2017年07月16日
BUTTERバター 柚木麻子
BUTTERバター 柚木麻子(ゆづき・あさこ) 新潮社
料理を素材にした小説を書かれる作家さんです。
これまでに、ランチのアッコちゃんシリーズのような明るい作品と、ナイルパーチの女子会のような犯罪ねちこい作品を読みました。
個性なので、これからもこの路線でいかれるのでしょう。
町田里佳33歳、大手出版社男性週刊誌の女性記者が、結婚詐欺・連続殺人事件犯人の梶井真奈子35歳(太っている。美食家。彼女が許せないものとして、(フェミニスト:女性差別の解消を唱える人それから、マーガリン))を拘留中から取材します。
新聞の社会面から拾ったとみられるネタです。「バター不足」、「リベンジポルノ」、「援助交際」、「待機児童」
物語を支えているものとして、「<ちびくろ・さんぼ>さんぼが登った木の下でぐるぐる回っていた虎たちがバターになる」
さんぼが、連続殺人犯人梶井真奈子で、殺された男たちが虎。虎が自滅してバターになって、さんぼがそれを食べる。
家族・親族・友人構成として、町田里佳の父親は離婚している。(さらに死去している。里佳は父親に対する何かをもっている)
犠牲者として、
1番目が、本松忠信73歳睡眠薬過剰摂取。資産家
2番目が、新見久範ひさのり。浴室で溺死。68歳。
3番目が、山村時夫42歳。電車にはねられ死亡。
被害者たちの食卓は、容疑者梶井真奈子が用意したおいしい手料理か、ひとりぼっちのわびしい食事しかなかった。
犯罪の物的証拠はない。
バターの前ふりが続きます。
作品は哲学的です。「なぜ生きるのか」、「生きているのに死んでいる状態」
また、これまでの日本人女性像を突き詰めています。「我慢や努力や貞操を求められて、同時に、女らしさや、柔らかさを求められてきた。男性への世話も求められた。」
作品中は、食べ物の話が続きます。ときに強引なこじつけに感ずるときもありますが、内容は、この作家さんの持ち味です。
お料理好きの結婚詐欺師が、収監中の梶井真奈子ですが、殺人犯人の彼女は、本当は無罪の可能性があります。冤罪を受け入れているのか。
田舎から、都会へ出てきた素朴な少女の男女関係があります。中年男性たちに「もの」として見られる。中年男性にもてあそばれた少女が逆転に転ずる。
タバコを讃えるような記述は、ようやく禁煙できて数年が経過した者としては読むのはつらい。
ダイエットとか、やせるとか、それは、女性らしくない。正しくない。男性はぽちゃぽちゃ体型が好きという主張があります。
梶井真奈子は強烈です。「(友達はいらない。自分の)崇拝者だけがほしい」
悪人「梶井真奈子」は、女性記者「町田里佳」の姿を借りて、犯罪を再現しようとしているかのように読めます。どろどろとしている。まさにバターの見た目とか触感です。
「(孤独だから)長生きしてもしかたがない」
女性が読む小説です。
同性愛(女性同士)的な雰囲気が作品の裏にあります。小児性愛者とか、男に父性を求める娘とか、暗い面もあります。なかなか苦しい生き方です。屈折した性癖があります。
濃密な表現でした。力作です。
読んでいて、どこで、休憩をとっていいのか、固まりが長く、その点では、読みづらかった。
書き込みすぎということもあるかもしれません。
あちらこちらに「孤独」が散りばめられています。
手料理で、人が救われたり、死んだり、生きたりします。
生きている状態、生きていても死んでいる状態があります。
異性から選ばれる待つ女性。自らは選ぼうとはしない女性。
メスだけの世界。
女性のつかみどころのない態度、圧力のあるどう猛さ、主張がコロコロ変わる不気味さ、耐えられない。
主人公は、からまわり、ふりまわされ、自滅方向への流れをたどりますが、やがて光明を見つけます。家族や友人を大切にして、孤独から脱する。なんとしても自分の居場所を探す。
