2020年07月24日

時代の流れが図解でわかる! 早わかり日本史 河合敦

時代の流れが図解でわかる! 早わかり日本史 河合敦 日本実業出版社

 前回読んだ「日本を変えた50の事件(小学5年生向け学習参考書の付録)」同様、読みたい本が手元になくなったので、クローゼットをごそごそ探していたら出てきて、最近歴史に興味が湧いてきているので読んでみます。これもまた20年以上前の本です。

 1997年の日付で、著者のコメントが出ています。高校の歴史の先生とあります。
 テレビにも出演されている方のようです。
 全部を丁寧に読むのではなく、興味をもったところに着目しながら流すように読んでみます。

第1章 日本文化のはじまり -縄文から弥生時代へ
 狩猟中心の洞窟・穴倉移動生活が数十万年も続いていた。それまでは、食料を分かち合い、平等に暮らしていた。
 稲作によって平等が崩れた。食料の備蓄ができるようになった。よい田をもつ者ともたない者が生まれた。貧富の格差が生まれた。他人の収穫物や土地、労働力を奪う人間が現れた。戦争が始まり、勝ったものが支配者、負けた者が、奴隷となった。弥生時代が始まった。人間の『欲』の誕生です。ドラマチックでもあります。
 記事にある、青森県の三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき。約5900年前から4200年前の生活跡がわかる)には行ったことがあります。そのときのことを思い出しながら文章を読みました。

57年:金印『漢委奴国王印(かんのわのなのこくおういん)福岡県志賀島で1784年発見されたという説あり。江戸時代「天明」黒田藩所蔵』後漢の光武帝から倭国王へプレゼント。日本は島国といえども、大昔から、船旅で諸国と交流があったのでしょう。江戸時代の鎖国のイメージが強いので、つい日本は単体でやってきたというイメージが付いてしまっています。
 治安のことが書いてありますが、この本の248ページにタウンゼントハリス(外交官。日米修好通商条約締結)が、この時代の日本は治安が良く、人々は平等で、平和に暮らしているとあります。ほかの当時日本を訪れた外国人が書いた本でも、他国では、支配者が豪華な宮殿に住みぜいたくな暮らしをしているが、日本の武士は、質素な暮らしをしている。驚きだと記してありました。また、身分制度はあるものの、実体としては、上下関係はきついものではなく、みんな仲良く暮らしているとありました。日本人として誇れることだと思います。

239年:邪馬台国の卑弥呼登場(やまたいこくの女王ひみこ)魏(ぎ)に使いを送った。

第2章 律令国家の誕生 -大和政権から奈良・平安の時代へ
 なんだか、『対立』ばかりです。
 中央集権化を図るために大和政権が『仏教』を取り入れて、うまくいったと思ったら、僧侶が政権をとろうとする。そして、武士が登場して僧侶を殺し、寺院を焼き払う。
 目標は、天皇を中心とした国家をつくることです。
聖徳太子:574年-622年 593年から、推古天皇(554年-628年。女帝)の摂政 冠位十二階、十七条憲法
桓武天皇:737年-806年。794年に平安京への遷都
 
 興味が湧いて調べたこととして、日本人の平均寿命の変遷
奈良・平安時代:30代
鎌倉時代:20代
室町時代:10代
安土・桃山時代:30代
江戸時代:30代~40代
明治・大正時代:40代
昭和時代の戦後:60代~70代
むかしはこどもさんの死亡率が高かったので、正確ではない部分もあるでしょう。

 気になったところをつなげてみます。
 聖徳太子は、蘇我馬子をよくは思っていなかった。聖徳太子は天皇の家系だったが、豪族の蘇我馬子は、自分が天皇のようになって権力をふるおうとしていた。
 聖徳太子は、蘇我馬子の武力が強いので、表立って、蘇我馬子を攻撃することができなかった。
 聖徳太子は「冠位十二階」と「十七条憲法」で蘇我氏の勢力を抑えた。
 聖徳太子は、622年に亡くなり、蘇我馬子は626年に亡くなった。蘇我馬子の子が蘇我蝦夷(そがのえみし)で、その子が、蘇我入鹿(そがのいるか)
 聖徳太子の息子山背大兄王(やましろのおおえのおう)が蘇我入鹿の陰謀で643年に自殺させられた。
 中臣鎌足(なかとみのかまたり)と中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)が、豪族の蘇我氏を政治から排除するために、645年に蘇我入鹿を暗殺した。翌日、蘇我蝦夷は自害した。これを大化改新という。
 中大兄皇子は、天智天皇になった。天智天皇の同母弟の大海人皇子(おおあまのみこ)が皇位後継者だったのに、天智天皇は、自分の息子大友皇子を後継者にした。大海人皇子は、自分が殺されるかもしれないと思い、奈良県吉野へ逃げた。671年に天智天皇が死去した。大海人皇子は挙兵して大友皇子と戦い勝利した。これを壬申の乱という。勝利した大海人皇子は、天武天皇となった。
平安時代 平将門の乱 935年から940年 武士による関東の独立国家をめざした。本人は討ち死にした。

