。弟はアメリカへ渡った。
アナトール・フリード:ユダヤ評議会議長。ドイツは、ユダヤ人収容区域であるゲットーの中をユダヤ人に組織させた評議会で統制させた。ユダヤ人内の不満をユダヤ人に向けさせる作戦あり。
FPO:パルチザン連合組織。1941年編成。最高司令官は、イツイック・ヴィテンベルク。副官がコブナー。地雷のつくり方を本で知識を得た。
カフタン:トルコの民族衣装
ボルシェビキ:ソ連共産党の前身
アルベルト・シュポルケット:ERR(ドイツの組織。文化遺産の略奪担当)の横暴な責任者
ヘルベルト・ゴッタルド博士:ERRのユダヤ民族専門家
グトコヴィッチ:シュメルケの小学校時代からの友人。共産党地下組織に所属。ユダヤ美術館館長。
「はじめに」と「第1部 戦前」
さて、物語のほうです。1943年7月から始まりました。日本では、昭和18年です。終戦が、昭和20年です。
基本的には、「本」が好きな人たちだと思います。図書館関係者たちの偉業です。「紙部隊」のメンバーとして紹介される最初の人は、孤児として育ったシュメルケ・カチェルギンスキという当時34歳の人です。詩人で、文学関係者のまとめ役です。
敵は、ナチスのヨハネス・ポール博士とあります。
博士が属していた組織として、ERR:全国指導者ローゼンベルク特捜隊(ローゼンベルクは局長の名前 文化遺産の略奪担当
以前映画で観たポーランドの動物園のことを思い出しました。そのときもナチスの動物博士がポーランドの人やポーランドにいたユダヤ人をいじめていました。
ページに、当時の地図があります。
最近独裁で話題になっているベラルーシがあります。ベラルーシの北が、この本の舞台のリトアニアです。
首都ヴィルナにユダヤ人収容区域である「ゲットー」の図面があります。当時の人口は、19万3000人だったとあります。そのうちの28.5%がユダヤ人だったそうです。宗教(ユダヤ教)のことはわたしは知りませんが、「文化的には、東ヨーロッパユダヤ民族の首都、リトアニアのエルサレム」だったそうです。ヴィルナというのは、都市ではなく、イデア(理念)とあります。
ヴィルナの住民は、きっと、ユダヤ人の文化人関係者も多かったことでしょう。だから、「本」を大切にしたのでしょう。
先日、ヒトラーの青年期の本を読みました。彼がなぜユダヤ人の大虐殺をしたのかという理由は、結局、「わからない」でした。推測としては、ドイツ人のストレスがナチスドイツの組織に向かないように、特定の民族を攻撃して論点をそらしたのではないかということでした。ひどい話です。
これはこうだろうとか、こういう情報があるからとか、あの人がああいうからとか、事実とは異なることで、人の命まで左右されるようなことが起こります。
世の中は、先入観という思い込みによって、間違ったイメージで成り立っています。ずいぶん昔に読んだ本で、世界各地を旅行された方が書いた本に、「世界は誤解で成り立っているということがわかりました」という文章が書かれていたのを思い出しました。
お互いに交流を深めて、話し合って、よく理解しあって、平和な世界になってほしい。
さて、話は戻って、本の内容では、リトアニアの都市の歴史の説明が続きます。日本でいうところの関ケ原の合戦1600年頃から濃厚な歴史が始まっています。
タルムード:旧約聖書に出てくるモーセが伝えた律令(りつりょう)ユダヤ教徒の生活と信仰の基(もと)
ユダヤ人の言語としては、「イディッシュ語」「ヘブライ語」
調べた言葉として、
シナゴーグ:ユダヤ教の会堂 集会所
「第2部 ドイツ占領下で」
1941年6月22日です。戦争が終わるのは、1945年です。
混乱しています。悲惨です。
ゲットー(ユダヤ人収容区域)にユダヤ人向けの図書館があって、開館しています。
