2019年11月15日

雪こんこんお寺の柿の木 森三郎童話集

雪こんこんお寺の柿の木 森三郎童話集 国立国会図書館デジタルコレクション

 森三郎:童話作家。赤い鳥の編集者。1911年(明治44年)-1993年(平成5年)82歳没
 赤い鳥:1918年(大正7年)-1936年(昭和11年)童話と童謡の児童雑誌

「雪こんこんお寺の柿の木」
 お寺のおしょうさんと小坊主の心温まる優しいお話です。
 時代は江戸時代です。
 柿の木にのぼって柿をとっていた小坊主が、通りかかった若君の行列と出会い、最終的に、小坊主はお城へ連れて行かれます。
 若君の弟という扱いですが、若君と入れ替わるような経過の発想が新鮮でした。
 のんびり、ゆったり、いいふんいきで、時間が過ぎていきます。あんがい、江戸時代って、みんなゆったり生きていたのではなかろうか。
 若君の弟は、縛られる生活で、けっこうしんどい。小坊主はお城を抜け出して、お寺に帰ってきます。
 『柿の木はやっぱり柿の木』というセリフは、小坊主は小坊主として生きていくというメッセージなのでしょう。

「角田川(すみだがわ)」
 悲しいお話です。時代設定は、何百年も前のことですから、江戸時代初期でしょう。
 ちいさな男の子がひとさらいにさらわれて連れて行かれる途中で病死します。母親があとを追いかけるのですが母親も気が狂って死んでしまいます。
 不思議なのは、さらわれて移動中のこどもとひとさらいのおとなの立場がなにかしら逆転しているのです。こどものほうが、態度がでかいのです。身分のある人の子ども、お金持ちのぼんぼんのようです。
 こどもはなんどもひとさらいに池に浮かぶ鳥をとってくれと、お願いというよりも指示をするのです。でも、ひとさらいは、鳥をとろうとはしません。とろうとしても鳥は逃げるでしょう。逃げるであろう鳥になにか暗示があるようです。鳥は、「幸せ」とか、「希望」なのでしょう。母親にとっては、「子ども」なのでしょう。子どもさんの名前は、「梅若」で、数え7歳です。こどものお墓には土まんじゅうがお供えしてあります。
 母親は、夜空に自分の息子の星があるからと、星の数を数えますが、何度数えても、途中で数がわからなくなります。

 竹久夢二:画家、詩人。1884年(明治17年)-1934年(昭和9年)49歳没。美人画。この作品角田川(すみだがわ)の冒頭に詩があります。ひとさらいに連れていかれる夢です。

「鉦(かあね)の音はチンカラリン」
 昔の京都で、光氏(みつうじ)という男が、16・7のきれいな田舎娘黄昏(たそがれ)と知り合い、結婚を決意していっしょに歩いていると、お地蔵様との出会いがあります。お地蔵様がおっしゃった、「あちゃらに三丁、こちゃらをあちゃらへ三丁(330mぐらい)」がおもしろかった。
 そのあと、光氏(みつうじ)は、お寺で出る東雲入道(しののめ入道。身の丈一丈みのたけいちじょうは3mぐらい)を名刀「小烏丸(こがらすまる)」でやっつけるのであります。

「山彦」
 不思議なお話でした。山彦という男の元へ嫁ぎたい長者の娘がいて、嫁いでいくのですが、山彦は最後まで姿を見せません。山の頂上に炭焼きの白い煙があがるだけです。
 明日見山(あすみやま)という名称の高い山です。人間の足ではたどりつけないところに山彦の家があるそうです。でも、長者の娘乙姫は行ってしまいました。なんだか、月光で、「かぐや姫」みたいなお話でした。秘密めいた山彦の存在でした。

