2017年06月11日

弘兼流60歳からの手ぶら人生 弘兼憲史

弘兼流60歳からの手ぶら人生 弘兼憲史 海竜社

 タイトルにあるように「弘兼さん」の人生です。
 読み手はそれぞれ、自分の名前を付けて読むといいと思います。
 弘兼方式に賛同できる部分は実行するし、そうでない部分は省略します。
 もうすぐ読み終えるところまできました。
 「ムダ」の部分にひっかかりました。
 昔から言われてきたことに、「ムリ、ムダ、ムラなく、安く、早く、正確に仕事をする」
 その格言に従って人生の大半を過ごしてしまいました。
 今になって、気づいたことは、「ムダ」なものは、「ムダ」ではないということです。
 たとえば、水族館にイルカショーを観に行って、開演の1時間以上前から待ちます。そのあいだの会話のやりとりとか、芸を練習するイルカたちを観て楽しめることに、この歳になって気が付きました。なにもしない時間帯がいちばん大切なひとときです。
 その点で、弘兼さんとは、考えの違いがあります。わずらわしさも込みで、人生の終盤を意気揚々と楽しみたい。

 昔はこういう本はありませんでした。
寿命が伸びたから出てきたたぐいの本です。
 
 ひとりぼっちではあるけれど、強い意志をもって、あと20年間を生きる。
 対極にあるものが、ムダをムダと思わず、「必要ムダ」とし、ザワザワと生きて、やがて消えていくことをよしとする生き方を選択する。

 「待機児童」は保育園でよく聞きますが、「待機老人」という言葉は初めて聞きました。老人ホームの待機のようです。こどものように、年寄りも施設に入らなければならないのだろうか。しかも、24時間365日です。子どもは、日中の一定の時間だけです。

子や孫に対しては、金銭面を初めてとして、冷遇が適当とあります。
実体は、可愛いから可愛がるだけです。見返りは求めていません。

「お坊さん便(アマゾンで注文できる)」というお話には、さすがに驚きました。

「パラサイト:親に寄生する子ども」
「胃ろう大国:人工的栄養補給法で延命する」

(つづく)

 昔は、病院で死ぬ人が多かった。
 しかし、今は在宅での看取りを増やす方向にある。
 年寄りが増えて、病院の容量が追いつかないから。

 ラジオ番組は、なつかしのメロディばかりが流れている。
 寿命が伸びて、2度目、3度目の人生を体験している。
 読みながら、そんなこんなを考えました。

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