2020年01月18日

男はつらいよ50 お帰り寅さん 映画館

男はつらいよ50 お帰り寅さん 映画館

 親子関係を考える映画でした。そして、歴史をふりかえり、思い出をなつかしむ映画でもあります。出演者も観客も歳を重ねました。平日昼間の観客は70代すぎの人たちが多かった。同性の友だち連れや夫婦です。
 昭和時代に金字塔(後世に永く残る優れた業績を打ち立てた作品群)を打ち立てたシリーズです。昭和40年代後半から50年代前半に田舎の映画館でこの映画を観ていたころ、上映中に、チケットもぎりのおばちゃんが観客席に来て、大きな声で、「〇〇くん、家から電話だよ」とお客で来ている近所の人に声をかけたりしていました。映像の中の世界と現実の世界が一致していました。まだ、自宅に加入電話をひけていない家庭もままありました。
 劇中、寅さんを中心にして激しい口喧嘩がたびたびあるのですが、お互いに言いたいことを言い合って、ぶつかって、それでも、それぞれが少しずつ身を引いて妥協点に達して合意する経過は、核家族や単身世帯が増えた現在にあってはうらやましい。
 すでに亡くなってしまった出演者の映像からは、淋しさと、せつなさを感じます。とくに、事故死された女優さん、病死された女優さんや男優さんは、もっと長生きしてほしかった。長寿社会になったとはいえ、平均寿命まで生きることができない人もいます。
 感想をいくつか。
 寅さんのシーンがたくさん出てくると思っていましたが、それほどありませんでした。もっぱら、吉岡秀隆さんと後藤久美子さんのシーンです。おもにふたりが思い出す寅さんのシーンが映像で流れます。渥美清さんの映像はDVDで楽しめるので、これまでの本編はそちらで楽しみましょうということなのでしょう。昔の映像のなかの役者さんたちはみなさん若い。女性は美しくてきれいです。男性は生き生きとしていていい男です。
 吉岡秀隆さんの現在の子どもとしての女子高生は、父親にあんなに優しい女子高生は現実にはいないわけで、つくられた個性でした。それでもかまいませんが。
 映像も合成とわかるようなものもありました。しかたがありません。
 おもしろかったのは、「年をとって、耳が遠くなっても、悪口だけはよく聞こえる」というセリフ。耳も聞こえづらくなりますが、目もかすんで見えにくくなります。
 いまでは、ストーカー行為といわれるような昭和時代のいちずな恋愛は涙を誘います。
 女性編集者高野さん役の池脇千鶴さんは芸達者で演技上手です。感心しました。
 車寅次郎は善人ですが、わがままでいいかげんな悪役の面もあります。めんどくさい奴です。それでも愛されるのは、美しくて太い線が一本とおっているからです。たとえば、「人間は理屈だけで生きているんじゃない(気持ちとか、感情のほうが理屈よりも優先している)」、「(人間はなんのために生きているのかと吉岡秀隆さんにたずねられて)たまに、生まれてきて良かったなあと思えるときがあるからじゃないか」、「結婚は必要なことだ」、「いいじゃないか、まちがえても。若いんだから(心が広いときもある)」、「だめなところもあるけれど、それが伯父さんだ(心が狭いときもある)」、惚れっぽいのですが、望みがかないそうになって、その女性と一線を超えるチャンスが訪れたとたんに臆病になって身を引いてしまいます。永遠の少年です。そこが、健全であり、おかしくもあり、こどもからお年寄りまで、おおぜいでも安心して観ていられるのです。
 柴又駅のホームを隔てて、女子高生たちが会話をかわしているシーンが良かった。柴又駅の現地にいったことがあるし、若い頃自分が、別の場所で、じっさいそういう体験をしたことがあるので、ほんわかしました。
 ワンポイントでの、出川哲朗さん、立川志らくさん、カンニング竹山さん、笹野高史さん、橋爪功さんの登場も良かった。
 苦言としては、今の時代、映画での喫煙シーンは出さないほうがいいです。ましてや今回は病院での喫煙シーンです。時代は変わっているのに日本映画スタッフの意識は変われていません。ほかの日本映画でも喫煙シーンで感情表現をしようとする映像が多用されていますが時代遅れです。
 BGMとしての雨の降る音が良かった。バックミュージックの音楽で観客の感情を誘導するのではなく、自然の音、鳥のさえずりとか、風の吹く音で、映像に雰囲気をつくってほしい。
 歴史を感じる映画でした。昨年秋にNHKで観た寅次郎少年のドラマも思い出し、永い時の経過を味わうことができました。


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