「雉子のお山(きじのおやま)」
 三匹のキジのこどもがお山にいます。キジのおかあさんがこどもたちに、人間は怖いと教えます。鉄砲をもって雉撃ちに来るからです。おかあさんは、こどもたちが自分に従うようにするために、言うことをきかないとキジ撃ちの長兵衛を呼んでくるとこどもたちをおどします。
 ある春の日に大名のお姫さまのご一行がさくらの花見に来ました。お姫さまは12才です。キジの鳴く声を気味悪がって食べ物を置いたまま退散してしまいました。残ったごちそうをキジたちで食べました。自然と鳥が共生するおいしくて、のんびりしたお話でした。

「春」
 行兼(ゆきかね)という人物が登場します。母親とお嫁さんが、まだ食べられるねぎの一部分を捨てたと口喧嘩をしています。そんなことがしょっちゅうで、行兼は毎日の生活に嫌気がさしています。こどももひとりいて、やんちゃでわずらわしい。家にいたくないので、子羊(こやう)老人のところへ時間つぶしに行きます。囲碁をやります。
 いやいや家に帰る行兼ですが、庭に梅の花が咲き、母と嫁が行兼の帰りを待って夕食の準備をしてくれています。楽しい食事時間が待っているのがわかって、行兼はうれしい気持ちに包まれます。

「鏡の渡し」
 船で向こう岸に人を渡す仕事をしている伊保奴萬(いほ・ぬま)という名の男性のお話です。老人から船賃の代わりに鏡を受けとります。鏡の中に女性が現れるのです。
 理解できない部分もありますが、雰囲気はいい。

「十二の桃」
 いろいろな民話のパロディ(他の作品の模倣)みたいな合体作でした。わたしはちょっと好みではありません。かちかちやま、ももたろう、はなさかじいさん、うらしまたろうなどがありました。
 調べた単語として、「共栄圏:日本の構想による第二次世界大戦中のアジアの地域」

「灯(ひ)」
 西の海に沈む夕日から始まります。浜に住んでいるのが、渚(なぎさ)という娘です。毎晩小山を登って水神さまの灯籠に灯をともすのです。海には、夜光虫(光り輝くプランクトン。赤潮)が浮かんでいます。海に出たまま帰らない許嫁(いいなづけ。婚約者)の帰りを待っているのです。
 記述内容は、薩摩藩が琉球を攻略したことですから、1609年、江戸時代が始まった頃です。失望の気持ちに沈む渚でした。

「烏勘左衛門奉公はじめ」
 擬人化された烏(カラス)が江戸へ出てきて、同じく擬人化された大名のタンチョウ鶴に仕えます。烏は竹ぼうきで庭の落ち葉をお掃除します。烏は人間みたいにひとりでぶつぶつと愚痴をこぼし続けるのです。タンチョウ鶴のお姫さまも本音であれやこれやを延々としゃべるのです。おもしろい。

「父」
 若い妻の蜻蛉(かげろう)が、「もう死にます」と言って病死しました。ふたりには、こどもがいませんでしたが、亡妻があの世からこどもにみたてた3本の樹木を夫に送ります。男ふたりが、梅若と松若、女ひとりが、櫻姫です。樹木を亡妻のお墓のわきに生えました。夫は、3本を抜いて家の庭へ植え替えました。
 戦が始まりました。
 親の子離れのお話でした。

「飴の鳥」
 うぐいす鳥の形をした飴売りです。冬の日におじいさんが歌うように呼び込みをしながら飴を売っています。天神さまの縁日です。
 うぐいすの飴が擬人化します。自分は家柄のいいうぐいすだと祖先話を始めます。どうも太宰府の菅原道真のことのようです。筑紫という福岡県の地名が出ます。
 平安時代901年が、菅原道真が左遷された年です。道真は903年に亡くなっています。ずいぶんと前のことです。
 こども相手の飴売りのようすを描写した作品でした。

「ひぐらしの村」
 片意地な人が住む村があった。片意地とは、がんこに執拗に自分の考えを押し通すこと。
 旅人が、水をくださいといっても村人たちはだれもくれません。
 ひぐらしが、セミのひぐらしになって、片意地な村は、ひぐらしの村と呼ばれるようになったそうな。