収容所での苦しい生活をまぎらわせるために人々は本を借りて読みます。また、本の閲覧室で座って本を読んでいるふりをして心を落ち着かせます。
ドイツ軍は、ユダヤ人女性は出産を禁止するという法令をつくりました。1942年2月5日以降に生まれた赤ちゃんはドイツ軍によって毒殺されました。
また、年配者は、サナトリウムに送られて、療養するのではなく、全員が殺されました。
図書館で貸し出された本のタイトルがいくつか並べられています。ジュール・ベルヌの「八十日間世界一周」、同じくジュール・ベルヌの「グラント船長の子供たち」、マーガレット・ミッチェルの「風と共に去りぬ」、トルストイの「戦争と平和」、レマルクの「西部戦線異状なし」、いちばんよく読まれたのは、犯罪小説だったそうです。
主な登場人物としては、パルチザン(他国の支配に抵抗するために結成された非正規軍の構成員)になった。ふたりとも詩人でした。読んでいて気づいたのですが、ヨーロッパにおける「詩人」とは、政治活動をするようなリーダー的存在をさし、人から尊敬される立場のようです。いっぽう日本で言うところの、「詩人」は、情緒たっぷりの詩を書いて、人々の心をいやしてくれる存在です。
シュメルケ・カチェルギンスキ
アブロム・スツケヴェル
ふたりとも銃を持った写真が出ています。
もうひとりは女性で、
ロフル・クリンスキー 結婚して、まだ二歳ぐらいの小さなこどもさんと生き別れになって、四年後、なんとか再会されていますが、ご主人は、ドイツ軍に捕まって銃殺されています。
この三人は、三十歳前後の年齢でした。
YIVO:イーヴォ。イディッシュ科学研究所。1925年設立。国立のユダヤ調査研究所。ユダヤ人文化の研究、保存、振興のための機関。図書館の役割もある。
共産主義とか社会主義にに対する反発があるのですが、かといって、資本主義が完ぺきなわけでもありません。けっきょく、完ぺきな「主義」というものは存在しないという読み手の感想に落ち着きます。
ただ、共産主義、社会主義にある、集団のための管理には嫌悪感をもちます。「自由」も「文化」も組織の上層部の意向に沿うように管理されるのです。
むずかしい。ヨーロッパで暮らしたことがないので、歴史とか文化の下地がありません。知らないことやわからないことも多い。読んでいても理解できないことが多い。
ポナリ:地名。ユダヤ人の大量虐殺があった場所
(つづく)
これまでわかりにくかったこともあって、ふりかえりながら以下のとおり整理してみました。自己解釈もあるので、違う点もあるかもしれません。
イディッシュとは、ユダヤ人のこと。ユダヤ人が話す言葉。ドイツ語に近い。
ヘブライ語とは、古代パレスチナに住んでいたヘブライ人が使っていた言語。現在、イスラエルで、現代ヘブライ語が使われている。
シオニズムとは、イスラエルにふるさとを再建しよう。ユダヤ人の運動
リトアニア国の首都ヴィリニュスにナチスドイツが、ヴィルナ・ゲットー(収容としてのユダヤ人居住区域)をつくった。
ヴィルナは、“リトアニアのエルサレム”と呼ばれていた。リトアニア語では、「ヴィリュニス」、ロシア語で、「ヴィリナ」、ドイツ語で、「ヴィルナ」
1940年6月にソビエトがヴィルナを支配下においたが、1941年6月にドイツ軍が攻撃してきて、ヴィルナの支配権はドイツ軍に移った。ここから、ドイツ軍のユダヤ人虐殺が始まった。
ドイツの組織ERR(ローゼンベルク特捜隊)が、ユダヤ人の本を処分するための組織だった。
対象になった図書館は、ヴェルナ大学図書館、ヴブレフスキ州立図書館(ポーランド国立図書館の地方館)、それからYIVOイーヴォの図書館だった。
ナチス・ドイツは、ユダヤ文化撲滅のために、図書館の本をドイツへ移送すると提案してきた。表向きは、貴重な財産の保存、本当は、本の処分が目的だった。
