2019年04月10日

学校へ行けない僕と9人の先生 棚園正一

学校へ行けない僕と9人の先生 棚園正一 双葉社

 新聞記事を読んだことがきっかけで、この本を読み始めました。登校拒否だった方の描いた漫画です。今は成人して漫画家です。
 だれしも一度は学校に行きたくないと思うことがあるのでしょう。作者は、教師の暴力が原因で登校拒否が始まっています。昔から教師の体罰は確かにありました。子どもは指示に従わないからイライラがつのるのでしょう。
 物語は7歳の棚橋正知少年から始まります。
 いい先生もいたし、そうでない先生もいた。
 「くろいオジサン」という幻視の人物が登場します。登校拒否の言い訳にするわけですが、くろいオジサンの存在が彼の命を守ったと思いたい。
 彼の対応をするおとなたちがどんどん変わっていきます。じっくり長くということがありません。
 言いたいことはあるけれど、はっきり言えない子どもになっている状況です。暴力をふるった女性教師とはもう会いたくない。会いたくないのに会わせようとする。おとなの都合でしょう。
 少年は依存心が強くなります。(ひとりでいいじゃないか)とは思えません。だれかになにかをしてほしい。自分のことしか出てきません。親御さん、とくに母親の苦しい気持ちが伝わってきます。
 少年は、「平等」を求めています。「特別扱い」を拒否しています。
 いい人ほど早逝なときがあります。
 出てくる場所が身近なので意外です。
 小学2年生で、人間不信になってしまいました。
 3人のいじめっこが出てきます。その3人はいまごろいいポジションにいるのだろうか。
 あのとき言えなかったことを今漫画で表現しています。
 いろいろ本人は気にしているのですが、小学校2年生では、彼の回りにいる子どもたちは彼のことを何とも思っていないでしょう。集団は、ただ毎日、食べて、寝て、遊んで、学ぶだけです。
 本人は教師の体罰を否定しつつも相手によっては容認しています。
 特別扱いを嫌うところからは、自分は悪くない。周りが悪いという言い逃れを感じます。めんどくさい人と評価されて終わってしまいます。だれかのために何かをしてあげようと思わないと自分が苦しい。
 少年は、自分より下に見えるから友達付き合いができるということに気づきます。
 好きな「絵を描くこと」を封印して勉強するものではありません。
 経済的には裕福な家庭の子どもさんに見えます。
 私立中学を目指します。
 「子どもが学校に行かないのは親の責任」親にとってはきつい言葉です。
 標準化を目指す。普通を目指す。だけど、できない子どもがいます。
 9年間は長い。
 結局、普通でなくていいという到達点に達する。
 学校へは行かないよりも行った方が便利。だって、学校のことを素材にして漫画を描けるから。
 生まれてきて良かったと思う瞬間として思い浮かぶのは、「おいしいものを食べたとき」
 集団生活ができない人はいるし、けっこう、案外、多い。
 登校拒否児を励ます漫画です。
 人生の最初にひきこもる人に注目が集まりますが、人生の途中でひきこもる人もいます。働かなくても食べて行ける環境にある人は働けなくなります。だれかがだれかに生き方を強制することは不可能です。だれしも自分で考えて行動します。

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