2019年06月08日

北の国からDVD 1981年10月‐82年3月

北の国から DVD 1981年10月~1982年3月(昭和56年-昭和57年)

 国民的なドラマです。「男はつらいよ フーテンの寅さん」満男役吉岡秀隆さんの子ども時代です。なつかしい。久しぶりで優しいバックミュージックを聴きました。ドラマに感動して北海道の富良野へは2回行きました。今の60歳以上ぐらいの人たちにとっては、思い出深いドラマでしょう。心を支えられた人たちも多かったでしょう。

第1巻 第1回・第2回
 もう40年ぐらい前のドラマなのですが、劇中分校の先生の原田美枝子さんが、「今と昔では大人も子どもも変わった。東京の子どもは苦手です」というようなことをセリフで言われます。今の時代にも通用するセリフです。
 「東野・岡村の旅猿」で、布部駅に田中邦衛・純・蛍が着くシーンの再現をやっていたのを思い出しました。
 手作り感が満載のドラマです。
 自分が小学校低学年の頃は、日本の田舎では、電気はあっても、水道やガスがないところはわりとあった記憶です。水は山に汲みに行っていたし、火は、薪や豆炭・石炭類で、釜戸や七輪でした。だから、ドラマの内容がすんなり気持ちに入ってきます。

第2巻 第3回・第4回
 この時代に生きていた人たち、もうこの世からいなくなった人たちの体験がドラマの中にあります。セリフが素直です。真剣な物語です。かつ、まじめな物語です。
 東京から逃げ出したい竹下景子さんと東京に帰りたい吉岡秀隆さんの対比があります。
 生きている(生活している)ってどうしてこんなに悲しいのだろう。
 夫婦、親子、きょうだいが離ればなれになることはつらい。
 大滝秀治さんの言葉が身に沁みます。「おまえら、負けて逃げるんだ」思うに、世の中というものは、今逃げなくても、いつかはもういなくていいよと告げられるときが必ずきます。
 宮本信子さんが弁護士役で出てくるのですが、今並行して「あまちゃん」を観ており、同劇中の天野夏おばあちゃんと同一人物とは思えないほどの雰囲気です。
 蛍ちゃんがかわいくてけなげです。守ってあげたい。蛍は、母親の浮気現場を父親と一緒に観てしまった。だから、父親の黒板五郎役田中邦衛さんを強くかばいます。純(吉岡秀隆)はそのことを知らないから母親のところへ帰りたい。(だけど、そこには母親の浮気相手の男がいる)
 手紙の時代です。母から子へのせつない手紙の一方的な差し出しがあります。
 田中邦衛さんは、武骨な父親です。名演技が光ります。

第3巻 第5回・第6回
 純の言葉として、「算数よりも(おふろのたきつけにするたきぎに)火をつけるほうがむずかしい」から始まります。電気もガスも水道もありません。
 笠松のおじいさん(正吉君のおじいさん)が登場します。開墾をした古老です。彼にも言い分があります。
 人間の言動の矛盾がいっぱいこめられたドラマです。人は弱い。
 ときおり純君が語る「恵子ちゃん…」が効果的です。
 マフラーを編む竹下景子さんは微妙な存在です。北村草太も学校の先生も含めて、ひとりひとりに欠点があってからみあいます。ちいさな子ども二人には、竹下景子さんが東京へ戻ったあとも「がんばれ、がんばれ」と声をかけたくなります。

第4巻 第7回・第8回
 子どもたちがおとなに隠れて、東京に住む母親いしだあゆみさんに電話をかけます。ダイヤル式の黒電話です。もう40年近く前のドラマです。メールとかラインとかスマホとか、電話や通信手段は急速に変化しました。その後に生まれた世代には理解しがたいシーンでしょう。
 人間の心には黒いものがある。いろんなことがうまくいかないドラマです。本来支え合うべき家族同士が、いびつな形で、夫婦、親子、きょうだい関係を築こうとします。こどもふたりが両親の離婚に耐えています。
 クリスマスプレゼントのスキー板が素敵でした。
 田中邦衛さんが若い。
 カラオケがなかった時代の宴会です。
 いしだあゆみさんと吉岡秀隆さんの電話の演技が泣かせます。
 吉岡秀隆さんは、都会の少年としての演技が優れています。
 水道がない家に山から水が引かれます。開通時は、見ている方も興奮して感動します。ドラマの中の設定ですが、実際に現物を見たことがあります。水道を引かない生活を送っている人が今も実際にいます。
 ひとときも気持ちが休まる瞬間がない筋立てで、ジェットコースターに乗っているようです。シーンに出てくる年賀状も数が減りました。正月の風情も薄らぎました。されど、男女関係のもつれは今も昔も変わりはありません。
 無音に近いような無言劇が効果的でした。

