2015年06月13日

その女アレックス ピエール・ルメートル

その女アレックス ピエール・ルメートル 文春文庫

 翻訳小説部門本屋大賞作品ときき、読み始めました。
 帯の裏には、「読み終えた方は、101ページ以降の展開は内緒にしてください」と書いてあるので、書きません。ただ、今読んでいるのは、74ページ付近なので、ここらあたりまでの概略はまとめてみます。
(あとから気づいたのですが、いきなり、「主な登場人物欄」に、犯人の名前と素性が書いてありました。)

 舞台はフランスのパリです。ストラスブール大通りとか、ヴォージラール通りとか、ファルギエール通り、ラブルースト通り、15区ヴァンヴ門、18区クリニャンクール門、15区コメルス通りとかたくさんの名称が出てきますが、行ったこともないのでどこだかわかりません。

 タイトルにある「その女アレックス」という女性が午後9時過ぎの路上で誘拐されました。単独犯の男から、バンに押し込まれます。

 アレックスは、非常勤看護師30歳で独身です。恋愛で失意があって、結婚希望がなくなり、独りで生きていくと決定したようです。

 誘拐事件をとりあえず担当することになったのが、カミーユ・ヴェルーヴェン警部50歳、身長145cmです。4年前に愛妻イレーヌを誘拐されて、殺害されて、そのショックで、しばしふぬけの生活を送り、今は、すでに死体になった事件しか担当していません。されど今回、人手不足という理由で、人手がつくまで(担当が海外研修から戻ってくるまで)という条件で捜査を開始しました。相方が、4年ぶりに組むルイ・マリアーニ34歳大金持ち男性です。(その後、アルマンという名の倹約家の男性がチームに加わって、3人で事件の解決に当たります。)
 なお、カミーユの上司が、同い年の50歳で、体重120kg超えぐらいのジャン・ル・グエンで、ふたりは、20年来の付き合いです。離婚歴4回、ただし、毎回同じ女性と結婚するとあります。

 愛妻を誘拐されて殺害されたカミーユ警部が、失意のまますでに被害者が死亡した事件のみを担当するようになったが、今回のアレックス誘拐事件がきっかけとなって目が覚めた。そんな展開を期待します。

 文章は、登場人物各人の心理描写がうまい。
 あえて、犯人は、今のところ、性格・人格を表面に出していない。
 ゆきずりの犯罪のように見えるけれど、計画的であることからそうではない。ただ、人違いをしているのではないかという疑義はあります。(人違いはしていませんでした。)

 警部カミュと彼の亡妻イレーヌとの仲の良かった思い出が、たびたび文章に出てきます。そこに何か、この作品の秘密があるかもしれないとあたりをつけて、読み続けます。

(つづく)

 冒頭付近の記述手法は、乃南アサ作品「殺意・鬼哭(きこく・亡霊が浮かばれないで泣く)」を思い出します。その作品は、殺人の被害者と加害者の短時間の気持ちを長編で記したもので、凄味(すごみ)がありました。

 意味はわからなけれど、いくつかの作品が出てきます。
ラ・フォンテーヌの「オークと葦(あし)」
エドガール・モダンの「パンセ」
ジェリコーの「大洪水の風景」

 「孤独」に関する記述があります。
 誘拐されて、行方不明になっても、だれからも捜索願が出されない。
 独り暮らしで、仕事をしていない。家族との交流もない。
 家の中で死んでいてもだれも気づけない。
 日にちはどんどん流れていく。

 拘束の身にあるアレックスの脳裏に「パスカル・トラリユー」という男の名前が浮かびました。36歳の男です。誘拐犯人は、その父親です。名前は、ジャン=ピエール・トラリユー、56歳、元病院の清掃員とあります。

 檻(おり)のことを「少女(フィエット)」と呼ぶ。ちょっとおぞましい。こどもさんには、読ませることができない小説です。

 少しずつ、真相に近づいていく背の低い警部、金持ちの若手刑事、ドケチの中年刑事、どデブの上司というチームです。映像を思い浮かべると楽しい刑事ものですが、内容はかなりシビア(厳しい)。142ページあたりからなんだかすごいことになってきました。推理小説のジャンルの中では、松本清張作品、恨み、狂気、復讐、そんな類(たぐい)です。

 翻訳が美しい。わかりやすい。展開はきびきびと進行していきます。

 自分なりに推理する。思い悩む。アレックスはアレックスではないのではないかという疑いが再び生じる。

 殺し方の手法はわかるけれど、殺した動機がわからない。

 プロの仕業(しわざ)か?

 前半はスリルに満ちています。
 ところが、その後、ゆるい時間帯になります。
 作者は何を表現したいのか。
 とらえきれない雰囲気のまま読書が続きます。
 フランスゆえに「絵画」へのこだわり、愛着がみられる文章があります。

  「悪」は反映する。ここまでのこの小説の流れです。
 主人公アレックスについて、大病をして生還した喜びの感じをもつのもわずかな時間帯だけです。

 作り話です。
 人間の肉体と精神ではできないことが書いてあります。

 アレックスがふたりいる?

 ふたつの世界がそれぞれに進行していきます。
 いつ、ふたつの世界は出会い、ひとつになるのだろうか。
 村上春樹作品「海辺のカフカ」が思い浮かびました。図書館で暮らしていたカフカと四国を目指したナカタさんです。

 「どうでしょうかね。心理学でいう“退行”かもしれません」。このセリフの意味は何か。

反社会的な記述には目をそむけたくなる。おおまかに流し読みをする。

 「計画」とは何か。

 単独犯ではなく、なにか、しかけがあって、複数犯なのか。
 心象風景の物語です。事実なのか架空なのか、はっきりしない。
 東野圭吾作品「白夜行(びゃくやこう)」を思い出しました。

 苦しみから解放されるためにピリオド(自殺)を打つ。

 「不吉(ふきつ)」、目には見えないものに怯え(おびえ)、それが去ると安堵(あんど)する雰囲気があります。

 小さいころからともだちをつくれず、いつも一人で閉じこもっていて、あまりしゃべらなかった。(ありがち)

 警察は何もしていないのも同然。すべては、アレックスがやった。

 この作家さんは言い換え方がうまい。人間心理を自然現象に言い換えるところなど、絶品です。

 『「証拠があるのか」と聞くのは、内容を認めて、逃げ道を探す時に発する言葉』、このフレーズ、すごく良かった。

 ああ、やっぱりなあ。根底はここに置くんだ。

 残酷な行為の手前に、人格を否定された強い憎しみがある。

カミーユ警部の正義感の強さはすさまじい。このチームの特徴です。

 アレックスは生きている。

 20年前のことを怨んでの(うらんでの)復讐劇は、現実にあってもおかしくはなく、表面にもでないこともあるのでしょう。

 動機がようやくわかりました。

 おぞましい話であり、とても人には読書を勧められません。

 家族って、何なのだろう。

 カミーユ警部自身の母子関係があります。

 怖いお話でした。が、しかし、胸がすーっとしました。


(読み終えて、半日が経過して)
 極端なお話でした。人は、そのようには生きない。

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