2019年03月28日

さざなみ軍記・ジョン万次郎漂流記 井伏鱒二

さざなみ軍記・ジョン万次郎漂流記 井伏鱒二 新潮文庫

「さざなみ軍記」
 平家の瀬戸内海敗走の模様を空想で書いてあります。翻訳しているふうですが、翻訳の元になる原書はありません。
 40ページぐらいまで読んだところで、うしろにある解説を見たのですが、創作の経過として、10年間ぐらいかかっており、5・6枚書いて、1年後にまた5・6枚書くというふうで、昭和5年に最初の部分、昭和13年4月に最後までが完成しています。
驚きであり、その当時の時代背景を感じます。太平洋戦争に向かって行く頃です。
 この物語では、平家の少年が書き記したという設定になっています。
 時代としては、1185年4月壇ノ浦の合戦につながっていくのでしょうが、作品内容は作者の空想です。

(つづく)

 登場人物として、泉寺の覚丹(かくたん)、宮地小太郎。

 読み終わりました。源平合戦の歴史に詳しい人が読むと味わい深いのでしょう。わたしはそうではないので、うわべをかすめるようにしか読めませんでした。

 調べた単語などとして、「誤謬:ごびゅう。まちがい」、「間諜:かんちょう。スパイ」、「通牒:つうちょう。書面の通知」、「老僕:ろうぼく。歳をとった下男」、「鏑矢:かぶらや。矢の先に球形状のものをつけたもの。音がする」、「遁走:とんそう。逃げ出す」、「町:ちょう。長さの単位。約109m」、「好箇:こうこ。好ましい。ちょうどよい」、「棗の森かげ:ナツメ」、「鬨をあげる:ときをあげる。戦場であげる集団の大声」

「ジョン万次郎漂流記」
 これが書かれて発表されたのは、1938年・昭和13年で直木賞受賞作です。
 ジョン万次郎漂流記は、これまでに別の本で2冊ぐらい読んだ記憶です。この小説と比較すると、以前読んだ本は記録本の肌触りです。いっぽうこの小説は、状況が生々しく文章で描かれており芸術性が高い。漂流した登場人物5人の困り果てた行動が生き生きと書かれています。
 孤島にたどり着いて、そこでの日付や地名を自分たちで決めて使い始める。水を大切にするためにルールをつくる。だれが考えても、人類の歴史のスタートはそこからです。ただ、みな、文字の読み書きができないから口頭了解から始まります。
 遭難したのは、伝蔵38歳、伝蔵の弟重助25歳、伝蔵の息子五右衛門15歳、寅右衛門27歳、万次郎15歳です。重助が足のケガがもとで亡くなって、寅右衛門はハワイに残り、あとの3人が帰国します。帰国しなかった寅右衛門の気持ちはわかるような気がします。帰国イコール幸福とは限りません。寅右衛門の言葉として、「この町にはなじみの人たちがいる。土佐で暮らすのもどこで暮らすのも同じ一生」とあります。
 万次郎は、薩摩藩主島津斉彬(しまづ・なりあきら)に会っていますし、時は、徳川幕府が倒れる頃です。海難事故で遭難してから12年目に帰国して、その翌年に、ペリーが日本に来航しています。
 万次郎は渡米の通訳として派遣されています。ハワイでカメハメハ大王にも会っています。ハワイでは、帰国時に別れた寅右衛門にも会っています。縦横無尽に太平洋上を移動しています。捕鯨に従事した話がでてきます。万次郎が日本国に果たした業績は大きい。米国留学をしたあとのようなものです。明治31年11月12日死去72歳でした。

 調べた単語などとして、「鍾愛:しょうあい。たいそう大事にしてかわいがる」、「レセプション:歓迎会」

 印象に残った言葉として、「左様なら、左様なら」(別れのあいさつ。さようなら)

 本には、もうひとつ「二つの話」という短編が載っていました。読みましたが、空想の世界で、わたしにはよくわかりませんでした。昭和21年4月発表。
 調べた単語などとして、「新井白石:江戸時代中期の人」、「月代:さかやき。江戸時代、男子が頭髪をそり上げた部分を指す」

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