2016年10月04日
小説 君の名は。 新海誠
小説 君の名は。 新海誠 角川文庫
タイトルから、大昔にヒットしたテレビドラマの再演かと勘違いしましたが、違うものでした。
第一章を読みました。珍しい筆記です。男女二人の一人称が交互に並べてありました。コラボレーション(共同制作)です。女子が「私」、男子が「俺」です。映像化を意識して書いてある文章です。
次にあとがきを読みました。映画の小説版であることが書かれていました。そして、解説を読みました。製作仲間のことが書いてありました。音楽が映画を支えているそうです。
立ち位置について考えました。芸術の世界で生きていくことはたいへんなことです。挫折する人が多い中、継続されていることが奇跡に思えるし、うらやましい。
第二章を読み始めました。
いつものように、今回も読み取りがすんなりできなかった単語の意味などを記録しておきます。「エポック:ひとつの時代」、「端緒:たんちょ。物語の始まり。きっかけ」、「ヒエラルキー:ピラミッド型階級制」、「リリカル:抒情的じょじょうてき。感情がしんみりする状況でしょう」、「組紐:くみひも。日本伝統の工芸品。その後の展開としてムスビ」、「諳んじる:そらんじる。暗記して言う」、「千早:ちはや。巫女のたすき」、「産霊:むすび。土地の氏神様」、「カクリヨ:隠り世。あの世のこと」、「此岸:しがん。迷いの世界。この世のこと」、「カタワレ時:日暮れ時」、「大和笛:雅楽に用いる太い笛」、「冥界:死後の世界。地獄」、「トップス:上半身に着用する衣服」
名言みたいなものです。「人は大切なことを忘れ、どうでもいいことばかり覚えている」 自身のことですが、過去をふりかえってみて、楽しかったこともいっぱいあったはずなのに、嫌だったことばかりが繰り返し思い出されます。
人口1500人の糸守町は、平成の市町村大合併前の田舎を思い出させてくれます。そこに住む三葉(みつは、女子高生、父は町長、母は神主、妹が四葉よつは10歳ぐらい)、サヤちん(三葉の親友、幼馴染。姉は町役場で町内放送担当。代々役場職員放送担当一族。小柄で短髪)、テッシー(ひょろり長身、丸坊主。父は土建屋で、町長である三葉の父と公共事業で組んでいるようだ)がいます。サヤちんとテッシーは恋人同士。ユキちゃん先生(美人、高校古典教師)
三葉は東京暮らしを目指している。
なんか、男女が入れ替わった「転校生」パターンのような登場人物の声があります。男子が乳房のある女子になったようです。瀧くんと呼ばれた男子は絵を描く人です。
いっぽう、女子の三葉のほうは、記憶喪失になる瞬間があるようです。
(つづく)
これでいいのだろうか。途中で、読みが止まりました。
「転校生」・「タイムトラベラー」→「ザ・マジックアワー」、「ツナグ」、「異人たちとの夏」、東北の歌手、過去の名作・名曲が頭をよぎります。129ページからがオリジナルなのか。バック・トゥー・ザ・フユーチャーでした。歴史を変えてはいけない。彗星は、ロシアに堕ちたものがヒントでしょう。
速読に入りました。
前回読み終えた本が「玉依姫(たまよりひめ)」で、神社の記述部分が頭の中で重なります。偶然ですが、神社とか巫女(みこ)さん話が、今、読書のマイブームです。
アニメ画像を意識しながら読む読書です。
溜息という単語が幾度か出てくるのですが、51ページだけひらがなで「ため息」とあるのは、何か意図があるような気がします。女子が「ため息」、男子が「溜息」と使い分けてあるかもしれない。
人間の入れ替わりはややこしい。
途中で、ふたりが会えないのは、ふたりがいる時代が違うことに読み手は気づく。
方言が、福岡県筑豊地方のものと、名古屋弁に聞こえるのはどうしてだろう。
章ごとの文章量が少ない章もある。
なんだろう。悲しい思い出はだれにもある。
それをいつまでも引きずっていたら、うつ状態から抜け出せない。
冷酷とか非情と言われても、気持ちの切り替えは必要だと思う。
引きずりたいそのことだけが、人生のすべての手段や方法じゃない。
最愛の妻を病気で亡くして大泣きした同じ年に、新たな出会いを経て、よき伴侶(妻)と子ども(継子。血のつながらない子ども)をもった人を知っている。今は孫もできて一族は幸せに暮らしている。
自分が生き続けていくためには、死んでしまった人のことを忘れなければならない。
こどものまま死ぬ人がいる。学校卒業後、20代で死ぬ人もいる。40代や50代で死ぬ人もいる。どこの時点で死ぬのかはわからないけれど、だれしも、自分は早死にはしないと思っているし、早死にするとは思いたくない。
最初に戻って、1ページずつゆっくりめくりなおしながら、目をとおしていく。
東日本大震災も意識してあるのだろうということがわかる。
あたりまえの生活をしていく。
生まれて、学んで、働いて、好きな人と結婚して、子どももうけて、子育てをして、老いていく。
どういうわけか、人によっては、それが、途中でできなくなる。
せつない。
されど、めげてはいけない。
そういうものだと受け入れて生きていく。
そして、死んでいく。
本来のこの本のメッセージとは違うのでしょうが、読み終えて、そういう感想をもちました。
