2018年04月20日
定年オヤジ改造計画 垣谷美雨
定年オヤジ改造計画 垣谷美雨(かきや・みう) 祥伝社
第1章部分を読み終えて寂しい気持ちになりました。
やはり、定年退職後のおじさんをいじめる内容でした。妻子から突き放されて、迷惑な存在、嫌悪施設みたいな扱いです。
そうでしょう。そういうものなのでしょう。
書店や喫茶店で、やることもなくぼーっとしている定年後らしい人をみかけ、この作品中で、主人公の庄司常雄さんも言うのですが、「ああいうふうにはなりたくない。」 結局、そういう風になってしまうのです。
(つづく)
主人公の庄司常雄さんは大バカ者です。読んでいると腹が立ってくるのですが、そこが作者の思うつぼなのでしょう。(たくらんだとおり。)
男尊女卑差別があります。
定年退職後何もすることがない男はまず図書館へ行く。定番です。決まりきった行動です。無料で時間を過ごす。そこに生産性はありません。
いびきをかくから奥さんはだんなと一緒に寝たくないは口実で、旦那のことが嫌いです。だから、夫源病とか、閉所恐怖症という病気にかかっています。
旦那は命令するだけです。会社の管理職でした。命令・指示することが自分の仕事だと思いこんでいます。だから、自分ではなにもできません。
そんな旦那が、3歳と1歳の孫のめんどうをひとりでみることになりました。さて、これからどんな展開になるのか予想がつきません。
文章は、会話の連続で進行していきますが、対立内容の会話の連続なので、読んでいて疲れてきました。33歳の未婚娘が父親を「アンタ」 と呼ぶのは、よっぽど父親を憎んでいるのでしょう。
東京都民にとっては、「首都直下型地震」、中部地方の人間にとっては、「南海トラフ巨大地震」
スヌーピー柄は、今は、アンパンマンだと思う。
子育てテキストを読んでいるような部分あり。
よく出てくる言葉が、「母性本能」。女性は生まれながらにそれをもっているという錯覚。
(つづく)
主人公の姉76歳、兄71歳、2姉67歳と4人で語り合うふるさとでの会話は目からウロコが落ちる思いです。真実、本音が明らかになります。
彼らの実母の本当の姿(育児嫌い)がいい。そうなんだと納得します。
いっぽう定年退職した庄司常雄さんの理屈もわかります。(仕事の事務処理に関することで)精一杯だった。自分のことだけやらないと働き続けることはできなかった。
タイムイズマネーと考えるサラリーマンの悪癖があります。「時(とき)」は、お金ではないし、お金よりも時(とき)のほうが大事だし、お金と時(とき)は、比較するものではない。時間があるということは、生きている証(あかし)
時代の変化に適応していこうという努力を放棄した年寄りは、周囲の者にとっては困り者
(つづく)
読み終えました。今年読んで良かった1冊です。良書です。
ラストは胸にジーンときました。主人公同様にわたしもこの春、退職を迎えました。また、物語の設定と同様に同じぐらいの年齢の孫たちがいます。状況がよく伝わってきました。
男性がこの本を読むと、まあ、男性が女性に攻撃される内容なわけで、読んでいて苦しく思う点が多々あります。ご指摘は的を射ています。
定年退職が話題というよりも、保育園での保育、共働きの保育がメインの話題に感じます。
台湾人の子育ては、そうなのかと、ところ変われば、考え方も変わると新鮮でした。(自宅に台所不用、三食外食、女性は育児にしばられない。)
日本の女性だと、せっぱつまって、児童虐待にまで至りそう。男性にイメージ付けされたいい母親を目指すと、子どもに危害を与えるママになりそうです。
定年退職後の人間はもう「男」ではない。「ジジイ」 という姓別のない人間になるという解釈は、聞かされるとがっかりします。
夫婦の平和のために、「家庭内別居」 を選択する。それは、しんどい選択です。
ラストは最高に良かった。
調べた単語として、「ワンオペ:ひとりですべてやる担当仕事。コンビニ外食チェーンのひとり勤務」
良かった表現というか、ショックを受けた表現として、「神話の世界にいる。」、「夫源病ふげんびょう。主人在宅症候群」、「男の給料だけじゃきびしい(だから共働きをする。)」、「これからの15年間は毎日が日曜日、それは、45年分の日曜日の数」、「家賃12万円、昔の社宅は、3000円」、「一生独身をとおそうとすればお金が頼り。」