料理を素材にした小説を書かれる作家さんです。
これまでに、ランチのアッコちゃんシリーズのような明るい作品と、ナイルパーチの女子会のような犯罪ねちこい作品を読みました。
個性なので、これからもこの路線でいかれるのでしょう。
町田里佳33歳、大手出版社男性週刊誌の女性記者が、結婚詐欺・連続殺人事件犯人の梶井真奈子35歳(太っている。美食家。彼女が許せないものとして、(フェミニスト:女性差別の解消を唱える人それから、マーガリン))を拘留中から取材します。
新聞の社会面から拾ったとみられるネタです。「バター不足」、「リベンジポルノ」、「援助交際」、「待機児童」
物語を支えているものとして、「<ちびくろ・さんぼ>さんぼが登った木の下でぐるぐる回っていた虎たちがバターになる」
さんぼが、連続殺人犯人梶井真奈子で、殺された男たちが虎。虎が自滅してバターになって、さんぼがそれを食べる。
家族・親族・友人構成として、町田里佳の父親は離婚している。(さらに死去している。里佳は父親に対する何かをもっている)
犠牲者として、
1番目が、本松忠信73歳睡眠薬過剰摂取。資産家
2番目が、新見久範ひさのり。浴室で溺死。68歳。
3番目が、山村時夫42歳。電車にはねられ死亡。
被害者たちの食卓は、容疑者梶井真奈子が用意したおいしい手料理か、ひとりぼっちのわびしい食事しかなかった。
犯罪の物的証拠はない。
バターの前ふりが続きます。
作品は哲学的です。「なぜ生きるのか」、「生きているのに死んでいる状態」
また、これまでの日本人女性像を突き詰めています。「我慢や努力や貞操を求められて、同時に、女らしさや、柔らかさを求められてきた。男性への世話も求められた。」
作品中は、食べ物の話が続きます。ときに強引なこじつけに感ずるときもありますが、内容は、この作家さんの持ち味です。
お料理好きの結婚詐欺師が、収監中の梶井真奈子ですが、殺人犯人の彼女は、本当は無罪の可能性があります。冤罪を受け入れているのか。
田舎から、都会へ出てきた素朴な少女の男女関係があります。中年男性たちに「もの」として見られる。中年男性にもてあそばれた少女が逆転に転ずる。
タバコを讃えるような記述は、ようやく禁煙できて数年が経過した者としては読むのはつらい。
ダイエットとか、やせるとか、それは、女性らしくない。正しくない。男性はぽちゃぽちゃ体型が好きという主張があります。
梶井真奈子は強烈です。「(友達はいらない。自分の)崇拝者だけがほしい」
悪人「梶井真奈子」は、女性記者「町田里佳」の姿を借りて、犯罪を再現しようとしているかのように読めます。どろどろとしている。まさにバターの見た目とか触感です。
「(孤独だから)長生きしてもしかたがない」
女性が読む小説です。
同性愛(女性同士)的な雰囲気が作品の裏にあります。小児性愛者とか、男に父性を求める娘とか、暗い面もあります。なかなか苦しい生き方です。屈折した性癖があります。
濃密な表現でした。力作です。
読んでいて、どこで、休憩をとっていいのか、固まりが長く、その点では、読みづらかった。
書き込みすぎということもあるかもしれません。
あちらこちらに「孤独」が散りばめられています。
手料理で、人が救われたり、死んだり、生きたりします。
生きている状態、生きていても死んでいる状態があります。
異性から選ばれる待つ女性。自らは選ぼうとはしない女性。
メスだけの世界。
女性のつかみどころのない態度、圧力のあるどう猛さ、主張がコロコロ変わる不気味さ、耐えられない。
主人公は、からまわり、ふりまわされ、自滅方向への流れをたどりますが、やがて光明を見つけます。家族や友人を大切にして、孤独から脱する。なんとしても自分の居場所を探す。
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