2016年10月17日

(再読)村上海賊の娘 上・下 和田竜

(再読)村上海賊の娘 上・下 和田竜 新潮社

 最近、文庫化されたと書店で見ました。自宅にある単行本のほうを再読し始めます。
 たいへん優れた作品です。映像化をずっと待っていますが、いまだそうされていません。費用が莫大にかかるのが原因だろうと推測していますが、それでも、見てみたい。

 今でいうところの、愛媛県今治市に属する能島(のしま)にいた海賊の娘の話です。大枠では、1570年、織田信長と大坂本願寺の戦いくさ(場所取り合戦。現在の大阪城の場所を信長が寺から奪った)ですが、その中の一部分の出来事として、海賊の娘が、自分と関わった者を救おうと熱くなる物語です。
 空想歴史小説です。歴史好きな人には面白いでしょう。また、アクション好きな読者にも向きます。

 前回の読書では、戦闘シーンがすさまじかった記憶があります。また、主人公20歳の娘、景(きょう)の人物・性格設定が魅力的でした。

単語の意味などです。「出自しゅつじ:でどころ。生まれ」、「一向宗:鎌倉時代に始まった」、「貴種きしゅ:高貴な家柄の人」、「瓦解がかい:瓦が崩れ落ちるところから、全体が壊れていく。組織や秩序がだめになる」、「眉目秀麗びもくしゅうれい:顔立ちが美しい」、「存念ぞんねん:いつも頭にあって離れないこと」、「十万石:10万人の人間が1年間に食べる米の量」、「怜悧れいり:かしこいこと、りこうなこと」、「豪胆ごうたん:度胸があって動じない」、「偏諱へんき:名前の一字をさずける。結びつきを強固にするため」、この作品もむずかしい漢字が多い。最近読む作品は、読めない漢字ばかりです。「眉を顰めた:まゆをしかめた」、「権高さ:けんだかさ。傲慢ごうまん」、「下卑た:げびた。下品な」、「斬撃を放つ:ざんげきをはなつ。斬りつける」、「詰られる:なじられる。問い詰めて責める」、「癪しゃく:腹が立つ」、「齢よわい:生まれてからの年数」、「悍婦かんぷ:気の荒い女」、「慇懃いんぎん:真心がこもって礼儀正しい(ていねいすぎて嫌味になるのが慇懃無礼)」、「傾城けいせい:美人」、「軽忽けいこつ:そそっかしい」、「峻拒しゅんきょ:きっぱりこばむ」、「重畳ちょうじょう:このうえもなく満足する」、「下知げち:命令」、「首級くびきゅう:打ち取った首。首ひとつで階級がひとつ上がる」、「不味いよ:あかなしいよ。まずい?」、「埒もないこと:らちもないこと。とりとめがない」、「不覚人ふかくじん:考えの足りない人」、「御意ぎょい:従います」、「鬼手きしゅ:思いもよらない奇抜な手」、下巻では、難しい漢字が減少していきます。「剛腹ごうふく:度量が大きい。ふとっぱら」、「面舵、取舵:船首を右へ向ける。左へ向ける」、「鏃:やじり」、「自儘じまま:わがまま」、「ヤガラモガラ:海賊の武器。ムカデみたいな横に足がいっぱいついた金属棒」、「襤褸切れ:ぼろきれ」、「人品骨柄じんぴんこつがら:その人の気品と風格」、「凌駕りょうが:他をしのいで上に出る」

 百姓たちは、大坂本願寺を目指していた。百姓たちは、一向宗の信徒だった。そのなかに、10歳の少年留吉と彼の祖父源爺がいた。
 景(きょう)はおそらく南蛮人との混血児だった。大坂本願寺の近くに堺があった。そこには南蛮人たちがいた。南蛮人たちは美しいと評価を受けていた。ぶさいくと呼ばれていた20歳の景は、堺へ男を探しに出発した。そのために百姓たちが乗った船に海賊として乗り込んだ。「上乗り」、海賊がひとり乗船していれば、他の海賊は襲わないというルールがあった。