第5巻 第9回・第10回
 母親のいしだあゆみさんが東京から北海道の純と蛍に会いに来ますが、父親の田中邦衛さんは会わせません。勝手な父親像です。なんとでもなるのにがんこです。不倫をしたいしださんを許せません。
 仏教における業(ごう)の世界です。理性でコントロールできません。
 草太がいい感じでからんできます。正吉の母親の言葉「人にはそれぞれ自分の理屈にならない気持ちがあるんだ」が五郎をかばいます。
 旭川空港から羽田空港に東亜国内航空のプロペラ機で帰るいしだあゆみさんがいます。時代を感じさせます。
 ああ、ここに、親子がいる。
純と蛍は父親をかばいます。
 第10回では、老いた馬が竹下景子さんと純を救います。北海道の冬は吹雪で過酷です。孤独な老人の大友柳太朗さんが優しい。蛍とのお手玉のシーンが良かった。

第6巻 第11回・第12回
 命の恩人だから10万円払え。同居の叔母と父ができている。なんでもつまびらかにするドラマです。野生のキタキツネに餌付けをすることの是非を考える。男と女の気持ちのすれ違い。
 加害者が被害者になり、被害者が加害者になる。人間には二面性がある。
 蟹江敬三さんは、警察官役で、きのう観たあまちゃんでは、遠洋漁業の漁師役で、その間に長い歳月が流れていて、風貌も変わっていて、やはり、北の国からの頃は若い。
 竹下さん、田中さん、吉岡さん、中嶋さん、みなさん芸達者で、観ていて楽しい。
 黒板純は、意地の悪い男の子です。
 心に残ったセリフとして、「お金を使わずにそのことをやってきた人にとって、そのことにお金を使うのはばからしい」、「生き物に名前を付けると手放す時に心が痛む」
 正吉のおじいさん役である大友柳太郎さんは哲学者です。ドラマにおいても現実においても、亡くなったのは残念です。

第7巻 第13回・第14回
 いしだあゆみママが病気です。亡くなることがわかっているので、複雑な心境で観ています。自身の病気治療よりも病院を紹介してくれた人物に気をつかいます。昔はそういうことがよくありました。
 大人の世界があって、子どもの世界があります。その間を音楽がつないでいます。
 東京は坂が多い。
 気持ちを言葉で上手に表現してあります。
 松山千春さんの歌が流れている。

第8巻 第15回・第16回
 40年ぐらい前の映像に、当時の北海道の自然風景があります。現在放映されているNHK朝ドラ「なつぞら」と雰囲気が重なる部分もあります。子役さんたちの演技時間が長いので、児童文学を読んでいるような感じもします。男子が性に目覚めるあたりがおもしろおかしい。
 内容は、暗く、厳しい。昔は温情がありましたが、今は、アルコールに溺れて不祥事を起こすと糾弾されます。馬を売って、正吉君の祖父は、自らの命も失いました。きついものがあります。人間は、世話になったものを裏切るという残酷な面をもっています。
 なにもかもがうまくいかず、雨は降り続く。中島みゆきさんの歌の詞が紹介されます。
 こういう手づくりのお葬式は少なくなりました。
 第16回では、盛りだくさんの出来事が続きます。新居である丸太小屋の設計も始まります。離婚した妻の容体は悪化します。
 人は、ドラマを見ながら、登場人物のうちの誰かに自分を重ねていると思うのです。

第9巻 第17回・第18回
 父親から、両親の離婚が正式に決まったことを聞かされる。親に、どっちについていくかをたずねられる。通っている分校が廃校になって、本校へ転校する。ついていった父親に女ができる。小学生の兄と妹にとっては、あんまりにもひどいしうちではありますが、ありえることです。
 先生役の原田美枝子さんが母親役のいしだあゆみさんに語った言葉が良かった。「(こどもたちふたりは、北海道の冬を越して暮らして)最高の体験をなさっています」、「なにより、お父さんの育て方が素敵です」、「ふたりとも本当によく耐えました。(この半年間は)つらかったと思います」
 蛍の演技がすばらしい。蛍は母親が浮気しているシーンを見てしまったからお父さんをかばいます。(親ってばかだなあと思います)
 なにげない日々の暮らしのなかに「しあわせ」があることがわかります。草太兄ちゃんが、蛍に優しい。
 心の支えにならないきれいごとだけの小説では、人が生きていくのには無意味なのです。
 空知川のいかだ下りです。このドラマから40年近くが経つのに、いまだに、「北方領土を返せ」の旗をいかだに立てようという話が出ます。
 男と女のマッチングがうまくいかない。
 UFO(ユーフォー)を見たという話は、これはこれでいい。物語はこれでいい。