 平安時代の文化として、『平泉文化』 中尊寺金色堂
 以前見学したことがあります。仏像というよりも、美術品に見えました。

第3章 武士が主導する時代 -鎌倉幕府の誕生から室町へ
 国家の支配者が、『公家(くげ。朝廷の貴族)』から『武士』に変わります。『庶民(国民)』になるのは、まだ先、明治時代からのことです。武士の時代が700年間ぐらい続くと書いてあります。武力のもとにある日常生活です。

後鳥羽上皇:ごとばじょうこう。1180年-1239年。1221年に、公家対武士で、鎌倉幕府の北条義時を相手に承久の乱を起こすが敗北して、島根県隠岐島(おきしま)に流され生涯を終える。鎌倉幕府にいた源頼朝の妻北条政子が尼将軍として手腕をふるい武士が公家に勝利した。後鳥羽上皇は武力をもった公家であった。わかりやすかったです。

元寇:鎌倉時代の出来事。中国大陸を当時支配していた『元』の皇帝フビライが鎌倉幕府に服従を要求してきたので戦った。鎌倉幕府側は、執権北条時宗
1274年文永の役:元軍3万2000人が博多に上陸したが、夜、船に戻ったときに、暴風雨となり元軍は敗退した。
1281年弘安の役:元軍14万人 台風で元軍は壊滅した。
なんと、運が良かったことでしょう。

御家人:鎌倉時代にあっては、将軍直属の武士

後醍醐天皇:ごだいごてんのう。1288年-1339年 1333年鎌倉幕府滅亡の役割を果たした当時の天皇。のちに足利尊氏と対立して、奈良県の吉野に南朝をつくり、南北朝時代が始まる。この当時の武士として、足利尊氏、楠木正成、新田義貞

応仁の乱:1467年-1478年 11年間続いて、その後、戦国時代へ
 室町幕府時代。1467年に京都に25万人の軍勢が集まって、西軍、東軍に分かれて戦った。
 原因:室町幕府八代将軍足利義政・日野富子夫婦の対立。日野富子にこどもができなかったので、足利義政は自分の弟の足利義視(あしかが・よしみ)を後継者に選定した。ところが、その後、日野富子が妊娠出産して、男児の足利義尚(あしかが・よしひさ)を産み、彼を後継者にしたくなったので、幕府の実力者であった山名持豊(やまな・もちとよ)に相談した。これに対して、夫の足利義政は、政治的に無能な人間だった。事態を収拾できず。
 後継者争いが原因の戦(いくさ)ばかりです。兄弟は敵、叔父甥も敵です。

第4章 日本統一と太平の時代 -戦国時代を経て江戸幕府へ
 江戸幕府が長続きした理由として、「人間が平和を望む動物だから」には賛同します。100年ぐらい戦が続いて、みんな疲れ果てたのです。多少のことはがまんしても、『平和』がいいのです。
1582年:本能寺の変
1590年:豊臣秀吉が天下統一
16世紀後半:安土・桃山文化
1600年:関ケ原の戦い
1603年:江戸幕府開設
1614年:大坂冬の陣
1615年:大坂夏の陣
1637年:島原の乱
1646年-1709年:五代将軍徳川綱吉 生類憐みの令
17世紀なかばから18世紀初め:元禄文化
1701年:忠臣蔵事件
1716年:享保の改革 八代将軍 徳川吉宗 目安箱 倹約令
1730年-1801本居宣長
1787年:寛政の改革 田沼政治のあと、老中松平定信が幕府を引き締める。
1796年-1866年:ドイツ人医師シーボルト。1830年まで日本にいた。
18世紀末から19世紀初め:化政文化
1841年:天保の改革 老中水野忠邦

第5章 近代化する日本 -明治維新から太平洋戦争へ
政党政治
 自由党:党首 板垣退助 1881年(明治14年) 士族と農民が基盤
 立憲改進党:党首 大隈重信 1882年(明治15年) 資本家と知識階級
 立憲帝政党:党首 福地源一郎 1882年(明治14年) 官僚と軍人

 1941年(昭和16年)に政党は、『大政翼賛会』に統一される。

 選挙:1919年(大正8年)までは、年齢25歳以上、納税額(10円以上、3円以上)、男子のみだった。1925年(大正14年)納税要件撤廃、1945年(昭和20年)女性が選挙権を得た。

 ヨーロッパ諸国、フランス、イギリス、ドイツの制度の模倣
 
 1914年7月28日(大正3年)-1918年11月11日(大正7年)に第一次世界大戦

 1941年12月8日真珠湾攻撃で第二次世界大戦参戦
 1942年6月ミッドウェー海戦大敗北で敗戦へ向かう。日本軍の勢いがよかったのは、開戦からわずか半年間ぐらいだったようです。
 1943年、ガダルカナル島撤退
 1944年7月、サイパン島陥落
 日本本土への空襲激化
 1945年6月23日、米軍沖縄上陸、日本軍全滅
 1945年8月、原子爆弾投下、終戦

 朝鮮戦争:1950年(昭和25年)-1953年(昭和28年) 韓国(米国、英国支援)対北朝鮮(中国、ソ連支援)


*びっしりと情報が詰められている本ですので、なんども読み返しながら楽しんでみます。

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