 調べた言葉として、「持丸長者:もちまるちょうじゃ。大金持ち、富豪」

「鼓大名(つづみだいみょう)」
 鼓が上手な大名がいた。つづみの皮が痛んできたので帰ることにしました。ウソ(動物)の皮に帰ることにしましたが、ウソを見たことがありません。
 嘘の反対の正直が出てきました。なんだか、ショートショート、短い奇妙話のようです。
 嘘=女性という話になってきました。ちょっと最後のオチの意味をとれませんでした。

「二人静(ふたりしずか)」
 源義経の妻、静御前がふたりいるのです。場所は、奈良県吉野です。ふたりのうちのひとりは、きつねが化けているのです。おどけた文脈で、こういう感じで童話でいいんだと、その雰囲気にほっとさせられるものがあります。漫才の台本のようでもあります。名前をたずねて、「しずかです」と返事があると、「にぎやかじゃないんですか」と返します。
 奈良で、吉野で、化けるきつねといえば、斉藤洋シリーズの白狐魔丸(しらこままる)を思い浮かべます。何度か吉野には行ったことがあるので親しみを感じます。
 さて、作中では、きつねが人を化かします。義経の首をとりに来た武将に義経の首を出すのですが、じつはそれは、すいかをくりぬいて顔にしたものでした。ちょうど、この部分を読み終えたのがハロウィンの夜で、いろいろと縁を感じました。楽しみました。

「竹馬與市(たけうまよいち)」
 竹馬與市というのはちいさな妖精らしい。
 昔、黒目のじいさん、赤目のばあさんがいました。こどものいない夫婦でした。そこへ、身長10センチぐらいの男の子がやってきます。お月さまの孫の15才になる竹馬與市と申します。おふたりのこどもです。
 20才になった竹馬與市はふたりにお金持ちの家から嫁を世話してくれといいます(なんだかずうずうしい)。それを聞いた山姥(やまんば)が竹馬與市をさらっていきます。
 そのあといろいろあって、山姥と竹馬與市のふたりは闘います。竹馬與市は山姥を倒して望みどおりお金持ちの家のお嬢さんと結婚したのです。

「長靴を穿いた太陽(ながぐつをはいたたいよう)」
 天才音楽家の村山六十四郎(むらやまむさし)さんが登場します。バイオリン弾きです。
 オーケストラ付きの歌劇が始まったようですが、読み手としてはどうなっているのかわかりません。
 調べた単語として、「疵:きず」、「浚える:さらえる。読めませんでした」

「をみなえし」
 東京大学の学生のおじさんが好ちゃん(こうちゃん)に、お墓参りに行くので、おみなえし(花。秋の七草。黄色い花)をとってきてほしいと頼みます。
 おじさんといっしょに好一はお墓参りに行きますが、おじさんは好一の知らない人のお墓参りもします。
 好一はおじさんに今度帰省してくるときは、本を買ってもってきてほしいとおねだりしました。
 おじさんは墓参りのあと東京へ帰り、急に病気で亡くなりました。亡くなったあと、亡くなったおじさんから好ちゃんに童話が2冊送られて来ました。
 お墓の前で手を合わせる好一でしたが、ふいにお墓にすいこまれるような気分になったのでした。

「洋服屋のお松さん」
 昔洋服屋だったお手伝いさんのお松さんが洗濯をしています。この家のこどもが和雄です。お松さんのご主人はいま監獄にいて、ギャングだそうです。
 お松さんが炊いてくれたごはんはやわらかすぎで、翌日、障子紙をはるためののりになりました。

「村の床屋」
 床屋の作じいさんはからだの調子が悪い。
 髪の長い男の子が来て、病気で長い間寝込んでいた。明日から学校へ行くと言います。作じいさんのこどもは3年前に病気で亡くなりました。
 店をたずねてきたその髪の長いこどもというのは、冥土へのお迎えのために来たらしく、作じいさんは髪切りの途中で眠ってしまい、眠りから覚めることもなく冷たくなっていたのです。

 昭和18年12月30日発行の本でした。


(追記 2020年10月22日 愛知県刈谷市中央図書館のホームページにいくつかの作品が紹介されたので読んでみました)