第10巻 第19回・第20回
 ボクシングのトレーナー役をするガッツ石松さんが若い。
 純はほんとうにおしゃべりな男で、いらぬことをしゃべってしまうわけで、それだからドラマがおもしろくころがるわけで、純の自分に対する情けない思い、くやしい思いが視聴者に強く伝わってきます。
 1981年夏、もう40年ぐらい前のことです。
 こごみさん。いたなあ。
 こどもがよいのくちに各家を周りながら、「ろうそくだせだせよ ださないとかっちゃくぞ」とかけ声を出しています。「かっちゃくぞ:ひっかく。北海道の方言」
 失敗した純に、再挑戦の機会を与えるも中途半端な結果しか出せない純がいます。音楽が優しい。
 よしもとつららの源氏名が「雪子」で、ドラマのつくりかたがうまい。

第11巻 第21回 第22回
 テレビ放映から40年ぐらいがたった今、登場人物として出た人のうち亡くなられた俳優さんもいるし、年をとられた俳優さんもいます。
 もう、今となっては、遠い昔のことです。濃厚な人づきあい。アルコール、タバコ、演歌、フォークソング、ニューミュージック。いい時期、いい時代だった頃のことを過去としてふりかえってドラマを見ています。
 ボクシングトレーナーガッツ石松さんの言葉には重みがあります。「負けたみじめさに耐えきって生きる」
 トルコ嬢になったつららさんとその原因のきっかけになった雪子さんの会話を聞きながら考えます。人生って何だろうと。善とか悪とかじゃなくて、しあわせの基準って何だろうと。深く考えます。最大の原因は、男の心変わりです。
 22回では、冒頭の映像に葉っぱの上にでんでんむしがいます。先日読んだ新美南吉さんの童話「でんでんむし」を思い出します。でんでんむしは、その背負った殻の中に、悲しみがいっぱい詰まっているのです。
 描かれている子どもたちの世界が楽しい。
 新築中の丸太小屋は立派です。(確か、さきざき、純の失火で、燃えてしまうのでした)
 別れた妻の妹と別れた夫とこどもたちが同居して暮らすというのは、今考えるとありえない設定です。でも、小説・ドラマの世界では制限なしです。なんだかんだで、子どもたちがかわいそうです。
 黒板五郎は、あれこれ文句を言うけれど、妻が浮気をしなければならないほど、妻を孤独に追い込んだのはあなたです。そして、その妻は、病気で短い人生を終えました。

第12巻 第23回 最終回
 純と蛍にとっては大きなショックです。両親離婚後病死した母親の葬儀に母親が以前から付き合っている男の小学生の男の子ふたりが来て、男が「じゃあ、おまえたち、おかあさんにお別れを言いなさい」とうながします。
 黒板五郎が、北海道から、飛行機ではなく、電車で東京まで来たのは、お金がないから。
 40年ぐらい前、飛行機には簡単に乗れるような雰囲気ではありませんでした。
 ドラマのなかで、アパートでお葬式をするように、葬祭場での葬式もあまりありませんでした。
 純と蛍の運動靴のエピソードは胸にぐっとくるのですが、「もったいない」の精神は、いまでは、「ごみ屋敷」につながる要素になってしまいました。
 昔は、人間関係に義理立てして、特定の病院を信じてよそにはかからない傾向もありましたが、いまでは、複数の病院を受診するように変わりました。
 手書きの手紙は少なくなり、メールとか電話、テレビ電話もできるようになりました。
 世の中の考え方が、180度変わった感じがします。それなりに住みやすくはなっています。
 大滝秀治さんのひとことひとことが胸にしみます。厳しくとも優しい。
 「(北海道の農民は自然災害に無力で)あきらめることに慣れている」、「神さまは、つらくあたってくることもある」
  草太が雪子に言います。「(別れたつららとつきあった期間の)2年8か月間、おいらはもうあんたには会わない」2年8か月後というのは昭和59年4月であり、草太は32歳、雪子は29歳になります。時が経つのは早いもので、昭和を過ぎて、平成になり、平成も終わり、令和の時代になりました。2年8か月はあっという間です。このとき、このドラマのシリーズ化の構想はあったのだろうかと思いました。もう、これで、最終回です。
 もう1回、最初からビデオを観てもいいなあという気持ちになりました。
 あー、最後に、蛍が餌付けをしていろいろトラブルがあって姿を消したキタキツネが戻ってくるんだ。
 思いどおりにいかない暮らしの中で、ほんの少しだけ、幸せを感じるひとときがあります。
 純の言葉、「この1年で(自分たちは)強くなったんだ」
 亡くなったお母さん、いしだあゆみさんの書きかけの手紙が伏線となって、ラストシーンにつながります。北海道の大空に浮かぶ雲の情景です。

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