2019年06月15日
長いお別れ 映画館
邦画 長いお別れ 映画館
本は読んだことがあります。喜劇でとても面白かった記憶が残っていますが、内容はもう思い出せません。本を読んだ当時に、いつか映画になるといいなと願っていましたら、映画になったので、観てきました。
「長いお別れ」は、認知症の人の発病から亡くなるまでの期間が長いことをさします。山崎努さんが演じる昇平さんは、認知症を70歳で発病して、77歳をすぎて亡くなっています。本では10年間ぐらいの闘病期間でした。
役者さんたちは熱演でした。全力投球です。まじめな映画です。映画館内でもっと笑いが出ていいと思うのですが、観客は年配層ばかりで、あまりにも身近で、明日は我が身の雰囲気もあるので、わりとしんとしており、ときおり涙する人たちのすすり泣きが響いていました。
結婚で今話題になっている蒼井優さんのシーン時間が長いので、昇平さんの次女役をしている蒼井優さんの映画でもありますが、認知症になった山崎努さんもその奥さんの松原智恵子さんも好演されています。蒼井優さんは山里亮太さんとの結婚の記者会見とは違って、映画での演技は、とことんのめりこむものでした。
劇中、ぼけた山崎さんがさかんに「帰る、帰る」というのですが、自分なりに、彼は、昔のことを思い出して、昔の若かった自分たち夫婦と、まだ、小さかった娘たち姉妹のいた、あの場所へ帰りたいのだと途中でわかりました。でも、そこへはもう帰れないのです。今、いくら探しても、その場所は地球上のどこにもないのです。(だから、今この瞬間を大切に過ごすのです)
最後は、誕生日を祝うシーンで終わってもよかった。みんなで頭にかぶる三角帽子がよかった。
医師が親族に延命治療の希望を聞くシーンは、後半部まできてのもう時間がない時刻でのものであり最後にけっこう重い課題を提示してしまいました。金髪の孫のセリフが良かった。「生きているかぎり生きていてほしい」最後は「優しさ」で包むのが映画です。映画はそれでいいと思いますが、現実は厳しい。本人自身がちゃんとしているうちに延命治療を望むのか望まないのか、自分でしっかり一筆書いておいてほしい。
長女の壊れた家庭も含めて、家族を考える映画にしあがっています。
山崎努さんが言った「くりまるな」だったっかの言葉の意味を考えています。「くよくよするな。なんとかなる」という意味かなという自分なりの結論です。
大きな河川敷と大きな鉄橋を渡る鉄道シーンでは、映画男はつらいよで、葛飾柴又江戸川河川敷あたりにいる寅さんの笑顔が目に浮かびました。
冒頭の遊園地のシーンが、いったん離れるのはどうなのかなあ。本を読むときは、最初の短編で完結してしまうので、映像とは違う流れになります。興味がある人は、本も読んでみてください。笑えます。
万引きのシーンはどうなのかなあ。店側の対応として、そこまでやるかなあと疑問をもちました。相手の自尊心を傷つけるまで叩くのは行き過ぎです。気持ちのいいものではありません。超えてはいけない一線があります。
長いお別れ 中島京子(なかじま・きょうこ) 文藝春秋 2017年8月23日読書感想文の記事から
老衰、認知症、お別れの話かと思って手にした本です。
短編8本がおさめられています。
「全地球測位システム」
アルツハイマー型認知症の元中学校長男性とネグレクト(育児放棄)気味の姉妹とのふれあいです。
文章運びがうまい。ベテランの味があります。
いいなあ。
「私の心はサンフランシスコに」
おもしろすぎる。今年読んでよかった1冊です。
おもしろ、おかしい。
妻72歳、夫はぼけている。
「おうちへ帰ろう」
むずかしい漢字を読めるぼけ老人の祖父と、漢字が読めない十代男子孫とのやりとりがとてもおかしい。
「フレンズ」
落語のようです。おもしろすぎる。
いいセリフの趣旨として、「結婚とは、あきらめることです」
話の運びがうまい。
「つながらないものたち」
しあわせってなんだろう。どういう状態がしあわせというのだろう。
それは、「標準」であることではないようで、実は、「標準」であることのような気がする。
なんども、「家に帰る」というセリフが出てきます。自宅にいるのに、「家に帰る」というセリフを言われます。その「家」は、もう、この世には無い、過去のものとなった「(昔の雰囲気がある)自宅」なのでしょう。帰る家はもうこの世のどこにもないのです。泣けてくるような話です。
「入れ歯をめぐる冒険」
アルツハイマー型認知症を患って9年が経過しました。夫婦ふたりともが認知になったら、家の中はどうなるのだろう。
「うつぶせ」
読めなかった漢字として、「俄か:にわかに」、「喚く:わめく」
短編の内容はまあ、めちゃくちゃです。介護の様子で、不謹慎ですが、(おもしろい)
「QOL」
アメリカにいる孫たちのことから導入するパターンがいい。
距離感があっていい。
ケアマネジャーという職業のたいへんさ、重要さ、高い位置がわかります。なかなかできない。志が必要です。
QOLとは、人間らしく生きることらしい。
主人公は、自分で決めたわけではないけれど、こう言います。
「もう、いい」
長い10年間でした。