〇小学校低学年向け
「けいと」
 おばさまと3才の小さなはつかねずみがいっしょに暮らしているという設定が平和でいい。
 ねずみちゃんがおばさまに頼まれて糸屋さんへ糸を買いに行きます。赤い毛糸、白い毛糸、青い毛糸。だけど、三種類ともそろってあるお店が見つかりません。
 親切なからすくんが、三種類とも買える買い物のしかたを教えてくれました。
 ねずみちゃんというのは、ちいさなお子さんのことなのでしょう。

「おばあさん」
 リンゴ農家の話です。リンゴが40個とれました。翌朝勘定すると41個に増えています。なにかがリンゴに化けているのです。だからリンゴが勝手に動き回ります。こどもさんが喜びそうな内容のお話です。
 化けていたのではなく、小鳥が魔法使いによってリンゴの中に閉じ込められていたのです。わたしは、たぬきがリンゴに化けているのだと思いこんでいました。おばあさんが魔法を解いてくれたので小鳥がみっつのお願いをかねえてくれるそうです。
 ねむるためのおおきなかごが提供されました。やわらかいまくらも出てきました。そしてなんとおばあさんはお月さままでいってしまいましたとさ。おもしろかった。

「狐の提灯(きつねのちょうちん)」
 そめもの屋の太郎兵衛(たろうべえ)さんがいます。
 そめ粉(そめこ)を買いに行ったかえりにホタルがぴかぴか光っています。
 道のまんなかにきつねが一匹います。
 きつねは村の庄屋の娘「おぎん」に化けます。14才か15才ぐらいです。
 太郎兵衛はきつねにだまされたふりをすることにしました。(ところが、やっぱりだまされてしまうのです)おもしろい。

「おばあさんと鬼」
 おだんごが好きでよく笑うおばあさんがいました。
 おばあさんがおだんごをにぎっていたら、おだんごが落ちてころがって穴に落ちてしまいました。
 穴からおだんごをひろおうとしたら、おばあさんは穴の中に吸いこまれてしまいました。
 穴の中でおだんごをさがすおばあさんです。
 おばあさんは、おじぞうさんと出会ったので、たずねました。「わたしのおだんごを知りませんか?」
 おじぞうさまから、おだんごは、、下の方へころがっていったけれど、そこには鬼がいると忠告がありました。
 おばあさんは鬼に出会いましたが、鬼はおばあさんを食べません。おばあさんにめしたきを頼みました。
 でも、おばあさんはそこでの暮らしに飽きて家に帰りたくなりました。
 豪快です。川を渡って逃げるおばあさんですが、鬼が川の水をがぶがぶと飲んでしまいます。すごい。
 最終的にはおばあさんの勝ちでした。

「目ぐすり」
 昔の愛知県三河地方刈谷(現在の刈谷市)のお話です。
 登場人物は、七右衛門夫婦(しちえもんふうふ)です。
 またまたきつねさんの登場です。(これは、擬人化で、実は悪いことをする女性のことかも)
 お酒に酔った七右衛門じいさんです。
 帰り道にあった家の中から若い女の人の歌声が聞こえてきました。
 じいさまが誘われて家の中に入るともうひとり女性がいます。娘の母親だそうです。
 母親が目が悪くなったというので、じいさまは、ひしだやという目ぐすり屋を紹介しました。
 女性ふたりは、ひしだ屋の犬がこわいといいます。
 そんなことをばあさまに話したらきつねに化かされているんだといわれて納得したおじいさんでした。

 ひしだ屋に話をしたじいさまでしたが、ひしだ屋にいたら、あの夜の若い娘が目ぐすりをもらいに来て受けとって帰って行きました。
 種明かしです。二匹のきつねが正直にじいさまにことのなりゆきを説明します。
 人間ときつねの和解と共存があります。いい話でした。