 再読であるので、先を知っているので、初回に読んだ時のようなはらはらする期待感はありません。
 文章の流れとか、段落の切り方とか、項目の並べ方を主にして、構成を注視しながら読み進めています。
 むずかしい漢字がいっぱいなのは閉口します。メール社会の今、これからは、単純明解な文章が好まれる気がします。

 面白かった表現などです。村上景が、5年前景たちを攻撃した毛利方小早川家中の当時総大将だった乃美宗勝のみむねかつに向かって、「この禿(はげ)」、「当時の日本人女性は性に対しておおらかだった(全般的に500年前のことが生き生きと書かれています)」、「瞠目どうもく:目を見張る」。無言の表示として「-」
 
 景は、若武者児玉就英こだまなりひでに恋心をもつ。毛利家の直臣じきしん・直属の家臣、児玉海賊の長。30代。

 この当時の善と悪を分ける判断基準(ものさし)は何だろうと考えました。力の強いものが「善」という答えに至りました。

 女子は軍船にのってはいけない。

 なんだか、血なまぐさいシーンが多い。前回読んだときよりも感動が薄れていく。殺し合いは凄惨です。「戦(いくさ)」というものは、手当たり次第に殺さないと自分が殺されてしまう。乗じて、自分の気に入らない同士を刺すこともできる。

 一向宗側の人間の立場に立って読むと物悲しい。
 男尊女卑の世界です。空想小説であり、ファンタジーでもあります。
 「信長公記」という書物のことが随時出てきます。」

 話し言葉の連続でシーンをつないでいくページがあります。
 ありえないのではないかというシーンもあります。
 主人公とその対戦相手はマンガチックでもあります。



(前回の感想文 2014年1月3日)

村上海賊の娘 上・下 和田竜 新潮社

 上巻を読み終え、下巻の100ページ付近まできたところで、感想を書き始めてみます。
 同作者の作品は、「のぼうの城」(映画も観ました。)、「小太郎の左腕」と読み継いできました。「村上海賊の娘」は、海賊の本拠地が本州と四国をつなぐしまなみ海道にあります。広島県尾道市で宿泊したことがあるので身近に感じます。

 織田信長の時代です。信長の大坂本願寺攻めが今回の舞台です。
 村上海賊の娘景(きょう)不美人、嫁のもらい手なし、20才、身長180cmぐらい、男勝りが主人公です。性格は子ども、乱暴ものとなっています。実話のようです。彼女の容貌は外国人女性です。当時の日本的美人は、頬の肉付きよく、目は細く、色白、ふっくらですから、書中で何度か出る景(きょう)の容貌「醜女(しこめ)」は、ピンときません。
 海賊のボスの娘である景(きょう)が、織田信長と戦って負けるお話かと思って読み始めましたが、下巻の100ページまできて、そうではありません。景は、一向宗の本拠地大坂本願寺(現在の大阪城敷地)の味方はしないし、それを攻め立てる織田信長側の加勢もしません。ただひとつ、瀬戸内海で知り合った百姓「源爺(げんじい)」とその孫「留吉」を救出するために敵味方かまわず向かっていきます。
 魅力的なヒロインに民衆の気持ちを集中させる。これまでの同作者作品にみられる手法です。サムライや海賊たちは、中途半端な心理をもっています。かれらにとって重要なことは、「なになに家(け)」の存続です。ここに、景(きょう)と他の組織の親分との意識のズレがあります。他の組織の下層親分はいつでも寝返る(リーダーを裏切る)気持ちをもっています。
 記述は、現代の視点で過去をふりかえりながら説明する特徴があります。ことに地形の比較は詳しい。景はハーフだったのかもしれないと読んでいる途中で考えました。
 一向宗の門徒(もんと)5万6000人、僧も信徒も武器をもっています。立ち回り、戦(いくさ)の戦術の記述は絶品です。次を読ませる強烈な筆記力があります。ただ、漢字の読みはむずかしい。第三章へのつなぎは面白い。痛快です。一向宗の門徒たちはゾンビ(死兵)です。死んでも死なない。
 ときおり紹介されるルイス・フロイス(当時現場にいた外国人)の書いた本は読みました。この小説のほうは、いつものとおりマンガチックな面があるし、下品でもありますが抵抗感は湧きません。
宗教が要因となった戦はすさまじい。キリスト教撲滅が要因となった島原の乱を思い浮かべました。この小説に登場する一向宗門徒たちはまるで特攻隊です。死んでも極楽浄土へいける。
 先日観た邦画「清須会議」に出ていた武将の名もあり、わかったような気になりました。
何千人もの人間の首が塚のように積み上げられる。むごいシーンです。織田信長は神格化されています。
 素材は、「石山合戦」。1570年勃発です。信長が大坂本願寺の敷地を欲しがったとなっています。景(きょう)は、そんなもの信長にくれてしまえばいいと考えています。(寺の敷地を別の土地へ移せばいい。)
 気になるのは、上巻165ページにある村上海賊の当主村上武吉(たけよし、景の父親)と村上元吉(もとよし、23才、景の兄)、村上吉継(よしつぐ、重鎮筆頭)のやりとりで、「鬼手を他家に渡す気なのか」です。鬼手(きしゅ)とは、「景(きょう)」のことでしょう。