本は読んだことがあります。喜劇でとても面白かった記憶が残っていますが、内容はもう思い出せません。本を読んだ当時に、いつか映画になるといいなと願っていましたら、映画になったので、観てきました。
「長いお別れ」は、認知症の人の発病から亡くなるまでの期間が長いことをさします。山崎努さんが演じる昇平さんは、認知症を70歳で発病して、77歳をすぎて亡くなっています。本では10年間ぐらいの闘病期間でした。
役者さんたちは熱演でした。全力投球です。まじめな映画です。映画館内でもっと笑いが出ていいと思うのですが、観客は年配層ばかりで、あまりにも身近で、明日は我が身の雰囲気もあるので、わりとしんとしており、ときおり涙する人たちのすすり泣きが響いていました。
結婚で今話題になっている蒼井優さんのシーン時間が長いので、昇平さんの次女役をしている蒼井優さんの映画でもありますが、認知症になった山崎努さんもその奥さんの松原智恵子さんも好演されています。蒼井優さんは山里亮太さんとの結婚の記者会見とは違って、映画での演技は、とことんのめりこむものでした。
劇中、ぼけた山崎さんがさかんに「帰る、帰る」というのですが、自分なりに、彼は、昔のことを思い出して、昔の若かった自分たち夫婦と、まだ、小さかった娘たち姉妹のいた、あの場所へ帰りたいのだと途中でわかりました。でも、そこへはもう帰れないのです。今、いくら探しても、その場所は地球上のどこにもないのです。(だから、今この瞬間を大切に過ごすのです)
最後は、誕生日を祝うシーンで終わってもよかった。みんなで頭にかぶる三角帽子がよかった。
医師が親族に延命治療の希望を聞くシーンは、後半部まできてのもう時間がない時刻でのものであり最後にけっこう重い課題を提示してしまいました。金髪の孫のセリフが良かった。「生きているかぎり生きていてほしい」最後は「優しさ」で包むのが映画です。映画はそれでいいと思いますが、現実は厳しい。本人自身がちゃんとしているうちに延命治療を望むのか望まないのか、自分でしっかり一筆書いておいてほしい。
長女の壊れた家庭も含めて、家族を考える映画にしあがっています。
山崎努さんが言った「くりまるな」だったっかの言葉の意味を考えています。「くよくよするな。なんとかなる」という意味かなという自分なりの結論です。
大きな河川敷と大きな鉄橋を渡る鉄道シーンでは、映画男はつらいよで、葛飾柴又江戸川河川敷あたりにいる寅さんの笑顔が目に浮かびました。
冒頭の遊園地のシーンが、いったん離れるのはどうなのかなあ。本を読むときは、最初の短編で完結してしまうので、映像とは違う流れになります。興味がある人は、本も読んでみてください。笑えます。
万引きのシーンはどうなのかなあ。店側の対応として、そこまでやるかなあと疑問をもちました。相手の自尊心を傷つけるまで叩くのは行き過ぎです。気持ちのいいものではありません。超えてはいけない一線があります。
長いお別れ 中島京子(なかじま・きょうこ) 文藝春秋 2017年8月23日読書感想文の記事から
老衰、認知症、お別れの話かと思って手にした本です。
短編8本がおさめられています。
「全地球測位システム」
アルツハイマー型認知症の元中学校長男性とネグレクト(育児放棄)気味の姉妹とのふれあいです。
文章運びがうまい。ベテランの味があります。
いいなあ。
「私の心はサンフランシスコに」
おもしろすぎる。今年読んでよかった1冊です。
おもしろ、おかしい。
妻72歳、夫はぼけている。
「おうちへ帰ろう」
むずかしい漢字を読めるぼけ老人の祖父と、漢字が読めない十代男子孫とのやりとりがとてもおかしい。
「フレンズ」
落語のようです。おもしろすぎる。
いいセリフの趣旨として、「結婚とは、あきらめることです」
話の運びがうまい。
「つながらないものたち」
しあわせってなんだろう。どういう状態がしあわせというのだろう。
それは、「標準」であることではないようで、実は、「標準」であることのような気がする。
なんども、「家に帰る」というセリフが出てきます。自宅にいるのに、「家に帰る」というセリフを言われます。その「家」は、もう、この世には無い、過去のものとなった「(昔の雰囲気がある)自宅」なのでしょう。帰る家はもうこの世のどこにもないのです。泣けてくるような話です。
「入れ歯をめぐる冒険」
アルツハイマー型認知症を患って9年が経過しました。夫婦ふたりともが認知になったら、家の中はどうなるのだろう。
「うつぶせ」
読めなかった漢字として、「俄か:にわかに」、「喚く:わめく」
短編の内容はまあ、めちゃくちゃです。介護の様子で、不謹慎ですが、(おもしろい)
「QOL」
アメリカにいる孫たちのことから導入するパターンがいい。
距離感があっていい。
ケアマネジャーという職業のたいへんさ、重要さ、高い位置がわかります。なかなかできない。志が必要です。
QOLとは、人間らしく生きることらしい。
主人公は、自分で決めたわけではないけれど、こう言います。
「もう、いい」
長い10年間でした。
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