〇小学校中学年向け
「けんかの後」
 四年生の瀧本研吉がいます。おとなしくて、勉強はあまりよくできないそうです。仲良しの相手が、お寺のこどもで色白な昌二さんです。そんなふたりが小鳥のカナリアをめぐって、仲たがいをしたお話です。
 話し相手がいなくなるとつまらなくなります。
 級長選挙の投票です。気持ちのすれ違いがあります。研吉は昌二にあやまることにしました。
 まじめなお話でした。

「虎」
 昔、中国の村に陳(ちん)という若い木こりがいた。両親を養っていた。
 村にある山には虎がいるといわれていた。
 ある日、陳は山で穴に落ちてしまった。穴に奥には虎の子が二匹いた。虎の親が獲物の鹿をくわえて穴に戻ってきましたが陳を襲おうとはしません。
 陳は虎に助けてもらいました。そして、陳はその後、虎に恩返しをしたのです。
 日本のふだんの民話だと動物が人間に恩返しをするパターンはたくさんみますが、逆に、人間が動物に恩を返すお話は、はじめてです。きまじめで優しい。

「わらび餅」
 京都にいた有明の中将(ありあけのちゅうじょう)という人のお話です。彼はわらび餅が好きで毎日たくさん食べていたので胃が悪かったそうです。
 彼の奥さんは月野前(つきのまえ)という女性で、ごうまんでごうじょっぱりな人だったそうです。そて、わらび餅がきらいだったというから、どうしてふたりが結婚したのか不思議ですが、お互いに親に結婚相手を押し付けられたのでしょう。ふたりは妥協点を見出して、食べるわらび餅の数を減らすことで合意しました。
 そんな彼が狩りに行って若い女子と出会ってわらび餅をごちそうになったのです。
 奥さんにわらび餅のたたりが出ます。おんみょうじとして、安倍晴明(あべのせいめい)が出てきます。
 神秘的な昔話でした。

「狐(きつね)」
 舞台は備中(岡山県)笠岡というところです。
 せいげんつかというところに、お父さんぎつねと子ぎつねが住んでいたそうです。
 冬のこと、お父さんぎつねがにわとりを盗みにいきましたが帰ってきません。子ぎつねは不安です。ようすを見に行くと、本物の人間の泥棒に出会ってしまいます。(おもしろそう)
 子ぎつねはどろぼうたちが盗んで埋めたお金を横取りして持ち帰ります。お父さん狐はあいかわらず帰ってきません。
 そのあと二匹のきつねはピンチにおちいるのですが、人間の誤解もあって命が助かります。よかった。よかった。このころにも優しい人情はありました。

「いたちの手ぬぐい」
 いたちも化けるそうです。ばけるための道具はてぬぐいで、てぬぐいを頭にかぶって両手でこするとかわいらしい女の子になるそうです。
 いたちのなかよしはたぬきです。でもよく話を聞いてみると、いたちはたぬきに上手に利用されて働かされているだけです。
 それでもいたちはたぬきとの友だちづきあいを大切にします。
 ふたりは詐欺師(さぎし)のように組んで、鳥屋さんからにわとり二羽をせしめました。
 でもやっぱりいがみあうふたりです。

「ちえの小法師(こぼうし)」
 愛知県三河(みかわ)の海辺にある村でのお話です。
 村の境界あたりに、げんげ(れんげ草)が咲く丘があった。
 笹寺という寺に長い顔をした和尚さん(おしょうさん)と法蓮(ほうれん)という小僧(こぞう)がいた。
 裏山には、大だぬきがいた。人間に化けると猫背になっているそうです。
 このあとは、たぶんおばあさんに化けた大だぬきの登場です。
 見破られた大だぬきが小僧に仕返しを考えます。
 小僧は大だぬきと正面から闘うことにしました。
 上手にできたお話でした。悪者はやっつけましょう。

〇小学校高学年向け
 
「雪」
 小学六年生の弘が学校へ行きます。
 おかあさんが愚痴をこぼしながら弘を見送ります。
 父親は最近亡くなったようです。
 母子は引っ越しをしましたが、転校はせず、弘は電車に乗って学区外通学をしているようです。
 学校からの帰り道は雪が降ってきました。
 