本の選別、移送をする労働をするのが、ゲットーに収容されていた図書館関係者で、ナチスドイツは彼らのことを、「紙部隊」といった。
紙部隊のメンバーは40人のユダヤ人だった。彼らは、本が処分されることを知り、貴重な知的文化財産である本を後世に残すために、ドイツに送られて処分される本を体に隠して、ゲットーの地下深くにある秘密の場所に持ち帰り隠した。持ち出しをナチスドイツに見つかれば殺されてしまう。しかし、かれらは、自分たちの命はいずれにせよ長くはないと観念して、覚悟を決めて、本を隠して図書館から持ち出した。彼らの年齢は大半が30歳前後だった。
ユダヤ人の居住区域であるゲットーにあるユダヤ人の自治組織ユダヤ評議会の意向で、ゲットー図書館ができた。
1942年2月11日ドイツの兵隊がゲットー図書館に来た。命令として、シナゴーグのストラシュン図書館の蔵書をヴィルナ大学図書館に移す。それは、ストラシュン図書館の閉鎖を意味する。
1942年6月、ユダヤ民族の本を救うために、メンバーたちは、YIVOイーヴォ図書館の作業場からこっそりと持ち出しを始めます。本、原稿、記録、美術品などを持ち出します。
ちょっとわかりにくいのですが、市街地の中にゲットーの区域がふたつあって、紙部隊の作業場であるYIVOイーヴォ図書館が、ゲットーの区域外にあって、同図書館から、ゲットーの中に本を持ち込むときに、検問所を通らなければならないと考えました。
1942年8月2日の紙部隊副隊長の日記で、すべての図書館が廃館になったとあります。大量の本は製紙工場へ運ばれて処分されます。当時リサイクルがあったとは思えないので、読めないような状態で廃棄処分されたのでしょう。
戦況は厳しくなり、紙部隊のメンバーたちの一部は命を落としていきます。
1944年9月18日にあった大量のユダヤ人の処刑で亡くなった司書のひとりは、「記録」を遺そうとします。「日記」です。メモを重ねるようにひたすら紙に文字を書きます。見つかるのを恐れながらもほとんど読み取れない筆跡で書きます。「未来の世代のためにあらゆることを記録する。だれかがこれを発見する日がくるだろう。わたしが記録した恐怖のページを」という詩の文節に胸を打たれます。「平和」であってほしい。(埋めて隠された日記は、戦後、そのことを知る生存者によって掘り起こされています)
ハインリッヒ・ヒムラ―:ヒトラーの側近。親衛隊のトップ。ユダヤ人に対する迫害を実行した。1945年、44歳没。自死
「第3部 戦後」
レーニン:1870年-1924年 53歳没 ロシアの革命家、政治家。史上初の社会主義国家を樹立。
スターリン:1878年-1953年 74歳没 レーニンの死後29年間、ソビエト連邦の最高指導者を務めた。
第二次世界大戦が終わっても、ソ連の目があって、隠したユダヤ人の資料を公表することができません。公表までにはさらに永い歳月がかかっています。40年後です。聖ジョージ教会に保管というか放置されます。途中、いろいろありますが、秘匿されます。1990年3月にリトアニアがソ連から独立してようやく1994年に資料が日の目を見ます。
ゲシュタポ:ドイツ警察組織内の秘密警察部門
トーラーの朗読:ユダヤ教の聖書における最初の「モーセ五書」のこと。「教え」という意味
「第4部 粛清から贖罪へ」
読んでいて、「人間って何なんだろう」と考えこみます。
生まれた時代、生まれた場所で、全然違う体験をもつことになります。
「死」が近い時代と場所の時もあるし、そうでないときもあります。
ただ、歴史を創り出しているのは人間であることに間違いはありません。
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