(つづく)

 翌日、いっきに読み終えました。ていねいに織り紡がれた(つむがれた)、美しい織物のような文脈でした。
 サムライにしても海賊にしても、どこもかしこも身分の差があります。されど、泉州地方(大阪)の眞鍋海賊の様子はちょっと違います。なんでも笑いにもっていこうとする。たとえ自分の死にぎわでもあっても、とぼけて最期のセリフを言おうとします。そこが面白い。後半の大部分は、景(きょう)の敵となる眞鍋七五三兵衛(まなべしめのひょうえ)の独壇場です。自分の好みとしては、七五三兵衛を村上海賊の次男、景の弟、村上景親(かげちか)に討たせてやりたかった。
 景(きょう)は、留吉の救出にたいして一途(いちず)です。濃厚なクライマックスが波となって次々と押し寄せてきました。学習する。たとえ殺し合いであっても、先輩は後輩に戦術を教えるし、後輩は先輩に学ぶ。一族はそうして、生き残っていく。長期戦です。七五三兵衛の存在は大きい。泉州侍のユーモアが光っています。
 海賊とはすさまじい技術をもった集団です。両者ともに善人であり悪人です。織田方にしても一向宗側にしても、村上海賊にしても眞鍋海賊にしてもです。背景にいるのは、織田信長です。みんなヤクザやギャングです。
 未来の映画化にあたっては、映像化は残酷なシーンをゆるくせざるをえないでしょう。小説を読んだほうがいい。物語はなかなか終わらない。力作です。
 以下は、補足です。
 漢字単語の意味です。「小早(こばや)」は小型の軍船、人力、風力で動く船。自由自在な動きがすてきです。これより大きい船が、「関船」、もっと大きいのは「安宅船(あたけ)」で、両船には指示するリーダー格が乗船します。
 「名人久太郎」信長の側近、堀久太郎。先日観た邦画「清須会議」で、こどもをあやす方法を秀吉に教えていました。
 景(きょう)の心理として、戦は華やかで勇ましいと誤解していた。景の戦いのための意識として、自分のために闘うのではなく、他人のために闘う。
 当時の日本にいたルイス・フロイスのレポートとして、(当時の)日本人は、子を育てるにあたって、決して、暴力による懲罰を加えなかった。言葉でまじめに説明した。親はこどもをしつけるのに手をあげなかった。
 村上景親(かげちか)。景の兄。自らが剣の達人であることに長い間気づけなかった。
 この時代、詫び(わび、責任をとる)として、腹を切るという発想はなかった。(だれが最初に切腹を思いついたのだろう。)
 眞鍋七五三兵衛(しめのひょうえ)の言葉、(息子8才ぐらい)次郎を思い切り阿呆に育ててくれ。
 海戦は六分の勝ちをもって勝利とする。
 読んで良かった一冊でした。なにか賞をとってほしい。 [その後、本屋大賞を受賞されました]


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