 弘がお昼にお弁当を出したらおはしがありません。おかあさんが入れるのを忘れたのです。
 弘は最近何かとお母さんに当たるようになっているようです。(自分のことは自分でやりましょう)
 
「夜長物語」
 京都の都のはずれに住む片野少将のお話です。
 夜中に散歩に出て、京都の東にある三十三間堂あたりを散策します。
 ほら穴の中からおおぜいのひとたちが歌う声が聞こえてきます。
 穴の中を50mほど歩くと大空に太陽が輝いている空間に出ます。
 ねずみたちが歌を歌っていました。
 (むかしの童話や児童向け文学作品には人間と動物の交流がたくさん描かれています)
 お供えを盗みに行った子ネズミたちをやっつけた神社のこま犬に復讐をしてやろうという親ねずみたちです。神社をかじりつくしてやろうという計画です。
 それを聞いた神社の恵比須さまはお怒りになりました。逆にこま犬を使ってねずみたちをやりこめる計画です。
 ねずみたちの負けでした。負けたねずみたちは、しかえしを考えました。
 こま犬のボスが恵比寿さまで、ねずみのボスが大黒さまです。神さま同士の対立が始まりました。
(これは、歴史上の人間の出来事をねずみやこま犬に代えてあるのではなかろうか)
 戦(いくさ)です。海の生き物とねずみが戦います。
 (おもしろい)
 布袋和尚(ほていおしょう)という中国のお坊さんが出てきて、仲介役をかってでました。
 手打ちの宴会をやるそうです。
 酔っぱらった布袋(ほてい)さんが、大黒さんとすもうをとります。行司が、恵比寿さんです。
(おもしろい話でした)

「秋蝉(あきぜみ)」
 今度中学一年生になる小学六年生のために補習をするそうです。
 吉田先生、直くん(ただしくん)が出てきます。
 中学といっても第二次世界大戦前の学校制度です。たいていのこどもは小学校で終わりです。12才から旧制中学が5年間ですが全員が行くわけではありません。明治40年頃だと義務教育は小学校までです。
 お金がないと中学校へは行けなかったようで、物語に、「直は自分の家がお金持ちでないことをよく知っていた」と書いてあります。それなのに、「中学に行く人?」と先生に聞かれて手をあげてしまいました。
 直(ただし)の友だちが敏ちゃんです。敏ちゃんも中学進学に手をあげました。

 直の両親は中学進学を認めてくれません。小学校を出たら町の時計屋さんに奉公に行くことが決まっているそうです。
 直さんは、敏ちゃんに本当のことを言えません。
 秋蝉がカナカナカナと鳴いているところで物語は終わります。

 セルのはかま:毛織物

「めぐりあい」
 江戸時代のお話です。両替屋というところにあるぜに箱の中に、お金の兄弟がいます。「四文銭(よんもんせん)の仲のいい兄弟」と書いてあります。(あとでわかりますが、弟は二文銭です)
 旅人が両替に来て、弟の四文銭が旅立ちました。
 兄の四文銭のほうは、両替店のこどもたちの手に渡りましたが、手が滑ってしまい、店の外へ出てしまいました。これもまた移動するようです。
 
 四文銭に命を吹き込んであるお話です。

「とんび凧(たこ)」
 和雄ちゃんが主役です。和雄ちゃんは兄の永二さんの帰りを待っています。
 永二さんが和雄ちゃんに凧を買って来てくれるはずなのです。
 なのにわけあって、永二さんは、凧を買いそびれました。
 永二さんは、お母さんからアドバイスをもらって、弟のために翌日またとんび凧を買いに行ってくれたのです。

「赤穴宗衛門兄弟(あかあなそうえもんきょうだい)」
 500年前、播磨の国(兵庫県あたり)の村に赤穴宗衛門という浪人が母親と若い弟長谷部左門とひっそり暮らしていた。
 宗衛門が出雲(島根県)に行くことになった。9月9日ころに戻るとのこと。
 されど、悲しい出来事が起こって、兄は魂となって帰郷するのです。

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