第1章部分を読み終えて寂しい気持ちになりました。
やはり、定年退職後のおじさんをいじめる内容でした。妻子から突き放されて、迷惑な存在、嫌悪施設みたいな扱いです。
そうでしょう。そういうものなのでしょう。
書店や喫茶店で、やることもなくぼーっとしている定年後らしい人をみかけ、この作品中で、主人公の庄司常雄さんも言うのですが、「ああいうふうにはなりたくない。」 結局、そういう風になってしまうのです。
(つづく)
主人公の庄司常雄さんは大バカ者です。読んでいると腹が立ってくるのですが、そこが作者の思うつぼなのでしょう。(たくらんだとおり。)
男尊女卑差別があります。
定年退職後何もすることがない男はまず図書館へ行く。定番です。決まりきった行動です。無料で時間を過ごす。そこに生産性はありません。
いびきをかくから奥さんはだんなと一緒に寝たくないは口実で、旦那のことが嫌いです。だから、夫源病とか、閉所恐怖症という病気にかかっています。
旦那は命令するだけです。会社の管理職でした。命令・指示することが自分の仕事だと思いこんでいます。だから、自分ではなにもできません。
そんな旦那が、3歳と1歳の孫のめんどうをひとりでみることになりました。さて、これからどんな展開になるのか予想がつきません。
文章は、会話の連続で進行していきますが、対立内容の会話の連続なので、読んでいて疲れてきました。33歳の未婚娘が父親を「アンタ」 と呼ぶのは、よっぽど父親を憎んでいるのでしょう。
東京都民にとっては、「首都直下型地震」、中部地方の人間にとっては、「南海トラフ巨大地震」
スヌーピー柄は、今は、アンパンマンだと思う。
子育てテキストを読んでいるような部分あり。
よく出てくる言葉が、「母性本能」。女性は生まれながらにそれをもっているという錯覚。
(つづく)
主人公の姉76歳、兄71歳、2姉67歳と4人で語り合うふるさとでの会話は目からウロコが落ちる思いです。真実、本音が明らかになります。
彼らの実母の本当の姿(育児嫌い)がいい。そうなんだと納得します。
いっぽう定年退職した庄司常雄さんの理屈もわかります。(仕事の事務処理に関することで)精一杯だった。自分のことだけやらないと働き続けることはできなかった。
タイムイズマネーと考えるサラリーマンの悪癖があります。「時(とき)」は、お金ではないし、お金よりも時(とき)のほうが大事だし、お金と時(とき)は、比較するものではない。時間があるということは、生きている証(あかし)
時代の変化に適応していこうという努力を放棄した年寄りは、周囲の者にとっては困り者
(つづく)
読み終えました。今年読んで良かった1冊です。良書です。
ラストは胸にジーンときました。主人公同様にわたしもこの春、退職を迎えました。また、物語の設定と同様に同じぐらいの年齢の孫たちがいます。状況がよく伝わってきました。
男性がこの本を読むと、まあ、男性が女性に攻撃される内容なわけで、読んでいて苦しく思う点が多々あります。ご指摘は的を射ています。
定年退職が話題というよりも、保育園での保育、共働きの保育がメインの話題に感じます。
台湾人の子育ては、そうなのかと、ところ変われば、考え方も変わると新鮮でした。(自宅に台所不用、三食外食、女性は育児にしばられない。)
日本の女性だと、せっぱつまって、児童虐待にまで至りそう。男性にイメージ付けされたいい母親を目指すと、子どもに危害を与えるママになりそうです。
定年退職後の人間はもう「男」ではない。「ジジイ」 という姓別のない人間になるという解釈は、聞かされるとがっかりします。
夫婦の平和のために、「家庭内別居」 を選択する。それは、しんどい選択です。
ラストは最高に良かった。
調べた単語として、「ワンオペ:ひとりですべてやる担当仕事。コンビニ外食チェーンのひとり勤務」
良かった表現というか、ショックを受けた表現として、「神話の世界にいる。」、「夫源病ふげんびょう。主人在宅症候群」、「男の給料だけじゃきびしい(だから共働きをする。)」、「これからの15年間は毎日が日曜日、それは、45年分の日曜日の数」、「家賃12万円、昔の社宅は、3000円」、「一生独身をとおそうとすればお金が頼り。」
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