タイトルから、大昔にヒットしたテレビドラマの再演かと勘違いしましたが、違うものでした。
第一章を読みました。珍しい筆記です。男女二人の一人称が交互に並べてありました。コラボレーション(共同制作)です。女子が「私」、男子が「俺」です。映像化を意識して書いてある文章です。
次にあとがきを読みました。映画の小説版であることが書かれていました。そして、解説を読みました。製作仲間のことが書いてありました。音楽が映画を支えているそうです。
立ち位置について考えました。芸術の世界で生きていくことはたいへんなことです。挫折する人が多い中、継続されていることが奇跡に思えるし、うらやましい。
第二章を読み始めました。
いつものように、今回も読み取りがすんなりできなかった単語の意味などを記録しておきます。「エポック:ひとつの時代」、「端緒:たんちょ。物語の始まり。きっかけ」、「ヒエラルキー:ピラミッド型階級制」、「リリカル:抒情的じょじょうてき。感情がしんみりする状況でしょう」、「組紐:くみひも。日本伝統の工芸品。その後の展開としてムスビ」、「諳んじる:そらんじる。暗記して言う」、「千早:ちはや。巫女のたすき」、「産霊:むすび。土地の氏神様」、「カクリヨ:隠り世。あの世のこと」、「此岸:しがん。迷いの世界。この世のこと」、「カタワレ時:日暮れ時」、「大和笛:雅楽に用いる太い笛」、「冥界:死後の世界。地獄」、「トップス:上半身に着用する衣服」
名言みたいなものです。「人は大切なことを忘れ、どうでもいいことばかり覚えている」 自身のことですが、過去をふりかえってみて、楽しかったこともいっぱいあったはずなのに、嫌だったことばかりが繰り返し思い出されます。
人口1500人の糸守町は、平成の市町村大合併前の田舎を思い出させてくれます。そこに住む三葉(みつは、女子高生、父は町長、母は神主、妹が四葉よつは10歳ぐらい)、サヤちん(三葉の親友、幼馴染。姉は町役場で町内放送担当。代々役場職員放送担当一族。小柄で短髪)、テッシー(ひょろり長身、丸坊主。父は土建屋で、町長である三葉の父と公共事業で組んでいるようだ)がいます。サヤちんとテッシーは恋人同士。ユキちゃん先生(美人、高校古典教師)
三葉は東京暮らしを目指している。
なんか、男女が入れ替わった「転校生」パターンのような登場人物の声があります。男子が乳房のある女子になったようです。瀧くんと呼ばれた男子は絵を描く人です。
いっぽう、女子の三葉のほうは、記憶喪失になる瞬間があるようです。
(つづく)
これでいいのだろうか。途中で、読みが止まりました。
「転校生」・「タイムトラベラー」→「ザ・マジックアワー」、「ツナグ」、「異人たちとの夏」、東北の歌手、過去の名作・名曲が頭をよぎります。129ページからがオリジナルなのか。バック・トゥー・ザ・フユーチャーでした。歴史を変えてはいけない。彗星は、ロシアに堕ちたものがヒントでしょう。
速読に入りました。
前回読み終えた本が「玉依姫(たまよりひめ)」で、神社の記述部分が頭の中で重なります。偶然ですが、神社とか巫女(みこ)さん話が、今、読書のマイブームです。
アニメ画像を意識しながら読む読書です。
溜息という単語が幾度か出てくるのですが、51ページだけひらがなで「ため息」とあるのは、何か意図があるような気がします。女子が「ため息」、男子が「溜息」と使い分けてあるかもしれない。
人間の入れ替わりはややこしい。
途中で、ふたりが会えないのは、ふたりがいる時代が違うことに読み手は気づく。
方言が、福岡県筑豊地方のものと、名古屋弁に聞こえるのはどうしてだろう。
章ごとの文章量が少ない章もある。
なんだろう。悲しい思い出はだれにもある。
それをいつまでも引きずっていたら、うつ状態から抜け出せない。
冷酷とか非情と言われても、気持ちの切り替えは必要だと思う。
引きずりたいそのことだけが、人生のすべての手段や方法じゃない。
最愛の妻を病気で亡くして大泣きした同じ年に、新たな出会いを経て、よき伴侶(妻)と子ども(継子。血のつながらない子ども)をもった人を知っている。今は孫もできて一族は幸せに暮らしている。
自分が生き続けていくためには、死んでしまった人のことを忘れなければならない。
こどものまま死ぬ人がいる。学校卒業後、20代で死ぬ人もいる。40代や50代で死ぬ人もいる。どこの時点で死ぬのかはわからないけれど、だれしも、自分は早死にはしないと思っているし、早死にするとは思いたくない。
最初に戻って、1ページずつゆっくりめくりなおしながら、目をとおしていく。
東日本大震災も意識してあるのだろうということがわかる。
あたりまえの生活をしていく。
生まれて、学んで、働いて、好きな人と結婚して、子どももうけて、子育てをして、老いていく。
どういうわけか、人によっては、それが、途中でできなくなる。
せつない。
されど、めげてはいけない。
そういうものだと受け入れて生きていく。
そして、死んでいく。
本来のこの本のメッセージとは違うのでしょうが、読み終えて、そういう感想をもちました。
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