2020年07月22日

この道は母へとつづく ロシア映画DVD

この道は母へとつづく ロシア映画DVD 2007年公開

 原題は、「イタリア人」です。ロシア人孤児がイタリア人夫婦に養子にもらわれていくからです。もらわれていくまでのあいだ、孤児仲間が彼を「イタリア人」とニックネームをつけて呼ぶのです。
 イタリア人と名づけられたロシア人6歳男児のワーニャ・ソンツェフが、自分を産んだ実母に会いたくなり、孤児院を脱走して、実母に会いに行きます。
 好評だった作品のようですが、わたしには合いませんでした。

 最後のオチをどうもっていくのかを重視しながら観ていましたが、中途半端で、不自然な終わり方をしました。
 ハッピーエンドですが、映画というものは、ふつう、そこから、表現を強く描写するための意志がスタートするのではないかという疑問が湧いて、消化不良な気持ちが残りました。ただ単に「良かったですね」では、拍子抜けなのです。
 この映画の場合は、ラストをスタートにもってきて、自分を捨てた母親との関係を深く掘り下げたほうがいい。

 映画なので当然虚構のお話なのですが、始まってからずっと、やらせとか、仕込みのように、なにかしら、わざとらしいシーンが続くという感触をもちながら観ました。ゆえに、感情移入ができませんでした。
 理性とか法令とかによりかかって処理するのではなく、わいろをはじめとしたカネとモノで回すのが、ロシア社会のお国柄かとも思いました。
 利益を得るためなら、嘘をついても構わない社会です。
 貧困、暴力、アル中、喫煙、窃盗、嘘を積み重ねる会話、そのような描写が極端に強すぎた感じがします。
 養子にいく話も合法的な人身売買かと驚きました。こどもたち同士が、養子にいったあと「臓器移植」に回されるかもしれないと会話していたのにはぞっとさせられました。
 あとは、主人公とは別のこどもさんで、実母の自殺者が出るわけですが、そのときは身寄りが見つからなかったからといっても、実の親の了解が得られないこどもさんの場合は、施設の職員の判断だけで、どこかへ養子や里子には出せないような気がするのです。最低限、裁判所の許可のような決定が必要な気がします。仲介屋の女性が入って、お金でこどもがやりとりされています。されど、映画は、ロシアとイタリアの話ですからわかりません。でも観ていて、疑問が残りました。

 こどもの心理として、顔も知らない自分の母親に会いたいという気持ちはあるでしょう。あわせて、父親に会いたいという気持ちもあるでしょう。ただ、会うと、がっかりするものです。

 孤児院の生活を描いた映画ですが、実際の孤児院の関係者が観たらどう思うのかは疑問です。映像にあることが、そのとおりだということになれば、孤児院の運営のしかたには、たくさんの問題点があります。

 ロシアの雪景色は、映画の内容も重なって暗く感じられました。
 
 こどもを思う母なら、すでにこどもを迎えに来ていて当然なのでは。
 こどもの母親は唯一ひとりと限定すると苦しい。産んだ女性も母親だし、育てる養母も母親であり、母親が複数いても不思議ではありません。

 6歳のこどもは、自分が施設に預けられたときの記録が書かれた極秘書類を盗み出して読むために、「文字の読み書き」ができるようになりたいと熱望します。文字の読み書きができるようになるということはとても重要なことです。

この記事へのトラックバックURL

http://kumataro.mediacat-blog.jp/t139811
※このエントリーではブログ管理者の設定により、ブログ管理者に承認されるまでコメントは反映されません
上の画像に書かれている文字を入力して下さい